心臓の呪い
俺にしか扱うことが出来ない魔剣。終焉の力をコントロールした状態で振ることの出来る魔剣。折れることのないその魔剣は魔王の力を体現する。
――純粋な破壊。
ヴァルクのつけた傷から神の加護の細部に至るまで破壊が行われる。
それは再生不可――故に終焉。
魔王の力を代償として魔剣は破壊の限りを尽くす。この世界を支配する神という絶対的な力を前に魔王の力は欲望のままに神の力を破壊する。
度重なる時解、再生や魔剣。グラディウスからもらったこの魔力もそこをついた。
だがもうこれで終わる。神を殺すための力はまた蓄えればいい。
魔剣は神の加護だけでなく、神の領域の破壊までも開始する。しかしもうこの時間を選択し続けるだけの魔力がない。
久しぶりに魔力が枯渇し、貧血のような症状に陥る。
俺は動き始める時間の中で右手に持った魔王の剣をグラド国王に向ける。
「終わりだグラド! これで……!」
俺が剣をふろうとしたその時だった。
グラド国王は今までに無いような不気味すぎる笑みを浮かべ、まるでこれまでに無い楽しさに向き合っているかのような笑い声を上げ、両の手で肘掛けを強く握る。
そして大きな声でこう叫んだ。
「今だハーネスト卿!! 今が! 今こそがその時なのだ!!」
俺は気にすることなく剣を振り下ろしていた。今にもその剣はグラド国王の肩に触れようという時――パンッという音が背後から聞こえた。
俺の剣はグラド国王の肩をほんの少し斬っただけで動きを止める。まさかと思いながら、俺は後ろをゆっくりと振り向く。
そんなわけないとうるさい心臓の音を無視しながら少しずつ、少しずつ。
息が短くなり、血の気が引いていく。瞳孔が揺れているのが分かる。
まるで世界が遅く動いているかのような感覚。
リィファは瞼を大きく開き、口を開けていた。唇の両端からリィファのものと思わしき血液が流れでていた。リィファは何も言うことなく……膝をつくことなく……手をつくことなく……前に向かって倒れた。
ゴトッという地面と頭がぶつかる音が聞こえてくる。
大丈夫だ。シェフィがいる。人間をやめればまだ生きていられる。頼め、頼むんだ。俺に代償が用意出来るかは分からない。
でもそうすることでリィファが助かるなら。
「シェ、フィ……カリムと同じように、リィファにも」
「無理よ……ごめんなさい」
階段の下でシェフィはそう答えた。俺は耳を疑い、シェフィにこう聞いた。
「なんでだよ。カリムには出来ただろ?」
俺は剣を置いてシェフィの元へ近づく。足元がおぼつかない。
踏み出した足が空を切り、そのまま階段の一番下まで転げ落ちる。
「ご主人さま!」
イナが俺をいたわりながら肩を貸そうとする。俺はそれを無視して立ち上がった。そしてふらふらとシェフィに近づいた。シェフィの肩に手をおいた。
「頼むよ。大事な、大切な仲間なんだ。俺にとってかけがえのない誰かなんだよ。リィファは陰ながらみんなを支えてくれてたんだ。
ここで死んで良いような」
「死ぬ時を選べるのは自殺する時と殺してとお願いする時だけよ」
「なぁ、今はからかってる場合じゃないだろ? シェフィ」
「好きに罵倒してくれて構わないわ」
「シェフィ!!」
シェフィは俺の顔を両手でパンッと掴んだ。シェフィが涙を浮かべながら言った。
「死ぬ運命の者、死ぬかも知れない者、虫の息をするもの。死んだ直後の者を覆すことは出来るわ。
でもね。彼女は呪いによって殺されたの。ただ殺されたんじゃない。この意味、分かる?」
「分かんねぇよ。何いってんだよシェフィ」
「呪いが発動した時点で彼女の魂はここにはもうないのよ。空っぽの肉体だけ。冥王もいない。魂の居場所も分からない。
世界に抗うだけの代償もない」
「……言うな。シェフィ」
「――死んだのよ。守りきれなかったのよ」
「なんだって払う! 下僕だろうとなんだろうとなる! シェフィ!」
シェフィは顔を背けること無く、俺の視線を、言葉を受け止めていた。
リーシアがカランッと剣を落とした。
「嘘、なんで……? だって、リィファはいい子なのよ。誰にでも優しくて、王族なのに自分からその壁を壊して平等に接してくれる子なのよ。
