第四章(09) 何が誇り高き『聖域守』だよ
外に飛び出した瞬間、光が降り注いだ。もはや反射的に、パウは傘のような盾を生み出し光を弾く。共に飛び出したトーガ、他の『聖域守』が目を剥く中、あの角のあるグレゴの声が、いままで聞いたものよりもひどく近く、そして怒りに似た何かを孕んで響いた――飢えによる苛立ちか。
「イマール、お前は状況を見て、街を守るか、前線に人を送るか、毒から回復した者へ指示を出せ。できるな? お前達二人はイマールを手伝え。他は私と共に前線へ……あの怪物め、どうやら死体の盾を薄くしてでも街を潰したいらしい」
そう苦い顔をしたトーガの背後で、忍び寄っていた「死体」の一人が得物を大きく振り上げた。けれどもトーガはすぐに振り返って剣を振るう。弾かれる「死体」の刃。流れるようにして貫かれる胸の光。
「パウ、できる限り、私達を守ってくれ。お前はできれば私達の後ろに。お前がやられては我々は盾を失う」
無言でパウは頷いた。続けて『聖域守』のリーダーは皆に言う。
「もし、仲間が光を受けてしまったのなら……躊躇うな」
そうはさせない。杖を握るパウの手に、力が入った。
悲鳴が響いてくる。激しく燃えさかる音も聞こえて、街の一角が昼間以上に明るくなっていた。この混乱に、明かりが倒れて燃え広がったのかもしれない。ちらりとパウが見れば「死体」達は動物のように炎を避けている。
と、進む『聖域守』達の先に、徒党を組んだような「死体」達が現れた。弓矢を手にした「死体」が一矢を放つ。何を映しているのかわからない瞳だが、鏃は迷いなくパウを狙う。それと同時に、上空に光が瞬く。
パウが優先したのは仲間だった。矢ではなく上空に向かって水晶を放つ。ほとんどの光を打ち消し、数が間に合わなかった故に逃したものもあったが『聖域守』達は少なくなった光を易々と避ける。そしてパウはすぐさま今度は正面に魔法を放とうとしたが、矢とパウの間に一人の『聖域守』が割り込んだ。剣を振るい、矢を払い落とす。
その直後に炎の魔法を放ったのは、とっさの行為だった。宙に描かれた魔法陣から、煙のように炎が吹き出す。生き物のように膨らみ、縮み、うねったそれは「死体」に巻きついて燃やしていく。魔法の炎は普通の炎よりも眩しい。その中で胸の光が溶けるようにして砕けていく。身体も崩れていく。
心臓がまるで変にひねられたかのように痛かった。それでも暴れているようで、鼓動が全身に響く。パウが炎の魔法をやめれば、黒く焦げて、もはや誰だったのかわからない遺体が転がっていた。表情すら焦げついて、凹凸だけがわかる。窪んだ両目と、ぽっかりと開いた口が、もの言いたげにこちらを見ていた。
だが仕方がないのだ。これが最善だと、思って決めたことなのだ。
前方で白い光が打ち上げられる。一度高くまで上がれば、光は弾けて地上に降り注ぐ。「死体」と戦っていて避けることのできなかった者に突き刺さる。すでに戦いで命を落としてしまっていた者を傀儡化する。そして一度は胸の光が砕かれ動かぬ死体になった者も、新たな光を宿されて再利用される。
不死身の軍勢。彼らは敵を殺すことで、その数を増やしていく。その身体が腐りきるまで、彼らは戦わされる。
防壁にある門へと向かう。どうやらグレゴは、そのすぐ外にいるようだった。街の最大の危機であるが、同時に最大の好機でもあった。グレゴが最前線に来ている。それはつまりトーガの言うとおり、あの怪物にたどり着くまでの「死体」の層が薄いということだ。おまけにいま「死体」達は街に夢中になっている。守るべきものは最大の餌となったが、誰にも嘆く暇がない。
「――トーガ、みんな!」
襲い来る「死体」の相手をしていると、追ってきた『聖域守』達が加勢し、蹴散らす。エルヴァの姿もあった。どうやら解毒薬が徐々に効いてきた者達らしい。彼らも加わり、ついに一行は門をくぐった。
