表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
贖いのオリキュレール  作者: ひゐ
第九章 蝶が見た夢
102/109

第九章(12) これで二回目ね


 * * *



 ベラーがフォンギオと、そして巨大なグレゴと戦う、少し前。


 ――透明なケースの中、青い蝶はただじっとしていた。

 何かを待つように、あるいは溜めているかのように。


 ……空気が震える。地下全体も震える。あの巨大なグレゴが暴れていることは、誰にでもわかった。その中で、青い蝶は目を覚ましたかのように、深くも鮮やかな青色を動かし。

 ――ぱきん、とケースにひびがはいった。亀裂は徐々に大きくなり、破片は外へこぼれていく。


 ついに小さな隙間ができたのなら、青い蝶はそこから這い出る。亀裂の尖りに、羽が引っかかる。青色が布のように裂け、隙間を何とか抜け出そうとした細い足も、ぷちりとちぎれるものの、やがて青い蝶は紙切れのように机の上に落ち、そのまま転がるようにして赤い血の上に落ちた――そこで死んでいたトリーツェンの血溜まりだった。

 青色はすっかりその赤色に侵されるように染まる。だが徐々にきらきらと輝きだし、


「――パウ」


 青い蝶が、宙に舞い上がる。血を払い、改めてその青色を身に纏って。

 ――抑制の魔法薬の効果が、ようやく切れた。


「パウ」


 ミラーカは部屋を出る。向かうべき場所はわかっていた。彼がどこにいるのか、わかっていた。


「パウ」


 そして彼がどうなっているのかも、わかっていた。


「パウ」


 けれども、名前を呼び続けて。


「――パウ」


 瓦礫と血の海の中、動かなくなっている彼を見つける。冷えた身体に生気はなく、彼は青い蝶に答えない。かつてはあれほどに答えていたのに。それが使命だと言わんばかりに――応じていたのに。


 このままにしておく方が、幸せなのかもしれない。

 なんて。

 それは自分にとってなのか。

 彼にとってなのか。

 ただ、それでも。


「パウ」


 ――憎いと思う気持ちを、忘れたわけではなかった。

 冷たい彼の胸元に、ミラーカは降り立つ。青い羽の輝きを、より大きく広げて。


「起きなさい、パウ」


 呼吸をするように羽を動かす、もはやそれは羽というよりも、まるで手のように、先端がパウの頬に触れる。

 青色の輝きが宙に漂い出す。その光を受けて、広がっていた赤色の血も、青に染まりゆく。


「いつまで寝てるの。起きなさい」


 輝きの中、一人の少女の姿が揺らぐ、死体に覆い被さるようにしている彼女は、額を死体に寄せる。長い青色の髪が、二人の表情を隠す。


「パウ、こんな風に死ぬことは、許さないわ―――」


 私がもっとひどい目に遭わせてあげるんだから。


 ――ひゅっ、と。

 冷えていた身体がびくんと跳ね上がり息を吸う。そのままがくがくと震え始め、やっと青い蝶はその身体から離れた。


 動きだした身体は、震えるままに寝返りを打ち、手足をついて四つん這いになったかと思えば、嗚咽を漏らした。そして口から吐いたのは、血でも吐瀉物でもなく――青い液体。青く輝く、人から出るとは思えないもの。それをパウは、口から、そして目からも流し、青く染まり始めていた血溜まりを、より青色にしていく。傷口からも、まるで血の代わりのように青色が溢れていた。

