エピローグ
「やっぱ最初はリーシアかー。なんか負けた感じがするけどおめでと」
カンナは魔法による検査を終えた私にそう言った。
「もう少し素直におめでとうって言って欲しいんだけど?」
「はいはい。思ってますよー」
私はお腹をさすりながら嬉しい気持ちと不安がこみ上げてくる。カンナはそれに気づいたのか椅子に座る私に覆いかぶさった。
「不安?」
「……うん。私……うれしいよ。うれしいし、覚悟もしてたんだけどいざ妊娠すると……
怖い……」
「はぁ……本当は私が励まそうと思ったけどエノアに言ってもらった方がいいかな」
「え?」
そう言ってカンナは私から離れた。
「エノアに報告してきなよ。その思いも含めて」
「……」
私はどんな反応をされるのか分からず怖くなっていた。この思いを告げるのも。胸の前で両手を閉じ、ぎゅっと目を閉じる。
「怖い気持ちは分かるよ。でもエノアの事、よく分かってるでしょ」
「う、うん……」
いってらっしゃーいとカンナに見送られる。私は未だ払拭できない恐怖に怯えながらエノアが仕事をしている部屋へと足を運んだ。
私はノックをすると部屋の中からエノアの声が聞こえる。
「入っていいぞ」
その言葉に従ってドアノブに手をかける。中に入るとエノアは書類とにらめっこしていた。
「ん、リーシアか。どうかしたのか?」
「あ、ううん。ちょっとね」
神との戦いの後、天界と現世が一つになり、様々な問題が降り注いでいた。無情にも人々はその責任をエノアにとらせようとしていた。
私達は怒ったけれどエノアはそれを引き受けた。そして私達にも手伝って欲しいと。
今はある程度うまく回るようになり自分の国のことにも手をつけられるようになったとアビスから聞いた。
私はエノアに聞いた。
「今忙しい?」
そうよ、別に今じゃなくてもいい。今じゃなくても……
「いや、出口の見えない問題を考えてるだけだ。そこまで切羽詰まった状況じゃない。
ちょっとした領土問題があるんだがこれが厄介でな。お互い正当性があるときた。
妥協してくれればいいんだがそういうわけにもいかない。
力づくをしてしまえば不信感が生まれるしわだかまりも出来るだろう。正直それは避けたいってのが本音だ」
「厳しそうね」
「ああ。何度か会議を開いて解決するしかないな。
そう言えばこの国で育ててる穀物を飼料専用として交易することになった。
安価で売買出来る上に栄養価が高いってことで交渉材料になるとクルケッドに言われたよ」
「そうなの? それを主軸に交易していく予定?」
「いや、カルガディアに行く途中にあった店があったろ?」
「あの美味しかった所ね」
「そこに肉を提供している畜産者と話がついてな。お互いの畜産物を交配させて新たな種を作ってそれを売り出すって話になってる。
そこはロンとその嫁さんがやってくれると言ってくれた」
「あの二人、結婚まで早かったわよね」
「詰め寄られたらしいぞ。結婚するなら早い方がいいだろってさ」
「あはは、ニーナとレイトも結婚したし世界は平和だしがんばって良かった」
私はそう笑った後、気になることを聞いてみた。
「神達はどうなったの?」
「今はエルフの森を開拓してるよ。巨人族を名乗ると言っていたな。もう神ではないって」
ギシッとエノアの椅子が歪む音がする。
「ふぅ……まだまだ問題は山積みなんだよなぁ。一人じゃないから助かってるが」
「……」
「リーシア?」
話す、のかな。でも、私……
ッッ!