外に出れば、そこはもう、昼夜構わず白い霧が沈み込む谷。街での惨劇に霧は少し怯えているかのように谷の奥へと引いているように思えるが、濃さは変わらない。ぬるりと渦巻いたかと思えば、潜んでいた「死体」が仲間の一人の首をはねる。驚き嘆く間もなく、他の仲間が仇をとる。だがその一方で、恐怖の悲鳴が上がったかと思いきや、また一人が霧にさらわれるようにして「死体」に捕まり断末魔を残して消えた。
上空で霧が渦巻き濁る。またしても光が降り注ぐ。パウは上空に手をかざすものの、不意に正面の霧が割れて、槍が突き出された。慌てて避けたが、構えていた魔法は揺らぐ。光は霧によって視界を妨害されていた『聖域守』達へ、容赦なく降り注ぐ。何人かが胸に光を受けた。けれども近くにいた者が、迷うことなく胸を貫いた――。
叫びを堪えて、パウは再び手を宙にかざす。出現させるは炎の魔法陣。生き残っている一行をぐるりと包むように炎を踊らせ、また再び襲いかかってきた光を、蛇のように呑み込む。こうすれば「死体」からも光からも皆を守ることができる……。
「おい、あんた、無理するんじゃないぞ!」
だがエルヴァに、額に汗を浮かべているのがばれてしまった。今日の奇襲計画や先程の解毒の魔法。そしてこの炎の魔法……休息が十分にとれていない状態での、魔法の連続使用。疲弊が首を絞め始めていた。
けれどももう誰も死なせたくないから。こんな惨劇、早く終わらせたいから。
「一人でも、多く……!」
――刹那。魔法の炎の輝きを割って、漆黒の巨体が一行に突っ込んできた。炎を前にうろたえていた「死体」もろとも散らされる戦士達。『聖域守』が起き上がる前に「死体」が彼らに群がり、悲鳴が上がる。
彼らと同じく吹っ飛ばされたパウは地面に転がった。消え失せる盾の炎。一人の「死体」が見下ろす。だが気を失っていなかったパウは杖で「死体」を殴り、急いで起き上がる。
「パウ、あいつも、必死よ……」
ミラーカが急かすように羽ばたく。ふらつきながらも、パウは迫ってきた「死体」に水晶を放ち、辺りを見回した。
捨て身で炎に突っ込んできたグレゴは、燃えていた。絞り出すような悲鳴を上げている。宙で低く羽ばたいたままで、けれども少し弱っているように思える。が、角から光が放たれた。
いまが絶好の機会かと狙いを定めていたパウは、急いで防御に出る。じりじりと減っている魔力は、同じく減ってきている集中力精神力のこともあって、凝固することはできない。波風となるが、光の威力を削る。
自分が動けなくても、この光を防いでいれば、あとは『聖域守』達が――。
だが振り返って、パウは言葉を失った。
ここまで共に来ていた『聖域守』達は、グレゴの体当たりを受けて散った後に。
「――そんな」
起き上がる前に「死体」に群がられ、殺されていた。「死体」はやはり多いのだ。まだ生きていた者も「死体」との戦いに動けず、いくらパウが威力を落としたからといっても、矢のように降り注いだ光を受けてしまう。
守るべき者が減っていた。グレゴにしてやられた。巨大な怪物は捨て身の代償に炎上し、いまが攻める機会であるのに、戦える者がいなかった。しかし。
「トーガ!」
再びパウがグレゴを見れば、その近くにトーガの姿があった。いままさにトーガに寄生しようとしていた光を、パウは水晶一つを集中して作り出し撃つ。
トーガはグレゴを睨んでいた。巨大な蠅が変貌し、さらに怪物と化したそれ。その角。身体を包む、なかなか消えない炎に気をとられているグレゴは、トーガに気付かない。
刃が光る。
振り下ろされた光ではなく――刺突による、一直線の光。
――トーガの剣の反射ではない。
血が飛び散る。赤く鮮やかな人間の血。トーガが目を見開き、自身の脇腹を見下ろす。
血に塗れた槍の穂先が、顔を出していた。
トーガの後ろにいたのは――エルヴァ。槍を握る手には、しっかりと力が入っている。
けれども。
「……お前、か」
トーガが振り返る。エルヴァの胸に、光はなかった。その瞳も生者のもので――底知れない恐怖を湛えていた。
グレゴが再び光を放つ。たった一つだけの光。パウは唖然とする間もなく、トーガに命中する前に光にまた水晶を放った。その隙に、まだ動けるらしいトーガが、刺さった穂先を抜くように身を翻し、エルヴァから距離を取る。脇腹からはぼたぼたと赤色がこぼれる。
