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【1-12】すったもんだあった

「別に必要ないでしょ、ずっと手袋ハメてたんだから」

「「ずっと……」」


 今はもう本質的に手袋を使う時期ではない。いくらレース素材であろうと長時間着用していれば蒸れていてもおかしくはなかった。

 俺はこっそり脱ぎ捨てられた左手袋の方に視線を向けた。気のせいかもしれないが入れ口からムンワァァァッと蒸気だか瘴気だかが立ち昇ってる気がする。


 間違いなくメイもそのことに気づいていた。だからためらったのだ。


「なぁに?足の方が良いならそっちでも構わないけれど!?」

「くっ……わかりましたから……しますから」


 うりうりと足をメイの顔面にくっつけようとするアフォーナと、それを必死の形相で避けるメイ。

 彼女はものすごく恐る恐る主の左手を取る。顔を近づけ、詰まってる筈の鼻をひくひくさせていたが、意を決したように嫌々そっと唇をつけた。

 終えた後の彼女は苦虫でも噛み潰したかのような表情をしていたが、ひょっとしたら本当にそんな感じの何かが這いずり回っていたのかもしれない。


「あれ、アタシに忠誠を誓う言葉10回分は?」

「こうなった以上全く必要のないことなので省略しました」

「まあそうなるよな」

「え、これ一体何のための儀式なの?」


 どうやら臭いの問題は回避されているようだ。とはいえ、やはり彼女の身体に粘膜を接触させること自体抵抗はあるのだが。


「さ、次はあんたの番よ」

「……それじゃ失礼して」


 俺も腹をくくり、彼女の左手を右手で掴む。


「ちょ、ちょっと待ってください。同じ側の手にするんですか?」

「良いじゃない別に」


 どういうわけかここでメイから待ったがかかったが、全く意に介さないアフォーナ。


「だってそれじゃ……!」

「大丈夫ですよ、俺別に気にしないんで。むしろ先輩の後で良かったです」

「なっ!?」


 メイは尚も食い下がろうとしたが、ぶっちゃけ俺の方としても譲るわけにいかない。多少なりとも彼女が苦虫を吸い取ってくれている筈だからいくらか浄化されてることが期待できるからだ。

 俺はいつから洗ってないかわからない手を取り、メイのキスした後に口をつけようと――


「ダ、ダメ!」

「ちょっ!?」


 突然メイが取り乱し俺の儀式の邪魔をしてくる。

 それがまずかった。彼女はアフォーナが行儀悪く脱ぎ散らかしていたコートに足を取られ滑ってしまい、結果として主を後ろから押した形となる。

 元々だらしなく先端部分に腰かけていたアフォーナは、その衝撃でいとも簡単に椅子からずり落ちてしまい俺の方に倒れ込んできたのだ。

 後はもうお分かりだろう。この展開の先に待ち受けているもの――それは事故キスだ。


「な!?なななななななっ!?」


 半狂乱のようなメイの悲鳴が遠くから聞こえてくる。

 だが俺はそれどころの騒ぎじゃない。床に押し倒された形となる俺の上にはアフォーナが全体重をかけて乗り掛かってきており、口は彼女の唇によって完全に塞がれてしまっていた。


 ――ねちゃねちゃしてキモチワルイ。


 それが俺の、初キスの感想だった。ちなみに彼女の口が臭いというのも本当だった。


 ……しかもこいつ、どかねーぞ!?こういう時普通は顔を赤らめてすぐに離れるもんじゃねーの!?

 それどころかアフォーナは俺の頭を抱え込み、舌まで挿れようとしてくる!どうなってんだよ!?俺の口まで穴とみなしたのか!?入ってくるのは臭いだけじゃなかったのか!?

 俺は全力で何とか引き剥がそうとするが力が強い!しかも四つん這いで的確に体も抑え込まれていて逃げられなくなっている!?しかもしかも、こいつは器用にも俺の尻まで弄り始めた。おい、お前一体何の穴を探してんだ!?