目の前が良く見えていなかった私はエノアがすぐ近くにまで歩いてきていたことに気づかなかった。
エノアは私の肩に手をおいて言った。
「なにか悩み事か? どんなことよりも優先する。どうした?」
「……」
私は一回口を開けた後、また閉じる。そしてもう一度口を開けて、今度は声を出した。
「妊娠……したの」
エノアは一瞬空気を強く吸った。私は怖くて目を瞑った。
そしてエノアに抱きしめられる感触がした。
「え?」
「ありがとう」
その声は震えていて、喜んでいるのが伝わってきた。私はうれしくなって泣きながら抱き返した。エノアに抱きしめられるとなんだか安心する。
「私こそ、ありがとっ、エノア……」
私はそのままエノアに自分の不安を打ち明けた。
「私……不安なの。家族って、どんなもの? 子供に対する愛ってどんなもの? 私の両親みたいになるんじゃないか、愛せないんじゃないか。
そんな不安がよぎるの。私、子供の育て方なんて分からない。どうしたらいいのか。
すごくうれしいのにすごく……怖いのよ」
「大丈夫だよリーシア。俺達には頼る相手が大勢いる。助けてくれる人がいる。
カンナなんか面倒見いいと思うぞ。リィファもきっと子供の扱いは上手いさ。ティアナやイナは一緒に遊んでくれるだろうし、トアだってなんだかんだ手伝ってくれる。
だから大丈夫。俺もいる。ルミアもいる」
「そっか……カンナはこれを言いたかったのかな」
「カンナ?」
「うん、実はね」
私はさっきあった出来事を話した。するとエノアはきっとそうだよと答えた。
すこし落ち着いてから私はトアがいないことについてエノアに聞いた。
「前々から聞きたかったんだけどトアは今どこにいるの? 最近見当たらないんだけど」
「トアはヴァルクと一緒に故郷のミレッド帝国にいるよ。思い出話をしながら歩くんだと。
仲がいいような喧嘩が多いような兄妹だけど家族だからな。
その後育ての親である薬草の婆さんとこに行くって」
「あのおばあちゃん?」
「そうあのおばあちゃん。
そんでヴァルクはミレッド帝国の王になるって言ってた。母の国をあるべき姿にするって意気込んでたよ。
トアもヴァルクも勇者スキルがないからな。旅は少し心配だがヴァルクなら大丈夫だろ」
「エノアの勇者スキルももうないの?」
「俺のはなぜか残ってるんだ。アイギアはもういないのにな。スキルとして定着してる」
「じゃあいま勇者なのはエノアだけなんだ」
「そうなるな」
「アイギアと言えば神話にするんでしょ? 聖書とか」
「新約聖書としてな。まぁ物語みたいなものだが俺はアイギアを後世に残したいんだ」
「そうね。アイギアには助けられたもの」
ルミアが部屋に入ってくる。
「エノア様少し休憩を……されてたんですね」
ふふっと笑いながらルミアは口元に手を当てる。そして私が妊娠したことを話すと泣きながら喜んでくれた。
私は自分のお腹をさすりながら語りかけた。
「あなたが幸せになるようお母さん頑張るからね」
「名前……決めなきゃな」
そう言ってエノアも私のお腹をさすった。エノアの手、温かいなー……
”アイギア――人間の作った神の力は絶大だった。エノア・ルーヴェストはアイギアにより勇者の力を変質させ、ルーフェン・ダグラスの手から取り上げる。
こうしてエノア・ルーヴェストは魔王の力を持ち、勇者の力も保持する唯一の存在となった”
私は物語の終わりに近づくにつれペンが走るようになる。長い長い物語が終わりを告げようとしていた。
”自分の欲のままに世界を支配していた主神ルーフェン・ダグラスはエノア・ルーヴェストの持つ魔王の剣、リーシアの持つアイリスの剣によってその存在が消滅した。
この二本の剣で幕を下ろしたのは偶然なのか、運命なのか。それを知る由はない”
次々と文字を書いていくが最後の段落に入ると私は手を止めた。怖くなった。ここで物語を終わらせるということが。しかし私は深呼吸してもう一度手を動かし始める。
”神の時代は終わり、人と魔族が共に歩む時代が始まることだろう。
彼女に魅入られた『最強の魔王/最強の勇者』である転生者の英雄譚はここで幕を閉じる”
「ふぅ……」
私はペンのインクを水につけ、布で拭き取る。そのペンを机の上に置いて窓の外を眺めた。不思議な感覚。一万年味わってこなかった達成感。ただダグラスに与えられただけの仕事をするのとは訳が違う。
この物語を通してこの世界の人々はエノアが勇者であり魔王であることを信じ、後世に伝えていくことを期待している。
エノアは人と魔族を繋ぐ大事な鍵。この英雄譚はエノアの理想を叶えるための大事なものになると信じている。
――終わってみるとすごく寂しなった。
冥王の力をクロエが正式に受け継ぎ、私は人へと戻った。しかし一度作り変わった体は中々元には戻らず、老化が非常に遅い。
冥王の仕事を失った私は今後何をするのか考えていなかった。そこで私はエノアが勇者であり魔王であることの説得力を作るため、本を書き始めた。
この物語を英雄譚として綴り、エノアの助けになろうと思ったからだ。エノアには本当に助けられたから……出来ることはなんでもしたい。
それも終わってしまったわけだけど……どうしようかしら。
コンコンッと扉を叩く音がする。
「リビア。休憩しないか?」
「入っていいわよ」
エノアはあれから何年も経つというのに見た目が変わっていない。イナの血の契約かしら? それとも魔王の血のせい?
