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贖いのオリキュレール  作者: ひゐ
第一章 蝶を連れた魔術師
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第一章(06) 剣を貸せ



 * * *



 空はよく晴れていて、透き通っていた。


 ――しかしその下にあるココプ村は、ひどく荒れ果てていた。


 ひっくり返されたかのような畑。倒壊した家畜小屋。燃え落ちた家々の跡。かつて憩いの場であったであろう村の広場も、すっかり乱されて――大量の血の染みがあった。

 そして居座るようにして満ちている異臭。血の臭いはもちろん、何か腐ったような臭いもする。

 死の臭いといってよかった。


「……こんなに血の跡があるのに、死体が一つもない」


 気付いて思わず呟いたアーゼの声は、震えていた。

 足下を見れば、いくつもの武器が転がっている。どす黒い血に汚れ輝きを失った剣、折れた槍。そのほかにも、錆びた鍬やスコップといった農具まである――ココプ村の人間は、皆力を合わせて戦っていたのだ。


 その村の人間が、いまはどこにもいない。死体すらも、ない。

 淀んだ空気に、アーゼは吐き気を堪えた。


「く……喰われたのか? 全員……?」


 気味の悪い悪夢の中にいるようだった。


 けれどもパウは、先を進んでいく。相変わらず足取りは遅いものの、村の奥へと進む。

 それは、あの青い蝶、ミラーカが先へ先へと飛んでいくからだった。


「この先……この先にいるよ……」


 ミラーカはどこか慌てた様子で先を急ぐ。昨晩の警告といい、ミラーカには、どうやらグレゴの気配がわかるようだった。

 この先にいる――自然とアーゼの足取りは重くなっていく。

 全てが夢であってほしかった。悪い夢。


 しかし、夢ではないから。祈っているだけでは、そのうちロッサ村も襲われてしまうかもしれないから。


 穏やかな村の風景が思い浮かんだ。せっせと畑仕事をする母親の姿も。そして子供の頃に亡くした、父親の笑顔も。


 無意識に剣の柄に手が伸びた。顔を上げる。血で汚れた道を踏みしめ、異臭に分け入るかのように進む。


 ここで逃げ出して、全てをパウに託すこともできたかもしれない。

 だが彼がいるからこそ。


 村の奥に進むほどに、異臭は強くなってきた。それでもミラーカは、羽ばたいていく。パウも警戒しているのか、足音を殺して続く。アーゼも息を呑んで続いた。


 そうして見えてきたのは、巨大な穴だった。

 倒壊した家に埋もれるようにしてできた穴。それはまさに巣穴のようで、中を覗けば闇だけしか見えなかった。


「ここ」


 最後にミラーカはそう言って、パウの肩に留まった。パウはそっと巣穴を覗き込むが、中から何かが飛び出してくる様子は一切なかった。


「……巣穴、作るんだな、へぇ」


 どこか興味深そうにパウはぐいと身を乗り出して闇を見つめる。アーゼも隣に並んで、恐る恐る巣穴を覗いた。どこまでも続いている黒色。飢えて、全てを吸い込もうと、大口を開けている。奥から気持ちの悪い風が吹いてくる。


「――な、何か、投げ込んで、みるか?」


 アーゼは作り笑いを浮かべながら瓦礫を手に取ったが、その声は裏返ってしまっていた。パウがちらりと振り返ったものの、頭を横に振る。そして巣穴に手をかざせば、


「魔法の方がいいだろ?」

「当たるのか?」


 決してからかった訳ではなかった。再びパウはアーゼを見る。アーゼはひきつった笑みを浮かべたまま。そして瓦礫を捨て、今にも剣を抜こうとしている手は、ひどく震えていた。