 俺はタップするも寝技が解かれる様子はない。おそるおそる彼女の目を見ると、何かトんでいる。しかも鼻息が異様に荒い!フーッ!フーッ!イッとる!こいつ、マジで男に飢えていたってことか!?いやいやそんなことってある!?

 まさか、この世界ってエロゲとかエロ漫画の世界なのか!?だから18歳から入学ってことになってんじゃないだろうな!?普通いないだろこんな女子!っていうかエロゲにしても悪臭に定評があるヒロインとかニッチな需要を攻めすぎだろ!どんな際物の薄い本の世界なんだよここは!?


 そうこうしている間にもこいつは俺が必死に噛み締めている歯の間に舌をねじ込もうとしてくる!も、もう無理だ……もうすぐ異臭を放つナメクジが俺の口の中に……


 パアアアアアンッ!


「ひぎゃっ!?」


 すんでのところでものすごい音がし、アフォーナがようやく俺の唇を解放してくれた。


 パアアアアアンッ!パアアアアアンッ!パアアアアアンッ!


 破裂音はとどまるところを知らない。何度も何度も繰り返される。


「ちょ、ちょっとメイ!痛い!お尻痛い!やめて!やめてってば!」


 どうやらメイがアフォーナの尻を叩いている音だったらしい。


「あなたという人は!頭だけじゃなく!お尻の中まで空っぽなんですか!だからそんなに尻軽なんですか!だからこんなにいい音響かせるんですか!」

「違う違う!あんた何か勘違いしてる!これはこいつがアタシの口に吸いついて離れなかったせいだから!」


 俺の身の毛がよだった。


「はあ!?濡れ衣だ!歴史改ざんだ!」


 こいつ、平気で罪を着せようとしやがる!

