その3
○登場人物
天使&平原瑞紗・ひらはらみずさ(天使、アジア圏の若い世代の恋愛部門を担当)
平原清隆・ひらはらきよたか(運動以外はからっきしなダメダメくん)
広岡志緒・ひろおかしお(清隆と小学校からの腐れ縁)
有道ほのか・ありみちほのか(学内のマドンナ的存在)
「どう? 気分は」夜、昼間に帰ってきてから部屋にこもりきりの清隆を気にして瑞
紗が声を掛ける。きっと、大きな落胆に身を包ませているのだろう。あの後、図書室か
ら先に出てきた清隆は涼しげな顔をしていた。まず、成功でないことは分かった。玉砕
したのか保留になったのかまでは分からなかったので、下手に声は掛けられなかった。
「あぁ、大丈夫」ベッドで横になっていた清隆はそう身を起こした。思っていたより、
気落ちはしてないようだ。単に答えを保留されただけなのだろうか。
「一つ、いいかな」
「何」
「結果、聞いてもいい?」
清隆は下を向き、息をつく。「ダメだったよ」
「そう・・・・・・なんだ」それしか言えなかった。予想通りといえばそうだけど、
いざそうなると定番の反応しかできなかった。
「まっ、これまでだらけてきた跳ねつけなんだろうな」
「まぁ、そうだね」
「嘘でも否定しろよ」
「あっ、ごめん」嘘だ。嘘をつかないと。「清ちゃんは良い男だよ。こんな良い男を
フるなんて、有道さんって目が悪いんじゃないかな。そういえば、メガネ掛けてるし。
そうかぁ、そういうことだったのか」
「今頃、そんな見え透いた嘘つくなよ」
「ごめん」
「いいんだよ。結構、気分は穏やかなんだ」もう吹っ切れたのか、確かに健やかな顔
をしている。
「もう立ち直ったの?」
「いや、そんなんじゃないけど。ただ、胸の中につっかえてたものが取れた感じ」
「それなんだよ、清ちゃんに必要だったのは。成功でも失敗でも、相手に直進してく
気持ち」
「あぁ、そうかも」
「大丈夫。清ちゃんなら、すぐに彼女できるから」
「また嘘かよ」
「嘘じゃないよ。清ちゃんにはもう恐いものなんかないし」
「適当だなぁ」そう言い、2人で不気味に笑った。
違うんだよ。適当なんかじゃないんだよ。
ちょっと風にあたってくる、と清隆は外に出た。昼には春の顔をのぞかせることもあ
るが、夜にはまだまだ冬の寒さが勝っている。夜風が吹くたびに身をすくめ、冬空を眺
めながら散歩を続けた。
初めての告白だった。あんなに緊張するもんだとは思ってなかったが、全て吐き出す
ことで胸のつかえが外れた。瑞紗のおかげだった。彼女がいたおかげで悔いを残さずに
すんだ。彼女がいなければ、間違いなく何をすることもなく終わっていたはずだ。
「あっ」その言葉に顔を上げる。広岡志緒が向こうから歩いてきていた。そういえば、
塾に行き出したとか言ってたな。今から一年後の受験対策に余念がないらしい。清隆は
受験なんて何の対策も考えていないというのに。
「よぉ」それだけ言い、擦れ違おうとする。
「ねぇ」
「何だよ」
「何してんのよ。こんな時間に」
「散歩だよ」
「へぇ、散歩なんかするんだ」
「しちゃいけないのかよ」
「そんなことないけど。散歩に学力の規制はないから」
一々、勘にさわる言い方しやがる。「お前は塾なんだろ」
「そう。学力を向上させるためにね」
「ふぅん。まぁ、せいぜいやればいいさ」
「やるわよ。あんたなんかとレベルが違うんだから」
「同じ高校にいるじゃねぇか」
「一緒にしないで。底辺のくせに」
そこまで言われりゃ本望だ。「そんなこと言ったって無駄なんだよ。学歴には同じ高
校の名前が書かれるんだから評価は同じになるんだし」
「大丈夫。試験で差は歴然と出るから」
「うっせぇな。じゃあ、もっと良い高校に行けばよかったんじぇねぇの」
