不敗の落胤
私は顔を上げた。魔王の気配が消えたからだ。
「ヴァルク……貴様……」
国王は私の名前を呼ぶ。
私はそれを無視していた。
今はただ、二人に感謝を。
ありがとうエノア君。そしてフェリル様。きっと、私よりもこの者を殺したかったはず。長年の被害、それを見続けた姫。
私のわがままでその機会を奪ってしまった。
「返事をしろヴァルク!」
私は国王の方へ振り向く。
腰がまだ抜けているのか、情けなく尻もちをついたままの国王。
「なんの御用でしょう?」
私は国王にそう聞いた。
「こちらのセリフだ! 一体どういう目的で……民はどうした、他の団員は!」
「私一人抜ける程度なら盾にもなりませんよ。団員は境界線にて待機させています」
「私を……殺すのか」
「私の異名、ご存知ですか?」
「不敗の落胤ヴァルク……」
そう呼ばれ始めたのは、母が死んで数年経ってからだった。
物心がついた頃、私はミレッド帝国に住んでいた。当時は他の世界を知らなかった。
まだ十歳かそこらの子供だった。
母がその身ひとつで私を育ててくれていた。
働きに出る母は遅くまで帰っては来ない。それまで私がすることと言えば、ただ一人でこの街を散策することくらいしかはなかった。
私には学校に通うという資格はなく。働くことも出来ず、家事もすぐに終わってしまう。
友達になれるような同じ階級の子はこの辺にはいない。
私と同じ階級のものはみな、目に生気を宿していなかった。
ただ、ほんの少しの数……前向きに生きるものもいた。私の母のように。
「母さん。今日も仕事遅いの?」
「うん、ごめんね遊んでやれなくて……」
「いいよ」
「行ってくるわね」
娼婦。それが母の仕事だった。何をするのか、その頃はまだ知らなかった。
することのない私は体を鍛え、いつか母の代わりに働いて立場を逆転させる。それが夢だった。そんなこと出来ないと、その頃の私は知らない。
ある日のこと……母が、トイレで吐いていた。
「大丈夫? 母さん」
「ええ、ごめんなさい……副作用が強くて」
「もう薬飲むのやめなよ」
「そういうわけにもいかないのよ。でも心配してくれてありがとう」
それが今なら避妊薬なのだと分かる。
何も知らない私は母にこんなことを聞いてしまったことがある。
「ねぇ、母さん。僕の父さんはどんな人なの?」
「っ……い、いい人よ。それにすごい人」
「どこにいるの?」
「母さんにも……わからないわね」
辛そうに笑う母に私はそれ以上聞くのをやめた。
ある日、我が家に一人の男が訪ねてきた。最初に言った言葉は母の名前。
「リーカー……」
「な、なぜ国王様がここにっ!」
「なんだ、久しぶりに会いに来たんだ。もっと喜べ」
「来るならお店の方に……」
「行けるわけがないだろ。だからこうやってここに……誰だ」
私はその時、家の奥に隠れていた。
そしてこの男こそが父親なのだと、すぐに分かった。
「リーカー。お前、子を孕んでいたのか。つまりお前は齢十二で子供を生んだのか」
「は、はい……」
「誰にも言っていないだろうな」
「言っておりません。この子は……私の子です」
不敵に笑う父親は、こんなことを言いだした。
「ここで脱げ」
「待ってください子供が」
「お前達は今ルールの外にいることを忘れるな。もう一度娼婦としてこの国に認識されたいのなら言うことを聞け」
「い、いやです! だったら私達はこの国を」
父親は母を殴った。顔が腫れて、血が出て、すぐに私は父親に歯向かった。
「うっ、やめっ、ぶっ……おねがい、しますっ、子供、には、おごっ……こんなっ」
「母さんに何するんだ!!」
「動くな。動けばお前達は殺す。母親を死なせたくはないだろ?」
魔法で縛り付けられた私は……母が犯され、泣き叫ぶ姿をこの目に”焼き付け”られた。
「そうだ見ろ! これがお前の母だっ! ははははっ!!」
どんなに母が泣き叫んでも、誰も私達には気づかない。
父親は行為が終わると出ていった。母さんはひたすら謝っていた。
「ごめんなさい、ごめんなさい……産んでしまって……ごめんなさ」
「そんなこと言わないで母さん。今手当するから。ほら、服を着ないと風邪ひくよ」
母さんはより一層泣いてしまった。
それから私達家族はもう一度ルール内に入ることはなかった。誰にも認識されない。
おそらく私の存在が明るみに出るのが嫌だったのだろう。
仕方なく母は私を連れて、”ダグラス王国”へと向かった。
そしてダグラス王国の貧困街で生活する中、母さんのお腹が大きくなっていた。ルール外となってしまったことで娼婦の避妊薬をもらえなかったからだ。
