七
教室で孝志と話す習慣が無かったから、全く声を掛けなくても不自然ではない。
孝志のことは、なるべく気にしないようにしていたし、孝志も意識的に近寄らないようにしてくれた。それが嬉しかった。
こんな風に思ったのは初めてだ。
昨日あんな事があったから部室には行きずらかったけど、明日の準決勝を前に最期の調整をしなければならないから、思い切って部室のドアを開けた。
「遅かったな」
来るべきか迷っていたから、ジュースを買いに食堂に寄った。だから珍しく孝志の方が先に来ていた。
孝志は昨日の事など全く気にしていないように振舞ってくれた。
「あ、うん」
それでも、何とかそれだけ返事をするのがやっとだった。
孝志が気を使ってくれるのは有り難いんだけど、なぜだか素直になれないでいた。
とても居心地が悪い。
それでも、やるべきことがあったから、いつも通りコンピューターを起動する。
「勝てるとおもうか」
孝志がやさしく話し掛けてくれた。それでも今の話題はそれしかなかった。
「無理だってさ」
「そうか」
やっぱり孝志も、いつものように会話が出来ず黙り込んだ。
「しのぶちゃんは?」
「遅れるって」
黙っているのに耐え切れなくなって、なんとか話を切り出したけど、しのぶをネタにしたこと直ぐに後悔した。
「どうして」
「さあ」
それでもまた、会話は途切れた
部室に漂う気まずい空気に押しつぶされそうになり、額に浮かんだ汗を拭こうとポケットに手を突っ込んだら、何だか固いものに指先が触れた。不思議に思って取り出したその固いものは、郁美のくれたメモリースティックだ。
何も考えず、ただ機械的にそのスティック状の外部記憶メモリーをコンピューターの専用スロットに差し込んだ。画面にリムーバブルドライブのアイコンが現れる。
メモリースティックの中には、京子が予想していたとおり、プログラムと攻撃パターンのデーターが入っていた。
プログラムの方は、多分郁実の防御プログラムだろう。
「すごい」
北山知佳のプログラムを見たときのように感動した。こんなに美しいプログラムを見たのはあの時以来だった。
だから思わずため息をついてしまった。
「どうした」
「やっぱり北山郁美には勝てないみたい」
椅子の上で背伸びをしたのを、孝志は不思議そうに見ていた。
郁美に貰ったメモリースティックの事を、孝志に話した方がが良いかどうか悩んだけれど、孝志ならきっと、そんなものは棄てておけといいそうだった。
「すんません。遅れました」
しのぶが、お菓子で一杯になったコンビニの袋を下げてやってきた。ほとんどがスナック菓子で、大好きなコンソメパンチ味のポテトチップが顔を出している。
「遅かったな」
「混んでたんです」
しのぶの返事に対して、嬉しそうに孝志が笑う。またもや昨日の風景が思い出されて、少し不快になった。
「西川さん、少しは落ち着きましたか?」
「私はいつも落ち着いてますけど」
「そうですか? だったらいいんですけど」
しのぶは、持ってきたお菓子をテーブルに置くために、京子の後を通ろうとした。
「あれ、これは」
開いたままのプログラムを見て、急にしのぶが立ち止まった。
「西川さん。これ」
しのぶの顔は何時になく真剣で、とても迫力があった。
「貰ったのよ」
「誰にですか」
「えーと、ほら」
しのぶは見た事も無いような怖い顔で睨んでいたが、ついにしびれを切らしたのか、自分から話し始めた。
「西川さん。これ、北山さんのプログラムでしょう」
しのぶは怒っていた。
「なに? どう言うこと」
緊張した空気が充満した。孝志は話についていけなくておろおろとしている。
「昨日の夜、逢ったのよ。そしたらそれをくれたんだよ」
そう言ってコンピューターに刺してあるメモリースティックを指差した。
するとしのぶは、いきなりそれをコンピューターから引き抜いた。
「ちょっと、何するの」
「これは駄目です」
接続を切断する前に抜き取ると、データが消えてしまう。そんなことをしのぶが知らないはずは無かった。
それでも敢えて、しのぶはそうしたに違いない。
「返して。それはわたしが貰ったのよ」
「使うつもりじゃないでしょうね」
「そんな訳無いでしょ」
使ってはいけないと解かっていた。そうやって試合に勝っても嬉しくなんかない。
「それを使えば西岡には勝てるのか?」
孝志が二人の会話に割って入った。
「こんなので、勝てるわけありません」
しのぶはそう言って視線を床に向けた。
「そーなのか。でも、何でそんなものを彼女はわざわざ渡したんだ」
「試しているんです」
「試すって、どう言うこと」
「それは……」
しのぶはそれ以上言わなかった。知っているんだと思うけど、言えないらしい。
孝志は頭をかいていた。
「わたしだって分かっているよ。自分達の力だけで西岡に勝てなければ意味が無いってことくらい」
またもや郁美に振り回されている自分に嫌気がさしてきた。
「それ、返してくれない」
「だめです」
「私が貰ったのよ」
しばらくにらめっこをしていたが、このままではどうしようもないから、しのぶの前に手を指し出した。
「絶対に使わないって約束するから」
「深田、僕も約束するよ。そいつは絶対に使わせない」
「分かりました」
渋々と、しかも孝志がそう言うのなら仕方ないという表情をみせてから、しのぶはメモリースティックを返してくれた。
受け取ったメモリースティックをポケットにしまって、コンピューターに向う。
「京子」
孝志が心配して声をかけてくれた。
「大丈夫よ」
京子はシャツの腕を捲くると、その腕を勢い良く振り回した。
いつまでもこんな気持ちを引きずってはいられない。
「ほら、はじめるわよ、最終調整。わたしたちは自力で西岡に勝つんだからね」
「そうだな」
「もちろんですよ」
勝つ可能性は全く無いなんて言っていたしのぶも、笑ってそう返事した。
がんばろう。勝てなくても精一杯。
そう決意を新たにした。