「まぁ、そうね」
「じゃあ、なんでウチの高校にしたんだよ」
「それは・・・・・・近かったからよ」
「安易な考えだな」
「大事なことじゃない。交通の便は学校を決める一つの要素よ」
あっそ、と清隆はその場を立ち去ろうとする。
「あっ、ちょっと」
「何だよ。まだ何かあんの」
「その・・・・・・あんた、告白したんでしょ」
まさかの言葉で、清隆は驚きを隠せない。「なんで、お前が知ってんだよ」
「瑞紗ちゃんに聞いたわ」
「あの野郎、何を喋ってんだ」
「瑞紗ちゃんのせいじゃないわよ。私がたまたま図書室に行く用があって別棟に行こ
うとしたら瑞紗ちゃんがいて。どうしたの、って聞いたから答えてくれただけ」
「あっそ。でっ、何だよ。まさか、どうだったのかなんて聞かないよな」
「えっ」今まさに言おうとしたことを遮断され、言いつむぐ。「聞くわけないじゃん。
どうせ、無理だったんでしょ。こんなとこ散歩してるぐらいだし。成功してたら、今頃
仲間とお祭り騒ぎでもしてるはずよ」
「まぁな」その一言で、広岡は結果を察した。
「当たって砕けろで砕けたわけだ。良い気味」
「おいっ」
「冗談よ。でも、驚きだわ。あんたが有道さんに告白なんて」
「あぁ、俺も驚いてる」
「何よ、それ」思わず、広岡は吹き出してしまう。「まぁ、良い薬になったんじゃな
いの。あんなマドンナに惚れても無駄だって気づけただけでもいいじゃない」
「大きなお世話だ」そう言い、清隆は立ち去ろうとする。
「ねぇ」
「まだあんの」
「その・・・・・・なんていうか」
モジモジしている様子の広岡に、息をつく。「何だよ、今度は」
「まぁ・・・・・・元気出しなよ」
意外な言葉を掛けられ、清隆も返答に困った。あぁ、とだけ言い残して立ち去った。
それから一週間、清隆は春休みもあってか意味のない一日を過ごすことを続けていた。
家にいることが多く、テレビを見たり、ゲームをしたり、マンガを読んだり。これまで
と変わらない平原清隆がそこにいた。
「清ちゃん、外に出ようよ。今日なんて暖かいよ」
「気が向いたらね」そう言い、お菓子を食べながらマンガを読んでいる。嘘つきだ。
絶対こんな調子で外になんか行きやしない。行って、近くのコンビニとかだろう。
「そんなんじゃダメだよ。せっかく、今までの清ちゃんから一歩踏み出せたのにさ。
こんなの、すぐに元通りになっちゃうよ」
「いいじゃん。春休みなんだから休ませてくれよ」
「もう充分すぎるぐらい休んだでしょ。このままじゃ、いつまで経っても誰も振り向
いてくんないよ」
「こっちにはこっちのペースがあるんだから。ほっといてくれよ」
「ほっといちゃダメなのよ。私はあなたの恋愛において一定の効果を出さないといけ
ないんだから。こっちも暇な天使じゃないんだし、グーたれててもらっちゃ困るの」
「何だよ、一定の効果って」
「あなたが恋愛に消極的すぎるってことで要は私はここに来たの。そこから脱却して
もらわないといけないわ。積極的になるなり、納得できるような良い恋に辿り着いてく
れたら言うことないし」
「もうなったんじゃねぇの」確かに、有道への告白は積極性もあって納得もいってい
るといえる。
「それはそうだけど、その結果がこれじゃ意味ないの。次の恋に行ってもらわないと、
またダメダメくんになるだけじゃない」
「次の恋?」
「そうよ。失恋を癒すには新しい恋が最適と言われてるわ」
「無理だろ。まだそんな気分になれないって」
「大丈夫よ。恋に堕ちちゃえば、気分とか関係なくなるものだから」
「第一、新しい恋ったって相手がいなきゃ成り立たないだろ。春休みだし、新学期に
なるまで待ってくれ」3年にクラス替えはないが、選択教科は複数クラスで受けるから、