「――やるさ」


 と、何か言われる前にアーゼは。


「ここまで来たんだ。俺は逃げないし……お前一人に任せない」


 震えを抑え込んで、ついに剣を抜いた。

 そしてもう一度、ひきつった笑みを浮かべたのだった。


「お前……身体ぼろぼろだし、魔法当てるの下手だし、そんなに強くないみたいだからな! 俺も手伝ってやるよ!」


 そんなアーゼに、パウは何も言わなかった。ただ見つめて、黙り続けて。

 果てに、パウは巣穴へ顔を向けた。眼鏡の奥、唯一見える片目で、闇を睨んだ。


「……準備はできてるか?」

「……ああ」


 アーゼは剣を構える。ミラーカがふわりとその場から離れた。


 そして、パウの構えた手の先、魔法陣が大きく展開していく。


「――いくぞ」


 放たれたのは、白い光球。風を切って深淵へと飛んでいく。だが闇を照らすことはできない。光球は、闇に沈むように呑まれていく――。


 巣穴から風が吹いてきて、髪や服の裾がふわりと舞った。


 底で光が炸裂した。


 何かに当たった。


 ――奈落の底から、耳をつんざくような悲鳴が響いてくる。それは沸騰するかのように昇ってくる。


 ばっ、と、巣穴から黒い影が飛び出した。黒く、巨大で、太陽を覆い隠すかのようなそれ。遅れてきた風にアーゼとパウはわずかに煽られるものの、それでも空を見上げた。

 そこにいたのは、間違いなく昨晩襲ってきたグレゴだった。先程の攻撃がしっかり命中したのか、黒い血を身体から滴らせている。それよりも、あのおぞましい口から、怒り狂ったかのように涎を垂らしていた。


 夜に見たときよりも、その姿がおぞましく見えて、アーゼはぶるりと震え上がった。グレゴは二人に気付けば、急降下してくる。大口を開けて。羽をうるさいほどに羽ばたかせて。


 パウがマントを翻して、その場から離れた。しかしアーゼは、その場から動かなかった。


 剣を握れば、震えが止まった。


 ――やるんだ。


 構える。向かってくる巨大な蠅を見据える。

 弱らせれば。動きを止めれば。そう言っていた。

 相手は素早い。だから狙うは――脚。羽。

 息を吸い込む。目を見開く。

 ――風を感じた。

 瞬間、アーゼは踊るように身を翻した。

 剣の輝きが舞う。黒色をからめ取る――切り裂く。


 ――黒い血しぶきと、グレゴの脚二本が青空に舞った。


 悲鳴が響いて、グレゴの巨体がずしゃりと地面に落ちた。

 そこに、パウが魔法を撃ち込む。放たれたいくつもの水晶が敵めがけて飛んでいく。


 けれども水晶の大半はグレゴに刺さらなかった。地面に刺さって、消えていく。その間に、グレゴは再び羽ばたいて宙へ飛んでしまって。


「……へったくそぉっ!」


 思わずアーゼは怒鳴った。慌ててグレゴを追って剣を振るったが、宙を切るだけ。


 パウは続けて魔法を放つ。だがグレゴは宙ですいすいと避ける。そしてその間にも、切り落としたはずの脚が再生していく。噴き出した血が形を作っていくかのようだった。

 グレゴは宙を舞いながらパウへと迫っていく。このままでは――アーゼはパウへと走り出した。


 だがその時、不意にグレゴが旋回した。こちらへと向かってくる。

 突然のことに、アーゼは避けられなかった。その口、牙こそは避けられたものの、体当たりを食らって倒れてしまった。


 グレゴは止まらない。そのまま、今度はパウへとまっすぐに突っ込んでいく。パウは魔法で迎え撃つ。しかしやはり当たらない。放った水晶はグレゴにかすりもせず、瓦礫の山に埋まった。

 地面に手をついて身体を起こそうとしていたアーゼは、ふと、思い出した。


 ……足が悪いだけではない。パウは片目が見えていないのだ。それも、あの口振りから考えるに、おそらく最近から。

 だから、当たらないのだ――当てられないのだ。


 寸前まで距離を詰められて、パウが表情を歪めるのが見えた。その姿は光に包まれて消える。瞬間移動魔法。グレゴはパウがいた場所を、低空飛行で通り過ぎていく。だが反るように翻ったかと思えば、ぱっと現れたパウめがけて、真っ逆さまに落ちていく。あたかも、獲物を頭から喰らおうとするかのように。

