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贖いのオリキュレール  作者: ひゐ
第五章 神亡き闇にて
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第五章(08) 俺はベラーさんの弟子になれるの?



 * * *



 よく晴れた日だった。まるで羽ばたく鳥を愛し祝福するかのように、その日の空も青く澄み渡っていた。


 思い返せば、空というのは、地上の惨劇を嘲笑うかのように、そういった日に限っていつも晴れていた。

 誰かが言っていた――神は去った。神をなくしたこの世界で、悲劇が起きていることも知らずに。我々は見捨てられたのだ、と。


 ……聞こえる声が肌を刺し、胸を貫いていく。


「それで、あの強盗は捕まったのね」

「あの家って、確かまだ十歳にもなっていない子供が一人いたはずだが……」

「魔法の才能がある子でしょう? 魔術文明都市にもう行ったんじゃないの? 殺されたのは、あのお宅の奥さんと旦那さんだけだって聞いたわよ」

「……魔法が使えるのに、クローゼットに隠れていたらしいよ」


 大陸西『赤の花弁』地方。栄えていると言うには足りず、かといって田舎とも言い切れないその村。取り柄の一つであった平穏が乱され、人々は集まってはひそひそと会話をしていた。


 そのため、村から出て行く小さな人影に、誰も気付かなかった。


 ――村に漂う声から逃げたくて、幼いパウは森の中に入る。よく両親に「森は危ないからあまり行かないで」と注意された。けれども注意してくれる人はもう誰もいない。


 進んだところで倒木が見えてきた。パウはそこに腰を下ろして俯く。もう声は聞こえない。木々や緑が風に遊ばれる音、鳥の愛を奏でる歌声、獣が家族を探す声だけが聞こえる。

 それが、心の隙間に冷たく響く。

 村の人の声が耐えられず、ここまで逃げてきたというのに。

 思い出したようにパウは嗚咽した。


 どうして強盗は自分の家に来た。家なんていくらでもあったではないか。

 どうして両親は死ななくてはいけなかった。殺す必要まであったのか。

 どうして誰も助けに来てくれなかったのか。両親の悲鳴は、誰にも届かなかったのだろうか。

 全て運が悪かった。


 そして強盗がその家に子供がいるのに気付かなかったこと、金目のものを探すのにクローゼットを開けなかったことは――運がよかった。


 けれども、しかし。

 自分が魔法を使えなかったこと。そこに運は何一つ関係ない。


 だが魔法を使って強盗と戦えだなんて。

 魔法は使えるが、わかってはいないのだ。


 悲しみはやるせなさへ変わり、そこから怒りへ燃え上がる。

 どうしてこんなことに。

 既に捕まったと聞いたものの、あの強盗が憎くて仕方がなかった。ひそひそと話しあう村人達が嘲笑っているかのように思えて苛立ちを覚えた。

 何より、何もできなかった自分が、嫌になった。


 森の中に幼い少年の声はよく響いた。すると森の生き物達は、あたかも異質が混じったというように黙り込んでしまった。風すらも、まるで腫れものを前にし戸惑うように止む。

 ここに居場所はなかった。それでもパウは泣き続ける。


 すると、少し離れた場所にあった茂みが揺れて、小さな黒い影が出てきた。にゃあと声を上げる。

 黒猫。最近パウに懐いている野良猫だった。普段は村で過ごしているようだったが、どうやら森までついてきたらしい。

 猫に気付いてもパウは泣き続ける。いまはどうでもよかった。すると猫は再び鳴く。まるで慰めようとするかのように。


「うるさい、あっちに行け」


 優しさが気に障る。ほっといてほしいというよりも、全てが憎いからこそ、自分に近付かないでほしかった。

 それでも猫は、声を大きく上げてまた鳴く。


「あっちに行け、お前も嫌いだ!」


 猫を睨んで、パウは泣き続ける。

 そう、全てが嫌いだ。なんだその鳴き声は。慰めようとしているつもりか。こんなにも苦しいのに、何もわからないくせに。馬鹿にしているのか。

 だが猫はまた鳴いた。パウの足に纏わりつく。


「やめろって」


 軽く足でぐいと押して、猫を離す。それでも黒猫は諦めずに一鳴きして、前足を一歩出したものだから。


「やめろって!」


 喉が裂けんばかりの怒号。怒りに固く瞑った目から涙が飛び散った。自身の爪が食い込むほどに、手に力が入る。


 同時に、肉に何かが突き刺さる音がした。


 はっとしてパウが目を開けると、猫は足元にはいなかった。少し離れた場所に横たわっている。がくがくと震えるその身体に突き刺さっていたのは、歪な水晶。溢れ出て地面を染めるのは、深紅の血。


 自分がやった。

 刹那の戸惑いの後、パウは気付いた。


「あ……あ……!」


 立ち上がるものの、その足は震えてしまっていた。

 黒猫に近付いて見下ろすものの、手を伸ばすことはできなかった。黒い毛皮に突き刺さった水晶がひとりでに消えれば、溢れ出る命の赤色はさらに増し、パウのつま先まで広がった。

 どうしたらいいのかわからない、という以前に、何も考えられなかった。ただ血の海が広がっていく。その深紅に思考が染まっていく。


 ――物音がして、現実に引き戻された。


 涙で顔をぐちゃぐちゃにしたまま振り返れば、見慣れない青年が木々の間に立っていた。

 大人というには、まだ若いような気がした。銀に見える、長い灰色の髪。向かって左側に三つ編みが見えた。黒に近い紺色の瞳は静かにこちらを見据えていて、ゆっくり歩いて来れば白い衣が花弁のように揺れた。


