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贖いのオリキュレール  作者: ひゐ
第一章 蝶を連れた魔術師
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第一章(08) 礼を言うのはこっちだ



 * * *



 その日は、ココプ村から少し離れた場所で夜を過ごした。

 焚き火は煌々と燃えている。もう襲ってくるものはいないのだ、温かい火が辺りを照らし出す。そして夜空はすっきりと晴れていて、月と星が遙か彼方で輝いていた。


「――ありがとう」


 夕食を終えて、何となく焚き火をいじっていたアーゼは、不意にそう口を開いた。

 手にとまっていたミラーカを見つめていたパウが、ふと顔を上げる。それを見て、アーゼは一度顔を伏せてしまうものの、再び上げた。


「……俺一人じゃ、間違いなくあのバカでかい蠅は退治できなかった……お前がいてくれて、本当に助かったよ……あの蠅、グレゴに詳しいし、なんだかんだやる奴だったし……」


 そう言えば、パウが少しして鼻で笑った。ミラーカが剥がれるようにして彼の手から離れると、明るい夜の中に羽ばたき始める。そんなミラーカを目で追って、そしてパウは再びアーゼへと目を向けた。


「礼を言うのはこっちだ……俺もお前がいなかったら、どうなってたか……一人で勝てたかは怪しい……」


 と、パウは少しの間、何かを躊躇った。視線をわずかにそらして、けれども改めて焚き火の向こうのアーゼを見つめる。


「実はグレゴと戦ったのは、これで二回目なんだ。しかも……真面目に戦ったのは、今回が初めてで……一人だったら、間違いなく苦戦してた」

「……え?」


 思わずアーゼは口を開けてしまった。

 これが二回目。しかもまともに戦ったのは、今回が初めて。

 あんなにグレゴに詳しいといった顔をしていたのに。


「そ、そうなのか……?」


 少し変な感じがした。すっかり慣れている様子だったではないか。

 思い返せば、確かに慣れていない様子があった気がした。全ては、その片足と目のためかと思われたが。


「……変な奴だな、お前。ちゃんとした魔術師なのは、確かみたいだけど」


 気付けばアーゼは笑みを浮かべていた。それから宙を舞うミラーカを見て、


「……ちょうちょ、お前も変な奴だよなぁ、喋るし、グレゴの気配がわかるみたいだし」


 そう話しかけても、ミラーカは何も言わなかった。ただ、ふわふわと地上へ下りて来たかと思えば、パウの荷物の上にとまった――パウは横になろうとしていた。眼鏡を外し、毛布に包まっている。

 そこで、ふと、アーゼは思った。


「そういやお前……これからどうするんだ?」


 グレゴの話を聞いて、退治しに来たといったパウ。彼はこれから、どうするのだろうか。


「――グレゴはまだいる」


 横になったパウは、それでもアーゼへ目を向けていた。

 けれども寝返りを打って、背中を見せて。


「一度お前の村まで戻って、そこからでかい街へ行く……そこで情報を集めて……別のグレゴを追う」

「別のグレゴ……」


 あの巨大な蠅は、他にもどこかにいる――。

 ……それでも、村を守ることはできたのだ。ココプ村を襲ったグレゴは、もういない。危機は去ったのだ。

 早く家に帰りたくなった。母親の顔が見たかった。


 そそくさと、アーゼも寝る準備に取り掛かった。毛布を引っ張り出し、荷物を枕にして、横になる。

 長い溜息が出た。明日の夕方前には、村に帰ることができるだろう。


 それにしても。


「……なあ、グレゴって、本当に何なんだ?」


 これまでに、巨大な蠅が存在するなんて話は、一つも聞いたことがなかった。それも人を食べる、不死身の蠅なんて。

 まるで悪夢が実体化したかのようだった。夢が現実を侵食してきたようで。


 眠ってしまったのか、パウからは何の返事もなかった。

 パウは、昨晩のようにうなされることもなく、静かに眠っていた。



 * * *



 のどかな草原を、二人で進む。


「――盗賊を相手にすることもあった」


 風が緑を撫でていく音は、囁きのようだった。その中で、パウはかっかっと杖をつきながら話す。


「海賊を相手にすることも、暗殺団を相手にすることも」

「魔術師も大変だなぁ」

「護衛を頼まれることもあったし、戦うことばかりじゃない、でかい街で起きた事件の調査とかもしたり、流行り病の治療に辺鄙な場所に行ったりすることもあった」

「……色々やるんだなぁ」


 魔術師とは、本当に人々のために働くのだ。それが使命なのだから。

 と、アーゼは改めてパウへと視線を向けた。


 その不自由をしている片足。見えない片目。


「……で、色々やってる時に、そうなったのか?」


 前にも一度聞いた質問だった。

 裏切られた、爆発に巻き込まれたと言っていたけれども。

 どうしても気になるのだ。何故そうなっているのかということはもちろん――そうなってまでも、何故一人の魔術師として、人々のために尽くしているのか。そしてそんな状態であるにもかかわらず、グレゴに立ち向かおうと思ったことが、不思議だった。

