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贖いのオリキュレール  作者: ひゐ
第五章 神亡き闇にて
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第五章(11) 俺はもう、あんたには、従わないぞ

 またパウが気を失ったものの、ベラーはもう起こそうとは思わなかった。これ以上続けると、精神と魂に、後に残る影響が出てしまうかもしれない。死ぬことはない拷問の方法だったが、壊す可能性はある。

 怪我によりすでに魔術師としての腕が落ちてしまっているようだが、精神と魂に治すことのできない影響が出てしまえば、才能は完全に腐ってしまう――なくすには惜しい逸材だった。


「……今日は、ここまでにしようか」


 椅子に掛けてかけてあった彼のマントを持ってくる。指を軽く振れば、パウを磔にしていた魔法陣が消え失せた。とたんにパウは崩れるように落ちかけるが、ベラーは素早くその身体を支え、マントで包めばそっと床に座らせた。乱れた彼の髪を整え、ぐちゃぐちゃになった顔を軽く手で拭ってやる。


 この魔法道具の効果は明日まで続く。パウは明日になるまで、染みついた痛みに苛まれるのだろう。そしてまた次の拷問で、恐怖と痛みを刻んでいくのだ。

 自然とベラーは笑ってしまっていた。自分が思っていた以上に楽しんでいたことに気付き、溜息を吐く。


「まったく……手のかかる弟子だね」


 思わず軽く抱き寄せて、頭を撫でた。

 ――しばらくそうしていると、やがてパウがかすかな声を漏らして身動ぎした。どうやら、意識が戻ってきたらしい。パウを静かにおいてベラーは立ち上がれば、テーブルにあった水差しからグラスに水を注いだ。それをパウの口元へ持っていく。散々叫んで泣いていたのだ、少しずつ、慎重に飲ませる。


 かすかに開いた赤い瞳は、まるで微睡んでいるかのようだった。水を与えれば、安心を覚えたかのように閉じる。向かって顔の左側は、目を中心にすっかり黒色が沈み込んでいた。パウは抵抗することなく、与えられるがまま、水を飲んでいく。身体を動かす気力がない以前に、蝕む痛みによって、腕を上げることもままならないのだろう。

 けれどもわずかな光を取り戻した瞳は、怯えたようにベラーを見上げる。


「今日は終わりだよ、パウ。大丈夫」


 苦笑し、ベラーはよりパウを抱きしめて、その頭を撫でる。パウが呼吸する度に、酷使された喉が弱々しく鳴るのが聞こえた。少しやりすぎたかな、と思うものの、されるがままぐったりと身体を預けてくる様子に、一つの満足を覚える。


「今日はもう休もう……そして明日また、頑張ろうね……明日は、上手に話してほしいな」


 優しく囁けば、弟子は言葉にならない声を漏らす。だからベラーは、うんうん、と相槌を打って続けた。


「パウ……君はいい子だから、話せるよね?」


 返事はなかった。だた彼は人形のように身体を委ねたままだった。


「パウ、思い出せない、わからないのなら、一つ一つ思い出していけばいいのだよ……私は蝶化グレゴについて知りたい。再現もできることならしたい……協力してくれるかな?」