 しばらくして、パウの吐く液体に、血の色が戻り始めた。傷口をみれば、すっかり塞がっていた。


「――何? 何、が……」


 ようやくパウは言葉を発し、また一度、げぽ、と血を吐く。嘔吐はそこで終わって、涎や涙を拭う。


「――俺は、負けて……死んだ、んじゃ……」


 その時のことを、パウは憶えていた。だから胸に手を伸ばすが、そこに致命傷となった傷はもうなく、服が破れていただけ。ただ血の色と青色に汚れ、黒ずんではいる。

 夢を見ているのかと思うものの、全身を巡る奇妙な感覚が、夢ではないと告げている。そして、目の前の青い蝶の輝きも――間違いなく本物だった。


「ミラー、カ……」


 手を伸ばせば、青い蝶はそこにとまってくれる。光の温かさも確かで、思わずパウは溜息を吐く。

 この光を追って、ここまで来たのだ。

 この光に導かれ。この光を助けるために。


「……これで二回目ね」


 不意に青い蝶は指から離れて言う。


「……二回目?」

「そう……死んで、生き返ったのは、二回目」


 ――パウは怪訝な顔をせざるを得なかった。

 すると、ミラーカはふわふわとパウの周りを舞って、


「運が良かったわけでも、奇跡でも、ない」

「一体何の話だ……?」

「――研究所の、崩壊」


 グレゴ研究所の崩壊。自分以外に生存者はいなかった。

 自然とパウは目を丸くする。

 ただ、運が良かったのだと、思っていたのだ。運良く自分は生き残れた。

 しかし思い返してみれば、目が覚めた時、青い蝶がそこにいて。


「あの時……私にも、よくわからなかった」


 ミラーカは瓦礫の山へ飛んだかと思えば、そこにあったパウの杖に止まった。


「でも、死なせたくない、そう思ったから」

「……あの時から、そんな力があったのか……?」


 傍らに落ちていた眼鏡をかけ、ふらふらとミラーカを追って、パウは杖を拾い上げる。杖としてまだ十分に使えた。


「あの時は、それきり。完全にも、治せない」


 あの時の事故の後遺症は、あまりにも大きかった。足に、片目、それから魔力。

 それでもミラーカのおかげで、生き返ったのだ。

 当時、実感はなかったものの。しかしいまこうして再び生き返って、実感する。

 確かにおかしかったのだ。自分だけが、生き残るなんて。

 そしてあの『遠き日の霜』が生存者一名を見逃してしまうなんて。


「……いまなら、足も、目も、治せる。全部、よくできる」


 肩に止まったミラーカが囁く。しかしパウは頭を横に振って、


「そこまでしなくていい……これは……俺の罰の一つとして背負いたいから」


 そこでパウは、一度口を噤んでしまった。ふわりとミラーカが肩から飛び立ち、彼の前で羽ばたく。


「……ごめん、ミラーカ」


 やがて、俯いたパウは声を漏らす。あたかも、こうべを垂れるかのように。


「ベラーに……負けた。それだけじゃない、助けにきたのに……助けられた。俺は、お前にしてもらうんじゃなくて、俺の方が、お前に尽くさなくちゃいけないのに」


 ようやくミラーカと再会できたのだ。

 いまなら、手を伸ばせば青い光に触れられる。

 しかし罪悪感と申し訳なさが、細い鎖のように身体を縛る。お前は何をしているのだと、槍が身体を貫いている。


「……あなたがここまで来てくれただけで、十分」


 ミラーカの声も、淡々と聞こえて自分を苛む。


 ずん、と、低い音が響き、空気が揺れる。ぱらぱらと瓦礫が崩れ、天井からもいくらか瓦礫が降ってきた。地下が揺れている。


「……壊れるのか? 『大樹塔城』はかなり頑丈に作られているって聞いたけど」


 まさか、自分とベラーの決闘で? そんな風にパウは考えてしまうものの、ミラーカは彼の横を通り過ぎ、廊下の一つへ向かった。


「巨大なグレゴ」


 ――『光神蟲』と呼ばれたグレゴの存在を、パウも思い出す。ここには、そいつもいるのだ。


「ベラー、何か、企んでる」


 青い光は先を急いで暗闇を進んでいく。パウも杖をつき追った。


「……今度こそ、殺さないと」


 この先にベラーがいるというのなら。青い輝きの前に、パウは立つ。ずれた眼鏡をかけ直し、片目しか見えないその赤い瞳で、先を睨む。


「お前のために。俺も、借りがあるんだ」


 と、その瞳はふわりと振り返って、


「それで最後に……グレゴを、お前に食わせるから」


 それが許しを得るための、救いを得るための約束だった。

 ミラーカは黙って羽ばたいていた。青い光は、どこまでも透き通っていて、その奥に深淵が見える。黙っていた蝶は、不意にパウの隣に並ぶ。


「それよりも、感謝して」

「……えっ?」


 急にそんなことを言われてしまえば、パウは足を止めるしかなかった。ミラーカは、まるでじゃれるかのようにパウの顔の前で羽ばたく。その眼鏡を、頬を叩くかのような勢いだった。


「生き返らせたこと。何も言ってない」

「あ……ああ……」


 確かに、ミラーカに助けてもらったのだ。パウは俯いて、


「ごめん」

「……ちがう」


 きりりとした声は、蝶のふわふわした声とは思えなかった。

 どこか苛立ったような、それ故に、まだ世界を知らない少女のようなもので。


「謝ってばかり」


 青い蝶は、そのままひらひらと先に進んでしまう。それ以上は何も言わず、ただパウから距離をとっていく。

 パウは何も言えず、その後を追うしかなかった。


 ――そして、その先の大扉をあけて、見つけた。

 どろりと溶けたような部屋。何かが激しく暴れた後。

 片足を失い、壁際にぐったりと座り込んだ宿敵の姿を。

 自分を騙した者。だからこそ追い続けたもの。贖いのため、献上するべき命。

 嘘でも、かつては優しく接してくれた人。


「――師匠」


 思わず、そう呼んでしまうほどだった。

 死にかけているのは明らかだった。それでも彼は、ふと笑ったものだから、パウはのどの奥のひりつきを感じずにはいられなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