九
「肝心な日に遅刻なんて許さない」
そう自分で言っておきながら思いっきり寝坊をした。
前の日の夕方のあの出来事が原因で、なかなか眠れなかったからなんだけど、遅刻したことには変わりない。
走って待ち合わせの場所に向かうと、二人は当然のようにそこにいた。
「ごめん」
拝むように頭を下げるが、孝志としのぶは怒った振りをして笑っていた。
「ジュースごち」
こんな事なら遅刻した人がお昼のジュース代を出すなんて事言わなきゃ良かった。
息切れを整えようと深呼吸したとき、目の前にあまり見たくない顔が現れた。
「ごきげんよう。西川さん」
「げ、吾妻恵子!」
「今日は正々堂々と戦いましょうね」
ふと、郁美から手渡されたメモリーが頭に浮かんだ。恵子はそのことを知っているのかもしれない。正々堂々という言葉に力が入っているように感じられた。
「負けないよ」
「せいぜいがんばってくださいな」
恵子は軽く手を振りながら、いつもと変わらない堂々とした足取りで試合会場に入っていった。
「相変わらず偉そうだな」
既に見えなくなった恵子の背中に向かって孝志が言った。
会場に入っても前回のほど緊張はしなかったけど、胸の高鳴りは前より大きかった。
如月女学院はすでに設営を始めていて、郁美がちょこまかと動いているのが見えた。
「ほら、ぼっとしない」
いつものように孝志が背中をたたいてくれたから我に返った。
設営完了の合図を出したとき、相手はすでに準備を終えていて、郁美がこちらに向って手を振っている。
「おい、手振ってるぞ」
「あんたにじゃないの?」
「なに怒ってるんだよ」
昨日勢いで告白しちゃったとは言え、郁美に取られるんじゃないかと言う不安は残っていた。彼女に勝てるものが一つも無いから、自信を持てないんだと思う。
だから怒っているのは、孝志に対してではなく、自分に対してだった。
「防御プログラム作動完了」
審判員にそう報告すると、相手も少し遅れて準備完了を知らせてきた。
「さて、準備はいいかな、しのぶちゃん」
「いつでも」
「頑張ろうね」
「もちろんです」
気を取り直して声を掛けると、しのぶからいつもどうり元気のいい返事がきた。
「そんじゃ、南高校電算部。いっきまーす」
前回と同じ使い古された掛け声が会場に響いていく。そのおかげで、不安な気持ちはどっかに行ってしまった。
しのふが攻撃用プログラムを起動すると同時に、相手の攻撃がやってきた。思ったよりおとなしい攻撃で、つい気が緩む。
「案外ぬるいね」
「油断しちゃ駄目ですよ」
しのぶの額にはすでに汗がにじんでいた。
「相手は明らかに手を抜いていますけど、わたしなんかじゃとても敵いませんから」
しのぶが本気で攻撃を仕掛けているのは見ていて分かる。だけど相手へのダメージは思ったより少ないようだ。いや、全く効いていなかった。
相手の攻撃はさっきより激しくなってきている。その変化があまりにもわずかだったから、つい見落としてしまいそうだった。
本当に油断はできない。
防御は少しずつ確実に崩され始めた。
その時、ポケットの中にあるメモリースティックを思い出した。あれさえあれば勝てるかもしれない。
そう考えてポケットに手を入れると、中にあるメモリースティックに指先が触れた。
けれどその腕は、何も言わずにただ首を左右に振っている孝志の手に止められた。
「分かってる。分かっているけど……」
北山郁美には負けたくない。
ただそれだけの想いだった。
彼女に勝てないのが悔しかった。
彼女に負けるのが許せなかった。
多分そうなんだ。
それだけなんだ。
「京子」
「分かってる」
メモリースティックを掴んでいた手は、びっしょりと濡れていた。
防御はあとわずかで破られる。
負けるのは目に見えていた。
中央の時計がまもなく二十分を超えようとしいてた。
まだ終わっては居ないのに、自然と涙がこぼれてくる。
時計が止まった。
如月女学院のブースにある回転灯が回り始め、会場から大きな拍手が沸き起こる。
負けた。
やっぱり郁美には敵わない。
とても悔しかった。勝てないって分かっていたはずなのに、悔しくてしょうがない。
「お疲れ」
孝志が、静かに肩を抱いてくれた。
腕で涙を拭いてから、コンピューターの電源を落としていると、しのぶが悲しげな笑いを浮かべながら近寄ってきた。
「わたしたち頑張りましたよね」
「そうだね」
頑張った。
でも、勝てなかった。
何時の間にか、北山郁美に勝つことが自分の夢になっていた。いや、夢というよりは目標なんだけど。
郁美がまた大きく手を振っていた。