「――し、しょう」


 彼の声はすっかり擦れてしまっていた。まるで迷子になった子供のような声だった。


「パウ、君は私の優秀な弟子」


 言い聞かせる。思い出させる。


「できるよね? 私のために、また頑張ってくれるよね?」

「……」


 パウは何も答えなかった。ただ縋るように、少しだけすり寄って来たように思えたものだから、ベラーは続ける。


「君が協力してくれたら……私も君に、ひどいことをしなくて済むんだよ。だから、どうか」


 けれども。


「……あんたは、もう、師匠じゃ……ない」


 痛みで動かせるはずのない手。震えるその彼の手が、ベラーの胸ぐらを掴んでいた。


「俺はもう、あんたには、従わないぞ、ベラー――!」


 彼はもう、身体が動かせないはずだった。精神だってひどく疲弊しているはずだった。


 しかしそのぎらつく赤い瞳。怒りを燃やした形相。

 予想外であり、またひどく懐いていた彼からは想像のできなかった表情で、ベラーは驚きを隠せず瞬きをした。


 ――直後に轟音がして、衝撃が部屋を襲った。魔法の光が室内を眩しく照らす。

 その中でパウの両手が、強くベラーを突き飛ばした。

 赤い瞳は変わらず鋭く、意思を燃やしていた。



 * * *



 このまま考えるのを止めてしまいたかった。

 自分を裏切り、また苦痛を与えたのはこの男であるにもかかわらず、こうして抱きしめられ頭を撫でてもらっていると、妙に安心する。

 ああ、昔も、こうしてもらったっけ。


 ――もし、自分が全て喋ったのならば。

 師匠の役に立てる? また褒めてくれる?

 出会ったあの日、手を繋いで歩いた記憶が浮かび上がる。


 ……ああ、でも。


 ――パウ。


 声が聞こえる。自分を呼ぶ声が。

 美しく、しかし恐ろしいほどに深い青い輝きが、頭の中を満たしていく。


 ――いま行くわ。


 約束した。

 彼女と約束したのだ。

 自分を救い、罰してくれる、青い光と。


 ……まるで細い針が外からも内からも突き刺しているかのような痛みがある腕。それでも動かして、目の前の人物の胸ぐらを掴む。

 強く。抗うように。


「……あんたは、もう、師匠じゃ……ない」


 いつも微笑んでいた。驚いた表情は、珍しく思えた。


「俺はもう、あんたには、従わないぞ、ベラー――!」


 その顔に怒鳴ってやる。宣言してやる。


 ――轟音と衝撃が襲いかかってきたのは、その直後だった。魔法の光が部屋を満たす。乗じるようにして、パウはベラーを突き飛ばした。


 魔法の光の中、空の青色が見えた。壁に大きく穴が開いていた。二つの人影が、外から飛び込んでくる。そのうち一つ、剣を手にしたものが叫ぶ。


「パウ!」


 アーゼは、壁際でぐったりしているのがパウだと認めると、すぐに駆け寄ってきた。彼はパウの顔や身体に黒色が沈み込んでいるのを見て、顔を歪ませる。と、その後ろから、もう一つの影がやって来て、パウは目を疑った。


「なんだこれは……何の魔法だ……」


 メオリ。何故彼女がここに。しかしそこまで考えたところで、思考に靄がかかり始める。

 ミラーカの声に一度は意識が覚醒したものの、もう限界が近かった。


「おや、お前か……」


 アーゼとメオリの背後で、ベラーが立ち上がる。その姿を認めたとたん、アーゼは険しい表情で剣を構えた。


「よくも俺達を騙したな……! デューの魔術師だなんて、嘘を吐きやがって!」


 アーゼは怒りのままに走り出し、ベラーに向かって剣を振るった。しかしベラーの姿は瞬間移動魔法で瞬くように消え、離れた場所に現れる。


「君達は……都合よく動いてくれてよかったよ」


 ベラーは手を構えれば、魔法陣を出現させる。


「けれどもまさか、追ってくるとは……君達は用済みだよ。それと、パウを返してくれないか?」


 魔法陣が輝き、黒い水晶が放たれる。メオリは顔を青くさせたものの、アーゼは退かなかった。剣を振るって、水晶を叩き落とす――。


 ぎぃん、と、断末魔が上がった。それは黒水晶が砕けた音ではなく、アーゼの剣が折れた音だった。

 幸い、剣によって軌道がずれたため、黒水晶がアーゼに刺さることはなかった。だが衝撃にアーゼの身体は吹き飛ばされ、壁に背を打ちつける。剣を手放してしまう。跳ねるようにして、そのまま床に倒れ伏す。けれどもすぐに両手をついて身体を起こそうとするが、ベラーはすでに二撃目の魔法を構えていた。魔法陣が広がる。中央に黒い水晶が生まれる。