その時の私はまだ子供。働くことすら出来なかった。食い扶持はこのダグラス王国へきても母さんだよりだった。
私は母に、自分が罪を犯すと言った。
初めて母に叩かれた。
「それだけはだめよ。あなたはきれいに生きなさい。全部私がなんとかしてみせるから」
残酷にも、母のその言葉は……実行するには難しすぎた。
そこへ救いの手が差し伸べられる。
薬草などを売っている婆さんが母の子供が生まれるまでは面倒を見ると言い出した。
ほんの些細な客と店主の関係性でしかなかったはずなのに。
そんな店主に母は泣きながら感謝していた。
婆さんはその代わりにと、こう言った。
「薬草を売るなんてはっきり言って商売にはならんさね。
だからあんたらをずっと養うなんてことは出来ないよ。子が生まれるまでこの子借りるからね」
要は働けということだ。私は感謝した。
「ありがとう婆さん。いくらでも働くよ。その選択肢をくれて……ありがとう」
「婆さんて……まぁいいさね。さっさと出るよ。薬草の名前と効能もちゃんと覚えるんだよ。いいね」
それから妹が生まれるまで、私は婆さんと一緒に死ぬほど働いた。
そして妹が生まれたその日、母が――死んだ。
雨の音が屋根にぶつかってうるさかった。静かにしてほしいと、そう神に願っていた。
今までの過労と、最低限の食事を続けてしまったがゆえの体力の無さ。避妊薬による臓器能力の低下。
婆さんはそう推察していた。
死ぬ直前。母さんは私に言った。
「最後まで、育て上げられなくてごめんなさい。
母親、失格よね……こんな母親で、ごめんね」
私の頬を撫でる母の手は弱々しかった。
「……そんなことないよ。母さんの姿を見て、そんなこと言うやつは僕が許さない」
「いい子に、育って……お母さん、うれしいな……どんな大人に育つのかしら」
母さんはそのまま息を引き取った。
雨の音が耳を支配する。そして雨の音など一切耳に入らなくなった。
「うぁぁぁあああ!! ああっ! ああっ、アアアア!」
私は、喉が張り裂けそうなほど泣いた。悔しかった。母さんは、全力で生きていた。
前向きに、それなのに母さんは……
言いようのない感情を地面や柱にぶつけた。
「なんでっ! なんでなんでなんでッ!! 母さんは立派だったじゃないか! 幸せになったっていいはずだ! 何が聖書だ! 何が神だ! こんな世界、理不尽だ……
あぁ…………そうか」
その時、自分の頭に父親の姿がよぎった。
「あいつだ。全部あいつのせいだ。母さんから幸せを奪ったのは、その権利を踏みにじったのは、全部あいつのせいだ」
ずっと黙って見ていた婆さんは私に言った。
「ヴァルク……憎しみだけに囚われちゃいけないよ。自分が幸せになることも考えるんだ。
それに今……この子の家族はあんたしか、いないんだよ」
静かに寝息を立てる妹を見た私は……心を落ち着かせた。
それから数日考え込み、私は婆さんに言った。
「婆さん……お願いがある」
「なんだい。金ならないよ」
そんな冗談を混ぜる婆さんに少し口角が上がった。
「ごめん」
「……好きにするといい。
もし、ヴァルクに何かあってもその子の食い扶持はなんとかしてやるさね。
ただこの子はどうしても戸籍が作れない。それは理解しておいておくれ」
「悪いね……今までだって隠してくれてたのに」
「…………愛着が湧いちまったよ。
目の前でそんな母親の姿見せられちゃ、女として放っておけるわけないさね」
「絶対いつか、恩返しするから。大通りに店を建てさせるくらいさ」
「かははっ、期待しておくさ」
そして私は貧困街へと戻った。
戻った私は全員ねじ伏せた。その名が王に届くまで。
王の間に呼ばれた私は国王に聖騎士団へと入れと命令された。
「不敗の落胤ヴァルクよ。お前は聖騎士団へと入れ。
その代わり地位と屋敷、食事は約束する」
「はっ……家族は」
「お前だけだ」
「……分かりました」
そして私は聖騎士団長まで上り詰めた。
私は自分の父親に言った。
「誰の落胤だと思いますか?」
「誰の、だと? まさか、あの娼婦か! そうか、ヴァルク、貴様はあの時の子供だな?
く、くくっ、よくやった! 貴様のおかげで命拾いした。
聖書は無くなったが、あのヴァルクを使えるのなら国の復権程度、造作もない。
しかし、貴族だったリーカーに嫌がられたその腹いせがこんな利益を生むとは。
はははっ! そうだヴァルク、リーカーはどうした」
「母なら死にましたよ」
「そうか……まぁいまさら生きてても年老いて見るに耐えん。
さぁこの国を復興するぞヴァルク!」
「私には……妹がいます」
「妹だと?」
「名をトア。勇者候補のトアです」
「ダグラス王国の勇者候補、トアだと! それはいい!