エルヴァはひどく震えていた。しかし表情には、どこか怒りがにじんでいた。
裏切り者は、異常に怯えて、困惑していた。
「どうして!」
思わずパウは怒鳴ったものの、あの溌剌とした声はどこにいったのか、エルヴァはひどく弱々しい声を絞り出す。
「ど、どうしようも……なかったんだもの……死にたくなかったんだ……」
と、グレゴが捻れたような鳴き声を上げる。エルヴァはトーガから目を離さず、
「わかってるよ……殺さないよ……殺さなきゃ、いいんだろ、そういうことだろ……」
グレゴと会話している。彼にはあの鳴き声が言葉に聞こえるのか。否、そう言っていると判断しているのか。
「パウ」
ミラーカが名前を呼ぶ。彼女の推測は少し外れていたようだが、大体はあっていた。
――グレゴと意志疎通をし、協力している者がいる。
グレゴの身体の炎はすっかり消え失せてしまっていた。すこし落ち着いたかのように、グレゴはきゅいきゅいと声を上げる。と、パウは気配を感じて、とっさに瞬間移動魔法でその場を離れる。先程まで仲間だった「死体」が剣を振り下ろしていた。
「何故……お前も、誇り高き『聖域守』だろう……?」
トーガは片膝をついてしまっていた。エルヴァは頭を振る。大きく開いた瞳から、ぼろぼろと涙がこぼれていた。
「な、何が誇り高き『聖域守』だよ……いざとなれば……弱い奴を見捨てるくせに……! あいつらより……話を聞いてくれたこいつの方が……」
見捨てられた。話を聞いてくれた。
……エルヴァは命乞いをしたのだろうか。それを、言葉は発せないようだがグレゴが聞き入れた、と?
だからエルヴァは、裏切ったというのか。
そうであるなら、奇襲がばれたのも納得がいく――エルヴァは奇襲作戦の前に、谷の様子を見に行っていたではないか。
「仲間に毒を盛ったのもお前か……!」
「死体」達から距離を取るも、疲弊に息を切らしたパウは、それでもエルヴァを睨んだ。グレゴはまるでやりとりを楽しむかのように、黙って見守っている。
「こ、こいつは、生きている人間の方が、新鮮で、いいらしいんだ……」
ひきつった笑みにあるのは、怒りよりも恐怖の方が強く感じられた。
――エルヴァはグレゴにひどく畏怖している。言うことを聞かなければ、殺されると信じている。
「急に、街を襲うって、動き始めたから、びっくりしたよ……いまの街には、魔術師もいるから、どうなるかわからない……だから水に毒をいれておいたんだ……」
水に毒。なるほど、それで多くの『聖域守』が動けなくなったわけだ。
――水に毒。
「……仲間の水筒にも毒をいれたな?」
トーガが気付いてエルヴァを睨む。エルヴァは困ったように首を傾げた。
「なのにまさかまだ動けて、しかも生きている人がいるなんて、思わなかった……いままでは谷の中程で動けなくなって、それでこいつに与えてたのに……ユルノ、水をあんまり飲まなかったのかなぁ、毒に耐性があったのかなぁ」
だからユルノは殺されたのだ。水筒の毒について、知っていたかもしれないから。
パウは今日の奇襲作戦の時に、エルヴァに差し出されたビスケットを思い出していた。あれを食べていたなら。
トーガの表情が、苦痛から怒りのそれへと歪む。ゆっくりと立ち上がれば、脇腹がより血に染まる。だがトーガの剣よりも先に、エルヴァの槍が彼の肩に突き刺さった。倒れる彼。パウは駆け寄ろうとするが、また迫ってきた「死体」を、身を翻して避ける。だが疲弊と、そして不自由している足のため、尻餅をつくように転んでしまった。こちらを見下ろす「死体」が、風の通り抜けるような声を上げる。
パウは手の平を向ければ、炎を生み出した。「死体」は炎に怯えて数歩退く。炎は少なく安定しない魔力に細くなっているものの、宙を這って、トーガとエルヴァの間に割り込む。そのままパウはグレゴを縛り上げようとするが、力不足だった。炎は絡みつく前に消えてしまった。
グレゴが甲高い声を上げる。エルヴァが叱られたように身震いする。
「わ、わかった……厄介者を、先にって、ことか……」




