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贖いのオリキュレール  作者: ひゐ
第七章 霖雨の花畑
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第七章(10) サリタは、どこ?



 * * *



 結婚式当日。その日、空は程よく晴れていた。薄い雲が風に吹かれている。空気は爽やかで、穏やかな日、そのものだった。


 オリヴィアは黙って村を見下ろしていた。時折鎌や触角を動かし、式が始まるのを待つ。しかしいつまで経っても始まらない。村は確かに式に向けて飾られている。広場も式のための準備が済んでいる。人々もいるが――妙に慌てているように見えるのは、気のせいか。


「始まらない、わね」


 オリヴィアが呟けば、隣に来ていたメオリも首を傾げつつ、けれども励ますように言ったのだった。


「もしかすると……昨日森に来た時に、やっぱりドレスを汚すか何かしちゃったんじゃないか? それでいま、繕ってる、とか」


 それにしても妙な気がするが、メオリはそれ以上、口に出せなかった。

 ところが、少し離れたところで、アーゼと並んでいたパウは、違和感を口に出せずにはいられなかった。


「……準備で慌ててるにしても、妙に思える」


 村人達の表情は、ここからでは見えない。まるで小さなおもちゃのように村が見えているのだ、そこにいる人々は点とさほど変わりない。それでも、異様な雰囲気が、ここまで伝わってくるようだった。何かが違う。


「結婚式っていうのは、祝い事のはずなんだ」


 そっとアーゼが口を開く。


「村の広場でやるみたいだが、それならみんなそこに集まるはずだ。男も女も、子供も老人も……だけど」


 ――広場には、数人の姿があるだけだった。数人の男らしき姿が。

 こんな様子の村は、いままで見たことがなかった。


「……俺は結婚式なんてちゃんと見た記憶がないし、このあたりの風習もよく知らないが」


 いよいよ予感が強くなり、パウはオリヴィアに尋ねる。


「何か、おかしいよな……?」


 ――ふわりと、肩から青い蝶が離れる。


 それと同時に、鷹の鋭い声が響いた。シトラの鳴き声だった。使い魔の警告を聞いて、メオリが顔を上げ、すぐさま魔法で使い魔の視界を借りる。


「――なんで?」


 しばらくして、彼女が漏らしたのは、そんな唖然とした声だった。彼女は我に返れば、一瞬村を見た後で、焦りの声を上げた。


「村人達がこっちに来てる! それもまっすぐ……もうすぐ近くまで!」


 それはおかしいと、パウはとっさに村を指さす。


「また調査か? でも、村から調査隊が出た様子は一つもなかったぞ!」


 そもそもまっすぐにこちらに来ているなんて。渦巻く予感が嘲笑う。


「村人とはまた別か? もしかして『遠き日の霜』の奴らなんじゃ……」


 アーゼが顔を歪めるものの、メオリは頭を横に振った。


「村人達で間違いない! 見覚えがある! あいつら……森の、緑の深いところをわざわざ通ってるみたいだ、まるで隠れるみたいに……」

「――どうしましょう! どこに、逃げたら」


 オリヴィアのその声に、はっとしてパウは彼女を見る。

 メオリの言う通り、村人達がもうすぐ近くまできているというのなら、この巨体を連れて逃げるのはひどく難しい。そもそもここは崖の上ということもあって、逃げ場は限られている。


 空に逃げるか。オリヴィアは飛べる。自分達はうまく森の中に隠れて……。


「――こっちだ! この崖の上にいるらしいぞ!」


 深い緑の向こうから、声が聞こえてきた。一行は驚き振り返る。

 思いついてパウは大きな魔法陣一つを頭上に出した。魔法陣はまるでドームを作るように広がり、一行を包む。


「結界か!」


 メオリがぱっと顔を輝かせる。


 ――崖の上には、もう何の姿もなかった。パウ達やオリヴィアの大きな身体もかき消える。

 しかしそれは見た目だけ。この結界は、姿隠しの魔法だった。


「姿を隠してるだけだ、もしあいつらがここまで入ってきたら、終わりだ」


 幸い、いまの自分なら、この魔法を長く持続できる。それでもパウは、彼らが早く去ってくれるのを願うほかなかった。


「一体何がどうなってるんだ……」


 アーゼがちらりと村を見る。メオリは辺りを見回し、万が一に備えて次の行動を考えていた。

 オリヴィアだけは、崖の上までやって来た村人達を見つめていた。巨大な複眼に彼らの姿が映るが、彼らの目には、怪物の姿は映らない。


「いないぞ、ここじゃないのか?」


 崖の上にやって来たのは、男複数人。確かにアニスト村の人間のように見えた。よく見ると、いつも森へ調査しに来る姿とは、少し違うように思える――いつも以上に、戦う準備がされている。


