⑰庭園の二人
「よく来てくださいましたわ! ルーカス様!」
両手を祈るように組んでしおらしい態度のシンシアに、ルーカスは鼻白んだ。
これから暗殺しようという相手にこんな態度がよくできるものだと呆れる。
「この先に薔薇が綺麗に咲いているガゼボがございますのよ。そちらでゆっくりお話し致しましょう」
小首を傾げて、おねだりするように言うシンシアは一見するととても愛らしい。
嫁いできた最初の頃は、まだ幼さも残っていて、可愛い人だと思ったこともあった。
けれど、それはすぐに大きな思い違いだったと分かった。
高慢でわがままで、人間性に可愛さも誠実さもまったくない女性だった。
それでもシンシアにも意に添わぬ結婚に反発したい気持ちがあるのだろうと大目にみてきた。
けれど、すべてを知った今は、ただの悪辣な女性にしか見えない。
「いいですね。参りましょう」
そのガゼボに刺客を忍ばせていることまでアーサーは調べ上げていた。
ルーカスは、シンシアの罠に嵌ったふりをして上機嫌に進む。
「あなたとこんな風に庭園を歩くのは初めてですね。いつか分かり合える日がくればいいと思っていました。手紙をくれて嬉しかったですよ」
ルーカスはすっかり騙されていると思わせるため、わざと嬉しそうに告げた。
計画がうまくいっているとほくそ笑むのだろうと思っていたのだが……。
「?」
なぜかシンシアの表情が一瞬うしろめたく翳ったような気がした。
しかし、すぐに笑顔になってルーカスを見る。
「ええ。私も来てくださって、とても嬉しいです。本当はこんな風にルーカス様とお話ししたいとずっと思っていました」
「……」
ルーカスはシンシアのその言葉がいつもと違って真実を含んでいるように感じた。
(いや、騙されてはいけない。この程度の言葉で簡単にほだされてしまうから、グラハムの王に若僧だとなめられてしまうのだ)
ルーカスはすぐに考え直した。
亡き父王もルーカスのそういう甘さをずっと心配していた。
もっと強く、そして非道にならなければ王など務まらないのだとつくづく思っている。
「このガゼボですね。本当に綺麗に薔薇が咲いている。一緒に座りましょう」
ルーカスは紳士らしく胸ポケットからハンカチを取り出し、ガゼボに置かれたベンチに敷いてシンシアに座るよう促した。
「あ、ありがとうございます」
シンシアは少し驚いたような顔をしてから、頬を染めてベンチに腰掛けた。
「……」
どうもいつもの高慢ちきな態度と違って、調子が狂う。
たぶん自分を騙すためにしおらしく演じているのだろうが、本当のシンシアがこんな人であれば、夫婦としてうまくやっていけたのではないかと想像してしまう。
そうしてラムーザとグラハムの和解の象徴として仲睦まじい夫婦になれていたら……。
今さら叶わぬことと知りながらも、まだ心のどこかで願っている自分がいた。
「あなたは手紙でヒルミが一緒だと冷たい態度をとってしまうと書いていました。もしや、ヒルミに何か言われているのですか?」
シンシアはグラハムの父王に命じられて、無理やり暗殺計画にまで加担させられているのだと思いたかった。万が一にもそうであれば、シンシアを救ってあげたいと思っている。
「実は……そうなのです。ヒルミは私の監視役で、私の行動はすべて父に報告されるのです。そして父もヒルミも、赤い目に差別意識を持っています。私は……陛下のその赤い瞳が、本当はとても……素敵だと、初めてお会いした時から思っていました」
「シンシア……」
少し照れたように言うシンシアがとても美しかった。
こんなに澄んだ瞳の美しい人だっただろうかと、ルーカスは初めてどきりとした。
「私も……あなたの青い瞳はとても美しいと思います」
もしかしてこれがシンシアの本音ではないのかと信じたくなる。
アーサーこそ、間違った情報を掴んできたのだと思い始めた、その時。