「ち、違う、俺は……」


 とっさにパウは。


「俺は殺そうとしてない! 俺は、ただ……」


 ――猫を殺したと、思われたくなかった。

 殺そうと思ってやったわけではないのだ。

 怒られるのが怖かった。


「お、俺は……」


 震えながらパウは否定しようとするものの、猫を傷つけたことは事実であるため、それ以上声がでなかった。

 突然現れた彼は、何も言わずにパウを見下ろしていた。


「猫を、助けて……」


 果てにパウは助けを求めた。

 猫を死なせたくはなかった。これは間違いだった。

 けれども。


「それはもうできない」


 青年は淡々と答える。


「あの猫は、もう助からないよ……できることは、苦しみを長引かせないこと、それだけだよ」


 その言葉の意味を、幼いパウは理解して凍りついた。青年は猫の前にしゃがみ込む。その背に隠れてしまって、猫が見えなくなった。しかしパウは、魔法の光を見た。


 青年が立ち上がる。

 血溜まりの中に、もう動かなくなった黒猫が一匹。


「終わったよ」


 青年は振り返れば、少し残念そうに微笑んでいた。ひらりと手を振るも、パウは小さく悲鳴を上げた。


「ああ、ごめんね、驚かせてしまったね」


 とっさに青年は血に濡れた手を引っ込めた。

 けれどもパウは、血に怯えたわけではなかった。


 この人に猫を殺させてしまった。

 自分が悪いのに、手を汚させてしまった――。



 * * *



 魔術師の青年は、魔法で地面に穴を作れば、黒猫の遺体を埋めてくれた。

 全てが終われば、小川で手を洗った。埋める際についた土も、そして猫に触れ殺す際についた血も、綺麗に流れ落ちる。


 パウは黙ってそれを見つめていた。やがて青年が立ち上がり微笑んだ。優しい笑みだった。


「すまないね。あんなに血がついていたら、驚いてしまうよね」


 あの時のことを改めて謝られる。だがパウは、


「違う」

「ん?」

「猫を……殺させちゃったから……俺が悪いのに……ごめんなさい」


 あのままであれば、猫を殺したのは自分となるはずだった。

 そうであるのに、青年がその代わりとなった。

 見上げれば青年はきょとんとしたような顔をしていた。しかしまた微笑んでくれた。


「君は、とても優しい子なんだね」


 彼は川岸の岩に腰を下ろす。


「さてと……ところで君が、パウ、だね?」


 まだ名乗ってはいなかったが、何故か名前を知られていた。不思議に思い首を傾げるが、頷いて青年の隣に座った。


「私はベラー」


 青年が名乗る。


「君をデューに連れて行くために来たんだ」

「――えっ?」


 おかしな話で、パウは困惑し瞳を大きく開く。

 ……嫌だと言ったはずなのだ。だから魔術文明都市から人が来るわけがないのだ。


 ――魔術師の才能がある者が生まれたのならば、デューで学ばせる。明確に決められたものではないものの、それがフィオロウスのしきたりの一つだった。

 魔法とは、人々のためにある。だからこそ才能を持って生まれたのならば、学ばせる必要がある。


 ……息子に魔術師の素質があると気付いた両親も、パウをデューに行かせたがった。デューの魔術師達に連絡をし連れて行ってもらい、学ばせようと考えていた。