そこになら活路はあるかもしれない。という自分への言い訳。
「その心配ならいらないわ。新学期まで待つことないから」
「どういうことだよ」瑞紗の言葉の意味は全く理解しかねた。
「恋の種っていうのは意外に近くにまかれてるものなの」
「だから、どういうことだって」
瑞紗は腕を組んで溜め息をつく。「果てしなく鈍感ね。ずっと近くから見ててくれて
いる人にも気づかないなんて」
「はっ? 何だよ、それ」
「あなたの周りにいる女の子を思い描いてみなさい。そこから一番近くて親しい人を
選べば、それが答えよ」
「意味わかんねぇ」そう言いながらも、清隆は頭の中にそれを思い描いていく。近所
の人、通学路にいる人、学校の人、よく行く店にいる人。その中で一番近くて親しい人
・・・・・・あいつか。
「どう? 思いついたでしょ」
「いや、あいつは無いだろう」思わず、笑ってしまうほど。
「誰が思いついたの?」
「えっ・・・・・・いや、いいだろ」言うのもためらってしまうほど。
「まぁ、私には分かるけど」
「分かんの」
「いいじゃんか、広岡志緒さん」
ホントに分かってやがる。「どうして、あいつなんだよ」
「さぁ、どうしてだろう」瑞紗は不信そうな顔をする。
「おい、そっちが言ったんだろ」
「どうして彼女が清ちゃんなんかになんだろう、ってことよ」
大きなお世話だ。「あいつの訳がねぇだろう」
「どうして? 何の根拠があるの」
「根拠なんかねぇけど、あいつはいっつも俺に突っかかってくるんだぞ」
「それが広岡さんの表現なのよ。彼女も想いを出すことが苦手なの。まして、それが
あなたみたいなタイプなら一層。憎まれ口のやりあいに逃げることしか出来ないの」
「違うだろう。単に俺とは馬が合わないだけさ」
「そうやって逃げない。ちゃんと現実と向き合いなさい」
「じゃあ、そっちには根拠があんのかよ」
「あるわよ。私は彼女の心の声を聞いてるんだから。広岡さんは清ちゃんが好きなの。
それは間違いないの、昨日の今日ので嫌いにでもなってないかぎり」
「知るかよ」そう言いながらも、清隆の中には瑞紗の指摘は大きく残っていた。そう
いえば、天使でいる時は相手の心の声が読めると言っていた。それなら、瑞紗の言って
いることは本当なのだろうか。いや、とても信じられやしない。
その夜、清隆は散歩に出かけた。ふと思いついたものでなく、時間も経路も計画的に。
そのタイミングで行けば擦れ違いがあるだろうという思惑で行き、それは正解だった。
道の向かいから歩いてくる広岡志緒にいつもとは違った感情が出て来る。
「よぉ」
「また散歩?」
「そうだけど」
「ふぅん。失恋の傷は癒えたの」
「さぁな」
「そんなのいつまでも引きずってても何にもならないわよ」
「分かってるよ、そんなこと」
「はいはい」
少しの間が生じる。
「あんた、勉強とかやってんの」
「そんな気分じゃないよ」
「あぁ、そうね。まぁ、そうじゃなくてもやんないんだろうけど」
「うっせぇ」
そこで会話は止まってしまった。いつもなら他愛もない馬鹿話が浮かんでくるけれど、
この日はそれが出てこない。瑞紗からの指摘が意識になっていることは分かっている。
「じゃあ、私帰るね」いびつな空気に耐えかねたのか広岡から言葉は出た。
「あぁ」
広岡が去っていくと、清隆は大きく息をついた。何をやっているんだろうか、と自分
に問い掛ける。何をしたいんだ。どうなりたいんだ、と。
帰路を歩く広岡を自宅前で待っていたのは瑞紗だった。先程の清隆との遭遇もあり、
驚きがあった。
「こんばんは、広岡さん」まだ夜は冷える時期なのに、それとは対照的な明るい笑顔
をしている。
「こんばんは。どうしたの」
「ちょっと用があって」
「ふぅん。今さっきさ」
