零式
アレンは自分の腕輪に指を掛けた。
「少し黙っていたことがあるんだ。
僕の両親が僕を行かせたくなかった理由の一つはこれなんだ。
もし、カルガディアに挑戦してどうしようもなくなった時の為に用意されたもの。
僕にしか権限出来なかった奥義なんだ」
アレンはうつむいた。
「これは僕の命だ。可能性であり未来でもある。
ぼくはそのことごとくを燃やし尽くしてスキュール。君を消滅させて見せよう」
顔を上げその腕輪を引きちぎった。
「一から十までの式を展開。
人はその時間に、存在に制限をかける。寿命を全うする為に。
僕はその縛りを破壊する」
この階だけではないのだろう。アレンはおそらくこの塔すべての魔素を支配下に置いた。
それらがアレンの呼吸、行動に反応する。
魔素への影響力が強すぎて土や石が宙に浮かんでいた。
言葉による世界への干渉。それをアレンは己の呼吸のみで発現させる。
「僕はそこに到達する」
そして振り向いて俺に言った。
「僕はね。ここで死んでもいいと思ったんだ。これが僕の人生なんだ。
後悔なんてない。たとえ人が哀れだと嘆こうとも」
アレンは前を向きスキュールと対峙した。髪が乱れ、魔素によって服や髪がゆらゆらと揺れている。
スキュールは両手を広げ、地面から炎のガーディアンのようなものを何十体も召喚した。
一瞬にしてガーディアンがすべて破壊され、アレンの通ったであろう地面はえぐれていた。
ガーディアン一体一体を拳で破壊しながら端までたどり着いていたのだ。
ルーカスの一方通行な重力移動と同等の速度、それを制御しきる動体視力。そして空間の支配能力。
助けに……行きたい。ジール、俺はどうしたらいい。あいつを引っ叩いて引き戻すべきか? あいつの、人生を俺が否定してもいいのか。
この悩む一秒一秒がアレンにとってどれだけの時間となっているのだろう。
アレンはスキュールに近づき拳を突き出した。一式と同じ威力だったがスキュールに反応はない。スキュールは両拳を握り、自分の頭の横、耳元まで引いた。そしてそれを地面に叩きつける。
大きな振動音と共に炎が周囲を火の海へと変える。まるでそれはスキュールとアレンだけのリングのように。
スキュールは軌道に炎を残しながらアレンへ拳を振り払った。アレンはそれを避けることなく受け切る。無傷で立つアレンにスキュールは少しの動揺見せた。その後両手を合わせるように叩く。
アレンの立っている地面に刻印が現れそこからアレンを飲み込むように炎の渦が天高くまで上っていた。
その炎がアレンの手によってかき消される。
どちらも攻撃手段を持たないという状況になってしまった。
それでもスキュールは攻撃の手をやめない。その両手に炎の球体を作り出した後、アレンを包んだ。しかしそれすらもアレンに消されてしまう。アレンが消せるということは攻撃部分だけはこの世界に影響を与えられるということになる。
だが本体だけはそこに居てそこにいない。まるで別次元にいる。見えているだけで。そう聖書の奴隷のように。今回は聖遺物ではなく勇者候補の力が必要なのだろう……
アレンが片手を地面に向かって振り下ろした。
スキュールが入るほどの大きな穴が出来る。一体どこまであけたのかここからじゃ見えない。これで勇者候補の力さえ……あれば。
この塔全体が揺れ始める。十中八九アレンの仕業だろう。
「はぁぁぁ……」
力強く、深く呼吸をする。バキッと地面がひび割れ、ついには一部分が宙に浮くようになる。障壁にもヒビが入るほど。
スキュールは胸を張り、両手を広げた。その中央にまるで太陽のような塊が生成される。
それはだんだんと成長を始めた。
どちらも大技で決めようという腹のようだ。正直俺も無事では済まない気がする。
アレンがぼそっと言葉を漏らした。
「本当は……帰りたい」
「ッ! アレ」
俺の声はスキュールの悪魔のような雄叫びによってかき消された。
太陽のような塊をアレンに向かって落とした。
落ち始めた瞬間、衝撃の波が俺を壁に強く叩きつける。
「がっ!」
そしてその塊にアレンは飲み込まれていく。
「あ、れん……!」
