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贖いのオリキュレール  作者: ひゐ
第八章 閃光と羊達
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第八章(02) グレゴが、神って


 * * *



「簡単に説明すると『遠き日の霜』から分裂した組織が、我々と対立したんだよ」


 薄暗い隣の牢獄、後ろで手を縛られたままのベラーが、それでもくつろぐように座りながら説明する。


「フォンギオ様が率いる我々と……プラシドを中心とする一派でね」


 プラシド、という名前に、パウは聞き覚えがあった。『千華の光』の一人であったはずだ。

 聞きたいことはたくさんあったが、いまは耐えるように黙る。

 ――まさかあのベラーが捕まって目の前にいるなんて、驚きのあまり声も出せずにいた、という事実もあったが。


「我々は神になるために、グレゴを実験体として使ってきた……これは前に説明したね?」


 冷え切った鉄格子の向こうで、ベラーはかつて、魔法について教えたときのように、言葉を続ける。服は汚れ、顔には腫れたあともあったが、依然として普段通りだった。


「そのグレゴを……プラシドを中心とした者達が、それこそが神そのものだと、崇め始めたんだよ」

「……グレゴが、神って」


 ようやくパウは言葉を発した。自分のいる牢と、ベラーの牢を区切る格子を掴めば、手のひらに冷たさが刺さる。その冷たさが、胸中の不安に絡みつく。

 ……ミラーカはどうなってしまったのだろうか。


「狂ってしまったらしい。おまけに彼らは、自らを名乗る言葉を持たなくてね……理由としては、自分達は『神にとってのただの民』だから、だそうだ」


 古くさいね、とベラーは微笑む。こんな状況であるにもかかわらず、ベラーは間違いなく、世間話を楽しむような様子で笑っていた。

 それをひどく、警戒する。何か隠していることがあるのではないか、と。


「……それであんたは、なんでここに」


 言葉を選ぶ。ミラーカのことを聞きたいが、下手に出すべきではないと、パウは判断する。

 ミラーカは、恐らく捕まった。しかしベラーがどこまで知っているのか、そもそも青い蝶についてどこまで気付いているのか、わからないのだ。


「我々は、プラシド達に一杯食わされてね。全てを奪われたんだ……彼らが神と崇めるグレゴや、その研究資料に技術……このユニヴェルソ号ごと、全てをね。それで私は奪還しにきたんだけども……」


 と、そこでベラーはようやく肩をすくめ、眉を寄せて見せた。


「うっかり……ね。私はほかの魔術師と行動するのはあまり向いていないし、そもそもこういうことは少人数でやるべきだから、一人で来たけど……こういう状況になって、暇を持て余していたんだ」


 うっかり。あの『穢れ無き黒』と呼ばれたベラーが。

 ……しかしベラーの弟子として、長年共に暮らしたパウは知っていた。確かにこの男は「うっかり」をやることが度々あるのだ。

 一見、完璧に思えるが、実はそうではない……だからこそ、ベラーは人に懐かれやすかったし、敬遠されることもほとんどなかったのだ。


「……」


 自然とパウは、苦い顔をしていた。実はそういったベラーの「懐かれやすさ」も、彼の演技ではないかと思っていたが、どうやら違うらしい。大半は演技だろうが、本物もあったらしい。

 妙な魔術師だと思う。


「その場で殺されずに済んだのは、下手にプラシドに『光神蟲』を利用させないため、魔法薬であらかじめ弱らせておいたからだろうね……奴ら、きっと困り果てているはずだよ」


 聞き慣れない言葉が聞こえた。しかしそれよりも、パウの脳裏で記憶が瞬いた。

 妙な弾丸――注射器のようなもので貫かれた、青い蝶。

 「魔法薬」。思い出せばあれはきっと、魔法薬だった。


「魔法薬……」


 あれを受けたミラーカは、明らかに弱り果てていた。グレゴであるため、共食い以外で死ぬことはないだろうが彼女はいま、どうしているだろうか。


 格子を掴む手に、力が入る。うちから溢れ出る衝動に、いますぐにここから飛び出したかった。しかし鍵はかかっている上に、格子を曲げる力もない。魔法を使おうにも、その前に身体にある感覚からわかる――魔法封じの呪いがかけられている。

 いまは完全に、無力な囚人だった。目の前には、復讐を果たすべき相手もいるというのに。


 それにしても、妙な状況で、実感がわかない。そしてミラーカのいない不安が、さらに現実味を濁らせ、焦りと不安以外の感情を鈍らせるのだ。

 と、ベラーはパウの呟きを拾う。


「君の魔法薬を、私が改良したものだよ」

「……えっ?」

「君の研究は、本当に役に立っている。君が最初に作り出したあの魔法薬……あれが、グレゴに作用する魔法薬のあらゆる基盤になっているんだよ。我々は、君のあの研究結果に頼りっぱなしだ……蠅化の資料は失われたが、君の研究は残っていて、本当によかったよ」


