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贖いのオリキュレール  作者: ひゐ
第九章 蝶が見た夢
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第九章(08) お前を殺してこそ

 瞬くように、闇が生まれる。ベラーの黒水晶。切っ先がこちらに向く。風を切って、胸を狙う。


 とっさにパウは、もう一度水晶を生み出し対抗するが、再びガラスの割れるような音がしたかと思えば、腕に鋭い痛みが走る。まるで全身を揺さぶられたかのように、内にある魔力が揺れ、波打ち、かき乱される。

 相殺はできなかった。溶けることなく、衝突させることはできたが、軌道を少しずらすことしかできなかった。


 ――ちがう。さっきのは。


 思い出し、考えながら、ゆっくりとパウは身体を起こす。ぼたぼたと血が零れ、深紅の水溜まりが生まれる。身体はひどく重く、まるで自分自身が、血を吸って重くなった衣類になったように思えた。零れるほどに、熱も抜けていくような感覚がある。命が抜けていく。息を吸うのも難しく、どことなく、自分がものに近づいているのだと、感じてしまった。


 それでも、残っている。ベラーに勝つ方法が。

 そもそも「それ」が、自分が「人々のための魔術師」となるため、あらゆることができた理由であり、だからかつて『千華の光』になれた理由でもあった。

 ――他の魔術師と比べ、優れているところが、自分にはあった。


 深淵の色を煮詰めた輝きが、また迫り来る。パウはさっと手を掲げれば、魔法で炎を生み出した。炎は辺りを満たすものの、黒い水晶に近づかれたのなら、威力を失い、まるで避けるように消えていく。

 だが、パウの大量の魔力で作られた大規模な炎は、簡単に消えることはない。


 普通の魔術師なら、一回で全てを消耗してしまうほどの魔力量で作られた炎。

 上位の魔術師でも、一度に扱うことはひどく難しい魔力量の魔法。


 ――パウにとっては、まだまだ余裕のある量で。

 ――扱うのも容易い量。


「……パウ、私はね、自分のことを、人に言われるほど、特別な魔術師だとは一度も思ったことがなくてね」


 渦巻く炎の中、ベラーは自らの手を頭上に掲げれば、その白い指先に、大きな黒い水晶を出現させた。黒い水晶は、その大きさによって、周囲への影響力も変わってくる。高純度に凝縮され、黒色に染まった魔力の水晶は、まさに空間にあいた黒い穴のように、周囲の魔力を吸い上げる。魔力でできていた魔法の炎も、自身を構成する魔力を吸われてしまえば、存在が崩壊し薄れて消えていく。


「そもそも、人にできないことができるから、何だと言うんだという話でね……」


 ようやく炎が薄れると、魔法の煌めきを帯びた炎は、あたかもベールのようになって辺りを包んでいた。

 先程パウがいた場所に、彼の姿はない。ベラーは迷わず振り返った。


「――でも君は、本当に特別だと思うよ。その保有する魔力量、それに見合った魔力出力量は……」


 その視線の先に、パウは瞬間移動で姿を現していた。既に応急処置の魔法も、いくらか施してある。

 身体はまだだるく、血の量が少ないことを感じていた。ところが、先程に比べ、いくらか魔法が扱いやすくなって、だからこそ、応急処置まで施せた――ベラーの黒い水晶を、あれほど身に受けたにもかかわらず。


 追いつめられているからこそ、できないと思ったことが、できているのか。そうパウは自身で考えてしまうものの、理由はまた別にあるのだと、気付く。

 空気が輝いて見える。気のせいではない。

 漂っているのは、自分自身の魔力。出せるままに出した魔力が、まだ空気中に漂っている。ベラーが黒水晶を出現させてもなお、全て呑み込まれず、そこに残っている。その魔力が、パウ自身に安定をもたらす。黒い水晶の気配からパウを守り、また毒を抜くようにパウの魔力を落ちつかせる。


「面白いものを見せておくれ」


 ベラーが勢いよく手を振った。新たに黒い水晶が作り出される。

 そうして微笑んでいるベラーに、パウは少し、気味が悪いと思う。

 この人は、本当に何を考えているのだろうか。何がしたくて、何が欲しくて、この場に立っているのだろうか。

 考えてみれば、自分は本当に彼のことを知らないままでいて。

 ――だが、この男に勝つ方法は、わかったのだ。

 ……いつかにもやった、単純に、暴力と呼んでいいような方法。


 魔力で殴る。

 ――ベラーの黒水晶に崩壊させられる前。その黒色に崩壊させきれないほどの膨大な魔力で作り上げた水晶で、攻撃すればいい。


 黒い水晶に、パウの白い水晶が飛ぶ。ベラーのように純度の高いものはできない。だが膨大な魔力を凝固させたそれは、七色の果ての紫に輝く。


 そして、砕く。漆黒を。崩壊に耐え、わずかながらに失速しながらも、まだ十分に勢いを保って、相対する魔術師へ、流星のように、走る。

 鮮血が散る。紫色の輝きが赤色を纏う。


「……君はやはり、私を越える魔術師になるのだろう」


 ベラーは、魔法の全てを避けきれなかった。水晶の一つが肩に突き刺さっていた。かすかに体勢を崩し、それでも微笑んでいる。水晶が消えたのなら、肩の部分がじわじわと赤く染まっていく。


 それでもなお、彼の姿は瞬間移動魔法で消えた。息を乱しながらパウは辺りに集中し、どこに現れるのか、どこから次の攻撃が来るのかと身構えるが、重々しい気配がのしかかってきた。