一瞬時間が止まったような錯覚に陥る。俺は時間を止めていない。
その錯覚に陥ったのは俺の見える景色すべてが動きを止めたからだ。時間が遅延したとでも表現するのが正しいだろうか。
流れていた魔素も、石も、土も、落ちていた太陽のような塊も、スキュールを構成する炎の渦でさえ動きを止めたからだ。
太陽のような塊はヒビが入った後、灰のように風に乗って消えていった。その中から拳を突き出したアレンが立っていた。先程までの荒々しい姿とは違い、筋肉がやせ細り足を震わせながらギリギリ立っているというような状態。
筋肉の輪郭がはっきりしていたアレンの体は見る影もなく、骨が浮き出ていた。
「無空零式」
スキュールは何も起こっていないと思ったのか自分の手を見ていた。するとぼたぼたと炎が右腕から落ちていく。燃え上がるのではなく、燃え落ちていく。
そして右腕が落ちそうになり、それを左腕で支えようとした。
しかし無残にもその右腕は地面に落ち、数秒の間燃え続けながら小さくなっていく。
「スキュール。君は死を乗り越えた。そしてこの世界にはいなかった。別世界に存在する君に攻撃を当てる手段は勇者候補の資格のみ。
でも僕は……それを超越したよ」
スキュールはぼろぼろと落ちていく自分の体を支えようと必死だった。だがそれに意味はないと察したのか最後の力を振り絞りながら残った左腕を伸ばした。
一矢報いるということなのだろうか。
「君の存在はもう別世界で証明されない。さよならスキュール、そしてこちらの世界へようこそって感じ、かな。
スキュール。そんなことをしなくても僕はもう……命を終えるよ」
スキュールの指先がアレンに触れようとした。しかしその指先から燃え落ちていく。伸ばせど伸ばせどその先が落ちていってしまう。
そしてスキュールは完全に崩壊した。燃え落ちたくすぶる炭のように地面で残滓を残す。
それすらも燃え尽き灰となって跡形もなく消えた。
「悪いねスキュール。僕の勝ちだ。そして神、君の運命などたかだか人間一人の命程度で覆せたよ。ははっ、はぁ……スキュール、君という神を殺すのに人生のすべてを使った。僕に生命力なんてものは残ってない。そしてこの技は僕を許さない。
この終焉の技は僕が生きることを許さない。僕はもう使ってしまったんだ」
あれはアレンの命、人生を代償とした終焉魔法だった。いや、終焉に匹敵する技だった。
系統は魔法じゃない。おそらくはフェリルと同系統。それを使ってしまった。最後まで使い切ってしまった。
俺はアレンに近寄った。その瞬間アレンは力が抜けたのか倒れそうになる。俺はそれを支え、地面に寝かせた。
「やったよエノア。僕はやったんだ」
「ああ。お疲れ様。ちゃんと見届けたよ」
「エリナをよろしくね」
「自分でなんとかしろよ」
「無茶言うなぁ。後悔はしてないんだ。これは本当だよ。
僕は先に行ってくる。のんびり来てね。遅刻しても怒らないからさ」
「なんだよ。俺が死ぬ時間は決まってるのか?」
「ちょっとした遊び心さ。なに泣いてるんだよ。
君のせいじゃないだろ? 後悔してない。そう言ったじゃないか」
「ジールの時とは、違う。アレンはこの先……生きることが出来れば救いがある。幸せに暮らせる未来があるんだよ!」
「エノア。それが代償だよ」
「ッ……」
アレンの目が少しずつ光を失っていく。
「エリナとどんな生活が送れたんだろうって思った。エノアとこの塔を登っている間いろんな話をしたよね。もう君より仲のいい相手なんていないよ。
エリナくらいかな」
アレンは虫の息になった。ついには何も話さなくなる。
塔が崩壊を始める。
考えろ。考えろ考えろ考えろ! 俺は魔王だ。救いがあるのなら諦めるな。仕方なかったで済ませてたまるか!!
「アレン! 死ぬなんて許さないからな!!」
アレンの口角があがったような気がした。
ぼとっ……
何かものが落ちるような音がする。落ちてきたのは人間の死体だった。俺はそれに近づく。ミイラのように血色はなく、紫色の肌。服はまだ形を保っている。骨と皮だけになった死体。
なぜこんなものが?
