イビアとアビス
皆が寝静まった頃俺はゴブリン達の住処の入り口にいた。
気配を消しながら静かな森の音に耳を傾けていると歩く音が聞こえてくる。その音は次第に近づきそして俺の横を通り過ぎる。
俺は声をかける。
「飯も食わずに今頃戻ってきたのか?」
「……待ち伏せかよ」
イビアが戻ってくるのは全員寝静まった頃だろうと踏んでいた。
そしてイビアは踵を返し去っていく。
「戻らないのか?」
「風に当たりたりねー」
もう何時間も当たってたろ。という言葉は胸の内にしまいイビアについていく。
「なんでついてくんだよ」
「俺も風に当たりたいと思ってな。戻るなよ」
イビアは膨れて仕方なしにといった感じで林の外に出る。
「なにもねぇ。ここにはなーんにもねぇ」
イビアはそういった。だから俺はイビアにこう言った。
「おそらく何もなくなった。が正解だろうな。
幾度となくここで魔物と人間の争いが行われたんだろう。
魔素の濃さは死んだものが多かったゆえ。そんなとこじゃないか?」
「いつまでいるんだよ」
「お前が話すまで」
本来なら話すことを促すよりも自然とイビアが話すまで待つのが一番いいのだが……
「構うなよ」
「断る」
「はぁ~~。分かった。もういい。怒る気も失せた。熱も冷めた」
「こんな静かな夜に怒鳴る気にはならないだろ。
イビアの種族はみな人間に殺されたんだってな」
イビアは体育座りをして膝を抱える。
「そうだよ。みんな殺された。
元々あたしら種族は人間に対して警戒心を持っていたんだ。
村はそんなに大きくはない。まだ十歳にも満たないころだった。一人の宣教師が村に来たんだ。
あたしらは魔族だ。神に頭を下げるような種族じゃない。
でも宣教師はやさしかった。それから一年行ったり来たりを繰り返してあたしら種族の信頼を得ていった。
そして洗脳が始まったんだ。常識の改変。
あたしらの正しかったことはあいつらの正しかったことで上書きされていった。
子供だったあたしらは遊んでて何をしていたのかは知らない。
でも自分の腕を切り落としたり角を差し出すことが正しいことだとは思わない。
殺すことに正しさを生み、同族を殺すことでさえ正しさを生む。
もう正気じゃなかった。子供のあたしらは危険を察知して自分たちの身を守ることを考えてた。
そんなある日、村に宣教師とともに信徒が訪れたんだ。
あいつらは武装してたよ。まだ正気を保ってたあたしらの父はあたしらの前にたった。
そして宣教師はこの村が悪魔に取り憑かれているといった。
この有様を見てそう言ったんだぜ?
おかしな話だろ? だってそうしたのはあいつらだ。
当然父もそれを言った。しかし悪魔の声に耳は傾けないと言われたんだ。
そしてミレッド帝国の宣教師と信徒による虐殺が始まった。父は抵抗した。
でも、他のみんなは……それを受け入れた。
複数人残った子供のあたし達は宣教師につれられて奴隷として働かされた。
魔族だからと飯はほとんど与えられなかった。一人、また一人。
願ったよ。魔王様助けてください。
でもそんな都合よく魔王なんてきやしねぇ。残ったあたしらは我慢に耐えかねて、いや自分たちが死ぬ前に人間たちを虐殺した。
けど宣教師やあの日の信徒の一部は見つけることが出来なかった。
人間てのは弱かった。こんなことなら最初から全員殺しておけばよかった。
そして残ったのはまだガキのあたしと姉ちゃんの二人。
魔界に戻ってからがんばったんだよ。もうあたしらみたいなのが出ないように。
あたしらみたいに助けを乞うとき助けてくれる魔王を見つけるために生きた。
その目的がやっと達成出来たんだ。勇者をも殺すことができるかも知れない魔王を見つけた。
でも本当は」
イビアはそこで口を閉ざした。そしてもう一度口を開く。
「もっと……早くきてくれよ。あたし、らを、家族を、助けて」
これがイビアの背負った過去だ。これがイビアが俺に求めていることだ。
そしてイビアの苦しみだ。思いだ。
