橋渡し
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
つぶらやは、もう進路について決めたんか? ぼちぼち学校の先生との面談あるだろ。成績も出ちまったしな。
俺か? まあ、ようやくここで成績が上向いたってこともあってさ。前々からの志望校、やっぱ目指そうと思うよ。今度の面談でもそう話すさ。
――は? お情けで下駄を履かせてもらっただけ? ちゃんと本番で点を取れるようにしとけ?
ちっ、相変わらず厳しいやっちゃな。確かにこれまでのテストの点からするに、当落線上なのは否めねえし……こっからまた、気合入れねえとか。
ちょうど、いま通っているみたいに、俺たちは橋の上にいるわけだよな。
ひとまず足はつけているものの、吹き寄せる風は冷たいし、地震どころか、ちょっと走り抜ける自転車にかすられただけでも、バランスを崩せば、欄干を乗り越えて落ちかねない。
いやそもそも、車道と隣り合っているだけで、死はそこにある……か。ついつい忘れがちだよな。「終わり」が、いつもそばに転がっていることをよ。
でも、「終わり」と同じように、「終わり」が来ないようにしてくれる存在にも、俺たちはたいてい気づかない。その方が幸せなことも多いんだろうが……俺はたまたま、それらしきものに出会う機会に恵まれちまった。
少し昔の話になるが、聞いてみないか?
つぶらやは、この市内にある「くつろぎの川」を知っているか?
市役所から車で、20分ほど飛ばした山中にあるキャンプ場だ。バーベキュー以外にも、多目的ホールあり、運動広場あり、マウンテンバイクのコースありと、アスレチック施設としての実用にも堪えるものだった。
それでも、当時の俺が興味を惹かれたのは、ウォークラリー。この「くつろぎの川」の中のチェックポイントをめぐるのが、好きだったんだ。特に川のせせらぎを耳にしながら、対岸へ渡された木の橋を渡るのに凝っていて、何度も行っては戻るを繰り返していたっけなあ。
長さは測っていないが、14,5メートルほどはあったろうか。手すりはついておらず、橋桁は多少苔むしているが、下を流れる川も、橋の周りならば深さはせいぜい60センチ程度。小さい子供でも、親がついていればそうそう溺れることはない。
一度自由行動を許されると、俺はすぐこの橋に引き寄せられて、往復を繰り返していたんだ。親に何が面白いんだと言われても、俺自身にもよく分からなかったなあ。
ただ、惹きつけられるものがある。そうとしか説明できない時期が続いたが、転機が訪れたのが、11歳のときだ。
このときは家族じゃなく、学校の遠足だった覚えがある。
小さい頃から遊び慣れた場所に遠足……と聞くと、あきあきした感覚が先立って、モチベーションを失うこともしばしばじゃなかろうか?