その死体が急に燃え始め消失する。代わりに一つの小さい水晶が置かれていた。
俺がそれを手に取ると地面に刻印が現れる。そして炎を撒き散らしながら現れたのはスキュールだった。
「このっ」
しかしスキュールに敵対意思はない。
「そうか……これが英雄の遺産。この塔は、いや世界に散らばる塔は人柱。塔を制覇したものには英雄を犠牲にした力が手に入るのか。
だから英雄の、遺産」
世界と神の為に戦って最後はこれか。
「ッ! そうだ塔が崩壊を始めたのなら……! フィシア」
氷がこの階をすべて凍らせた。
俺は諦めない。最後の最後まで抗ってやる。
アレンの傍に戻った。そして俺はアレンに言った。
「お前のその代償、俺にくれないか」
「」
当然アレンからの反応はない。呼吸だけがかすかに聞こえる。
「勇者スキル 譲渡」
このスキルは相手に自分の何かを与えること、そして与えられることが出来るスキル。
それが魔法であろうとスキルであろうとなんでもだ。
ただし一つのものにつき一回まで。つまり空虚を貸し借りは出来ない。あくまで渡すことしか出来ない。帰してもらうことなどは出来ないのだ。
条件は相手の了承。だがアレンに意思はない。意思のないものから強制的にスキルを受け取ることは出来ない。
「アレン!! 考えるだけでもいい! 頼む……信じてくれ」
「……ぁ……」
何を言っているのかは聞こえない。だがスキルが発動したということはアレンはそれを了承したということだ。俺はアレンの代償を”譲渡”された。
アレンは虫の息のまま呼吸を続ける。俺はありったけのポーションを投げ込んだ。
「よし、これ、で?」
指先が灰になっている。
「そんな、イナと魔王の再生能力でも再生が追いつかないのか!」
生きることは許されない。アレンはそう言った。これは何者かの力とかではなく世界の強制力、この世界においての絶対的なルールなのだ。
常識。ものが下に落ちるように水が流れるように日が昇るように。
「はぁっはぁ……」
俺の再生は強制。でも崩壊の方が早い。再生するたびに魔王の再生が魔力を消費していく。
「時解!」
時間を止めた。そうでないとすぐに体が灰に変わってしまう。代償も時間を止め、再生もまた時間を止めた。
「はぁ……くっ……そうだスキュール」
俺はスキュールを犠牲にして魔法を作り出すことにした。
が、スキュールが消費されることはなかった。
「成立、しない? やばい、やばいやばいやばい」
死ぬ。本当に死ぬ。今まで死に対する恐怖は魔王の性質によって弱く感じていた。
だが今急速に向かってくるこの実感は怖い。
息が短く、荒くなり酸欠状態になる。頭の隅々まで答えを探す。
パキンッ。
時解の効果が切れ時間が動き出す。フィシアは形を保っていられなくり地面が崩れ始める。俺とアレンの座っている地面も支えを失い崩れていく。
死ぬ、死ぬ……まだ……リーシア……イナ……
その時、アレンの言葉が思い浮かんだ。
”危険な状態になると真価を発揮するのかもね”
息を止めて戦っていた最初の強敵との戦闘。その時アレンに言われた言葉。
「ほんと、もっと早く思いつきたいものだけどな」
上手くいく保証などない。
「主の命令だ。シェフィ、リドリス。顔を出せ」
崩れゆく塔の中、シェフィとリドリスは頭を下げ、膝をつく。
「「主のご命令とあらば」」
「俺の崩壊を止めろ。そしてこの者の死を覆せ」
シェフィはにっこりと笑った。
「ただのおつかい程度ならあなたの命令に付き合うわ。
でもこの世界に抗おうと言うのならばたとえ主従関係であっても出来ないことはあるの。
問うわ。エノア・ルーヴェスト。
――代償は何かしら?」
ごめんな、イナ。
「俺とイナの魂だ。これは命令だ。助けろ」
シェフィは悪魔のような満面の笑みを見せた。
「あぁっ、ゾクゾクしたわ……これが仕える喜びなのね……
いいわ、やってあげる」
リドリスはシェフィに言った。
「言ってる場合ですか。始めますよ」
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喜びます。