第五章(04) 俺達は騙されていたんだ
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もうすぐデューの魔術師達が来る。
パウとアーゼがテントで話していると、そう報せがはいってきた。気付けばテントの外は少し騒がしくなっていた。魔術師達を迎え、グレゴを引き渡す準備をしているのかもしれない。
「ここの騎士団長に挨拶して、この騎士団と魔術師達のおかれている状況について、聞く予定だったんだがな」
「副隊長だったら、さっき会わせればよかったな……魔術師達にお前がここにいることを伝えてほしいって、さっきお願いしてきたんだ、その方が話がはやいだろ? でもお前、あの時まだ解毒が終わってないようだったから」
解毒薬のおかげですっかり動けるようになったパウは、アーゼに続いてテントの外に出た。騎士団員達が少し慌ただしく動いている。どうやら皆、あの捕獲したグレゴがいる方へと向かっているようだった。
「ところで……グレゴを回収するって、一体どうするつもりなんだ?」
ふと思い出し、パウは立ち止まってアーゼに尋ねた。そもそも魔術師達は、どうやってここにくるつもりなのだろうか。まさか徒歩で来るとは思えないし、グレゴについても、どう運ぶというのだろうか。
「船さ」
振り返ってアーゼが短く答える。船。そういえば、ここに来た際、他の騎士団員も「船」と言っていたような。と。
「――ほら、あれさ、もう見えてきてる」
空を仰ぎ、アーゼが指さした――青空の中、黒い点がぽつりと浮かんでいる。
鳥でもなく、かといって他の生き物でもない。眼鏡の奥、まだ見える片目だけで、パウは食い入るようにそれを見つめる。しばらく睨んで、ようやくそれの正体に気がついた。
「魔力翼船か! しかも……まさかユニヴェルソ号か?」
魔術文明都市デューには、双子の巨大魔力翼船があった。その一方がユニヴェルソ号だ。通常の魔力翼船とは違い、より技術を結集させ、さらに高みを目指して造られた船。一種の芸術品とも呼べるそれ。まだまだ姿は見えないものの、ここから予測される大きさと、魔力翼船特有の魔法陣の翼の色から、ユニヴェルソ号で間違いないだろう。
「デューの魔術師達は、あれを拠点にして各地で活動してるんだ」
アーゼが説明する。なるほど、ユニヴェルソ号は技術の結晶だ、魔術文明都市デューが陥落したとしても、あの船があれば拠点として活用できるだけではなく、グレゴの研究もできるだろう。アーゼは続ける。
「魔術師達からは色々物資がもらえるし、それだけじゃなくグレゴの情報も得られるから助かってる……けど、敵には苦戦しているらしい」
再び彼は振り返れば、金髪が風に揺れた。パウの紫色のマントも風に揺れ、ミラーカの青い輝きも揺らめく。
アーゼは少し不安そうな顔をしていた。
「……お前が彼らに加われば状況は変わるかもしれない。でも……お前、何か罰を受けたりしないのか? お前は何も知らなかったし騙されたとはいえ……そのことを責められたりは……」
「――する、だろうな」
そのことに関して、予想はできていた。グレゴを生み出してしまったきっかけは、間違いなく自分にある。自分の魔法薬が利用され、巨大蝿は生まれた。そして自分は何も疑うことなく研究をしていた……。
『千華の光』としての自覚がないといわれても、仕方がない。
それ以上に、いままでの自分の愚かで独りよがりで傲慢な行動が責められるだろう。
「覚悟はできているさ」
強い風に、マントが音を立て翻る。そんなパウを、アーゼは見つめたままだった。
「……もう一度、顔を見せろよな」
やがてアーゼは口を開く。魔力翼船はまだ遥か遠くにあるものの。
「どうにかするんだろ、グレゴを。師匠を。それから蝶々……彼女にも償え」
「わかってるさ」
空にある点は段々と大きくなってくる。それでもまだ距離はある。二人はゆっくりと歩き出す。
けれども、再びアーゼが立ち止まった。
「そうだ、パウ……お前はあれからこれまで、各地のグレゴと戦ってきたって言っていたけれども」
もうじき魔術師達が来るという報せを受けるまで、二人はテントで簡単でもこれまでについて語り合っていた。パウがこれまでの旅について話している最中に、報せを受けて会話は途切れていたのだった。
アーゼは尋ねる。瞳を鋭くさせて。
「――俺の剣を持ったグレゴを、見なかったか?」
――その背に剣を刺したまま、空へと飛び立った巨大蠅の姿を、パウは思い出した。
アーゼの故郷である村を壊滅させたグレゴ。アーゼの母を喰らった仇敵。
立ち止まり、パウは気付く。
――彼は追っているのだ。全てを自分から奪った敵を。
「……見ていない。剣が抜けていたり、姿が変わっていたのなら、わからないが」
あのグレゴの最大の特徴は、刺さったままの剣だろう。
アーゼの剣。アーゼの父親の剣。
そうか、とアーゼは再び歩き出す。
「……お前とミラーカが復讐したい相手は師匠。俺にも……復讐したい相手はいる」
静かに、囁いて。それでも声は、地を這うように低く、ちらりとこちらを見た彼の瞳も、いまは姿が見えない敵を睨みつけるかのようだった。
