狐の獣人 イナ ニ
アシッドボアは俺に気づき咄嗟に身構えた。
でかい。大きさが、存在感が、そこにいるという実感が――強い。
そして低く唸ってくる。
俺は自分に言い聞かせる。
「気を緩めるな! しっかりと握れ!」
俺は剣を突き出す準備をしてアシッドボアむ迎え撃つ。
衝突の瞬間、俺は剣を突き出した。
ガリッ
「硬いっ!」
剣先が刺さらず滑った。牙が刺さりそうになる。
俺は避けるしか無いと覚悟を決める。
ポーションか薬草、自然治癒しかできない。
死ぬ気で避けるしかない
足を踏み込みアシッドボアの突進に対してギリギリすれ違うようにして避ける。
すぐさま体勢を立て直しアシッドボアを見る。
アシッドボアは逃げることなく俺を見ていた。
距離感を保ち次の攻撃のタイミングを見計らっているようだった。
逃げないのは興奮しているからか、自分が狩る側だと考えたのか。
どちらにせよ、殺さなきゃ殺される。
「きたっ」
アシッドボアが向かってくる。
受けたら折れるだろうな俺の体。などと考えながらもう一度同じように剣を構えた。
「さっきは毛皮に当たったから逸れたんだ。だから今度は肉を狙う」
俺は向かってきたアシッドボアの鼻先に剣を当てた。アシッドボアは避けられない。
もう自分から刺さりに行くしか無いのだ。
ぐしゃっ
「ピィィィ! グピィィィ!」
アシッドボアは痛みから転がるように暴れた。
「はぁ、はぁ。こいつをッッ」
俺はアシッドボアの心臓に刃を当てた後、押し込む。
血が流れていく。
数回の痙攣を繰り返しアシッドボアはその生命を終えた。
俺は自分の手を見た。震えていた。
「勇者には程遠いな。っっっ?!」
俺は自分の予期しないところから衝撃を受け吹っ飛んだ。痛みは全く無かった。
アシッドボアであれば骨が折れるほどの衝撃だと思ったが……
「んっっ!!」
「イナッ!」
イナが別のアシッドボアから突進を食らっていた。
本来それは俺が受けるはずの攻撃だった。
イナが俺を助けたのだ。
俺に突進してしたアシッドボアから俺の身を守るためにイナは、俺を突き飛ばした。
俺が元いた位置にはイナがいた。
「くそっ!」
俺は横から素早く剣の攻撃範囲内に入り込み、アシッドボアの目玉に剣を刺した。
アシッドボアはよろけたが、痛みに耐えながらこちらを見ていた。
興奮状態。視線は俺と力尽きたアシッドボア。
仲間意識があるのか、それともそれ以上の……
「悪いな」
俺はそのアシッドボアを討伐した。
すぐさまイナの元に駆け寄った。
「イナ! イナ! 大丈夫か?! どこが一番痛い。意識はあるか?!」
「大丈夫、です。イナは丈夫なんです。ご主人さまは」
「イナのおかげで問題ないよ。
くそ、ポーションがもうない。薬草で傷口だけ癒やすか」
俺はイナの布をずらし状態を見た。
お腹の横が赤く腫れていた。
「頼むから折れてるなよ」
俺は薬草を全部取り出しその部分に当てた。自分の服を破り、イナのお腹に巻いた。
「平気、です。ご主人さまはご自分のことを……」
「安静にしてろ」
俺はこれ以上何もできないことを知っていた。イナは一人じゃ教会には行けない。俺は入れないし街の奴らに会わせたくない。
やっとイナは外に出たんだ。あそこに行かせるわけにはいかない。
言い訳か。俺自身あそこにはいきたくない。
アシッドボアの討伐をした証として牙を折り、皮を剥いだ。
もう一体のアシッドボアの肉は持っていけない。仕方なく牙だけ持ち帰る。
討伐するのが目的だ。これでいい。
「持ち帰らないんですか?」
「イナ! 安静にしろって言っただろ!」
「うっ、本当に大丈夫です。イナは人間じゃないから」
さっきからずっと言い方が気になる。だが今は置いておこう。
「イナが持ちます」
「その傷で」
イナはお腹を見せた。おかしい。ただの薬草だ。こんなに早く腫れが引くなんて。
「どんなに叩かれても、蹴られても、ナイフで傷をつけられてもすぐに分からなくなるんです。それで気づくと本当に治っちゃうんです。
痛いけど、見た目だけならすぐに……痛みだって一日経てば」
「痛いんじゃないか。それは治ったとは言わない」
「人間扱いしないでくださいっ!! イナは人間じゃないんです!
イナは化け物だからっ、人じゃないから心配なんかしなくていいんです。
イナは道具で、おもちゃで、ペットで……
生き物として扱ってもらうだけマシなんです。
そんなにやさしくしないで……ください。捨てられた時が怖いから。
変なんです。イナがおかしくなりそうなんです。
もしイナが捨てられたらって考えると、どんどん怖くなるんです。
あそこにいる時はそんな風にならなかったっ!