 だがパウはそれを嫌がった。この村を離れるのも、両親と離れるのも、嫌だったのだ。

 散々拒否をしたために両親は諦めたと思ったが、どうやら違ったらしい。


 ――あなたは人を助けるために生まれてきたのよ。

 ――誰かを助ける力があるんだ。


 両親の顔を、思い出し俯く。


 ――もし。

 ――もし自分も才能を受け入れ、魔術師になるのだと心に決めていたのなら。

 デューから魔術師が来る前に、自分の持つ力を理解しようとしていたかもしれない。心構えだって違ったかもしれない。


 何より。

 何より自分の力を理解して使えていたのなら――両親を助けられたかもしれない。


 魔法は人々のためにある力。神がいなくなった世界で未来を切り開く人の力。神なき世界で生きていくために、神が人に遺した力とも言われている。


「……ご両親のこと、村で聞いたよ。私が昨日村についていたのなら……助けられたかもしれないね」


 何も言えないでいると、自分の考えていることを少し察したのか、ベラーが口を開く。しかし。


「俺がいけないんだ」


 膝の上でパウは握り拳を作る。


「俺が、魔法についてわかってたら……父さんも母さんもきっと助けられたんだ……」


 両親が死んだのは、強盗のせいではあるだろうけれども。

 助けられなかったのは、自分のせいだ。


「パウ」


 ベラーが背中をさする。


「……難しく考えなくていいよ。君には確かに魔術師の才能がある。でも一人で学ぶのは難しいし、君はまだ十歳にもなっていないのだろう? 君のせいじゃないよ」


 けれども考えてしまうのだ。

 顔を上げて、睨むかのようにベラーを見つめる。ベラーは少し驚いたように身を引いたが、それも一瞬で、覗き込もうとするかのように瞳に深い色を湛える。

 魔法は、人々のための力。


「俺……魔法をちゃんと学びたい」


 誰かを助けるはずの力だった。


「みんなのために、なりたい」


 自分には、その力があるのだから。

 もうこんな思いをするのは嫌だった。

 ベラーは何も言わずにパウを見つめ続けていた。かすかにその目が細くなれば、鋭利に煌めく。

 果てに目を瞑り、先程のような笑みを浮かべた。


「……君ならきっと、良い魔術師になれるよ」


 立ち上がればベラーはパウへ手を差し伸べる。


「じゃあ、行こうか……まずは村に戻ろうね。村長に君を連れて行くこと、伝えなくてはいけないから」


 差し出された手に、小さな手を伸ばす。微笑み合う。

 そうしてパウも立ち上がり、手を繋いで歩き出す。

 ――手が温かかった。

 少し強く握ると、握り返してくれる。

 ――誰かがそこにいてくれた。

 足取りが重くなる。

 ――涙一雫、頬を伝って地面に落ちた。


「パウ?」


 異変に気付いたベラーが足を止め、振り返る。パウが涙を流していることに気付くと屈む。

 目があった瞬間、耐えられなくなり、パウはぼろぼろと泣き始めた。無意識に声を抑えようとしてしまい、口を固く結ぶ。

 どうして急に泣き始めてしまったのか、自分自身でもわからず、混乱し余計に涙が溢れた。胸中で何かが爆発してしまったようだった。


「ああ……いろんなことがあったからね」


 ベラーが答えを教えてくれた。服が涙や鼻水で汚れるのも厭わず、そっと抱き寄せてくれた。頭を撫でてくれる。