「ここのはずだ……昨日、大きな化物がここに行くのを見たって猟師が言ってた」


 その言葉を聞いて、はっとオリヴィアが息を呑んだ。そして。


「あの女も、崖の上に行ってたって、漏らしたからな。ここで間違いないはずなんだが……」


 あの女。この崖の上に来ていたのは、ただ一人。サリタ。

 すっと、パウの顔が青ざめる。視界の端に見える村では、やはり結婚式が始まらない。


「とにかく辺りを探せ! 何か手掛かりを……あれは人を襲う怪物なんだろう! 村が襲われる前に、早く……!」

「……恐ろしい奴だよ、あの女は。きっと、俺達を例の怪物に喰わせるつもりだったんだ!」


 一人の言葉に、オリヴィアが無言で鎌を地面に刺した。この結界は音も漏らさない。だから聞こえることはないはずだが、その勢いのままオリヴィアが飛び出しそうになったために、パウはさっと片手で制する。


「サリタは、そんなことしない……」


 オリヴィアの巨体は震えていた。


「私と、サリタのこと、ばれちゃったんだわ……! サリタは、どこ……?」


 カマキリに似た怪物は、頭を動かして村を見据えた。

 そこに、弱々しくも、確かな声が響いた。


「――でも、殺すことはなかったんじゃないかな……」


 結界の中は、あたかも時が止まったかのように凍りついた。外の世界だけが、動く。一瞬の静寂が結界内に満ちる。耳鳴りにも似たその中に、外から声が響いてくる。


「馬鹿を言うな! 怪物と手を組んでた奴だぞ! あいつも化物だ!」


 若い男を、壮齢の男が怒鳴りつけていた。その背後からは、別の男が剣を雑に振り回し宙を斬りつつ、


「ま、殺すのはちょっと、と思ったけど、旦那の方は浮気してるんじゃないかって、そもそもおかしいと思ってたみたいだしな。それが怪物絡みだったのなら、浮気どころじゃないでしょう。おぞましすぎて刺してもおかしくないって」


 あ、結婚まだだったからまだ旦那じゃねえか。男はそう付け足して、まるで木の棒きれのように扱っていた剣を鞘に戻した。


 結界の中、誰も言葉を発せずにいた。

 彼の言ったことは、すなわち。結婚式が行われない理由は、つまり。


 ――精神の影響を受けて、結界が揺らぎそうになった。けれどもパウは耐える。耳にした事実が、嘘だと信じて。


 村人達は、この結界の存在や自分達に気付いていない。ここの調査を終えて、別のところに行こうとしていた。


 ところが。

 光が爆ぜた。大きな力が、結界にぶつかり爆発した。それは内側から。衝撃にパウは身構える。アーゼとメオリも目を瞑っていた。


 そして続いたのは、鋭い刃物が深々と地面に刺さった音。

 ――鎌を振り下ろし結界を破壊したオリヴィアが、口から涎を垂らしながら、村人達を見据えていた。


「サリタは、どこ?」


 涎は地面に落ちると、じゅうと燃え上がる。もうオリヴィアを隠すすべはなかった。村人達は突然現れた巨大な怪物に、顔を青ざめさせる。


「サリタは、どこ?」


 オリヴィアは繰り返す。溢れ出る涎のためか、それとも別の原因か、声がいびつになりはじめていた。青空の下、その巨躯の黒色は禍々しいほどに深くなる。


「――い、いたぞ! 怪物だぁっ!」


 誰かが声を上げた。それで村人達は我に返り、武器を手に取った。彼らの目に、パウやアーゼ、メオリの姿は映っていない。ただ目前に現れたおぞましい存在だけを映し、向かって行った。


「待て!」


 だから、すぐさま怒鳴ったアーゼの声は届かなかった。

 それは、オリヴィアにも。


 黒い一閃が宙を走った。オリヴィアの鎌の軌道。向かってきた男達を横に走ったかと思えば、その武器を斬り――男達の身体すらも、恐ろしいほど滑らかに切り分けた。

 一瞬にして辺りは血に染まる。大きな血の水溜りの中に転がるは、綺麗なほどに切り分けられ男達。


 生き残り達が腰を抜かす。それを前に、オリヴィアは耳をつんざくかのような、それこそグレゴのような怒声を轟かせる。


 もはや先程までの彼女の姿はなかった。

 目で捉えた人間に鎌を振り下ろし、斬り裂いていく。返り血を浴びるものの、身体の黒色は鮮血に染まることがない。


「――オリヴィア!」


 惨劇を前に、それでもパウは彼女の名前を呼んだ。


「オリヴィア!」


 けれども、いつかの夜のように、彼女には、否、それには声が届かず。


「――オリヴィア」


 青い蝶がパウの前に出て、名前を呼んでも。


 巨大なカマキリに似たそれは、羽を広げたかと思えば、震わせ、宙に浮きあがった。空を飛び、その姿は小さくなっていく。向かう先にあるのは、アニスト村。


「……村を、襲う気だ」


 茫然と呟いたのは、アーゼだった。すぐさまメオリが動く。


「追わないと! シトラに変身させる……」


 そう走り出した彼女は、ひどく困惑した顔で、泣き出しそうにも見えた。

 パウは村を見下ろし続けていた。


「オリヴィア……サリタ……」


 どうしてこんなことに。

 と、まるで顔を叩くかのような勢いで、ミラーカが不意に目の前に割り込んできた。


「早く行かないと」


 珍しく、彼女が焦っているようにも見えたが、パウには気にする余裕がなかった。

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