表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
贖いのオリキュレール  作者: ひゐ
第七章 霖雨の花畑
67/109

第七章(04) 私は……オリヴィア

 ミラーカが進む先、緑の木々の向こうに、暗闇が見えてきた。洞窟だ。パウとメオリは自然と足を止め、言葉なく見合う。

 恐らくあそこに。と、よくみれば、洞窟の前に人影があった。

 一人の若い女だった。籠を提げて、その質素な服装から、このあたりの人間だろうと予測できる。

 すぐに動いたのはメオリだった。


「すみません、あなたは? ここは、危ないですよ――」


 そう小さく声をかけながら寄れば、女が振り返った。急に声をかけられて驚いたのか、彼女は目を大きく開いて、


「来ないで!」


 次の瞬間には、鋭く叫んだのだった。

 彼女の様子は明らかにおかしかった。


「俺達は……旅の魔術師だ」


 パウが説明するものの、女は全く聞く耳を持たず、洞窟の傍に転がっていた長い枝を手に取ればぶんと振った。


「来ないで! あっちに行って!」


 思わずパウとメオリは一歩退く。安易に魔法で傷つけるわけにもいかなかった。彼女が何者であるのかわからない。


「ここにいる」


 と、彼女の背後を見れば、いつの間にかミラーカが回っていて、洞窟の方を見てふわふわと羽ばたいている。

 とすると、この女はもしかして操られているのか――パウは女と睨みあいながら考える。グレゴが人を操る、すでにゼフタルクで見てきたではないか。


 それにしても、やはり木の枝を構える女の様子は妙だった。ひどく怯えた様子で、困惑している。


「……その人達は、きっと、悪い人達じゃ、ないわ」


 不意に聞きなれない声がした。少したどたどしくも思わるその声は、不気味な響きを纏っていたものの、どうしてか悪意は感じられなかった。


 羽ばたいていたミラーカがはっとしたように一瞬羽を止めて、木の葉のように落ちていく。我に返ったのか、パウの肩へ戻ってくる。


「オリヴィア!」


 女が振り返り、洞窟へ叫ぶ。


 洞窟の闇が揺らいだ。陽の光が柔らかに差す外に、巨大な何かが這い出てくる。

 近くの鳥が羽ばたいて逃げる。茂みに隠れていた兎も走り出し、ところが彼らは、距離を置いたところで、洞窟から現れた闇を見つめる。


「……グレゴ」


 気付かないうちに、パウはそれを見上げて呟いていた。

 現れたのは、カマキリに似た巨大な何かだった。獣のような口と、巨大な黒曜石のような瞳のある頭。鎌になった前足一対。腹にあたる部分を見れば、桃色を帯びていた。


 間違いなくグレゴ――それも恐らく、共食いをし進化したグレゴだった。

 ところが。


「こんにちは、私は……オリヴィア」


 彼女は名乗る。それは何かの真似ではなく、自身の意思で。

 巨大なカマキリは、パウの肩にとまる青い蝶を見据えていた。


「あなたも、なのね」



 * * *



「この子はサリタ。近くの、アニスト村の子で、友達、なの」


 オリヴィア、と名乗った進化したグレゴは、最初に木の枝で威嚇してきた女をそう紹介した。サリタはパウとメオリを警戒したままで、未だに木の枝を持っている。


 一方、パウとメオリも警戒したままだった。目の前にいるのはグレゴで間違いがなかった。風が吹けば木漏れ日が揺れ、鳥の鳴き声が運ばれてくる。獣の足音も聞こえ、森の中は温かく穏やかだった。だがグレゴの漆黒と、その巨大な口は紛れもなくそこにある。あたかも奇妙な夢にも思える。いい夢なのか、悪夢なのかもわからない、奇妙すぎる夢だ。