 その時、青い光が宙に飛び出した。

 まるで三人の盾になるかのように飛び出したその蝶は、より一層激しい輝きを纏えば、羽の端からどろりと溶け始めた。液状化し始めた羽は、糸のように蝶を包んでいく。


 ミラーカは何かしようとしていた。その溶けていく様は、アーゼとメオリに、空にできた花の道が溶けていった様を思い出させた。


 しかし間に合わなかった。

 光を反射することのない、闇色の水晶が放たれる。その先端が青い蝶を貫いた。


 アーゼとメオリが短い悲鳴を上げる。青い光は弾けて消える。蝶の細い身体は裂かれてしまった。薄い羽も衝撃に千切れてしまっていた。青色は彩度を失い、美しかった蝶は枯れた花のように落ちていく――。


「青い蝶」


 宙でばらばらになってしまった青色。その正体に気付いて、ベラーが片手を伸ばす。

 だがその指は、青色に触れることもなかった。

 何故なら。


「――ミラーカ」


 見るも無残な姿になってしまったそれに、黒く染まった両手が差し出される。


「ミラーカ……!」


 パウが両手で包むように、蝶の残骸を受け止めた。そして抱きしめるように胸の前に持っていき、目を閉じる。

 その様子を、ベラーは言葉を失って見つめていた。


 ――誰よりも早く我に返ったのは、メオリだった。


「――何やってるんだ!」


 壁の穴から激しく風が吹き込む中、メオリの怒声が響く。彼女はパウを小脇に抱えれば、次に、立ち上がったアーゼの襟首を掴む。

 そして転がるように、壁の穴から外へと飛び出した。空の冷たい空気が三人を包む。重力に従い、落ちていく。


 はるか上空。アーゼが悲鳴を上げていた。しかしその下にシトラが滑り込めば、自身を中心に球体状に魔法の風を放つ。その風に、落下していた三人は受け止められる。疑似的な無重力の中、メオリはパウをアーゼに押し付け、シトラにまたがる。アーゼも我に返って、パウを抱えるように支えつつも、メオリの後ろに乗った。

 三人が乗った瞬間、シトラは勢いよく駆けだした。


「シトラ、お願い! 速く、速く……とにかく逃げるんだ!」


 必死の主に急かされて、四足の鳥は嘶きより羽ばたく。と、彼女はアーゼへ振り返り、風に負けない程の大音声で怒鳴る。


「パウを見つけたらすぐに逃げる! そう言っただろ!」

「ごめん」


 アーゼは謝るしかなかった。ベラーを見た瞬間、許さずにはいられなかったのだ。そしてまさか一撃で剣が折られるとは、思ってもいなかった。

 メオリは後方を確認すれば、更にシトラを急かす。


「一番会いたくない相手がどうして……! 追ってきてない? もし奴が魔法を放ってきたら、シトラが消されちゃう……! ああお願い、シトラ、頑張って急いで……!」


 主はひどく焦っているものの、そんな彼女を励ますかのように、シトラは勇ましく鳴く。そしてより力強く羽ばたけば、巨大魔力翼船から距離をとる。


「……パウの様子は? それから青い蝶は?」


 焦ってはいるものの、メオリは再び振り向く。


「……多分気を失ってる。でもこれは……何なんだ?」


 アーゼがパウを見れば、パウは目を瞑って、苦しそうに表情を歪めていた。その顔の半分は黒く、また手や腕、見える肌にも黒く焼けたかのような跡がある。出血はないようだが、恐らくこの黒色が彼を蝕んでいるのだと察する。

 そしてばらばらになってしまった青い蝶はどうなったのかと、アーゼがパウの手を見れば。


「……元通りになってる」


 包むようにあわせられていた両手。そこから触角が出てきたかと思えば、完全な姿でミラーカが這い出てくる。身体は元に戻っていて、翼にも破けた箇所はなく、青色に曇り一つない。

 ミラーカは風に飛ばされないようにしがみつきながらも、パウの胸元まで這っていた。辿りつけば、ふわりと光を放つ。何かしている。その光、青い羽が時折黒くなる。それと共に、パウの身体にあった黒色が消えていく。


「吸ってるのか……」


 アーゼは唖然としてしまった。

 やがてパウから、黒色が全て消え去った。表情もいくらか柔らかくなったものの、彼は未だに目を覚まさなかった。ミラーカも胸元にとまったまま、そこから動かなかった。


 そして、追手の姿も見られなかった。巨大魔力翼船は小さくなって、空の彼方に消えていった。

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