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贖いのオリキュレール  作者: ひゐ
第七章 霖雨の花畑
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第七章(11) 信じた俺が馬鹿だった



 * * *



 四足の鳥の獣となったシトラに乗りオリヴィアを追う中、先の景色で、村から煙が立ち昇るのが見えた。炎上している。近付くほどに、悲鳴が聞こえてくる。


 シトラは煙の中に入り込み、転がるかのように村の中に着地した。そこは広場付近。家々は燃え、人々が逃げ戸惑っている。村人達には、突然やって来た一行を気に留める余裕もない。


「オリヴィアは!」

「あそこだ……」


 響き渡る悲鳴と苦痛と嘆き。そして渦巻く炎の熱気と血の臭い。シトラから飛び降りたパウが尋ねれば、メオリは広場を指さした。揺らめく炎の向こう側、漆黒の巨体はそこにあった。


 巨大なカマキリに似た怪物は、奇声を轟かせ、炎を煽る。その口から溢れ出た唾液が地面に滴り、また人間の死体や家々に飛び散れば、激しく燃え上がる。怪物は鎌を振るえば、少し前まで花で飾られていたアーチを斬り裂いた。と、その複眼が、物陰から飛び出してきた人間一人を捉える。


 誰も間に合わなかった。カマキリ型のグレゴは、まるで川の魚を狙う鳥のように鎌を振り落とした。肉を断つ音も、骨を断つ音も聞こえない。鎌を振り下ろされた男は、直前まで恐怖に顔を引き攣らせていたものの、何があったのかわからない表情を作る。かと思えば、頭から股にかけて血の線が走り、ずるりとずれて二つに分かれた。


 オリヴィアは、否、もはや彼女とはいえないグレゴは、あたかも満たされないと訴えるかのように声を響かせる。煙が渦巻く。血の臭いが焼け焦げる。燃え上がる唾液を垂らしながら死体に寄れば、獣のように食らいつき始める。


 その隙を狙って逃げ出そうとしたのだろう、燃え盛る家から、まだ幼い子供が飛び出してきた。顔に火傷を負い、泣きながら走り出した子供は、けれども転んでしまう。するとグレゴがぴたりと止まり――。


「シトラぁっ!」


 メオリの指示が熱気を斬り裂く。刹那、四足の鳥の獣は炎を吹き飛ばすかのように駆け出し、グレゴの鎌よりも早く子供をとらえていた。巨大な嘴で、子供の服をくわえて宙にぶら下げる。


「その子を安全な場所に!」


 シトラは羽ばたき、村の外へと駆け出す。対して獲物を盗まれたと感じたのかもしれない、グレゴは全身を震わせて声を上げる。そして羽を広げたものの、パウの放った水晶が羽に穴をあけ斬り裂いた。勢いにグレゴは体勢を崩すものの、すぐさま複眼を一行へ向ける――そこに、友人だと思い出す様子は一つもない。飢えと怒りに満ちた、凍てつくような輝きだけがある。


 数日前までのオリヴィアの姿を思い出し、パウは目を閉じる。言葉と心を取り戻し、友人の結婚式を待っていた彼女。そして終わりを待っていた彼女。


 目を開けて、そこにいるのは、先程と変わらない。

 自分のせいで怪物化してしまった人間だった。


 と、カマキリに似たグレゴが、鎌を振りあげる。それと同時にパウはまた水晶を放ち、鎌にいくつかを命中させる。


 以前は迷ったが、いまは迷うことはなかった。

 いまはとにかく、彼女を止めなくてはいけない。この村の人間がしたことはさておき、助けなくてはいけない。そして彼女自身も、助けなくてはいけないから。

 オリヴィアを、パウは見据える。肩に乗ったミラーカも、言葉なく羽を動かす。


 鎌に攻撃を受けたグレゴは怯んだものの、鎌には傷一つない。どうやらあれは、かなり丈夫に出来ているようだった。鋭さも、盾を作って防げるかどうか怪しいところだった。


「……俺とアーゼでオリヴィアを足止めする。メオリはその間に、村人を避難させろ」


 パウの言葉に、メオリは頷く。子供を無事に安全な場所に届けたシトラが、こちらに戻ってきていた。カマキリの複眼がシトラを捉えるものの、すぐさまパウはまた水晶を放ち、気をこちらに向けさせる。その間にメオリはシトラと共に走り出した。怪我をし倒れている村人に肩を貸す。シトラに乗せる。


 カマキリに似たグレゴは、ようやく目の前の敵を倒さねばいけないと気付いたようだった。パウ、それから彼の後ろに立つアーゼに、威嚇の声を浴びさせる。足元に転がる、元は人間だった血肉の塊を蹴散らし、また奇妙な唾液を滴らせて辺りを火の海にする。


 けれどもどうしたものか、とパウは考える。どうやってオリヴィアを正気に戻させるべきか――。

 そう悩んでいる最中だった、真横を風が駆け抜けたのは。


「――アーゼ!」


 パウは叫んだものの、声はアーゼの蛮声にかき消えてしまった。両手で剣を握り、まっすぐにグレゴへ走っていく。それは勇ましいというよりも、明らかに無計画で無謀な行動に見えた。


 幸い、アーゼには技術があった。グレゴが鎌を振り回したものの、アーゼはひらりと避けて懐に入り込む。そして力任せに剣を振り回せば、グレゴの胸を斬り裂いた。溢れ出る黒い血。漂う腐臭。返り血がアーゼへ飛び散る。と、じゅう、と音がして彼が呻き声を漏らして顔を伏せる――返り血を浴びた服や肌から、煙が立ち昇っている。血に染まった剣からも、燃えているのか、はたまた溶けているのか、奇妙な煙が溢れ出ている。