殺される理由がないじゃない」
イナは子供のように泣いていた。
「嫌です! 私は嫌です! 血の契約、します! みなさん退いてください!」
イナは何度もリィファの口から流れる血を舐めた。なんの変化もない。
「どうして……リィファさん……」
シェフィは説明した。
「あなたは主人ではない。そしてすでに血の契約を結んでいる。リィファも血の契約を結んでいるのでしょう? でも魔王から再生能力を引き継いでいない。
例え引き継いでいたとしてもこれは避けられない死よ。それが呪いってものなのよ」
カンナは放心状態だった。表情を変えることなく――大粒の涙を流していた。
城が大きく揺れる。天井が崩れ落ちてくる。空の光が差し込む中、同時に降りてきたのは破龍だった。
主人の死に対するその泣き声はあまりにも悲痛で、俺の心をさらに傷つけた。
「っぁぁ、ぁぁぁあ」
どんな言葉でもいい表せない混沌とした感情が口から漏れ出した。
ドクッドクドク、ドクドク、ドッドットッ。
心臓が早く、鋭く、胸を締め付けるように鳴っている。
魂がないのなら、魂の契約を結ぶことも出来ない。
ティアナとイナ、そして破龍の泣き声、グラド国王とディックの笑い声がこの空間に鳴り響いた。
トアも現実を受け入れられていない。小声でリィファはきっと大丈夫と言って膝から崩れ落ちた後、震えていた。アイリスは目に涙を浮かべながら下唇を出血するほど強く噛んでパンドラキューブで落ちてくる瓦礫からみんなを守っていた。
”もういいだろ? 全部壊せ。こんな神の世界”
どこか、聞き覚えのある声。見覚えのある景色。
”これが神の運命ってやつなんだよ。俺たちは神を殺すんだ。欲望に任せろ。俺たちにのまれろ”
俺が初めて魔王として覚醒したエルフの森。魔王の魔力にのまれて、クロエが負けないでという声をかけてくれた場所。
リーシアにそのままのエノアでいてと言われた場所。リーシアとキスをしたあの日。
魔力が俺を支配しようとしていた。そうか、お前らは……
――リィファとの思い出が頭をよぎった。
カラムスタで初めてリィファと同じ部屋に寝泊まりしたことがあった。夕焼けに照らされたリィファが話す言葉は落ち着いていて、心に染みていた。
英雄と呼ばれるその日を心待ちにしていると、そう言ってくれた。
エルフの森でゼートの問題を解決した時、みんなが酔っ払ってしまったあの日、大人っぽいリィファの魅力に直視出来なかった。
カンナに思いを告げられ、リィファに相談したあの日。リィファは自分の事をさらけ出しながら支えてくれた。
そういえばからかわれたな……今だけの冗談、なんて言われて……
けど、みんなが強力して作ってくれたルーヴェスト帝国の中を二人で歩いたあの日。
俺はリィファの気持ちを受け入れた。今度は冗談ではないですよ、なんて……うれしかったな。
「いやだ。いやだいやだいやだ!」
俺は自分自身の頭を押しつぶすかのように押さえる。
「死ぬなっリィファ! リィファリィファ! ッ!」
ふと目を開けるとリィファの血が足元にまで広がっていた。
”大好きですわ”
「ッッ……ァ、ァア!」
視界が揺れる。脳裏に浮かぶリィファの笑顔が――苦しい。
「アアアア!! イヤダッ! アァ!! ウシナイタクナイ! ダレヒトリ!
アアッ、アアアアアアアア!!」
グロウ、お前もニーアを失った時、こんな気持ちだったのか?
「イナク、ナラナイデクレ……」
黒い。全てが、視界が頭の中も全部。
「ヨ、コセ。ゼンブ」
心の喪失感が全てを支配する。それはやがて、激情と混ざり合う。
もうないはずの魔力が俺を包み込んでいた。魔王の剣がひとりでに浮いた。
グラドの足元に置いてきてしまった魔王の剣は回転しながら俺の元へ飛んでくる。
俺は魔王の剣の柄を握る。魔王の剣は魔力を放出していた。
こうしたかったんだろ?
魔王の魔力に刻み込められた魔王たちの感情が俺を支配していく。
――好きにしろよ。もう、疲れた。
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喜びます。