俺はうつむいて震えているイビアの隣に座り頭をなでた。
「泣くのを我慢出来ないくらいまたせちまって悪かったな」
向き合うんだ。自分が魔王になるという現実に。
「っぐ、ぅっ……」
これで、俺も覚悟を決められる。
「ずっと強がってたんだろ。そうじゃなきゃ舐められるからな。
姉ちゃんを守る為に頑張ってきたんだろ。それだけ強けりゃな」
イビアは俺の手をうつむきながら払いのける。
俺の手はイビアの頭から滑り落ちる。
しかし俺はまた手を乗せる。
「俺は魔王になるだとか、深く考えたことはない。仕方なくだった。
なにせ好きで魔王になったわけじゃなかったし人間だったから魔王になるなんて思ってもみなかった。魔族のことなんて考えてなかった。
お前らがどんな存在なのかも知らなかった。
だがお前らは頭を下げた。俺を魔王として自分たちがその下につくと。そう言った。
そんな経験をしながら”人間”に頭を下げた。
だから俺はイビア、アビスが助けてと言ったなら助ける。
そう決めた。そう決めたのは話してくれたからだ。
その代わり俺が助けて欲しい時は助けてくれるか?」
イビアはまた俺の手を払いのける。
「知るかよっ……」
また手を乗せる。
「人でごめんな。イビア」
「ひと……らしくねぇ……魔王様だよ」
イビアは手を払いのけることはもうしなかった。
その代わり俺に抱きつき泣いていた。何度も俺の体を揺らしながらこう言った。
「遅い、遅いんだよ! ばか、ばか魔王! なんで今なんだ!
どうしてそんな言葉を魔族にかけられるんだよ、なんで人間なんだよ!
どうして、うっぅぅぅ」
俺は何も言わない。
イビアはずっと抱えてきたんだろうな。俺が人間で……どんだけ複雑だったか。
リビアが後方にアビスの気配を感じると言った。しかし俺は気にしなくていいと言った。
リビアはすんなりとそれを受け入れた。
そしてイビアは泣きつかれそのまま寝てしまった。住処でイビアを寝かした。
アビスは先程の場所から動いていない。
俺はアビスの元へと歩いていった。
そして声をかける。
「姉妹だな。泣き顔がそっくりだ」
アビスは両腕で顔を隠して言った。
「からかわないでくださいっ! もうっ!」
誰かが勇者を待ち焦がれるように彼女たちは魔王を待ち焦がれていた。
特別な思いがある。俺が仕方なしになった魔王というのはこんなにも重いものだった。
俺がなろうとしていた勇者が誰かにとってこんなにも悪だった。
アビスは顔を隠したままだが話し始める。
「ありがとうございました。
それと、全部お聞きになった、んですよね」
「落ち着いてからでもいいぞ。
まぁ聞いたよ。全部。重かった。でもこれは受け止めなければいけない。
俺は魔王になる。
ならその魔王としてアビス達の重荷を理解して一緒に背負う必要があると感じた。
なにも知らないままじゃアビス達の上には立てないよ」
アビスは顔を隠していたがその腕を顔の前から移動し俺の背中に回した。
「ずっと、お待ちしておりました。
誰も寄り添ってくれないこの世界で助けると言ってくれるあなたが、傷を癒そうとしてくれるあなたが、私が追い求めたとおりのあなたが来てくれたから。
だから、ありがとうございます」
「……聞いてたろ。俺は仕方なしに魔王になったんだ。
そんなやつの下につけるか?」
「あなた様こそ聞いていたんですか?
私はあなた様を待っていたのですよ」
「……そうか。
明日からまた歩かなきゃな」
「はい」
アビスはゆっくりとその腕を下ろす。そして俺の口唇にキスをする。
「誓いのキスです」
俺は驚きつつも唐突だなと言った。アビスは目を潤わせながら返す。
「はい。愛した方がいるのにごめんなさい。
でも避けられなかったのが悪いんですよ?」
「それは……全く、ひどいことを言うもんだ」
「ふふっ」
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