自我
コポッ。
水の中で空気がでるような音がなる。
真っ暗闇な水の中にいるみたいだ。どうしてたっけ、どうでもいいか。こうしていることが心地良い。そんな感じがする。
”嘘つき”
嘘? 俺が……どんな嘘をついたんだ。俺は誰だっけ。誰かであったっか? 俺は。
眠い。もうすこしだけ……寝ていたい。あれ、でもこの落ち着く感じ……どこかで。
「いつまで寝ているつもりだ?」
誰だよ。
「こう名乗っておこうか。初代魔王――グロウ」
初代……魔王。
「それがどうしたって顔だな。俺だけじゃない。何代も続いた魔王という力はそれぞれの苦しみや未練すらも受け継いでしまった。
ここまでになるともうお前の持っている勇者の力でさえ抑えきれないんだな。
話を聞けるほど自我は戻ってないか」
何言ってるのか……俺には。
「正直お前やこれまでの魔王が何をやってきたのか、どんな悲劇があったのかなんて俺は知らない。第一グロウと言っても自我を残す程度でしかない。
俺の本体がどこで何をしているのかも知らない。当然お前がどう過ごしてきたのかも知らないわけだ」
俺だって知らないよ。そんなこと。
「ああそりゃそうだ。だがおかしくないか。なんでお前がお前自身の事を知らないんだ」
それは……?
「聞きたいこともある。さっさと目を覚ませ」
意味が……
「お前に声は届いただろ」
ああ。なんか、嘘つきだとか、信じてるとか……名前をくれたとか。
「全部お前のことだよ」
知らない。
「知っている」
知らないって。
「お前は魔王として何を成したいんだ」
俺は……
”エノア”
誰だ。隣にいるのは…………でも心地いい。
そうだ……泉の冷たさに乗った風と木々が揺れる音、差し込んだ太陽の光……
握ってくれた手が暖かくて……
パァァァァァァアアアア!
電車にはねられた……俺は死んだ。殺された。でも憎くない。期待、つらい。猫……ずっとくっついてるこれは……狐? じゃない――イナ……?
誰か、走って、助けなきゃ。
行く宛がない。俺が連れていけばこの子は……行く宛が出来る。
死人……この子は……王女? 頬に……唇が……
高い木々。怪物、耳の長い人間、角? 勇者候補の……確か……?
あれ、リーシア? どうした、なんで泣いてるんだ。
血、剣、殺したのか。そう決断したのか。今度は俺が……隣で支えるんだ。
泣いてるリーシアを放っといて俺はなにのんきに寝てるんだ。
「どうだ? 何も覚えてないか?」
「どうすれば元に戻れる」
「なんだ。早かったな」
「状況が知りたい」
「見ただけの話でいいなら話せる。今自我を持ってないのはお前と巫女だ」
「仮面の……耳と尻尾をつけた女の子はどうなってる」
「今必死にお前の魂を探してるよ」
「誰か……命を落としたものは」
「分からない。誰が生きていていないのか。そこまでは知らないな。お前らの戦いなら死体を残さず殺すのは容易だ」
「そうか……俺は何をすればいい」
「ただ自分を保っていればいい。そうすれば冥王がお前を引っ張り出してくれる。
その後のことは自分でなんとかしろ。
俺ももう消える。魂の欠片でしかない俺は自分を保つだけで精一杯だ。
なぁ……あのエルフの娘は」
「状況は知ってる。だからお前が聞きたいこともなんとなく分かる。
グロウ。お前が死んでから一万年。ゼートは自我を失くし、エルフはゼートと戦い続けた。隔離された世界の中で」
「……」
「今は俺が助けた。神に施された刻印をゼートやエルフから消した。そして世界の行き来も今は自由だ」
「俺は魂の欠片でしかないが……ありがとう」
「俺がしたくてしたことだ」
「この世界での出来事を覚えているのなら伝えてほしい。
エルフ達に約束を、破って悪かった。ゼートにもそう伝えてほしい。
ごめんな。俺はお前を救えなかった。裏切ってすまなかった。
そして残っている原初にも伝えてほしい。もしかすればシェフィしかいないのかも知れないが……」
「シェフィ以外にリドがいる。後お前の知り合いだとディックか。ただしディックは殺す」
「リド……リドリスのことか。
シェフィとリドリスに……期待はずれの契約者で悪かったと伝えてくれ。リドリスにはもう一言頼む――本当にありがとう。
そしてディック。そんなに俺の事を毛嫌いするなよ。俺はお前のことそんなに嫌いじゃなかったぜ。ただ裏切ったことに関して俺は許さない。その行為がいらない不幸を作り上げてしまったんだから。
俺にしたことは全部許してやるって言っといてくれ」
「……長いわ」
「頼むよ。俺の力使ってるんだろ?」
「随分とお世話になりました。良くも悪くも」
「初代に向かって良く言えるな。お前とは仲良くやれそうだったんだけどな」
「生きてる時代が違う」
「それもそうだ。ははっ」
「笑ってる場合かよ」
「もう伝えるべきことは伝えた。それにほら、お迎えだ」