広岡の言いかけのところで瑞紗は割って入る。「知ってる。清ちゃんと会ってたんで
しょ」
「知ってるの?」
「うん。見てた」
「見てたの?」
「うん」天使になってたから気づいてなかったんだろうけど。
「なんだ。声かけてくれればいいのに」
「うぅん。良い雰囲気になったら申し訳ないなぁ、って思って」
「そんなことあるわけないじゃない」急な指摘に、思わず声が大きくなってしまう。
「そうかなぁ。何気に期待してたんじゃないのぉ」
「止めてよ。そんな冗談よくないよ」無いこともない部分を攻められ、年下にうまく
やられてしまっている。「用があるんでしょ。それを言ってよ」
「そうだそうだ。ねぇ、一つ聞きたいことがあるの」
「何」
「清ちゃんのこと好きなんでしょ」
「はぁっ。ちょっと止めてよ、そんなの」心の奥を突かれ、溢れてくる動揺が全身を
埋めていく。
「大丈夫。私には嘘つかなくていいから」
「嘘もなにも、あんなの何でもないし」
「強がっても無駄だから。私は全部お見通しなの」
「だから、違うってば。そういうんじゃないの」この場をなんとかしないと、と否定
を繰り返す。現実の否定と自分自身への否定。
「心配しないで。私は協力するから。このまま、何も起こらないまま卒業しちゃって
もいいの? 折角の絶好の機会を自分でダメにしちゃうの? そんなの見過ごせない。
私がくっつけるから、広岡さんはただ心を開いてくれればいいの」
瑞紗からの言葉に返す言葉がなかった。これ以上に否定はできなかったし、強情に肯
定もできなかった。
「私、2人はすっごいお似合いだと思ってるの。だから、私に任せて。必ず両想いに
させてみせるから」じゃあね、と逃げるように瑞紗は去っていった。
高鳴る鼓動に気づいたのは今になってだった。確信を突かれ、恥ずかしさに包まれそ
うだった。
「やっぱり、広岡さんは清ちゃんが好きなのよ。間違いないわ」家に帰るなり、そう
瑞紗は熱弁していた。「2人は結ばれるの。分かるでしょ」
「なんで、そんな押しつけるんだよ」
「だって、これで結ばれなかったら運命が狂ってしまうもの。平原清隆と広岡志緒は
一緒になるの。そうなってるの」
「そんなもん分かんねぇだろ」
「分かるわよ。天使なんだから」
「天使、天使、って何回言ってんだよ」
「しょうがないじゃない、天使なんだから」
「あぁ。アジアらへんの恋愛部門を担当してるんだろ。そんで、俺があまりにダメだ
から立ち直せるためにわざわざ来た」
「そうよ。あなたの恋を実らせるのが私の役目なの」
「そこまで言ってなかったろ。積極的になるなり、納得するなりすればいいんだろ」
「それはあなたを堕落させないためよ。恋を実らせることが目的って最初から言った
りしたら、成就することが見えてるじゃない。そしたら、あなたは頑張んなくても恋は
勝手に私が実らせてくれると思うかもしれない。だから、あなたを鼓舞させる意味でも
そうは言わなかったのよ」
瑞紗の熱の入った言葉になぁなぁで言い返していた清隆は押されてしまう。
「はっきり言うわ。清ちゃんと広岡さんがくっつくのはもう決まってるの。そうなる
はずなのよ。なのに、清ちゃんはいつまでもダメダメくんだから私は手助けに来たの。
あんなに近くに想ってくれてる人がいるのに気づかないなんて。広岡さんもそれを出さ
ない人だから進展しないの」
「そんなこと言われてもなぁ、信じきれないって」これまでの広岡志緒の行動を見て
いれば、疑いたくもなる。
「何が信じられないの」
「だって、いつも衝突してばっかだし」
「だから、言ってるでしょ。お互いに突っぱねてるだけなのよ。ありのままを出すの
が恥ずかしいのよ」
そうは言われても。ただ衝突してるだけの関係もあるだろうし。