 とはいえ、メイが全くアフォーナの言い分に取り合わないのは地獄に仏だった。


「ヌケヌケと!あなたが腰をカクカク振ってるとこ後ろから見てるんですよ!」


 いやいや尻が軽すぎるにも程があるだろ。


 これにアフォーナがようやく顔を真っ赤にさせやがる。


「そ、そんなことする女子がいるわけないでしょ!?常識的に考えてよ!」

「非常識なことしてるからこうやって怒ってるんです!」

「何でもいいからとにかくどいて……」


 こんな事態になってもアフォーナは俺を取り押さえて離さない。こちらとしても何とか隙を見て逃れようとしているのだが、こいつガチでビクともしないのだ。


「あんたが離さないからでしょ!?」


 しかもまた謂れ無き罪を俺に押し付ける。冤罪はこうやって生まれるものだと理解した。

 しかし幸か不幸か相手はアホ、誰もこいつの言う事など信じない。


「どう見たってお嬢様がガッチリ拘束してますよ!早く彼を解放しなさい!」

「嘘!?そんなわけ……」

「無自覚なんですか!?どこまで本能に忠実なんですか!」


 どうやらようやく我に返ったらしく、アフォーナは慌てて俺から飛びのく。

 ちなみにそのどさくさに紛れて俺の股間をしれっと撫でていきやがった。この一連の動作、手慣れてやがるとしか思えない。


 ハァハァハァと男女三人による荒い荒い息遣いが部屋中に木霊する。

 ここに第三者が現れれば間違いなく修羅場だったと思う事だろう。まあ、ある意味間違ってはいないし。

 暫く沈黙が続いたが、最初に臭い口を開いたのはアフォーナだった。


「と、ともかくこれで臣従儀礼は完了ね」

「まあ……そのままの意味でマウント取られましたしね」

「ヒリア様、今すぐ訴えに行きましょう。パワハラ並びにセクハラでこの人を社会的に抹殺しましょう」

「いや、それじゃ意味ないし」


 メイは親切にもそう勧めてくれるが残念ながらそういうわけにはいかない。

 一体何のためにこんな辛い思いをしてまで儀式を完了させたと思ってるんだ。こちとらまだ体が小刻みに震えているんだぞ。


 だが彼女はそれを違う意味で捉えたようだ。


「そうですね、実際に抹殺すべきですよね」

「もう、冗談はやめて。第一アタシのファーストキスなのよ?だからこいつも身に余る光栄に打ち震えているのよ、ねえ?」


 とはいえ、俺にも我慢の限度というものがある。


「実際に抹殺したいですね」

「決まりましたね。ではヤっちゃいましょう」


 メイがどこからともなく持ち出した釘打ちバットでフォームを固めた。左打ちのようだ。


「……冗談よね?」

「はい。冗!談!です!」


 青ざめるアフォーナ目掛けてフルスイングするメイ。間一髪、それはアフォーナの顔面を捉えず空を切る。


「冗談じゃないじゃない!本気じゃない!?」

「いえいえ冗談みたいなもんですよ!お嬢様の存在自体が!だから仰せの通りやめていただきます!」

「ヤダー!やめたくないい!キスだけで終わらせたくないいいいい!」

「やっぱり最後までヤる気だったんじゃないですか!させません、させませんよ!」


 ブンブンとバットを振るうメイから必死の形相で逃げ惑うアフォーナ。

 ともあれ、色々吸ったり揉んだり撫でたりされたが、何とか俺はアフォーナお嬢様の臣下と認められることになったようだ。


「やれやれ」


 嘆息しながら、俺は誰かのせいでネトネトにされ気持ち悪いことこの上ない口元を念入りにグイグイ拭った。


 これから取り巻くこととなるご令嬢の逃げ惑う姿を眺めながら。












 ぐにゃり


 その時、世界が歪んだ。


 な、何が起こった?


 青天の霹靂だった。視界は歪み、平衡感覚が失われる。


 真っ先に疑ったのはメイだ。実はまだ何かトラップが仕掛けられており、俺はまんまとそれに引っかかった、その可能性を考えた。


 だが、俺の異変に気付いたメイはバットを豪快に投げ捨て俺の方に慌てて駆け寄ってくる。明らかに心配そうに声をかけてくるが、残念なことに聴覚もほとんど失われてしまっているためどうにも聞き取りづらい。どうやら俺の名前を呼んでいるようだが少し違って聞こえてしまう。

 同時に何度か尻をバットで殴られていたアフォーナも怪訝な表情を浮かべていた。つまり、この事態は二人にとっても想定外ということなのだろう。


 と、何かに気づいたらしいメイが俺の左手首を掴み、鼻を寄せた。

 そして一気に仰け反る彼女。


 ああ……そういうことか。


 俺は、さっき左手で自分の口元を拭ったのだ。その前にアフォーナの足を掴んだ方の手で。


 ……やっちまったな。


 俺は心の中で苦笑した。最後の最後で、ドジを踏んでしまった自分自身に対し。


 主人公でもないのに「やれやれ」なんて言ったバチが当たったか……


  薄れ行く意識の中で、俺の頭は混濁していく。きっと今頃口や鼻から侵入を果たしたお嬢様方が脳を侵食しているのだろう。

 ……それにしても、どうして俺はこんな奴にわざわざ近づいたのだろうか。アフォーナがやべー奴であることなどわかりきっていた筈なのに。

 何か理由があったような気もするが、今はもう思い出せない。そういう意味では、その程度のことだったのだろう。結局のところ、何か大いなる意志、或いはシナリオのようなものに突き動かされただけのことだったのかもしれない。


 走馬灯だろうか、様々な光景がフラッシュバックした。

 その中には前世の思い出もあった。しかも実際の記憶だけじゃなく昔よく夢に見ていたものまで。まさか生まれ変わり後の死に際にあんな黒歴史と向き合わされるとは……


 だが、俺が一番気になったことは別にあった。完全に気を失う前に、もう一度その疑問を反芻する。





 ……どうでもいいけどこの世界にも野球あんの?


 そして俺の意識は、ぷっつりと途絶えた。

第一話おしまい

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