だが俺は、ワクワクしていたね。休日以外で、またあの橋を渡る機会に恵まれたかと思うと、ウキウキした気分が止まらなかった。バスが到着して、昼の集合時間までの自由行動が許されると、俺は他の人をぶっちぎって、件の橋へと駆けていったんだ。
休日に、家族とここへ来る時間と比べると、一時間半ほど早い。気持ち涼やかな林の中を抜け、見慣れた橋の前までやってきた俺だが、そこで展開されたのは、見慣れない景色だった。
かなたからツバメらしき小鳥が飛んでくる。川面ギリギリを滑り、小鳥は橋の下へと潜りこんだ。そして、その反対側から出てくることはなかったんだ。
目をぱちくりさせる俺は、直後に飛んで来た新たな一羽も、ほぼ同じように消えていったのを確認。先ほどまでの高揚感はあっという間に冷めてしまい、弾みがちだった足音も忍ばせて、俺はあの橋へゆっくりと近づいていく。
その間も、橋の左右から次々に鳥たちが橋下へ潜りこんでいったよ。彼らは同じところではなく、少しずつその箇所をずらしていた。「よもや……」と思いながら、俺は橋のすぐ手前まで来ると、かがみこんで裏側を見やったんだ。
橋の裏側には、川面へ腹の方を見せ、背中を橋桁にくっつけるツバメたちの姿があった。
完成されたパズルのピースを思わせるその造形に、俺は息を呑む。大小さまざまのツバメたちが、かすかなすき間を開けることなくはまり込み、橋の裏をスキなく?覆っている。その腹はかすかに上下動していて、彼らがちゃんと生きていることを物語っていた。
それだけじゃなかった。橋の裏側のたもとから、ツバメたちの腹を伝い、敷かれたじゅうたんのようにして、渡っていく影があったんだ。
何の虫なのかは、いまの俺の知識でも判断がつかない。
フォルムはアシダカグモが足を立てたような姿なんだが、その胴体も手足も糸を思わせるほどに細いんだ。鉛筆一本で、輪郭だけスケッチブックに描いた生き物が、現実に抜け出てきたかのような、奇妙な感覚を受けたよ。
彼らは何匹も連なっていた。ツバメたちは彼らが思い思いに伸ばす、8本の足を腹で受け止めながら、微動だにしない。踏みつけられるまま、自らが橋渡しとなって、この奇怪な生き物たちを対岸へ送っている――。
「――わっ」
かがんでいた俺の肩へ、いきなり両手を乗せてくる奴がいた。
一緒に来ているクラスメートで、橋へ向かう時に置き去りにしていく形になっていたひとりだ。
いきなりのことで俺は飛び上がりかけるも、ここは橋のすぐ手前、いやほぼ真下だったのがまずかった。
ガツン、とジャンプした俺の靴のつま先が、橋の裏側を殴打した。いや、厳密には違うことは、お察しだろう。
その手ごたえは、あまりにも柔らかかった。俺のつま先は橋桁を相手したにしては、ピンク色に染まった水にそまり、ほどなく足元の水中でボシャンと、音が立った。
ツバメの一羽だ。そのお腹を赤く染めながら、その血は出てくる端から川水に流され、薄まっていく。今度は事情を知らないクラスメートの方が、目を剥く番だった。
そこからは、大騒ぎだった。
橋の下から無数のツバメたちが飛び立ち、四方へ散っていく。それに前後して、あの線でできたアシダカグモたちも、文字通りちりぢりになっていった。
橋の裏側から、次々と川へ没する彼らだけど、その身体は水に触れたとたん、紫色のしずくに変わって、川の面を染める。それもまたわずかな間で、すぐさま流れへ溶け込んでしまった。
橋の端から這いずり、表に出ようとしたものも同じだ。陽の光を浴びるや、こちらも身体の端から紫がかった霧となって分かれ、空の中へと溶けていく。ギンナンにも似た腐敗臭が、俺たちの鼻をあっという間に、バカにしていく。
ツバメたちの異様な飛び方を見て、他の人が集まってきたときには、もうそれらの惨劇は終わりを告げていた。水中に没したツバメの身体はすでに流されていたし、橋の裏側を見ても、もうツバメも細いアシダカグモらしきものも、一体たりとも残ってはいなかったよ。
残りの遠足の時間、気味悪くなった俺とクラスメートは、あの橋の近辺に近寄ることはしなかった。
実際、遠足から戻った後、あの橋と川の近辺を通った生徒は、多かれ少なかれ体調を崩していたよ。クラスメートも同様で、校舎へ戻るや保健室に駆け込んでいったっけなあ。
だが、俺だけにはそれがなかった。むしろ尿意に近いものを感じるほど足が震えて、それでいて気持ちよさを覚えていたのさ。あの気色悪い実態を見ても。
いまはもう「くつろぎの川」を離れて久しいが、また訪れることがあったら、俺はどうなるだろう。いつかあのツバメとか、アシダカグモみたいなやつになって、橋を渡っていくのかな……なんてね。