「は? お迎えって」
「後ろ」
「うしっ」
振り返った瞬間、クロエに抱きしめられた。
「嘘つき! 嘘つき……ごめんなさい」
「な、なんで謝るんだクロエ。悪いのは全部」
「連れ去られて、ごめんなさい……私はマスターを手助けする為に頑張ってきました。それなのに足を引っ張るなんて」
「好きなだけ引っ張って良いんだよ。持ちつ持たれつ。
俺がこういうこと言うのは説得力がないかも知れないが、助けて助けられて、足を引っ張って引っ張られて……それでいいじゃんか。
今だって足を引っ張ってるのは俺だ。俺が現実に向き合えなかったからこうなったんだ。
クロエは俺を助けにきてくれたんだろ? ありがとう。俺の失敗なのに」
クロエは目に涙を浮かべながら言った。
「迎えに来ました。マスター」
「待ってたよ」
後ろからグロウが言った。
「じゃあな。後は……がんばれよ」
「ああ。グロウにも感謝するよ。ありがとう」
グロウは俺たちに手を振った。俺とクロエの体が消えていく。うっすらとグロウの横にもうひとりいるような気がした。
カランカラン……魔王の剣とアイリスの剣が床に落ちた。
「っだぁっっ! はぁっ! ああ……あ、え、あ? アイギア? なんでお前がここに」
「なんとか戻ってこれたみたいだね」
アイギアに話を聞こうと思った途端、リーシアとイナが同時に抱きついた。
「良かったエノアッ! エノアだっ、ちゃんと戻ってきてくれた」
「ご主人さま! 撫でてください!」
イナの要求に少し笑いながらも頭を撫でてやる。落ち着くな……
目線を上げるとカンナが立っていた。優しく微笑みながら俺を見ていた。
「カンナ。聞こえてたよ」
「うん……ん? 聞こえてたって」
「ああ。大好きだよ、ベタぼれだって」
「あ、あっあぁ」
カンナは顔を隠した。手の隙間から見える肌は真っ赤に染まっていてかわいく見える。
俺たちの横に巨大な黒い壁が出来る。さらに囲むように箱のような障壁。
シェフィの声が聞こえてきた。
「私も抱きつきたいのは山々なんだけど全部終わったわけじゃないのよ。
まぁでも一言だけ言っとくわ。遅かったじゃない」
「素直じゃないなシェフィ」
「うっさいわね……」
そう言ってぷいっと顔をそむけてしまう。
アイリスとトアが戦闘を続けているがどちらかと言えばシェフィが二人を守っているというのが正しい。
動きを止めるのには一役買っているが今のリィファの相手は難しい。かと言ってシェフィ一人で足止めするには守るものが多すぎる。
「アイギア」
「分かってるみたいだね。
もうボクに出来ることはほとんどない。余白も少ないからね。
終焉の巫女の中に一万の魂。そしてその全てが眠っている。その中から彼女自身を見つけ出し表に引っ張り出すんだ。
君のように。そして……彼女は誰の呼び声にも答えないだろう」
「なぜだ」
「一度魂が肉体から離れたからね。彼女自身はもう死んだものと同じなんだよ。
死人に声をかけて手を挙げるかい?」
「まぁ本人がってのはないな。動く死人になら出会ったがあれは魂なんてないだろうし」
「全員寝ている。溶けた状態で」
「そこからリィファを……」
「そうだよ。本当に死んでしまった人間の魂をもう一度肉体に戻す。
これは世界に反することだ。代償なんてものは考えなくていい。特殊な状況だし死んだと世界に認識されたかも怪しい」
「分かった。そしてそれが出来るのはクロエか」
俺はクロエの肩に手をのせた。
「クロエ、俺も連れて行ってくれ。魂についてならある程度理解した」
「その間無防備になりますが」
「構わない」
「了承しましたマスター」
ドッと俺の周りにクロエのように猫耳と尻尾をつけた女の子が三人集まって抱きつく。
「え、何事?」
俺はよく分からないまま困惑しているとリビアが説明をしてくれた。
「その子達はあの時の子猫よ」
「そっか、こいつらの魂も拾ってくれてたんだな」
「大変だったわぁ……隠すのもそうだけどその後が……言うこと聞かないんですもの。クロエのようにまだ言葉を覚えられてないし」
「「にゃぁ」」
クロエが通訳し、お礼を言っているとのこと。
「お礼か。受け取る資格あるのかな」
クロエが言った。
「ありますよ。あります……きっと」
グラド国王が声を出す。
「なんだ。何が起こっている。説明しろ半裸の男よ」
「ボクかい?」
アイギアがそう聞いた。
「そうだ。なんだお前は」
「君なら理解していると思っていたんだけど、ボクが思っていたより理解が浅いんだね。
ボクはアイギア。ミレッド帝国によって作られた人工神」
「ッッ! 神の作成に成功していたというのか。だが所詮は人間の作った神程度の実力しか」
「君の溺愛する巫女と同等の力は持っていると自負しているよ。
どういうことか分かるかい?」
「リィファは私のものだ! 壊させなどしない! お前達にやるつもりもない!
