【2-1】作風変わった?
二話始めました。
よろしくお願いします。
俺は今、どこかを走っている。手を取り合って、誰かと一緒に。
相手は異性だ。だけど、残念ながら楽しいデートの真っ最中というわけではなさそうだ。
必死に息を切らして、足ももつれそうになりながらそれでも二人は懸命に互いを励まし駆け続けている。月明りすらほとんど届かない暗がりの森の中を、背後から迫り狂う赫灼たる明光から逃れるために。
しかしそれもここまでだ。体力が限界だった……ということもあるが、それ以前に行く手を阻まれたからだった。
眼前に突如として現れた断崖絶壁によって。
皮肉なものだが、背後からの明かりがなければ気づかずにそのまま突っ込んで転落していたかもしれない。下の様子は暗くて見えないが、よくよく耳を澄ますと音が聞こえる。木々を焼く音がなければおそらくは轟音として鳴り響いていた事だろう。そう、このすぐ近くには飛瀑する巨大な滝が存在することを、俺は何故か知識として知っていた。言い換えるならば、土地勘があった。
近くには程なくして幹川に合流する支流があった。その水面に反射するのは赤光に照らされた二人の表情、髭面の逞しい男と明るい髪色の見目麗しい女。そして共通して互いの表情はとても憔悴している。
ああそうか、俺は今こんな顔をしているんだ。どこか他人事のようにそう思える。いや、事実他人事かもしれない。これは今の俺、ヒリア・キョロットルのものじゃないからだ。ついでに言えば、前世のものとも。
いずれにしろ俺の心中は全く穏やかじゃない。感情移入が酷く、恐怖や焦燥感が心をぐちゃぐちゃにかきまぜようとしていた。恐慌状態寸前の俺は、すぐにでも強く握られた手を振りほどいて一人で逃げ出したくなる。逃げ道も残されていないのに、逃げられるところなど、もう何処にも残ってないのに。
だがそれでも逃げなかったのは間違いなく俺の意志によるものだった。手を強く握っているのはお互い様だ。この名前も思い出せない人のことを、俺も狂おしいほど愛おしく思っているのだ。だから二人は決して離れないことを俺は知っていた。
例えそこにどんな障害があろうとも。
「……逃がさない」
小さな声だった。だけど、それは空間全体を揺るがしたかのように俺達の体を大きく震わせた。
俺達は互いに抱き合い、その者――背後から現れし一人の華奢な女性に顔を向ける。
いつの間にか、周囲の木々まで燃え盛っていた。漆黒の闇のように思われた夜の森も、今やまるで地獄の業火をくべるための薪のようだ。
つい先ほどまではやや肌寒かった空間が、今やもう暑い。いや、熱い。だけどそれでも、俺達は互いの手を解かない。いやむしろ、より一層強く抱き合う。
それに呼応するかのように、女の黒く長い髪がぶわりと宙に舞う。そして、業火はさらなる勢いを増す。
「……離れろ、私の愛する人から……この泥棒猫が!」
女が金切り声をあげた。とても人間のものとは思えない咆哮で。
「レイナ……どうか一人で逃げてくれ。俺はここで、あいつの足止めを……」
「嫌です!私は最期のその時まで、あなたのお傍に!」
「駄目だ!」
「嫌です!嫌です!絶対に離れません!」
「俺は……お前を死なせたくないんだ……わかってくれ……」
「私は……あなたを奪われるくらいなら……この命を捧げます」
この台詞自体は二人のものであって俺は関与していない。だけど、俺の心は完全に連動している。俺はこの人を失いたくない、ただそのことだけが、俺の全てを占めていた。
だから俺達は、キスを交わした。この土壇場の状況で、迫り狂う魔の手の事など全く意に介していないかのように、情熱的に。
力強く抱き合った体が熱く燃え滾ってくる。周囲を取り囲む灼熱の炎すら温められなかった俺達の心が、溶けて一つになっていくかのように。
「イヤアアアアアアア!!!離れろ!離れろおおおおおお!」
轟音のような叫び声がする。そして大地が揺らぐ。もしこの場にいるのが一人だけなら立っていることすら出来なくなっていただろう。だがここには二人いる。いや、もう一心同体と言っても過言ではない。四本の脚と四本の腕ががっちりと組み合って互いを支えていた。
だがついに亀裂が走った。比喩的な意味じゃない。文字通り、地面に走ったのだ。巨大な地震にも匹敵する振動が、俺達の足場を崩したのだ。
勿論俺達はそのことに気づいていた。だが、構いやしなかった。命を捨ててでも成したい事があるのだから。今やすでに、二人が一つになり続けることが何にも代えがたい最優先事項となっていた。
「お、王子!お逃げください!そのままでは落下してしまいます!」
絶叫は、当の元凶からのものだ。明らかにさっきまでと声色が違い、憎しみが焦りの色に塗りつぶされている。
だが俺達は逃げなかった。代わりに二人して彼女を見据えた。
怒りから睨むわけではなく恐怖で目が離せなくなってるわけでもなく、ただ強い意志だけを向けたのだ。
魔女は気づいたようだ。俺達の目を見て、その覚悟に。
今までの威勢のよさとは裏腹に、魔女が力なくその手を伸ばす。
「ま、待って……」
「魔女よ、いくら求められても、俺はお前のものになどなりはしない。例えこの身が滅ぼうとも、俺の心は常に彼女と共にある」
「や、やめてえええ!あなたを失ったら、私は!私はあああああ!」
魔女の魂の懇願を歯牙にもかけず、二人は再び見つめ合う。
「死がふたりを分かつことはありません。私達の魂が、互いを求める続ける限りは」
「俺は必ず、お前を迎えに行く。だからそれまで待っていてくれ」
「ええ、いつまでも待っております。何度生まれ変わろうとも、あなたのことだけを想いながら……」
魔女の髪が伸び二人を捉えようとした。だがそれより先に、ついに崖が崩れ落ちた。
「い、嫌……嫌嫌嫌嫌嫌……イ……アアアアアァァァァァァ――……!」
あれほどまでにけたたましかった魔女の叫喚が一瞬で小さく聞こえなくなっていく。ただそれは物理的な距離だけが理由じゃない。俺達二人は、落下しながらも抱き合いながら耳元で互いの名前を呼び続けていたせいで、その言葉しか耳に入らなかったのだ。
「イリア様」
「レイナ」
「イリア様」
「レイナ」
「イリア様」
「レイ……」
とはいえ、落下の速度は高速。着水するまでの時間はほんの僅か。小石のようにあっけなく落下した俺達は、実にあっさりと瀑布の滝つぼに飲み込まれていった。
それでも、この期に及んでも尚二人は互いの体を離そうとしない。荒れ狂う水流に抗すら、二人を引き裂くことは出来ない。
「……」
「……」
「……」
「……」
当然声はもう出ていない。それでも二人は、体内に残された少ない空気すら犠牲にして互いの名前を呼び続ける。
耳に入るのは、ただ水か、その音のみ。
――その筈だった。
『イリア様!』
――その呼び声が耳に入った俺は――
――ようやく目を覚ました。