ははっなんだなんだついているぞ私は! トアまで私のものに」
「それはないでしょう。妹は……
私の元を離れ、エノア君を選びました」
「ちっ……まぁいい。後で取り戻せばいい話だ。ついてこいヴァルク」
「貴様のような汚物が母につけてもらったその名を気安く口にするな」
私は剣を抜いた。ここにこれたうれしさと、いまだクズであった父親に安堵し、そして今までの怒り、溜め込んできた復讐心を解放した。
「勇者スキル 落胤の対価 不敗」
「貴様、今私を汚物と言ったか? この大国の王を……
まて、勇者スキルだと」
「私も勇者候補ですよ。負けることのないスキル」
「そんな理不尽なスキルが」
「あるんですよ。まぁ抜け道はありますが」
こんなスキル。使う必要などない。ただ私が勇者であると伝えるだけに発動したに過ぎない。どうしようもない相手に絶望する父を見たい。
「待て、ヴァルク。本当に殺すのか? この私を。
――お前の父だぞ」
「貴様が父であるからだ。
たとえ憎い貴様との子であったとしても私達を子として愛してくれた母から全てを奪った父親である貴様だからこそ殺す」
逃げようとする父親の足の指先を切り刻む。
「アアアッ!!」
「もう無駄ですよ。逃げられる場所などないと知れ。
私に届かぬ刃などない。苦しみ、後悔し、懺悔し、血反吐を吐きながら死ね」
「嫌だ……なぜ私がこんな目に合わせばならぬのだ!」
「貴様にそれを言う資格などあるものかっ!」
私は父親の片耳を切り落とした。
「ウガァァ! み、耳がっはぁ、ない。私の耳が!」
「覚えていますよ。嫌がる母を私の前で犯していたことも、謝る母も、母の覚悟も、それをなし得なかずに泣いていた母も……
貴様のその顔もっ!
この日を待っていた。
私を縛るこの全てを、私というものを構成するこの全てを!!
私は今、この瞬間、この日のために、この復讐のためだけに全ての人生を費やしてきたっ!!
この日が来たことが、心よりうれしい。
魔王を助けて正解だった。殺さなくて正解だった。
――不敗の落胤と呼ばれた私の人生は父を殺すために」
私は詠唱を始める。
「不敗の落胤ヴァルクが命ずる。
かの者の血を対価とし、その罪の重さを計れ」
父親は人のような形をした鉄の中に固定される。
中が空洞となっているそれは人が入るためのスペース。
閉まる扉の内側には無数の針が飛び出ている。
「な、なんだこれは! ヴァルク、説明しろ!」
「どんなものにも等しく審判を下し、罰を与える異世界の拷問器具。
それを模した独自の魔法ですよ」
ああ。今私はどんな顔をしているのだろう。心が踊る。
私は続けて言った。
「自分の命と奪った命、そして罪を天秤に掛け、自らの命の方が軽ければ魂ごと消失。
計るのは私ではない。そして神でもない。
公平な審判者がそれを計る。
――乞え、自分の命が重いのだと」
「わ、私は王だ! この世界を正しく導く王である!
正しく裁量せよ! 私はっ」
キィィィィ
「ひっ、息子よ! 悪かった、だから私を」
「滑稽ですね。あなたの命はどうやら軽かったようです。
天秤に乗せられた命はまだ母だけなのですから。
あなたが弄んだ娼婦よりも、軽い命だったようですね」
「私がいなければお前は生まれなかったのだぞ!」
「だからなんです?
私がいなければ、貴様がいなければ母は……ずっと笑っていられたのに」
私は剣を父親の腕に刺した。
「これだけでは気が収まらないので私も少し遊びましょうか。
どうせゆっくり閉まっていくのですから。
それまでゆっくりと剣で撫で、炙り、扉が閉じるその時まで意識を失わぬように」
もうその目に生気は宿っていない。しかし父親は最後にこんな言葉を吐き捨てた。
「おや、ふ、こうもの、めが」
「さようなら、どうぞご自分の人生を嘆いて死んでください。
”アイアン・メイデン”」
ガタン……
「アアアァァァァァアアアッ!」
本来のアイアンメイデンは声が聞こえないようになっているのですが、これを聞かないわけにはいきません。
この断末魔が復讐が終わる合図なのですから。
アイアンメイデンの隙間から血が吹き出ている。
汚い血は魔素へと変わることなく、消失していく。
消えていくアイアンメイデンに私は言った。
「勝手なことしてごめんね母さん」
私のアイアン・メイデンは……母の姿を模して作られていた。
「もう、終わったよ。だから母さん。今度は……幸せになってください」
アイアン・メイデンは消失した。もう呼ぶこともないだろう。
「さて、無気力ですね……
もう国王に仕える必要もありませんし。考えるのは後にしますか。
今はこの余韻に浸りながら母と過ごした街を見て回る。それもいいでしょう
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