「あともう一つ教えてくれ……そのお前の師匠っていうのは、どんな奴なんだ? そいつを見たら、逃すわけにはいかないから。確かにグレゴが蠅になった原因は、お前が何も疑わなかったことにあるかもしれないけど、お前を騙して研究に誘ったのは……そいつだろ」
するとミラーカがふわりと舞い上がったかと思えば、せわしなく羽ばたき始めた。彼女が何を言いたいのか、パウには分かった。深く溜息を吐けば、とん、と少し強めに杖で地面をついた。
「俺とミラーカでけりをつけるんだ。悪いが、横から手出しされたくない」
「わかってるさ、でも、一発ぐらい、殴れるのなら殴っておきたい」
「……殴る? 師匠を?」
思わずきょとんとして立ち止まってしまった。そして声も間の抜けたものだったのだろう、アーゼが振り返り見つめる。
けれどもパウは、段々と面白くなってきてしまって、笑みを浮かべたのだった。
「師匠を殴るなんて……師匠は強いぞ?」
意気込めるアーゼが勇ましくもあまりにも無謀で、我慢ができなかった。機嫌を損ねたのか、アーゼは怪訝そうな顔をしている。だからパウは「悪い」と軽く手を振って謝った。
「強いって……まあお前の師匠だから、そうなんだろうけど、失礼な奴だな」
アーゼは腕を組む。しかし次には不安そうな顔をするのだった。
「……ところで、お前、勝てるのか? それほど強い『師匠』なんだろ?」
……パウは、すぐには答えられなかった。笑みを消し、口を固く結ぶ。
「お前、怪我をしてるし、相手は『師匠』で、お前はその『弟子』だし……」
アーゼの言う通りだった。
師匠と弟子。実力の差はあった。それ以前に、怪我により自分は以前よりも力が衰えてしまっている――。
簡単に勝てる相手ではないと、十分にわかってはいたものの、改めて尋ねられると胸中を不安が満たす。
それでも。
青い蝶が目の前をよぎる。
「やるんだ、それでも」
彼女への償いのために。共に。
「……まともにやり合ったのなら、間違いなく俺が負ける。師匠は特に魔術師相手だと強いから……それでも、機会を伺って」
「――パウ」
と、そこで青い蝶が名前を呼ぶ。肩にとまる。その目の覚めるような青色を、見つめる。
「やるんだ」
繰り返す。師匠ベラーについても。そしてまだ世界のどこかに潜んでいるグレゴについても。
終わらせなくては、いけない。
杖を握れば、無意識に瞳は鋭くなった。
かすかであるものの、冷えた緊張が確かに張り詰める。
「……名前を教えろ」
と、瞳だけを向けていたアーゼが、身体ごと向き直る。手を広げれば。
「それとお前、それほどに言うのに師匠師匠って呼び続けるのは、どうかと思うぞ」
言われてパウは気付き、はっと目を丸くする。
一体、いつまで自分は、裏切ったあの人のことを『師匠』と呼び続けるつもりだったのだろうか。無意識のうちだった。自分自身に呆れて、溜息が出る。
「……ベラー」
そしてようやく口にする。
「師匠の名前は、ベラーだ」
見つけ出すべき魔術師の名前を。
「俺と同じ『千華の光』の男だ。見た目は大人しそうで優しそうで、言動もそうだが……本当は違った。それで、異名のある魔術師で『穢れ無き黒』と呼ばれていて――」
その背を思い出す。信頼し、敬愛した背を。光に当たれば銀に輝く長い髪は風に揺れていた。向かって左側にある三つ編みに、ああ自分も髪が伸びたのなら真似したいな、と思ったこともあった。優しい微笑みは、出会ったころから何一つ変わらない。そのことに、まだ子ども扱いされているのではないかと拗ねたくなることもあったが、褒められるのは好きで、だからこそ「自慢の弟子」であろうと努力した――。
そう、ふけるかのように思い出している最中だった。
骨を砕かれるのではないかという勢いで、アーゼに手首を掴まれた。そして足に不自由があるにもかかわらず、突然走り出される。半ば転ぶように、パウはアーゼに引っ張られる。ミラーカが慌てて追う。
「お、おい!」
転びそうになるものの、杖でなんとか体勢を保ち声を上げるが、走り出したアーゼは止まらない。アーゼが向かっているのは、捕獲したグレゴがいる場所とは逆の方面だった。
「――遺跡に逃げろ。あそこは迷路みたいになってるから、うまくいけば逃げられるはずだ」
唐突にアーゼは言い出す。パウは戸惑い言葉を失うが見た――アーゼの顔が、蒼白になっているのを。
「ベラー……ベラーだ。ベラーなんだよ」
アーゼはその名を口にする。初めて口にしたのではないというように。
「――そのベラーっていう魔術師が、いまからここに来るんだ! グレゴを回収しに! 船に乗って!」
彼の向かう先には、緑に呑まれた遺跡が遠くに見えていた。
空の彼方、巨大な魔力翼船は先程よりも近付いてきている。
「もうお前のことは連絡で伝えちまった……! 蝶とお前の話をした際に、一番に興味を持っていたから――!」
――いまからここに来る魔術師達は、デューの魔術師達ではない。
「騙されていたんだ」
アーゼは顔を青くさせたまま、遺跡へ向かい続ける。パウも全てを理解して走り出した。
アーゼは繰り返す。
「俺達は騙されていたんだ……!」




