【1-10】試練が始まった
「では、口付ける直前に〝私、ヒリア・キョロットルはアフォーナ・ヤッチャネン様に忠誠を誓います〟と10回唱えてください」
「「10回も?」」
「何か問題が?」
俺と、どういうわけかアフォーナまで疑問を口にしたが、メイはどこ吹く風だった。
チラッと令嬢の方を見るが、小首を傾げている。
「……いえ、言いますよ」
まあこれがピーヘンの慣習なのかメイが勝手に作ったルールだかはわからないが、いずれにしろ拒否するほどのものでもない。
俺は言われた通り、彼女の右生足を左手で掴み眼前にまで寄せた状態でお題目を唱え始める。
「私、ヒリア・キョロットルはアフォクッッッッッッッッサアアアアアアアアアッッッッッ!」
俺はもんどりうって倒れた。とんでもない臭いだった。猛獣どころの騒ぎじゃない、腐った牛乳を拭きとった雑巾をうだるような暑さの野外に三日三晩放置していたかのような悪臭だ。
鼻が曲がりそうなほどの酷い臭いだが何ならむしろ曲がってくれた方が鼻腔が詰まって助かる気がする。だが現実は残酷で、むしろいつまでも臭いの残滓が残って消えてくれない。そのせいで今度は吐き気までしてくる始末、胃からこみあげてくるものを必死で抑え込まなければすぐにでもぶちまけてしまいそうだ。
「こ……これは洒落にならん……マ、マジで無理……」
「なっ!?し、失礼ねあんた!そんなわけないでしょ!」
アフォーナがさっきまでよりも顔を真っ赤にして抗議してくるが、そんなわけあるんだよなあ!
メイもコクコク頷いている。
「そうです、こんなんでへこたれていてはとてもではありませんがお嬢様の従者は務まりませんよ?」
「え、臭い方は否定してくれないの?」
「ご自分で確認されてみては?」
アフォーナが大股広げて自分の足をくんかくんかと嗅ぐ。現状俺がうずくまっているせいもあって視点の関係上モロに猛獣を拝まされてしまったがもうそんなことどうだっていい。お前がどうのこうのいう次元はとうの昔に過ぎ去ってしまっているのだ。
そして案の定、アフォーナが絶叫した。
「……クッッッッッッッッサアアアアアアアアアッッッッッ!……え!?ちょっとまって!?アタシの足ってこんなに臭かったの!?嘘でしょ!?」
「何を今更。既に10年ほど前から熟成始まってましたよ」
「あらヤダ結構年代モノ!」
その時ようやく気付いた。あの入学式でアフォーナの前にいた女子、あの子は恐怖で青ざめていたんじゃなくあまりにもの悪臭に苦しめられていたんだと。
というかよく声も上げずに耐え忍んでたよな、ちょっと尊敬するわ。
「どうしました?ヒリア様。さあさあ、早く誓いを立ててください。儀式はまだ終わってませんよ」
そう促すメイの目に邪悪な色が灯っている。
ようやく気付いた、これは嫌がらせであると。誓いの言葉を10回も唱えさせるのも、息を止めて一気に終わらせることを封じているのだ。
とはいえ臭いそのものに関しては口呼吸で何とか乗り越えることは出来るかもしれない。しれないが……こんな臭いの元に口を付けろだって?冗談も休み休みにしてくれ!
「……実際に口をつける必要はないよな?」
悪あがきとはわかっているものの一応確認してみる。
そう、前世ではあれは確かハンドクスだかハントクスだとか呼ばれていて、実はガチで口をつけるわけではないという話を聞いたことがある。なのでこっちの世界でもそれを期待したのだが……
「何言ってるんですか、あるに決まってるでしょう。ささ、ぶちゅーっといっちゃってください」
と、無慈悲に突き放される。
やはり多くの創作ものでは実際にするように、この世界でもそうらしい。もっとも本当にそれが常識なのかメイの悪意なのか実地の経験が無い俺では判断つかないが、今はそれどころじゃない。なんとしてでも逃れなければただでは済まない。
「……なあ、やっぱ手の方にしてくれない?頼むよ、後生だからさあ」
「ダメです、試練を乗り越えて忠義を示してください」
必至の懇願を一顧だにしないメイの態度に俺の中で何かが弾けた。
思わず声を荒げてしまうほどに。
「非道だ!人の道に悖る!あんたには良心ってもんがないのか!?」
「アタシの足って……一体……」
隣でアフォーナが泣きそうな顔をしているが知った事か。
俺は決して引き下がらない。いや、引き下がるわけにはいかない。何としてでもこの暴挙を取りやめさせなければ命が危ないんだ!
「どうして……どうしてここまでさせようとする……」
歯を食いしばって涙をこらえる俺に対しても、メイは冷淡な調子を崩さない。
「ヒリア様、あなたはあの時わたしにこう囁きましたよね?君と家族になりたいんだよ、って」
「え!?あんたプロポーズされてんの!?」
いやちょっとまて。確かに言ったがそれは断じてプロポーズなんかじゃなく……
「いえ、入学式の時お嬢様がわたしのことを家族と称したのを聞いておられたのでしょう。実際、詳しく話を伺うとあなたにお仕えしたいとの趣旨でしたし」
そういう事。ていうかその事はもうメイとの間で話し合いは済んでる筈なのに。
と、ここでようやくアフォーナは自身の誤解に気づいたようだ。
「あ……さっき言ってた家族が増えるってそういう意味だったのね」
「他に何があるというのですか、どすけべお嬢様。妄想をこじらせるのも大概にしてください」
「いやどう聞いたってあれはそういうことだと思うでしょ!?」
バンッ!