コーヒーを淹れ始めるエノアに私は言った。
「こんな所でのんびりしてていいの? 英雄さん」
「あはは、その言い方は恥ずかしいな。まだ魔王と言われたほうが馴染みがある」
少し熱めのコーヒーを私に差し出す。私はそれを受け取り、香りを楽しんだ。エノアも自分の分のコーヒーに顔を近づける。
そしてエノアは私に調子はどうだと問いかける。
「終わったわよ。楽しかったわ」
「そうか。俺の為にありがとな」
「私がしたくてしたのよ。書き終わっちゃってどうしようかと考えている所なんだから」
「冥王には戻らないのか?」
「もう有限の命だもの。それに今はクロエがいるから問題ないでしょう。あの子達も会話出来るようになったしクロエも成長したし」
「そうだな。すっかりお姉さんって感じになったからなクロエは」
「だから心配はないと思うのよ。冥王には戻らない。人の生を楽しむわ。
あっ、そうそう、イナがもうすぐだったわよね」
「ああ。体が小さいから心配だったんだがシェフィが獣人の血と原初の血が流れてるから
問題ないってさ。ただ赤ちゃんが一人じゃない可能性が高いから生まれたらちゃんと支えてあげなさいって釘をさされたよ」
「そりゃそうよ。何人もお嫁さんもらって子供作って。誰一人だってないがしろにしちゃだめよ?」
「それは自分も大切にしろって話か?」
「ち、違うわよ……」
バタンッ! ドアが勢いよく開くと長いサラサラの髪をなびかせる女の子が走って父親の足にしがみつく。
「ねぇー! シノお姉ちゃんがいじめるー!」
扉の前にツインテールの女の子がもうひとり。
「ち、ちがうもん! リルが先にバカッて言ったんだもん!」
エノアはしがみつくリルの顔に手を乗せながら聞いた。
「そうなのかリル。お姉ちゃんにそんなこと言ったのか?」
「う、だ、だって……私のケーキ、ちょっとたべたんだもぉぉん! うぇぇぇ!」
子供らしいと言うか、微笑ましいというか。さて英雄さんはどんな対応をするのかしら。
シノとリルがお互いがお互いに一番悪いと言い合いを始める中、シノの後ろに一人の女性が腰に手を当て立っていた。
リルは口を開けて固まる。異変に気づいたシノは後ろを振り向くとリーシアがにこにこと笑いながら怒っていた。
「こらっ! だめでしょ邪魔しちゃ! ってあれ、エノアここに居たんだ」
「ああ。リビアにコーヒーを淹れてやろうと思ってな」
「そうなんだ。じゃあ私達は行くから、ほらっ。二人共行くわよ」
「「いーやー!!」」
エノアは二人に言った。
「俺もコーヒー持ってそっち行くよ。二人とも説教だ」
「「いやだぁぁぁ!! かーんーなー!!」
リーシアは二人を叱る。
「こらっ! 呼び捨てしない!」
リーシアの後ろからひょこっと顔を出すカンナ。
「はいはーい。愛しのカンナさんですよーっと。どったの?」
リーシアは状況を説明する。
「はーん。なるほどね。リルとシノ、二人とも説教だね」
「えー!」 「やぁだっ! 怒らないで!」
「なんで怒られるか分かる?」
「勝手に食べたから……」 「ひどいこと言ったから……」
「ん、分かってるならよし! でも今回だけ。次やったら反省してないとみなしてぇぇぇぇ……
がぁぁぁ!!」
「「うわぁぁぁ! あはは! カンナが怒ったー!」」
リーシアがこらっまたっと怒るとカンナがそれを止めた。
「いいよいいよ好きに言わせようよ」
「ちょっとねぇ……うちの子なんだけどぉ? 家事とか全部しっかり出来るのに子供にはあっっっまあまじゃない!」
「あの年くらいならまだいいのいいの」
「甘すぎるのよカンナは……桜はいい子すぎるだけなのよ。甘えちゃってるんじゃない?」
「まぁねー。でもかわいいから……」
「あの日私達がいるからねって言ってたカンナはどこへ行っちゃったのよ……」
「ここ?」
「もうだめだわ。ほら、エノアも行きましょ。あの子達ほっとくとどこ行くか分かんないから探すの大変なんだから。
学園長にも怒られたのよ? 自由奔放すぎるって」
「否定出来ないな……」
そう言いながらエノア達は騒がしく部屋を出ていく。去り際にエノアは私にもう一度お疲れ様と言ってくれた。
私はその微笑ましい光景を見守りながらコーヒーを口に運んだ。
ほんの少し甘い。私の好きな甘さを覚えてくれている。
一人になった部屋で私は目を閉じて先程までの光景を思い浮かべながら呟いた。
「英雄譚は書き終わったわけだし本当にどうしようかしら。新しいお話を書くのも良いかも知れないわね。そうね……例えば……
――今広がっていた光景のような日常を綴るお話とか」
【みてみんメンテナンス中のため画像は表示されません】
私はゆっくりと目を開けて再びインクにペンの先を浸した。
ここまで読んでくださって本当にありがとうございます。
毎日投稿と全話挿絵ありを続けられたのは読んでくださった皆様のおかげです。
本当に、本当にありがとうございます。
では最後に……
第一話「後悔と転生」の挿絵にクロエが描かれていたのはお気づきでしたでしょうか?
それではまた、次の作品で!