それにお前達はリィファを殺すことは出来ないはずだ」
「そうだね。ボクは救うのが目的だ。だからそれを実行するよ」
「たとえ自我を取り戻したとしても全てのコントロールは私にある。私を殺そうとすればリィファが私を守るだろう」
「ボクは神だ。不可能だろうと叶えてみせるさ。そしてこっちには全ての欲を実現するような最強の魔王がついてる」
アイギアがリィファを自分の横に転移させる。
シェフィの作り出した檻と枷をアイギアが強化する。
「隔絶魔法」
アイギアの作りだした隔絶魔法がリィファを捉える。リィファがそれを破壊しようとしたその瞬間、俺はリィファに抱きついた。
「今、助けてやるからな。助けてって言われたこと俺は忘れてない。空虚」
俺はリィファの詠唱を無力化した。
「クロエ!!」「行きます」
真っ白な世界。足元を見ると水が張ってある。それらは俺の動きに合わせて波紋を作り出していた。
隣にクロエがいるのを確認し、リィファの手がかりを探す。
周辺を見ても誰もいない。違和感に聞いた俺は足元をよく見た。
水の奥に、ようは俺が立っている地面がガラスの壁のようになっている。
その奥に白い人の形をした影のようなものが詰まっていた。
「白い影……魂か」
本来の死を迎えなかった魂がそういう変化を起こした、もしくは起こさせられた。
この中からリィファを見つけ出せばいいがそれぞれの身体的特徴がない。全て同じ形をしていた。
「リィファなら胸で見つけられると思ったんだけどな」
「それは冗談ですか? 本気ですか?」
「半々」
「では半笑いにしておきます。はは」
なんだこれ胸が痛い。
俺は足元のガラスを割った。
その瞬間風船の空気が抜けるように魂たちがガラスの上へと飛び出していく。
「なぁクロエ。この魂一つひとつは今どうなってるんだ」
「……白いのは……朽ちてます。私達が影の力として使っているもののように多少の本能だけを残しその本人は……もう」
「そうか……開放しても意味はないんだな……」
「残念ながら」
呼びかけには答えない。そうアイギアに言われたが俺はリィファの名前を呼び続けた。
「リィファー」
ほんの少しでも可能性があるかも知れない。俺はそうやって見つけ出されたんだ。
だがどれがリィファか全く分からない。それぞれ一つひとつ探してもリィファだという感じがしない。
「何をしにきた貴様」
「お前は……ハーネスト卿か」
「見えていたのか」
「俺はリィファを取り戻しにきた」
「せっかくの野望を無駄にはさせない。我々で防がせてもらおう。
この中ではなんの力も使えない。ただの精神力での戦いだ」
車椅子を押していた男がさらに姿を現す。そして……司祭とその信徒。
俺はただでさえ時間がないのにと愚痴をこぼした。
「なら俺たちに任せてあんたは探しに行きな」
「なっ、お前ら……!」
俺に話しかけたのは俺たちを待ち構えていたダグラス王国の兵士達だった。
「リィファ様を助けるためならこの魂なくなってもいい。どうせ死んでしまったんだ。
こんなのってあんまりだろ。やっとリィファ様が自由を得たんだ。それをまた奪われた。あんな父親の為になんでリィファ様がって。
すー……リィファ様の為に立ちあがれ王宮騎士団!」
「「おおおおおお」」
ハーネスト卿がうろたえる。
「な、なぜだ! 自分達はもうどうしようもないというのにあんな小娘一人の為に」
「俺たちを一人ひとり個人として見たうえでずっと労いの言葉を毎日かけてくれた王女様がやっと報われようとしている。
そのために魂かけて何が悪いってんだ!」
「理解できるはずがない!!」
二つの集団がぶつかり合いを始める中、俺はクロエに行くぞと声をかけた。
「はい」
かっこいいよお前ら。ちゃんとリィファに伝えるからな。その勇姿。
ガラスのような床の下に入り込み、リィファを探す。
彼らが自分達の体を保っていたのは死んだ直後で魂が朽ちてないからという説明がつく。
だがリィファ自身の姿がそのままだという可能性があるかどうかは分からない。
リィファは呪われて死んだからだ。正直残っているかどうかすら怪しい。あのシェフィですら”無い”と言ってしまったほどだ。
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喜びます。