これは、俺が思い切り床を叩きつけた音だ。二人のしょうもない言い争いすら癇に障るほど俺のフラストレーションはたまりにたまっていたのだ。
二人の視線が俺に集まる。俺もまた憤怒……いや、憎悪の感情を隠すことなく睨みつけた。
「あんた達の家族になるためにはここまでしなきゃならないのか?このお嬢さんにはそれだけの価値があると、あんたは本気で思ってるのか!?」
俺の魂の叫びに、メイが不敵に吐き捨てる。
「……そんなわけないじゃないですか」
「ないんかい」
悲しそうに突っ込みを入れるアフォーナ。
だが、だとすると……
「……ただ俺を迎え入れる気がない、ということか?」
「逆です。何としてでも家族になっていただきたいと思っています」
意味不明だ。絶対不可能な難題を押し付けておいて、一方でそれを達成することを望んでいるだと?全く彼女の腹の内が読めない。
「だ……だとしたら何故……」
俺の疑問に、メイは軽く鼻を鳴らした。
「そうですね、これは先達であるわたしからの教育的指導的意味合いがあることは否定しません。わたしをおちょくったらどういう目にあうか、身をもって思い知っていただく必要があるのですよ」
「俺は……別におちょくってなんか……」
「ってことはあんたもやっぱプロポーズって思ったわけなんだ?」
「お嬢様は黙ってください。口もちゃんと臭いんですから」
「んなっ!?」
そう言えば入学式の時もそんなこと言われてたけどやっぱあれマジだったのか。まあマジで臭かったとしても何も驚きはないけど。
スーハスーハと自分の手の平に息を当て確認する令嬢を他所に、メイは再び俺に向き合う。
「さて、どうなされます?ヒリア様。やっぱりお嬢様の臣下となる道を諦めますか?その選択も悪くはありませんが、そうすると今後あなたはパアナお嬢様からだけでなく我がお嬢様からも裏切り者として狙われることになりますよ?」
「え、アタシそんなことするつもりは……」
「黙ってて」
「はい」
おい令嬢、何言われた通りさっきの手の平使って口を閉ざしてるんだよ。最早どっちが主君なのかわかりゃしないぞ。
「その時は俺をどうするつもりだ……?」
「そうですね。気付いたらあなたの鞄の中にお嬢様の使用済みタイツが入っているとか、そういうことぐらいはあるかもしれませんね」
俺に戦慄が走る。
「きっ、汚ねえ!汚ねえぞ!」
「そんなこと言われなければわからないとでも?」
「……あんただって無事じゃ済まないってこともか!?」
「勿論、わたしだって出来ればやりたくはないですよ。ですが、その時が来れば覚悟を決めましょうね、お互いに」
ふっと微笑を浮かべるメイ。その目には、既に決死の覚悟が見て取れる。
これは――本気だ。
「ま、まて!わ、わかった!俺は絶対に裏切らない!だからそれだけは……それだけは勘弁してくれ!」
「アタシのタイツって……一体……」
万事休す――これで逃げ道まで塞がれた。まさか、こんな命のかかる事態になるとは予想もしてなかった。隣ではアフォーナがいっちょ前にぷるぷる震えてるが、そうしたいのはこっちの方だ。
何とか、何とか打開策を見つけなければ……
だがメイは非情にも考える時間すら与えてくれない。
「では儀式を続けましょうか。臣下となるためには絶対必要なことですから」
「……絶対?」
「はい。絶対、です」
この言葉に、俺は一縷の希望を見出した。
「最期に一つ、彼女に確認しておきたいことがあるんだが、質問しても?」
「……何を聞いたところで今更事態は変わらないと思いますが、まあ良いでしょう」
メイからのお許しが出た。
そこで俺は居住まいを正してから令嬢に尋ねることにする。
「あの、アフォーナ様。ちょっと気になった事があるんですけど」
「何よ?」
不機嫌なのを隠そうともしないアフォーナ。腹立つ。誰の足のせいでこんなことになってると思ってるんだ。
そう怒鳴りつけてやりたいのをグッと堪え、俺は確認を取った。
「彼女は正式な臣従儀礼をちゃんとやってるんですか?」
俺に指差されたメイの瞼がピクリと動く。
そしてアフォーナが――かぶりを振った。
「ううん?この子はアタシの身の回りの世話をする側仕えだから、そういうのは別にやる必要ないのよ」
「でもそれは正式の話であってここではまた別問題ですよね?俺だってこれで本当の意味で臣下として叙任されるわけじゃないんでしょ?」
「まあ……それはそうかもしれないわね」
――来た!
「だとすると、あんたもこの儀式が必要ってことになるんじゃないか?なあ、メイ先輩?」
「……っ!?」
「となると、まずは先輩から先に済ますべきですよね?お嬢」
「お、お嬢様……」
アフォーナに確認する俺。不安そうに主君の顔を伺うメイ。
永遠とも思える一呼吸の後――判決は下される。
「……そうね。この際だからあんたの忠義、見せてもらおうかしら」
「まさか、しないなんて言わないですよね?絶対必要なことなんだからさあ!」
俺と、そしてアフォーナの醜い笑みに、メイの表情がついに引きつった。
まさに起死回生の一撃!
断言しよう、メイはこの苦行を乗り越えられない。そして彼女が出来ない以上、俺もする必要がなくなる。
アフォーナの足にキスするなど並みの人間では到底不可能、いくら彼女のタイツに触る覚悟があろうと所詮は間接、直に鼻を近づけ口付けるのとはわけが違う。だからきっと彼女は泣きを入れ、この試練は有耶無耶になる――俺はそう、高をくくったのだが……
「……うふふ……あははははは!」
「……何がおかしい?」
メイが笑った。今までのような表情を表面的に動かすだけではなく、本当に、腹の底から愉快そうに。