「!」
ザっと植え込みから剣を手にした刺客が現れた。
はっと慌てて立ち上がり、腰の剣を抜いて隣に座るシンシアを見る。
その顔は、うまくいったと黒くほくそ笑んでいた。
「シンシア……。やっぱり君は……」
アーサーの言う通り騙していたのだという絶望感と共に、別の植え込みに隠れていたルーカスの護衛兵が三人現れた。
「なっ!」
思いがけない伏兵に慌てる刺客と隣のシンシア。
すぐに刺客と護衛兵が剣を合わせるカン、カンという音が響く。
凄腕の刺客のようだが、こちらも精鋭を三人潜ませていた。刺客に勝ち目はない。
さらに、騒ぎを聞きつけ集まってくる大勢の衛兵の足音が近付いてくる。
「こ、これは……」
シンシアは青ざめた顔でその様子を見てから、ルーカスを見上げた。
「だ、騙したのね、ルーカス様……」
怒りに唇を噛みしめるシンシアに、ルーカスは苦笑した。
「騙したのは君の方だろう。君が何も謀らなければ違う道もあっただろうに、こうなってしまっては、私もこれまでのように君に親切にするわけにはいかないな、シンシア」
「わ、私をどうするつもりですか?」
「塔の一室に軟禁させてもらうよ。君は一生そこから出られないだろう」
「そんな! ひどいわ!」
「ひどいのはどちらだ! 君さえラムーザに歩み寄る気持ちがあれば、私は君を妻として愛する努力を生涯かけてしようと思っていた。それなのに……」
言いかけて……ルーカスはこんなことを今さら言っても仕方がないと小さくため息をついた。
「ルーカス様……」
呟くシンシアが本当に傷ついているように感じて、あわててその思いを振り払う。
人を騙す演技が、なんて巧い悪辣な女性なのかと軽蔑の思いだけが心に広がっていく。
「君には心底がっかりしたよ」
呆れたように言うルーカスに、シンシアは涙を堪えているように見える。
計画が失敗して悔しいだけだと思うのに、その瞳があまりに澄んでいて憎みきれない。
(ここまでされても、まだ庇いたいのか。私はどこまで甘いのだ)
自分に喝を入れ、刺客を捕らえて縄で縛りあげた護衛兵に告げる。
「その者を連れていけ! 誰の指図かすべて吐かせろ!」
護衛兵達は「はっ」と答えて、刺客を連れて行った。
そして残ったシンシアに、ルーカスは目を向ける。
「君にも話を聞かせてもらおう。軟禁した塔の一室でね」
「……」
すっかり観念して項垂れるシンシアの腕を掴み、連れて行こうとした。
その時だった。
ザっと飛び出してきた男に、ルーカスは驚いた。
「な! もう一人いたのか!」
そんな話はアーサーから聞いていなかった。
すでに潜ませた護衛兵は刺客を連行していってしまった。
ここには本当にルーカスとシンシアしかいない。
「用意周到なことだ、シンシア。君の私を殺す執念には呆れたよ」
ルーカスは剣を再び抜きながら、シンシアをちらりと見た。そして。
「?」
さっきと違って青ざめた顔でがくがくと震えているシンシアに違和感を覚えた。
「どうして……」
もう一人刺客がいることを知らなかったのか、シンシアの方が驚いている。
だが、それにしても驚き方が変だ。
さっきはうまくいったとほくそ笑んでいたくせに、なぜ今度は青ざめて震えているのか。
今度こそうまくいったとほくそ笑むのだと思っていたのに。
思わず気を取られたルーカスに、シンシアは叫んだ。
「ルーカス様! 危ない!」
「!」
気付けばシンシアがルーカスを庇うように刺客の前に飛び出していた。
そしてその剣の先がシンシアの胸元を突き刺している。
「シンシアッ!!」
剣が折れたのか、そのまま剣先と共に地面に倒れ込む。
折れた剣に慌てた刺客を、ルーカスが斜めに斬り捨てる。
「うがっ」という叫び声と共に、刺客はその場に倒れた。
それと同時にルーカスはシンシアに駆け寄る。
「シンシアッ! どうして……」