「あなた達は……?」


 カマキリに似たグレゴは、その複眼で二人の魔術師を見下ろす。どうしたらいいのかわからないパウに代わってメオリが前に出た。


「私は……メオリ。こっちはパウと、ミラーカ……」


 けれども彼女も、まるで言葉が通じるのかどうか試すかのように戸惑っている。


「お前は……グレゴ、なのか?」

「グレゴ……?」


 オリヴィアは首を傾げる。獲物を狙っての動きではなく、まさに人間のような仕草だった。尋ねるようにサリタを見るが、サリタも頭を横に振る。


「よくは、わからないわ……でも、なんだか懐かしい気がする……」

「一体……一体どういうことなんだ?」


 メオリはパウへと、半ば叫ぶように尋ねる。しかしパウにもよくわかってはいなく――否、反射的に考えることを否定してしまって、顔を青ざめさせていた。

 けれども。全てを受け止めると、決めたから。

 胸中で滲み出た恐怖が消えていく。


 ――グレゴとは、元は人間だ。

 彼らは人の姿から怪物の姿にされてしまった者達だ――自分の研究の成果によって。


「……オリヴィアと言ったが、その名前は?」


 パウは巨大な影を見上げる。対してオリヴィアは、


「私の、名前よ。こんな姿に、なる前の……ああ、私は、元々人間だったの」

「……記憶が、あるのか」


 やはり、そういうことなのだ。

 彼女はミラーカと同じ。人間だった頃の記憶や心を取り戻したグレゴだ。

 パウの言葉に、オリヴィアはまるで手で口を覆うかのような仕草を見せた。しばらくの間固まって、やがて気付いたかのようにサリタを見れば。


「サリタ、そろそろ帰らないと、じゃない?」

「えっ、でもオリヴィア、この人達……」

「大丈夫よ、ほら、だって、いまだって。それよりも……あなた、早く帰らないと、みんなが心配してしまう、わ」


 そう言われたものの、サリタはパウとメオリを睨みつけて、そしてまたオリヴィアにごねるように言い返す。対して、オリヴィアは大丈夫だから、と繰り返すのだった。

 オリヴィアとサリタのやりとりはしばらく続いた。魔術師二人の目には、そのやりとりは喧嘩をしているというよりも、仲がいいからこそ衝突しているように見えた。


「サリタ……ごめんなさい。あなたは、早く帰ったほうが、いいわ。それに、私は、この人達と、少し話がしたいから……」


 やがてオリヴィアが懇願すれば、ようやくサリタは納得したようだった。


「オリヴィアに何かしたら、許さないからね! 騎士団や傭兵に悪者だって言ってやるんだから!」


 サリタの胸元で、白い石のついたペンダントが跳ねる。そうして、ようやく彼女は去っていったのだった。


「……ごめんなさい、あの子、私を心配している、だけで……でも、聞かれたくない話かも、と思って」


 ほどなくして、改めてオリヴィアは二人の魔術師と、青い蝶を見下ろす。


「あなた達は、私について、何か知っているみたい、ね」

「……お前が元人間だったことも、芋虫の姿だったが蠅の姿になったことも……」


 パウが唇を舐めて答えれば、サリタはわずかに身を低くした。


「芋虫と……蠅……少しだけ、憶えてるわ……あまり思い出したくない……」

「思い出したくないことは思い出さなくていい」


 メオリが凛とした声で言い放つ。オリヴィアは静かに頷いた。メオリは続ける。


「ただ、どうして蠅からいまの……その、失礼かもしれないけれど、そのカマキリみたいな姿になったのか教えてほしい……共食いをすると進化するって、パウから聞いたけど」

「大きな蠅、を食べたのは憶えてる……その後、身体がおかしくなった、ことも……」

「食べた蠅は、一匹?」


 問いにオリヴィアは頷く。次はパウが尋ねる。


「その時に……記憶も戻ったのか?」


 その質問には、オリヴィアは頭を横に振った。


「私が、私に戻ったのは、サリタに出会ってからよ……あの子の『白月のペンダント』を見てから……」


 そのペンダントについて、パウはよく知らなかった。と、今度はオリヴィアが尋ねる番だった。

 オリヴィアは鎌をゆっくりおいて、巨大な複眼に、どこか柔らかさを宿しながら言ったのだった。


「あなた達は、もしかして、私を退治しに来た……?」


 パウとメオリは、すぐに答えられなかった。

 そのつもりできた。そのために来たのだ。

 しかし彼女は、こうも話し、こうも心を持ち――紛れもなく「元人間」だったのだ。


「蝿の頃に、ひどいことを、いくつもしたから」


 答えられずにいたものの、サリタは見抜く。するとミラーカがふわりと舞い上がって。


「あなたを食べにきた」