 グレゴを見上げたまま、パウが避けようと退く。その手に、新しく魔法を構えながら。だがその時だった。


 パウの足がもつれた。そして尻餅をついた。

 ――足が悪いためだった。


「おい!」


 半ば悲鳴となった怒声を上げて、アーゼは走り出す。しかしその前に、グレゴは降ってきた。


 幸い、グレゴはパウではなく、パウの目の前に落ちた。その口で、抉るように土を喰らい、けれども吐き出しながら改めてパウを認めれば、今度こそはと口を大きく開く。


 刹那、細い銀の光がグレゴの顔を切り裂いた。両目を横に、一線。グレゴはぎぃっと悲鳴を上げる。涙のように血が流れた。


 パウの手を見れば、細い剣が握られていた。杖から抜いた剣だった。グレゴが怯んだ一瞬に、彼は瞬間移動魔法で距離をとる。

 だが再び姿を現したパウは、疲れ切った様子でその場に膝をついた。


「パウ!」


 アーゼはパウの前に立てば、グレゴと対峙した。パウは息を乱しながらも、剣を仕込み杖に戻せば、ふらふらと立ち上がる。


「大丈夫だ……来てるぞ!」


 アーゼが安心したのも束の間、パウの声で正面を見れば、グレゴがこちらに飛んできていた。さっと避ければグレゴは宙を喰らう。その、歯と歯がぶつかる音。脚を見れば、先程切り落としたはずの二本はすっかり元通りになってしまっていた。


 再生能力は早い。それでも。


 声を上げて、アーゼは剣を振るった。刃がとらえたのは、グレゴの身体。深々と切り裂いていく。

 と、グレゴは痛みにもがくかのようにして、身体を震わせた。勢いのままにアーゼは剣を振るえば、もう一度、グレゴの脚の一本を切り落とす。


 しかしグレゴは、怪我を気にしなかった。身を乗り出すようにして、アーゼに噛みつく。とっさにアーゼは身を引いて避けたものの、その間にも、グレゴの身体の傷は癒えてしまっていた。脚も、血が元の形を作っていく。


 きりがない。絶望に心臓が掴まれる。


 風を切る音がした。宙を駆けてきた煌めきが、グレゴの身体に突き刺さる。それはパウの水晶だった。先程のもののように、白くはない、赤い。水晶はそのままグレゴを突き飛ばし、地面に転がした。と、グレゴの身体は白と赤の炎に包まれる。


 ぎいぎいと、グレゴは燃えながらも悲鳴を上げている。だが火は徐々に治まっていき、焼け焦げたグレゴの姿が現れる。

 その隙にアーゼはパウへと駆け寄った。


「なあ! あれ本当に倒せるのか……? 再生が早くてきりがない……!」


 言葉の最後は、泣き言のようになってしまった。

 パウはグレゴを睨み続けていた。グレゴはもう燃えていなかった。魔法が突き刺さった傷、火傷はあるものの、それも治ってきている。


「……火は効くのか?」


 ふと、パウが口を開いた。言われてアーゼが改めてグレゴを見れば。


「……再生がちょっと遅い?」


 全身が燃えたためだろうか。確かに、グレゴの火傷の治りは遅く見えた。その上、焼かれた傷の治りも遅く思える。


「――再生は無限だが、体力は無限じゃない」


 パウは目を鋭く輝かせた。


「再生を繰り返していれば、体力が追いつかなくなるはずだ……そうしたら、再生は遅くなる。そこを狙うんだ……剣を貸せ」


 パウはアーゼの剣を持つ手をぐいと引っ張れば、その刃を手で撫でた。すると剣に巻きつくかのように魔法陣が現れ、刃は赤い光を宿していく。


 それは、先程パウが放った炎の水晶と同じ輝き。


「そこらへんの剣じゃ、魔法は施せない……相当いい剣じゃないと」


 パウが顔を上げる。


「お前、腕は悪くないし、なんだかんだ度胸もある……見ての通り、俺はなかなか魔法を当てられない……頼むぞ」


 剣はほのかに温かさを帯びていた。火の温かさ。魔法の温かさ。

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