 彼自身言っていた。一人だったなら、間違いなく苦戦していた、と。


 ――パウという魔術師が、一体何者であるのか、知りたかった。


 ……パウはしばらくの間、無言を貫いた。詳しく話す気は、ないらしい。


「気を悪くしたなら、悪いけど」


 だからアーゼが口を開いた。


「正直……そんな状態で一人あのでかい蠅に立ち向かおうとしていたのが、不思議なんだ。ちょっと……厳しいんじゃないかって」


 風が吹けば、草原が太陽の光に輝いて波打った。

 やがて。


「――まあ、怪我のせいで前よりずっと魔法が使えなくなって厳しくなったのは、確かだ。思うように動けないし、狙いも外すようになっただけじゃなくて」


 ゆっくりと歩きながら、パウが口を開いた。緩い勾配を、登っていく。


「魔法を使うには、健全な魂と健全な身体が必要だ……今の状態で前みたいに魔法を使うのは、もう難しいかもしれない」


 と、自虐的な笑みを浮かべる。だがアーゼは、


「でもお前はあのグレゴを消滅させられた」


 弱っていても、グレゴを消滅させられたのだ。こうなる以前のパウは、自分が想像する以上に、優秀な魔術師だったのかもしれない。


 ――それ故に、彼はまだ魔術師として、人々のためにいるのかもしれない。


 つと、パウが少し驚いたような顔をしていたが、アーゼはまっすぐに見つめ返していた。


「……お前はいい奴だし、すごい奴だよ」


 それは素直な言葉で。


「だから、ちょっと、心配なんだ」


 そのアーゼの言葉に、パウは少し戸惑ったかのように、かすかに視線を落とした。そして無言のまま、また正面を向いたのだった。


 丘を登りきれば、もうロッサ村が見えてくるはずだった。

 着いたのなら、旅は終わり。そしてパウは、他にもいるというグレゴを追って、村を離れていくのだろう。少し寂しい気もしたが、彼は魔術師なのだ。


「なあ、グレゴは他にもいるらしいけど……他のところでも、お前みたいに魔術師がグレゴを狩ってるのか?」


 尋ねてみる。グレゴというものの正体は、よくわからない。けれども、彼に仲間がいれば。

 しかし、その時だった。


「……ミラーカ?」


 不意に、ミラーカが先へと急ぎ始め、パウが丘の上へ顔を向けた。青い蝶は、空を目指すように丘を登っていく。だからパウも、不自由ながらも慌ててミラーカを追って、アーゼも続いた。


「――いる」


 ミラーカは、そう言った。そう言って、丘を登りきって。

 そしてパウとアーゼも、丘の頂上にたどり着いて――言葉を失った。


 ――すがすがしい空の下にある、色鮮やかな草原。青々とした森の前。


 そこから、黒い煙が上がっていた。


 あの場所は。


 ――ロッサ村のある場所だった。


 何も言わずにアーゼは走り出した。転びそうになりながらも、丘を駆け下り、村へ続く道を駆けていく。背後で「おい!」とパウが声を上げて追ってくるが、杖をついているために、距離はどんどん開いていく。しかしアーゼは気にしない。息を切って、走っていく。


 間違いなく煙はロッサ村から上がっていた。火事にしては、明らかにおかしい量。あたかも村全体が燃えているかのようだった。

 一体、何が。


 やがて先に、人影が見えてきた。あれは。


「――アーゼ!」


 村の住人の一人、木こりの男だった。全身は煤にまみれていて、頭からは血を流している。腕も怪我しているようで、片手でその怪我を押さえながら、ふらふらと走ってきていた。

 男はアーゼを前に、まるで崩れるかのようにその場に座り込んでしまった。


「一体何があったんだ!」


 アーゼは膝をつけば、男の肩を掴んだ。

 その手は震えていた。男も震えていたが、間違いなく、自分の手も震えていた。


「お、お前の言った通りだったんだ……!」


 男は半泣きになっていた。


「本当だった……本当だったんだ! ココプを滅ぼした巨大な蠅っていうのは……! 村が……村が……! みんな、喰われて……!」

「――で、でも、グレゴは俺達、が……」


 そう、ココプ村にいたグレゴは、もういないはずなのだ。

 村の方から、悲鳴が響いてきた。家が崩れ落ちたのか、轟音も響いてくる。黒い煙は、青空を染めていく。


「アーゼ!」


 背後から名前を呼ばれた。なんとか追いついてきたパウだった。

 しかしアーゼは振り返らず村へと走り出した。


 ――村を守ると、誓ったのに。

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