⑪吟遊詩人マロ
夜半に侍女達が寝静まった部屋で、シンディは一人、ルーカスにもらったブローチを眺めていた。
「綺麗……」
実は結構気に入っている。
「趣味が悪いだとか、安っぽいだとか……ひどいわよね……」
自分が言ったこととはいえ、ルーカスに申し訳なく思う。
「本当に心を込めて贈ってくれたものならどうするのよ」
けれどすぐに思い直す。
「そんなわけないか。あれほど毛嫌いした目で私を見ているものね」
自業自得とはいえ、ルーカスの嫌悪にまみれた視線を思い出すと悲しくなる。
「シンシア様」
落ち込んでいたシンディの側に黒い影が現れた。
「シリ。待っていたのよ」
いつもみんなが寝静まってからシリがベッドにこっそりやってくる。
今日は特に言いたいことがあった。
「アーサー様はひどいじゃない! トロイの村娘達に今までよりいい暮らしを与えてやるなんて言って、ひどいものだったわ。約束を破ったのね!」
マリッサ達のことは許せない。
シンディが影武者になる代わりに任せてくれと言っていたくせに。
「申し訳ございません。王妃様付きの侍女にすれば、それなりの待遇で生活できると思っていたのです。シンシア様があれほど酷い扱いをなさるとは思いも寄らず……」
「そ、そりゃあ……一番悪いのはシンシアとヒルミだろうけど……」
「ですが、今日の王妃様の命令で、侍女服を新しくして、もう少し良い部屋に移してもらったようでございます。ご安心ください」
「マリッサは? 倒れたマリッサは元気になった?」
「はい。温かいベッドでゆっくり休ませているということです」
「良かった……」
シンディはほっとした。
「お願いだから、シリも気を付けて見ていてね。特にマリッサをお願い」
「畏まりました」
そんな話をしていたシンディの部屋を、突然誰かがノックした。
シンディはハッとして、シリは慌ててクロークに隠れた。
「シンシア様。もうお眠りになられましたか?」
声をひそめて入ってきたのは、ヒルミだった。
「ヒルミ? どうしたの?」
こんな夜中にどうしたのだろう。まさか、シリが来ていたことがばれたのだろうかとひやりとしたが、全然違った。
「吟遊詩人のマロが来ました。お元気になられたので、久しぶりに呼んでみました」
「マロ?」
誰? それ?
「お忘れですか? シンシア様がお気に入りの吟遊詩人ではないですか。今宵はマロと共に過ごして、恐ろしい病のことなど忘れて、早くいつものシンシア様に戻ってくださいませ」
「と、共に過ごす?」
そ、それってまさか……。
「では、私はこれで。あとはマロに任せますわ」
「ち、ちょっと……。ヒルミ!」
嘘でしょ?
まさかこんなに堂々と浮気してたの?
王妃って浮気していいの?
いやいや、一番だめでしょ!
どうしようと慌てるシンディの部屋に、ヒルミと入れ替わるようにして男が入ってきた。
「むふん。お久しぶりです、シンシア様。お会いしとうございましたよ。んふ」
な、なに?
なんなの、この人。
吟遊詩人だからか、やたらに派手なサテン生地のてかてかした服を着ている。
ぴろぴろの襟巻きは首回りを一周していて、幼児のよだれかけみたいだ。
しかも顔は白粉を塗りたくっているのか真っ白で、眉は思いもかけない位置にちょんと描かれている。
そして妙に赤い唇の上には、先がくるんとカールしたちょび髭がはえていた。
黄色い髪もくるりんくるりんと外向きにカールしてやかましい。
(これがお気に入りだったの? な、なんて趣味が悪いの、シンシア……)
性格も最低だと思っていたが、男性の趣味も最悪だ。
浮気するにしても、もうちょっとましな相手を選んで欲しかった。
「んふん、今宵もいつものようにシンシア様のお心も体も、このマロがお慰めいたしましょう。むふん」
しゃべり方も気持ち悪い。なんなのこの人。
「さあ、我が胸に遠慮せずに飛び込んでいらっしゃいませ。んふんん」
いやあああ。無理無理無理無理。
「さあさあ、どうしましたか? ああ、久しぶりで照れていらっしゃるのですね。うふん」
違う違う。全然違う。
「では私から参りましょう。むふふ」
迫りくるマロの顔をシンディは両手でがしっと押しとどめた。
「ち、ちょっと待って。き、今日は結構よ。帰って!」
「んふん。そんなに照れないでくださいませ。可愛いですね。うふ」
ぎゃあああ。来ないで、来ないで!
「あ、あの、あの、まだ体調が悪くて……あ……吐き気が……うぷっ……」
本当に吐き気がしてきた。気持ち悪すぎる。
「ええっ? それはいけませんね。お可哀相なシンシア様。んふん」
「と、とにかく。今日は帰ってください! また今度。ね? 元気になったら」
「んふん。でもヒルミ様に怒られないですか?」
「ええ。私からうまく言っておくから。ね? 今日は帰って!」
「報酬はちゃんといただきますよ?」
「ええ。いつも通りもらっていいから」
それを確認すると、マロはあっさり引き下がった。
「んふん。では仕方ないですね。また来ますね、シンシア様。アデュー」
シンディは部屋から押し出すようにしてマロを外に出して脱力した。
すぐに隠れていたシリがシンディのもとにやってくる。
「驚きましたね。シンシア様は吟遊詩人と浮気してらしたのですね」
「シリも知らなかったの?」
「私はすぐに解雇されて、最初の頃しかお仕えしていませんから」
この三年の間にそこまでやりたい放題になったらしい。
「でも、困ったわ。また来るって、あの人。毎回断っていたらヒルミに怪しまれるかしら」
「そうですね。ヒルミ様はシンシア様の様子がおかしいと感じていらっしゃるみたいですからね……」
「どうしよう。いくら影武者だからって、あの人と浮気までできないわよ。絶対嫌だから。考えただけでも気持ち悪い。うぷっ」
心底吐き気をもよおしているシンディを見て、シリが思いついたように告げた。
「ならば私にいい考えがございます」
そして二人で遅くまで作戦会議をしたのだった。