「バレンタインとか貰ったことないでしょ」
「あぁ」広岡からは義理も貰ったことはない。
「広岡さんはね、毎年手作りのチョコを作ってるの。でも、どうしても渡せなくって
毎回持って帰って自分で食べてるのよ」
それは知らない事実だった。
「清ちゃんほどデリカシーのない人には分からないだろうけど、外から見てたら結構
広岡さんって分かりやすいと思うよ」
だんだんと心が揺らいでくるのが分かる。自責の念すら浮かんできた。
「どうするか最後に選ぶのは清ちゃんだけど、後で後悔する選択だけはしちゃダメだ
からね」
最後の選択。後悔しない選択。
翌日の昼下がり、清隆は自宅からは離れた場所にある公園へと向かった。坂を上った
上にある公園は見晴らしがよく、こういった晴天の日には良い景色が見渡せる。公園の
中にあるベンチにはすでに広岡志緒の姿があった。入口からは後ろ姿しか見えず、どう
いった心持ちなのかまでは窺えない。
このシチュエーションを設定してくれたのは瑞紗だった。こちらには広岡の気持ちを
伝え、広岡にはそれを伝えたことを伝えた。そして、待ち合わせの時間と場所をお互い
へ伝え、後は本人次第だからねと檄を飛ばされた。強引すぎるだろとも思ったが、ここ
までしなければ進展もしないだろうという彼女の意見も尤もといえた。
「よぉ」後ろから声を掛けると、広岡はこちらを向く。
「うん」自然な表情をしていた。緊張はしているのだろうけれど、ここから眺めれる
景色に穏やかなものを得られたのだろう。
清隆はベンチに座り、息をつく。黙ってしまうとそのまま気まずくなるだけだと考え
ていたから間は極力に置かないようにと決めてきた。「多分、瑞紗から聞いてると思う
けど」
「うん」
彼女の気持ちを受け止める。これが自分の役目だ。正直、まだ広岡志緒と結ばれると
言われてもピンとこない。恋心とまでいえるものはないかもしれない。でも、瑞紗が、
あの急に現れた天使が言ってることなのだからそうなのだろう。今は恋愛感情とまでは
いかなくても、いずれそうなるはずだ。
「言葉じゃなくてもいいの。態度でいいのよ」今日、ここに出掛ける前に瑞紗に言わ
れた言葉だ。恋心ではないのに告白するのはどうだろう、と言うと彼女はこう言った。
気持ちは後から心の中に形となるから、と。
広岡の肩を抱き寄せる。言葉じゃなくていい。だから、そうする。彼女は何もしてこ
ない。何も言わないし、こちらを向かない。委ねているというよりは為されるがままと
いった感じ。胸のところにあった広岡の顔をこちらに向ける。彼女の視線はこちらへと
向いている。そのまま唇を近づけていくと、彼女の顔が下を向いた。
「何」
「だって・・・・・・変なことしようとしてた」
「しない方がいいの?」
少しの間が生じる。広岡の息を飲む仕草が妙に色っぽく思えた。「そんなことない」
その言葉を聞き、今度はきちんと唇をつけた。息は意識的に止めていた。向こうも同
じだった。
「よくやった、清ちゃん」遠目から成りゆきを見守っていた瑞紗は小声で呟く。心の
中は達成感で満タンになる。可愛がってきた子供の巣立ちを迎える母親のような気分。
あなたなら出来る、2人でやっていけるよ。
「バイバイ、楽しかったよ」そう呟きながら、瑞紗は自らの形を消していく。平原瑞
紗という人間の存在とともに。清隆の自立によって、彼女の役目は果たされた。だから、
もうここにいる理由はない。つまりは天界に戻る時間だ。短い時間だが存在した彼女の
記憶は全て消される。残された人たちには記憶は残らない。それがルール。「でもね、
私は忘れないから。あなたたちのことはちゃんと見守ってるよ」
さぁ、次の迷える子羊はどこかしら。