 胸を斬り裂かれたグレゴが怯んだのは、その一瞬のみ。勢いをなくした敵に向けて、出血を気にせず噛みつこうとあぎとを開く。

 しかしパウの方が速かった。瞬間移動魔法を使ってアーゼのもとへ。彼を掴めばまた瞬間移動で後退、グレゴから距離を取る。


 グレゴは無を食んでいた。そこに何もないことに苛立ちを覚えたのか、鎌を振りあげて周囲に転がっていたものを蹴散らす。


「お前、ちょっとは考えて動け!」


 思わずパウはアーゼに怒鳴った。返り血を浴びたアーゼは、頬の一部に火傷のようなものを作り、片目を瞑っていた。開けば眼球に大きな怪我はなさそうだったが、瞼を震わせていた――あのグレゴは、唾液だけではなく、体液全てが特殊なのかもしれない。


 戦うには、唾液や返り血を避けつつ、またあの鎌も避けなくてはならない。特に鎌は避けきれなければ――。


「うるさい!」


 アーゼは乱暴にパウの手を払う。パウは思わず驚いてしまった。アーゼは必死の形相でグレゴを睨んでいる、息を乱し、冷静さの欠片もないその様子は、どこかおかしい。


「ふざけんなよ」


 そう漏らした彼の声は、あたかも血を吐くかのような勢いもある怒りを孕んでいた。


「ふざけんなよ……ふざけんなよ……信じた俺が馬鹿だった……!」


 ――炎に包まれた村。炎上する民家。その中で対峙する彼と、巨大蠅。転がっていたのは母親の遺体。

 その光景が、パウの脳裏をよぎった。眼鏡の奥で、赤い瞳が震える。


 一瞬の気の緩みが、半ば混乱しているようなアーゼを逃がしてしまう。彼は再び走り出す。グレゴの鎌も、その体液も目に映らない様子で。振り下ろされる鎌をかいくぐり、巨躯の背後へ回りつつ足の一本を切り落とす。グレゴが悲鳴を上げる。それでも怪物はアーゼへと体当たりをした。巨大な身体はそのまま武器となり、アーゼの身体は吹っ飛び転がる。と、足の再生中であるグレゴは、空を仰いだかと思えば、口から唾液を球のように吐き出した。喰った人間のものだろう、血や肉片も混じったそれが、アーゼへ向かう。


 パウはすぐさまアーゼとグレゴの間に割り入った。手のひらを宙にかざし、盾を作り上げ唾液を受け止めた――どうやらこの唾液は、魔力で作ったものには効かないらしい、ずるずると盾を滑って落ちていく、盾は燃えることも溶けることもない。


 戦う中、パウは一つ一つを確認していく。そしてどう立ち回るべきかを考えていく。だが起き上がったアーゼがまた走り出したものだから、苦い顔をする。いまは暴走する彼の補助に回らなければ、彼を死なせてしまう――。


 ――一方、村人の避難を手伝うメオリは、倒壊した家の瓦礫から、村人を助けている最中だった。降り注ぐ炎と瓦礫。しかしシトラが翼を羽ばたかせれば、全ては吹き飛ぶ。


「あ、ありがとうございます……あなたは?」

「いいから! 早くここから出ろ! 村の西側にみんないるぞ!」


 メオリが怒鳴れば村人は走り去っていく。炎が全てをなめつくしていく。空をも焼くような勢いだ。恐らくグレゴの体液による火だと思われるが、これはどうやら特殊なようで、地面すらも燃やしていく。炎はまるで生き物のようだった。這うかのようにより延焼し、村の外まで炎は広がっていく――村から少し離れたところにある青い花畑が、燃え始めている。この炎はどこまで広がるのだろうか。煙もひどくなってきている。


 甲高い声が響く。シトラがまた怪我人を見つけたようだ。メオリが急いで向かえば、腕に大きな火傷を負った女を見つけた。傷みのあまり、動くことはできないらしい。すぐさまシトラに乗せて、ひとまず村の外まで運ばせる――避難した村人達は、村の外で固まっているようだった。そこまで運んで、治療は彼らに任せることにしていた。


 シトラが戻ってくるまで待っている余裕はない。メオリは炎上する村の中を進み、逃げ遅れた人々を探す。声が聞こえる。そちらへ走り出す。倒壊した家屋の下から、手が出ている。動いている。

 すぐさまメオリは手をかざし、魔法陣を出現させた。魔法の風が、器用に瓦礫を吹き飛ばし、埋もれていた男を露わにする。


「あんた、大丈夫か! しっかり!」


 声をかければ、意識はあるようだった。片手には剣を握ったままだった。オリヴィアと戦ったのだろうか。ただ朦朧としているらしい、何かうわごとを呟いている。


「あの女が……あの女が怪物を呼び寄せたんだ……」


 サリタのことを言っているのだろうと、メオリは顔を歪める。と、男は顔を上げたかと思えば一点を睨む。はたと気付いてメオリもその視線の先を追う。


 先には小さな小屋があった。燃え始めているものの、どうしてか、目立って燃えていないように思えた。

 倉庫のように思えた。戸口は大きく、扉はもう壊れ落ちてしまっているため、薄暗い中がぼんやりと見えた。


 白いドレスが見えた。その裾だけが見えた。あとは黒く染まって薄闇に溶け込もうとしている。


 正体に気付いてメオリは息を呑む。

 柱に縛り付けられたその足元に、血にまみれた白い石のペンダントが落ちていた。

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