 頭上。見上げれば天に底なしの穴があいたように、漆黒の水晶が浮いている――落ちてくる。

 とっさにパウは両手を空に掲げ、同じく巨大な水晶を作りあげる。それで黒色を受け止めるが、まるで氷のように、白い水晶は溶けていく、崩壊させられていく。


 まずい、と思うと同時に、今度は左右から、黒い水晶が飛んでくる。防ぎきれない。

 そうきたのなら、と、パウは顔を歪めた。


 諦めるな。いっそ、難しく考えない方がいい。


「――全部、全部消えろ!」


 ありったけの魔力を、水晶に注ぎ込む。まだ内に魔力は有り余っていた。それを扱えるほどの力も。


 ふと簡単に、考えてみたのだ。

 このベラーの水晶に、対応できないであろう量の魔力を、一気に喰わせたのなら、と。


 鮮烈な光が爆発する。目が焼けてしまいそうなほどの光の中、巨大な黒色が破裂する。その爆発に、他の黒色も砕け散り、果てにかすかな悲鳴が聞こえた。


「ぐ……うっ!」


 爆発の勢いに、パウも吹っ飛び床に転がってしまった。勢いに潰されながらも悲鳴を上げる。辺りに濃く漂うのは、自分の魔力と、ベラーの魔力。まさにベラーの黒い水晶は、パウの魔力量に耐えきれず爆発したらしかった。


 やがて、血を吐きながらパウは身体を起こす。身体を起こしながら――瓦礫の向こうで、同じように起き上がろうとしていた人影の片足に、水晶を放つ。

 相手に防御する余地はなかった。パウの水晶は易々とベラーの太股に突き刺さり、貫通し、そのまま膝をつかせた。


 だから先に、パウが立ち上がる。ひゅうひゅうと息をしながらも、ベラーを見据える。


「……ここまで怪我を負ったのは、ひどく久しぶりだよ」


 そう言ったベラーは、先程の爆発に巻き込まれたのだろう、血に塗れていた。灰色の髪もひどく乱れ、額からは血を流している。だらりと垂らした指からも血を滴らせていた。ふらふらと立ち上がれば、わずかによろける。


 これほどに傷を負ったベラーを、パウは初めて見た。ところがベラーはまだ涼しげな様子で、楽しそうに笑っていた。

 どこか嬉しそうなその様子が、不気味に思えた。

 余裕があるように見せている、というのとは、また違う。

 ただ、理解ができない、そんな笑みで。


「あんたは、いったい、何なんだ。何が、したいんだ」


 息も絶え絶えになりながら、パウは尋ねる。手を前に差しだし身構えるが、気付けば指先の感覚はなかった。息を吸えば、吐き出しかけた血に溺れるようにむせる。

 かつて師と仰いだその人を、改めて知ろうとした、初めての質問だったかもしれない。


「私は……そうだな……」


 その時ベラーは、ひどく曖昧な笑みを浮かべた。


「言葉にするのは難しい。言うならば……惰性で生きてきたというか……ただ退屈に感じて、でもそのうち、何かいいものが見つけられるのではないかと、思っていただけだよ」


 と、血に塗れた手が差し出される。パウは魔法陣を展開し迎え撃とうとしたが、ベラーは魔法も何も一つもせず、ただ手を差し出した、それだけだった。

 かつてのように。


「それで……やっと見つけた。私が見たかった高みとは、これなのかもしれないね……いま、とても楽しいと思っているのだから」


 でも、と言葉は続く。


「でも、パウ。君は未熟で……私は、お前を殺してこそ、最も欲しかったものを得られるとも思っているんだ――」


 黒い影が走る。風を切る音は、悲鳴に似ていた。

 パウは集中したものの、その瞬間、血を吐いていた。そのため、間に合わなかった。


 漆黒の針に似た水晶が、胸を貫く。勢いに飛ばされるようにしてパウは倒れる。

 悲鳴も言葉も上げられず、ただ胸に突き刺さり立つその闇色を見ながら、パウは口の端から血を流していた。


 ……倒れてもなお、パウは感覚のない手を掲げ、ベラーに狙いを定めていた。

 しかし視界はぼやけ、魔力も安定しない。一瞬魔法陣が広がり、紫色の輝きを帯びた白い水晶が生まれたが、消えてしまう。


 ベラーの黒水晶による崩壊ではない。

 自壊。魔法自身の不安定さによる崩壊。


「極限状態というのは、長く持つものではないからね」


 気付けばベラーがこちらを見下ろしていた。その手に魔法陣を構えて。


「いいものを見せてもらったよ、パウ。簡単に殺さないで追いつめたかいがあった……楽しかったよ」


 魔法陣から、まるで芽が出るように、黒い水晶が生まれる。

 起き上がれないまま、パウも魔法を発現させようとするが、もう手も上がらず、声すらも出せなかった。


 限界を迎えていた。

 それでも。ミラーカのために。


 もう動かせない、と思っていた手。指が、かすかに動く。

 こんなところで、終わるわけにはいかなかったから。

 まだやらなくてはいけないことが、残っているから。


 ――ベラーの放った黒い水晶が、胸に深々と突き刺さったのは、それと同時だった。

 切っ先は確かに心臓を貫いていた。

 赤い瞳が、揺れる。視界が外側からじわじわと黒く染まって、やがて何も見えなくなる。


「本当に本当に……楽しかったよ」


 ベラーのその声は、もうパウには聞こえていなかった。

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