表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
贖いのオリキュレール  作者: ひゐ
第一章 蝶を連れた魔術師
9/109

第一章(09) 守るはずだったんだ



 * * *



 広場は荒れ果てていた。見慣れた家々からは火が上がっていて、それが他の家にも延焼して、村は燃えていた。


 そして地面を黒く染める血の跡。血の海――浮かぶようにして、見慣れた人々が物言わず転がっていた。一人は腕をなくして。一人は上半身だけを残して。また一人は、頭がなく、血塗れであることもあって、誰だったのかわからない。


 故郷の姿はなかった。


 炎の燃えさかる音と、どこからか聞こえる悲鳴ばかりが、うるさい。


「あ……あ……」


 渦巻く血の臭いに、アーゼは足を止めてしまった。とたんに力が抜けて、ふらついてしまう。と、足に何かぶつかって、見れば。


「そんな……」


 倒れていたのは、猟師の男だった。その手には狩猟に使っていた銃をまだ握っていたものの、脇腹が大きく抉れていた。息はしていなかった。

 戦ったのだ、彼は。村を襲ったものと。けれども負けてしまった。


 改めて辺りに横たわる死体を見れば、ほとんどが農具であるものの、それぞれが武器を手にしていた。皆、戦っていたのだ。

 しかし、全員が死んでいた。男達だけではない。女達の死体もある――子供のものまで。


 前方から、人影が走ってきた。とっさにアーゼは目を見張った。


「――ア、アーゼ……!」


 村の医者だった。ぐったりとした村人一人に肩を貸して、歩いてきていた。


「先生……!」


 医者は服の所々を血に汚れさせ、顔にも煤をつけていた。けれども涙で頬の煤は流れていた。医者はせきこんだものの、顔を上げる。


「皆さんが……! もう、この村は終わりです! みんな、死んでしまった……! みんな……立ち向かいましたが……! うっ……あ、あの……恐ろしい蠅に……!」

「――母さんは! 母さんは、どこに!」


 半ば怒鳴るようにしてアーゼが尋ねれば、医者は頭を横に振った。


「私は、見ていません……あの大きな蠅が村に来て、戦えない者は家にいるよう言われましたが……! 村から出られたのか、どうか――」


 その言葉が終わる前に、アーゼは医者を突き飛ばすようにして走り出した。自宅へ急ぐ。先はより炎が燃えさかっているのか、煙に満ちているけれども。


「アーゼ! だめです! そちらにはあいつが――」


 そんな医者の声を気にしている暇はなかった。

 悪夢のような場所を走っていくと、やがて、自宅が見えてきた――半壊し、燃えている、生まれ育った家が。


 息を呑んで、アーゼは立ち止まってしまった。


「――母さん!」


 けれども、家の中へ。炎と煙に呑み込まれるように、飛び込んでいく。


「母さん、いるなら返事しろ!」


 もし、まだ残っているのなら。

 返事はなかった――それはいいことなのか、悪いことなのか。


「母さん!」


 と。


 ――不気味な声が聞こえた。どこかで聞いたことのあるような。しかし初めて聞くような。


 それは、すぐ近くの扉から。その扉に体当たりして、アーゼが部屋に飛び込めば。


 ――巨大な黒い影が、いた。ココプ村のグレゴに比べれば、ずっと小さかったけれども。

 だが熊ほどもあるそれは――蠅によく似た姿だった。


『グレゴはまだいる』


 そのグレゴの、目の前に。


「――かあ、さ……」


 胸から上のない母親が、横たわっていた。焦げの臭いに、濃い血の臭いが混じっている。


「―――あああああぁぁぁっっ!」


 火事になって逃げ遅れたところを襲われたのか。それともその前に襲撃されたのか。


「お前ぇぇっ!」


 剣を抜けば、未だ肉を咀嚼しているグレゴへと走り出す。炎を踏んで。煙を突っ切って。

 ぶん、と怒りにまかせて振った鋭利は、たやすく避けられた。驚いたのか、グレゴはぎぎっ、と鳴いたが、アーゼは剣を振るい続けた。


「よくも! よくも! よくも……っ!」


 だが怒りに鈍った剣ではグレゴを捕らえられなかった。しかしアーゼは大きく踏み込んだ。踏み込んで、跳ねて。

 比較的小柄なグレゴ。馬乗りになるのは簡単だった。


「この……野郎……っ!」


 その身体に、剣を深々と突き立てる。

 そのとたん、グレゴが悲鳴を上げて暴れた。瞬間、剣から手を放してしまったアーゼは振り落とされた。それと同時に頭を強打する。


「うぅ……っ……」


 意識が揺れる。視界がぼやける。

 その中で、剣が刺さったままのグレゴは、こちらへ寄ってくる。

 起き上がらなければ――けれども、どうにもうまくいかない。思考が、揺れて。

 意識が、沈む。


 ――目が醒めるような光が走った。炎よりも眩しく、星を彷彿させた。


 どこからか飛んできた水晶が、グレゴとアーゼの間に割り込むようにして床に突き刺さった。グレゴがぎぃっと声を上げて退く。

 炎の向こうに、紫色のマントをはためかせた影があった。


 パウは魔法陣を展開すると、再び水晶を放つ。グレゴを狙ったのであろう水晶は、そのすぐ横に突き刺さる。グレゴは様子を見るように、パウへと頭を向ける。

 すると、もう一度放った水晶が、グレゴの目玉に刺さった。やっと命中した。グレゴは悲鳴を上げて頭を振り、水晶が消えると涙のように血を流す。