「――待ってくれ! 私には……私には、何が正しいのかわからない……」


 ミラーカを制するかのように、メオリが叫ぶ。幸い、ミラーカにその意思はなかったらしく、ただパウの周りをふわふわと羽ばたいていた。


 パウにも、どうしたらいいのかわからなかった。

 彼女はグレゴで。けれども記憶と人の心を取り戻していて。

 姿は紛れもなく怪物だが、ミラーカと同じだ……。


「お前は、もう人を襲う気はないのか?」


 とりあえずは確認してみる。もし無害なら、それでいいのではないだろうか。

 しかし、ミラーカは許すだろうか。

 力を求めてグレゴを喰らう彼女は、オリヴィアを見逃すだろうか。 


「ないわ」


 オリヴィアの答えは。


「……でも、してきた。どうしようもなく、してきた」


 漆黒のカマキリの身体が震える。まるで泣いているかのようだった。だがやがて止まり、


「けれども、あなた達は、私を迎えに来た、のね……よかった」


 変わらず不気味な声だったが、深い安堵が溶け込んだその声は、光を前にしたようだった。

 風が吹いて、木の葉を舞い上がらせる。静かな森は、どこまでも穏やかだった。


「私達は、共食いによって、死ねる、のかしら。もしその子が私に、死を与えられるというのなら、私は喜んで、食べてもらうわ」


 オリヴィアは、決して鎌でミラーカを指さすようなことはしなかった。


「死にたくても、死ねないの。だから……私は、終わりにしたいの」


 ただ非常に落ち着いて、そして心穏やかに、青い光を見据える。


「……いまは私でいられる。でも……不安、なの、また忘れるんじゃないかって」


 しかしオリヴィアのその言葉は、自ら死を選ぶ、そのことに違いなかった。

 そして自分達が彼女を殺すということでもあり、パウはさらに困惑していた。


「それで……それでいいのか!」

「ええ……いますぐ、じゃないわ。サリタの結婚を、見届けてからに、してほしいの」


 そういう意味で尋ねたわけではなかったが、不意にそんなことを言われてしまえば、パウはきょとんとしてしまう。


 結婚式を、見届けてから?


「あの子のペンダントを見て、心を取り戻したの」


 巨大なカマキリは、彼女の去ってしまった向こうを見つめる。のどかな村が、木々の隙間から見えた。


「私も……結婚式を、前にしていたから……あの子の、結婚式を挙げた証のペンダントを、見たい」


 カマキリに表情はない。どこまでもそれは怪物の顔だった。

 だが、確かにオリヴィアはその時、微笑んでいた。


「きっと、それで、報われるから」


 そこにいるのは、間違いなく、一人の女だった。


 ――ぴい、と甲高い声がする。シトラの声だ。そして草木を分けて進む足音が。


「なんでこんなところに移動してんだよ……ちょっと寂しくなっただろ」


 アーゼだった。サリタがいなくなった後、シトラを元の待機場所に送って、アーゼが戻り次第ここに案内するよう、メオリが指示を出していたのだ。

 オリヴィアの姿を見て、すぐさまアーゼが剣を抜いた。しかし同時に、パウとメオリが制する。


「落ち着け……このグレゴは……攻撃してこない」

「オリヴィアっていうんだ、人間の頃の記憶があるみたいなんだ」

「……えっ? ええ?」


 アーゼはひどく不可解だという顔を浮かべる。最初、自分もこんな顔をしていたのだろうと、パウはふと思ってしまった。仕方がない、まさかそんなグレゴがいるなんて、自分も想像していなかったのだから。


「こんにちは……オリヴィア、です」


 オリヴィアは淑女のように名乗り、かすかに身をかがめた。その姿にまるでスカートの裾を持って挨拶する女を彷彿させたが、オリヴィアは自らの鎌が武器であると知っているらしく、腕を一つも動かさなかった。そうして敵意がないことを伝える。

 アーゼは口をぽかんと開けて彼女を見上げていた。


「アーゼだ……お前は、いいグレゴなのか? いや、なんか、悪い言い方をしたな……」


 ――次の瞬間、申し訳なさそうな顔をしたアーゼの顔が、凍りついた。瞳を大きく開いて、何かを見つめる。


「……あなた、は」


 同時に、オリヴィアも何かに気付いたかのようにアーゼを見つめて、


「い、いえ……何でも、ない、わ」


 つと顔をそらしたものの、アーゼは何かを見つめたままだった。


 そうしてパウも、ようやく気付く。アーゼが見ているものについて、ちらりと見えたオリヴィアの背に、何かがあることについて。


 ――肉に埋まり、また覆われつつあるようだが、剣の柄らしきものが、そこに見えた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