胸が、痛いです」
「捨てない。約束する。俺が死ぬまでずっと一緒だ。
だからこれからゆっくり価値観を変えていかなきゃな。
答えも正解もひとつじゃない。
そんな植え付けられた考え俺が否定してやる。
もっかい言うからな。イナが俺を裏切らないなら俺は絶対にイナを裏切らない」
イナは俺の声なんて聞こえないんじゃないかってくらい泣いてた。
そして泣き声まじりに絶対裏切らないと言った。俺はそれを信じた。
イナの声は、目は国の住民とは違う。カリムとも国王とも違う。
本気の声だ。この声なら信じられる。リーシアという信頼できる相手が俺にはいる。
本当に信頼できる相手っていうのは存在することを知っている。
泣き止んだイナとアシッドボアの生肉を焚き火をした場所まで持っていった。
「着きましたね」
「そうだな。まだ火種も残ってる。ありがたい限りだ」
俺は火種に道中拾ってきた細木を加え火を大きくした。大きめの枝に生肉をくくりつけ焼いた。
結局イナは自分が持ち帰ると聞かなかったが俺が心配だったので、足の部分を切り落としそれをもたせた。
これだけあれば二人分としては十分だろう。かなりのサイズのアシッドボアだったからな。
「あー焼けるのが楽しみだな。調味料買ってくるの忘れたのが悔やまれる……
イナも楽しみか?……ってよだれよだれ! 垂らしすぎだ!」
まだ焼けるには時間がかかる。俺は焼けるまでの間ごはんを今まで食べてこなかったのかと聞いた。何を食っていたんだと。
「イナは、草を食べてました。あそこに生えてるみたいな」
雑草にしか見えなかった。リビア、あれ食えるのか?
"オクニソウ 摂取は可能ですが消化に悪く栄養はほとんど得られません"
同じものでは無いにしろ、草だけで栄養がまかなえるとは思えない。
狐の獣人。狐は生前の世界では人と同じで雑食だがさすがにな……
イナの食事は人間と同じでいいんだろうか。
だらーっとよだれを垂らすイナを見て俺は考えるのをやめた。
これだけよだれを垂らすのなら大丈夫だろう。
イナは止まらないよだれを手で隠しながら話を続けた。
「草しか食べられなくて、他の食べ物はもらえなくて、でもお腹は空くから草を食べて、お腹はいっぱいにならなくて、お腹も痛くて、またお腹が空いて」
その場しのぎでしかない。弱らせるための餌。
生き物としては見ていない。商品。自分に都合が良くなるように。
まぁ俺にそれをとやかく言える筋合いはない。
現に俺は他の奴隷たちを置き去りにしている。
他にも獣人の奴隷はいた。正義は語れない。
「ほら焼けたぞ」
「がぶっっ! あふっっっ」
イナは勢いよく噛み付いて口の中をやけどしたらしい。
それでも食いついていた。
泣いていた。
泣きながら食べては口を開けて冷まし、またあついと言いながら食いついた。
俺は手を付けずにその姿を見守っていた。
「お腹、いっぱいになりました……
その、ごめんなさい」
「ほとんど食べちゃったことか?」
「うう、はい……
自分を抑えられなくて。
お叱りは受けます。気が済むまで痛めつけてください」
「イナ。食べたことに関しては俺は気にしてない。
そしてイナを傷つけるつもりもない」
「なんで、ですか。
私はご主人さまのお食事まで食べてしまったんですよ」
「それでいいと思った。
イナは無我夢中で泣きながら食べてた。
俺がそうしたいと思ったから何も言わなかったんだ。
俺はこの足の部分だけ食べれば十分だよ」
イナの中で主人の機嫌を損ねる、悪いことをする。
そうしたら痛めつけられるのが普通だと思ってる。
俺はイナにそんなことしたくない。たとえイナにそうしてほしいと言われても断る。
そして俺はまた泣きべそかきそうなイナに聞いた。
「イナ。
ーーおいしかった?」
「……うっ、うぐっ」
ぽろぽろっと涙がイナの我慢に耐えきれず溢れ出ていた。
自分の羽織っている裾を掴みながらぷるぷると震えていた。
泣くことは機嫌を損ねることだったんだろう。ずっと泣かないように我慢してたから。
今は思う存分泣いていい。ずっと我慢していた分たくさん泣けばいい。
「ふっうっっ……ぐすっ
おいし、かった、です。
おいしかっ……うぇぇぇぇ! ああぁぁぁ!」
お腹いっぱいになったからか、もう我慢の限界だったのか、全力で泣き出した。
年相応な泣き方をして……全力すぎるな。
俺は初めての出来事に困惑した。
「あ、あの、イナ」
「ヴェェェ!」
つい周りを見渡してしまった。
「おーよしよしよし」
昔俺が落ち込んだり、辛いことがあるとリーシアがこうして抱きしめてくれた。
俺も同じようにイナを抱きしめた。
「うぇぇぇん!」
服が涙と鼻水で濡れた。
今まで苦しかったんだろう。
俺とは比較にならないくらい毎日が閉ざされていて、希望なんてなくて。
毎日を檻の中で怯えながら死を待っていたんだろう。
今日イナは初めて自分というものを表に出したんだ。
初めて大きな声で泣くことができたんだ。
「泣き止んだ?」
「うっびすっ、ごめんなさ、お洋服」
「あ、ああいいんだ。焚き火で乾くさ」
かぴかぴになるだろうけど。後で洗うか。
いや明日街にう出て服を買おう。イナの服も買ってやりたい。
早くに行けば問題ないだろ。服屋も商人だ。多分、大丈夫。
俺は残った足の部分を食べ離れないイナを撫でながら眠りについた。
時折起きては焚き火に薪を焚べた。
朝、まだ日が顔を出していない頃イナを起こした。
「起きろイナ。街に買い物に行くぞ」
イナは眠い目を擦りながらこくりと頷いた。
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喜びます。