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贖いのオリキュレール  作者: ひゐ
第一章 蝶を連れた魔術師
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第一章(07) 絶対にここで

 ぎぃっ、と耳をつんざくような怒声が響いた。二人が顔を上げれば、怪我の全てが癒えかけたグレゴが怒りに涎を垂らしていた。ふらふらと宙を漂う。そしてまた、こちらへ風を切って突っ込んでくる。

 パウが転がるようにしてその場から距離をとる。アーゼも急いでその場から離れると、グレゴが真横を通り過ぎていく。だがグレゴは小回りをすれば、もう一度突進してくる。それは、パウへと向かって。


 パウはすぐさま赤く輝く小さな水晶をいくつも放った。しかし、その大半がやはり当てられず、命中しそうだった水晶もグレゴはすいすいと避けていく。

 だが一つが、グレゴの片目に突き刺さった。とたんに水晶は炎上して、グレゴの目を焼いた。グレゴはふらつき、軌道がそれてよそへと飛んでいく。それでも墜落することはない。速度はわずかに落ちてしまったが、低空飛行を続けている。


 そこへ走り出したのは、アーゼだった。片目が燃えていても、グレゴは先にアーゼがいることを認めれば、口を開けて飛んでいく。そしてアーゼもグレゴへと向かっていって。


 ――アーゼは宙で身をよじるようにして、剣を振るった。剣の赤い輝きは、風に遊ばれ巻かれる花弁のように煌めいた。


 すれ違い様に、グレゴの身体に、一線が刻みつけられる。血が噴き出す。それと同時に、剣の跡は赤々と燃え上がる。


 グレゴが悲鳴を上げて地面に転がった。傷からはあたかも血の代わりであるかのように炎が溢れ、巨大な蠅の身体を包んでいく。


 驚いてアーゼは振り返って、一瞬、何が起きたか理解できずにいた。グレゴを包む炎はゆっくりと消えていく。そしてその傷も、再生しつつあって、巨大な蠅は何とか起き上がろうとしていた。


 短く呼吸をして、アーゼは踏み込んだ。もう一度、剣を振るう。身体を起こそうとしていた脚を、二本まとめて切り払う。

 再び炎が上がった。まるで血を蒸発させるかのように、炎は音を立てて燃え上がる。


 巨体は再び地面に転がった。それでも、羽を震わせている――飛ぶ気だ。


「逃がさねぇ……っ!」


 その羽を切り落としてしまえば――剣を宙に滑らせる。

 しかし。


 がきぃん、と音がして、剣はグレゴの大きな口に噛みつかれ、受け止められた。慌ててアーゼは剣を引っ張ったが、グレゴは剣を放そうとしない。噛みついたまま、アーゼを押し返す。脚はまだ再生していないものの、それでもグレゴは残った脚と羽を使って、こちらを圧し潰そうとしている。


「そのまま!」


 パウの声が。


「そのまま……動くな……!」


 ――離れた場所で、パウが巨大な魔法陣を構えていた。まるで空気が凍っていくかのように、中央に巨大な水晶が現れていく。赤い、火の力を宿した魔法の水晶。


 不意に、強く押し込まれて、アーゼは体勢を崩した。前を見れば、血にまみれたグレゴがこちらを睨んでいた。それでも耐える。


「当てろよなぁ……っ!」


 パウを信じて。

 ついにパウの魔法陣が強い光を放った。赤い水晶は流星のように宙を駆ける。そして。


 ――赤い光が、グレゴの巨躯を貫いた。黒い影は地面に転がり、この世の生き物とは思えないような悲鳴を上げる。


 それと同時に、炎上する。巨大な蠅は白と鮮やかな赤色に包まれた。見上げたそこにある、晴天の鮮やかさと同じほどの、眩しさ。

 燃え上がったグレゴは地面でもがいていた。燃える傷や、切り落とされ半端な長さになった脚は、再生することなく、焼かれている。

 だが。


 ――吹き飛ばされるように、炎の勢いが弱まった。すっかりぼろぼろになったグレゴが、それでも羽を震わせていた。震わせて、大きく広げて。


 逃がすわけにはいかない――今度こそは。

 蛮声を上げて、アーゼはグレゴへ走り出した。地面を蹴って、跳ね上がって。

 魔法の炎の中を、駆け抜ける。熱が肌を撫でるが、気にとめない。


 そしてグレゴの透明な羽、片方を捕らえた。

 一瞬くしゃりと羽は縮んで、そこから柔らかく破れていった。ガラスのような羽は燃え上がる。

 グレゴが絶望の声を上げた。片翼を失ったグレゴは、バランスを崩して地面に横たわった。

 熱い炎の中を抜けて、アーゼは振り返ってそれを見た。


 これでもう、グレゴは動けない。怪我を見れば、再生は全く追いついていない。

 それでも。


「……は?」


 グレゴが浮上した。まだ残っている片方の羽と、切り落とされて根本しか残っていないもう一方の羽で、不器用にも宙に浮いた。その身体はまだ燃え続けている。けれども確かに、グレゴは飛んでいた。