 そこへパウが追撃を構えるものの、不意にグレゴは飛び上がった。天井を突き破り、陽が沈み始めた空へと、煙と共に高く昇っていく。


「待て!」


 空に向かって、パウが水晶を放つも、そのグレゴはぐんぐんと離れていく。


「――この野郎っ……」


 ようやく意識がはっきりしてきたアーゼは、急いで家を飛び出した。軋んだ身体が痛むものの、気にしなかった。気にすることができなかった。


 家の外に出れば、グレゴの姿はすっかり小さくなってしまっていた。夕焼けに赤くなった空に、溶けていく。

 刺さったままの剣と共に、グレゴは消え去った。


「くそっ!」


 アーゼを追って出てきたパウが、折れそうな勢いで杖で地面をついた。


「くそっ……ああ、くそっ……」


 だが憤れたのも、そこまでだった。何故なら。


「――守るはずだったんだ」


 アーゼが愕然として頽れた。空の彼方を見つめたまま。


「村を、母さんを、守るはず、だったんだ……」


 そのために、隣村に潜むという巨大蠅を退治した。もう大丈夫だと思ったのだ。

 涙が溢れた。頬を伝い地面に滴ったものの、熱気にすぐに乾いてしまう。


「――どうしてこんなことに」


 それは弱々しくも、血を吐くかのような言葉だった。


「どうして……!」


 そんなアーゼの後ろ姿を、パウは見ているほかできなかった。


 ――どうして。

 ――俺は、誰かのためになりたくて。


 ……滅んだ村を前に、膝をついたかつての自分を、思い出していた。



 * * *



 夜の間に雨が降った。パウが消火のために降らせた魔法の雨だった。

 雨が上がった明け方、村の生き残り達が死者を広場に集めた。焼けてしまって誰が誰だかわからないものもあったが、それでも、消火によって燃えず、判別がつく状態で残ったものもあった。しかし、グレゴに頭を喰われたものや、身体の一部しかないものもあって。


 遺体は広場に並べられた。広場ではすすり泣きが耐えなかった。それでも村人達は、もくもくと作業をしていた。新しく遺体を運び込んだり、燃え落ちた家から大切なものを拾い上げたり、けれどもそれは、生き残ったというのに、亡霊のような仕草だった。


「ありがとう、『千華の光』の魔術師……あの巨大な蠅を追い払ってくれただけでなく、火も消してくれて……おかげで、救われた死者もいただろうし、わしらは家に残してしまった思い出を拾えた……」


 怪我人の手当をやっと終えて、パウが広場に行けば、村長に声をかけられた。生き残った何人かと、これからのことを話し合っていたらしい。


「……この村は、もうだめだ」


 頭に包帯を巻き、また右腕に吊り包帯を施した村長は頭を横に振った。


「家畜も作物も失い……人々も失った……もう、だめだ。皆に、早いうちにここを去るよう伝えるつもりだ……残りたがる者もいるかもしれないが……あの蠅が、もう襲ってこないと決まったわけではない」

「……アーゼは、いまどこに?」


 尋ねれば、村長はつとある方へ顔を向けた。アーゼの家があった方だった。


「先程、人に見に行かせたが……動かないそうだ」


 深く、溜息を吐く。


「……彼は隣村で巨大な蠅に立ち向かったそうだな……だが……不運としか、言いようがない……」


 空の端を見れば、少しずつ明るくなり始めていた。パウは村を去ることを伝えれば、最後に村長やそこにいた村の生き残り達に挨拶をして、歩き始めた。


 しかしミラーカを連れて向かったのは、村の出入り口ではなく、アーゼの家のある方。


 ――離れた場所からそっと見ると、うなだれているアーゼの姿があった。その表情は、見えない。


 思わず、パウは出て行きそうになった。


「……」


 しかしなんと声をかけていいのか、わからなくて。

 そのまま、村を出るしかなかった。


 夜明けに染まりつつある空を見れば、今日も一日、よく晴れるのだろう、雲一つなかった。

 太陽が昇っていく。赤みが消えて、空は虚しいほどに透き通った青一色に変わっていく。


 パウは一人丘を登って、そして下っていった。目指すは、近くにある大きな街。あのグレゴの行方は、もうわからない。けれども大きな街でなら、そのグレゴの情報、あるいは別のグレゴの情報を手に入れられるかもしれない。

 その時、ふらついて。


 とっさに杖で身体を支えようとしたが、かなわずパウは転んだ。ひりひりと痛みが走るが、両手をついて、上半身を起こす。そして。


「――くそっ!」


 杖でぶんと、地面を殴った。


「ああ、なんで、なんで……」


 眼鏡の向こう、瞳に涙を滲ませながら。


「助けられると、思ったんだ……! あの村は、襲われる前に助けられたって、思ったんだ……!」


 見えない目からも、雫はこぼれる。さらに叫びたくなったものの、そこでパウは下唇を噛んだ。


「パウ」


 ミラーカが、心配するかのように下りてきたから。


「パウ」


 少女の声で、蝶は名前を呼ぶ。

 その青い羽の輝きは、宝石のようで。しかし深海のように底知れない。


「パウ……行こう」


 パウはそっと、顔を上げた。蝶はふわふわと離れていく。少し離れたところで、宙でくるくると回る。

 涙を拭い捨てて、パウは立ち上がった。

 グレゴは、まだいるのだ。


 ――蠅化したグレゴは、全部で十二匹。残りは、十匹。


 否。


 ――十人、残っている。




【第一章 蝶を連れた魔術師 終】

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