「大変だったね。君は……寂しかったんだね」


 我慢できなくなって、パウは声を漏らし始める。

 大変だった。大変だったのだ。両親は死んでしまうし、自分はどうしたらいいかわからないし、黒猫まで殺してしまうし――殺させてしまうし。

 自分一人では、何も、どうにもできなかったのだ。


 しばらくの間、パウは泣きじゃくった。ベラーは急かすこともなく、涙と嗚咽を受け止めてくれていた。

 そしてようやく顔を上げて、深呼吸をして、自身を落ちつけようとする。ベラーはそれも、慈愛の眼差しを向けて見つめていた。


「……ごめんなさい」


 何とか涙を拭って、パウは謝った。ベラーは頭を横に振る。


「君は少し、頑張りすぎたんだよ……歩ける?」


 こくんと頷けば、ベラーは再び手を差し出してくれた。だからパウはその手を握って、再び歩き出す。

 手はやはり温かく、優しく握ってくれていた。離さないでと言わんばかりに強く握れば、また強く握り返してくれる。


「……村に戻ったら、村長のところに行く前に、どこかで休もうか」


 ゆっくりでも、歩き出す。


 ――この人に近付きたい。


 ふと、思う。

 この人がいい。


「……ベラーさん」

「なんだい、パウ」

「俺は……ベラーさんの弟子になるの? ベラーさんの弟子になって、魔法を学ぶの?」


 彼が迎えに来たのだ。パウは泣き腫らした顔でも、目を輝かせて彼を見上げた。しかし。


「いいや、君は私の弟子にはならないよ……デューではまず、他の子供達と共に、魔法の基礎と基本を学ぶんだよ。その後に誰かに弟子入りしたり、個人で魔法を極めたりして、真髄に迫っていくのだよ」

「じゃあ、基礎とか基本が終わったら、俺はベラーさんの弟子になれるの?」

「……私の弟子になりたいのかい?」


 どうやらベラーは、自分がそんなことを言い出すとは思っていなかったらしい。彼は思わずといった様子で足を止めると、目を丸くしてこちらを見下ろした。だが苦笑すれば、また歩き出す。森の出口は、もうすぐそこにあった。


「はは……私にはまず、弟子をとる資格がないよ。弟子をとるには、デューからそれなりの魔術師だと認めてもらわなくてはいけないんだ……私はまだ若すぎるから、認めてはもらっていないよ。それに私は、認めてもらったとしても、弟子をとるつもりはないよ……」

「どうして?」


 パウの質問に、ベラーは答えてはくれなかった。森の出口を見据えたまま。けれどもその瞳は、遥か彼方を見ているようにも思えた。

 彼の片耳で、黄色の耳飾りが揺れて輝いていた。


「そうだなぁ……相当優秀なら、考える、かもしれないね」


 ――この言葉の意味をパウが知ったのは、デューで魔法を学び始めてしばらくして。

 多くの経験を積んだ魔術師や、才能ある魔術師よりも、はるかに優れた魔術師。純度の高い魔法の水晶を作り出す才能を持ち、ついた異名は『穢れ無き黒』。

 優秀過ぎる故に、見合った師も、見合った弟子も存在しない――それが彼だった。


 しかしこの出会いの日、パウは静かに憧憬を燃やした。

 そして才能もあったパウは数年後、ベラーの唯一の弟子となった。

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