 芋虫のグレゴを大人しくさせるために作り出した、あの魔法薬。

 思い返せば『風切りの春雷』騎士団が、彼らから渡された魔法薬も、自分の作ったあの魔法薬を元にしたものだった。


「ふざけやがって……」


 まだ彼らに利用されている。思わず顔を歪めた。

 ――人々のためにと、作ったものだったのだ。

 それがまさか、怪物を作り出すことに繋がるなんて。そもそも怪物だと思っていたものの正体が、人間だったなんて。


 ミラーカを貫いたあの魔法薬も、恐らく。

 自分で自分の首を絞めるような形になってしまった。あの研究が、ミラーカを傷つけた……。


「落ち着きなさい。少なくとも、君の魔法薬を元にしたあれはいま、いい方向に作用しているんだよ。『光神蟲』を弱らせられているんだ。君にとっても、私にとっても、いいことだよ……プラシド達だけが、困っているのだから」


 ベラーは全てを見透かしたように笑う。

 ところで、その聞き慣れない言葉。


「……『光神蟲』っていうのは?」

「――しかし、いずれ私は脳を開かれる。そうなってしまえば、プラシド達は奴を回復させるすべを手に入れてしまうだろうな」


 パウの質問は無視された。ベラーは壁に背を預け、鍵のかかった牢の扉を見つめていた。


「プラシドは神様とやらを悪夢から救い出すために、躍起になっているようだから……」


 ――脳を開く、ということがどういうことなのか、噂程度にパウは聞いたことがあった。

 文字通り、魔法で脳を開くのだ。そしてそこにある情報――記憶や知識を取り出す。

 けれども脳を開いてしまったのなら、もう元には戻せない。死ぬことと、変わりない。

 プラシドには、そうまでしてもベラーから取り出したい情報があるらしい。


「君もいずれ、ゼクンに差し出されるか……脳を開かれる。君はミラーカを生み出したわけだからね。彼らはその情報も欲しがっているようだし……おもしろいことに、そう思っていると同時に、神を生み出す元となったのが人間では少し都合が悪いから、君を殺したがっているようだよ……彼らは神に、絶対の神秘さを求めている」


 そのベラーの言葉に、パウは目を見開く。

 ただ一つの言葉を、パウの耳は拾った。


 ――ミラーカ。確かにベラーはいま、そう言った。

 薄暗い中、片目しか見えない赤い瞳が相手を睨む。気付かれている。あの青い蝶が、ミラーカであると。

 きっと、ある程度はばれているのだろうと、わかってはいたものの。


「……ミラーカは、この船に?」


 唇を舐めて、己を落ち着かせる。

 いま自分がやるべきことを、頭の隅で整理する。

 何よりも優先するべきは、ミラーカとの再会。青い蝶の安否を確かめること。


 そのために、情報を引き出さなくてはいけない。

 こちらの情報を、なるべく与えずに。


「あれも、また別の魔法薬で弱らされたようだね。私が改良し作り上げたものより、悪いものではあるようだけど……そうでなければ、プラシドがこうも私の脳を開く準備をしないだろうし」


 ベラーの微笑みは、やはり、いつも通り。

 そこに何の思惑があるのか、パウには見通せない。しかしベラーは口を閉ざすことなく、言葉を続ける。


 まるでパウを見透かしているかのように。

 ――それが不気味で、欲しい情報を得られたとしても、ありがたく思っていいのか、わからない。そもそも信用していいのかさえも、わからない。


「安心するといい。プラシドも、あれには下手に手を出せないよ。『光神蟲』に喰わせたいだろうけど……逆にあの青い蝶が、彼らの神を食べる危険性もあるだろうからね。そもそも『光神蟲』は眠った状態だよ。ミラーカどころか、騎士団から奪ったグレゴも食べられない状況だよ」


 ――騎士団から奪ったグレゴ?


 ベラーが口を開く度に、新しい情報が入り込んでくる。

 騎士団から奪ったグレゴというのは、過去のグレゴだろうか。それとも。


 ――自分達と分かれたネトナやエヴゼイ達は、『赤の花弁』地方のグレゴを捕まえに行ったはずだ。ベラー達『遠き日の霜』に先を越される前に。

 まさかそれが――。


 頭の中は混乱するばかりだった。気付けば汚れた床に視線を落としていた。

 外では何が起きている。そもそも、いまがいつなのかも、わからない。

 あれからいくらが経ったのか。アーゼとメオリの姿はないが、二人は無事だろうか。


 けれども一つは、わかった。

 ミラーカはまだ無事だ。そしてこの船のどこかに、いる。

 ――『光神蟲』、というものに喰われるかもしれないが。


「……それで、その、『光神蟲』って……?」


 再びパウはその質問を口にする。

 今度は答えがあった。


「ああ、プラシド達がそう呼んでいるから、便宜上そう呼ばせてもらったよ。特別なグレゴであることに、違いはないからね」


 温かな風を纏ったような魔術師は、その瞬間、ひどく冷たい嘲笑を浮かべた。柔らかな夢が溶けて、その向こうにあった闇が現れるかのようだった。


「それでも結局は、ただのグレゴだよ……使い物にならない者達を集めた、ゴミの寄せ集めのような、ね」

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