 宙に上がれば、グレゴを包んでいた炎は消えていく。伴って、怪我の再生が加速する。傷が塞がり始め、脚も伸び始め、そして羽もまた広がり始める。


 アーゼが慌てて走って剣を振るうが、宙を切るだけ。グレゴはふらふらと、青空に吸い込まれるようにして浮かび上がっていく。


「――絶対に……」


 ――そのグレゴの頭上に、大きな魔法陣が花開いた。魔法陣から現れたのは、銀の水晶――杭。

 パウが、杖を投げ出して、両手を天に掲げていた。


「絶対にここで……仕留める……!」


 その手を、勢いよく、下ろす。

 飛ぶのに必死で、グレゴは頭上の杭に気付いてはいなかった。

 天から地へ、杭は落とされた。巨大な蠅を、穿って。

 そして――地上に打ちつける。

 多少、杭はグレゴの中心からずれていた。それでも。


 ――それでも、化け物は地面に落ちた。


 深く打ちつけられた巨大な蠅は、しばらくの間、まだもがいていた。やがてその動きは遅くなっていき、ただ黒い血溜まりだけが広がっていった。


「……」


 アーゼはその光景を、しばらく無言で見つめていた。我に返れば、離れたところで未だグレゴを睨んでいたパウへと駆け寄る。そうして二人並んで、またしばらくグレゴを見つめて。

 グレゴは弱々しくも、まだぎいぎいと声を上げていた。


「……何とか、なったな」


 ようやくアーゼは言葉を漏らした。

 と、唐突に金切り声を上げたかと思えば、グレゴは激しくもがき始めた。全身から流れ出るどろどろとした黒い血が炎を呑み込み消し、すると怪我は徐々に癒えていく。失われた脚や、羽も。杭もわずかに揺れ始める。

 すぐさまアーゼは身構えた。


「でもどうすんだよこれ!」


 そう、グレゴは不死身なのだ。


 ――ココプ村でも、こうして一度はグレゴを捕らえ、押さえつけられたのかもしれない。しかし不死身だからこそ、どうしようもなく、壊滅してしまったのかもしれない。

 終わりがないのだ。この巨大な蠅は、死を知らない。ただ喰らい続ける――。


 ……一歩、パウが前に出た。グレゴへと、進んでいく。


「おい!」


 とっさにアーゼはパウを止めようとしたが、


「下がってろ」


 パウはちらりと振り返って、グレゴの前へ。

 離れた場所にいたミラーカが、いつの間にかこちらまで来ていた。

 アーゼはただ、距離をとって、見守るほかなかった。


 ――だから、パウが何をしているのか、全くわからなかった。


「……ミラーカ、頼む」


 グレゴの前に立ち、そう言ったパウの声も聞こえなかった。

 呼ばれてミラーカは、ひらひらとグレゴへ飛んだ。グレゴが抵抗するかのようにまたもがく。しかしパウとミラーカは怯まない。


「……食べてくれ、ミラーカ」


 パウはグレゴを睨み続ける。そしてミラーカは、グレゴの頭にとまった。

 グレゴがふいにぴたりと動きを止めたのは、その時。

 静寂が訪れた。やがて、グレゴの身体が震え出す。


 ――その巨躯が、どろりと溶け始めた。


 腐ったような臭いが広がる。グレゴの全ては、その黒い血と混じって、液体となった。と、その液体もあっという間に蒸発していき、最後には、黒い染みだけが地面に残った。

 グレゴの消滅だった。


 青空は眩しく、緩い風が腐敗臭を薄めていく。


「――ふふ……」


 その風の中を、青い蝶は舞っていた。

 唖然として、アーゼは口を開けていた。


「……消えた……死んだ、のか?」


 あの不気味な怪物は。死を知らない化け物は。


「どうやって……?」


 どんなに怪我を負わせても、燃やしても死ななかったあの蠅は。

 自然と、アーゼは笑みを浮かべていた。そしてパウへと駆け寄れば、彼が驚いて振り返る――輝く耳飾り。『千華の光』の証。


 ばん、とアーゼはパウの肩を叩いた。


「よくわかんねぇけど……さすが『千華の光』だな……!」


 パウがいなかったら、どうなっていたことか。

 こうもグレゴを倒すことはできなかったかもしれない。倒せたとしても――殺すことは、間違いなくできなかっただろう。


「……これで、グレゴは死んだんだ」


 アーゼは繰り返し、目の前に広がる黒い染みを見つめた。


「……ココプはだめだったが……これでもう、ロッサは大丈夫なんだ……」


 もう故郷が襲われる心配はないのだ。

 グレゴは死んだのだから。


「……ああ、もう、大丈夫だな」


 隣に立つパウも、ふと笑みを浮かべた。


 ――しかし、その少し後、パウがわずかに俯いて表情に影を落としたことに、アーゼは気付かなかった。


 握ったままの剣が眩しくて、それだけを見つめていた。まるで、父親から褒められているかのように思えたのだ。

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