第9話、偶然が少しでもズレていたのなら、相対していたかもしれない
再びの眠りは、夢を見る事もなく。
キショウが次に目を覚ましたのは。
の異世界でも変わらないように見える太陽が昇ってすぐの事だった。
理由は単純。
ここに来てから何も食べていなくて、空腹で目が覚めたからだ。
「おなかへった……」
思い出したのは、ソトミの言葉。
一品増やしてあげるからね。
そのはずの夕食も、すっぽかしてしまったらしい。
自分がこの世界、このお屋敷においてどういった立場であるのかいまいち理解していないキショウにとって、日々の糧を得るにはその時が来るのを待てばいいのか、どこかに用意されているのか、その全てを自分でやらなくてはならないのか、判断がつかなかった。
流石に朝が早いせいか、当然部屋には誰もいない。
見回せば、鏡台の所に水差しがあったが、いつの間にやら飲み干してしまったらしくからっぽになっていて。
「……ごはん、どこかなぁ」
キショウは半分寝ぼけながら……クローゼットに仕舞われていた、ここに来た時点でキショウが身につけていた紺色したどこぞの学校の制服と、いかにも魔法学校の指定らしきマントを身に纏うと、水差しを持ってフラフラと部屋を出た。
「……」
初めて来た場所だったが、ソトミに連れて行かれた場所や、カイと何故か戦う羽目になったそれらしい広場は、なんとなく覚えている。
最終的に、ソトミの部屋(本当は仕事場だが)まで行けば何とかなるだろう。
カイと手合わせした広場へ続く階段も通り道のはずだと、迷いなく、しかしゆらゆらのろのろと歩を進めていく。
キショウがこの世界に降り立って。
目の前に広がっていた、一つの丘。
その中心にあって、麓から見上げてもよく目立っていた大きな城と言っても過言ではないお屋敷。
それは、常人なら縁のないはずの場所。
だが、空腹とともにあるのは、懐かしさだった。
ここの主らしいソトミによれば、キショウとは同じ故郷との事なので、その故郷に似たようなものがあったのかもしれない。
ふかふかの足音の立たない真紅の絨毯に、橙の淡く光る魔法灯。
確かにこのような建物へ通っていた自分を思い出す。
ここへ来たばかりの時は、ほとんど思い出せなかったのに。
あの夢を見たせいなのだろうか。
悪夢……とは言いたくない、恐らくはキショウ自身の過去の記憶。
それ以上を知ってしまったら、と言う不安感も確かにあったが。
今はその時じゃない、とばかりに癇癪を起こす腹の虫。
擦り宥めながら歩を早めると。
気づけばカイと手合わせする事になってしまった場所を、そのまま中庭に移したような場所へと辿り着いた。
建物の中なのに地面があって、空が見える、そんな場所に。
本来なら、朝ごはんと言う目的から外れるためにスルーしてもいい場所でもあったが。
その広場が小さく狭い箱庭に見えてしまう程の大きな存在がそこにいて、キショウは思わず立ち止まってしまった。
例えるなら、墨を染みこませたかの如き黒色の、縦も横もキショウの三倍はくだらないだろう毛むくじゃら。
それは良く見てみれば、獅子のたてがみのようで。
毛むくじゃらの奥に尋常ならざるほどに鍛え上げられた四肢が垣間見える。
人のように仁王立ちする黒い獅子の背中。
その、震えるほどの威容に、気が付けばキショウは吸い寄せられるように近づいてしまっていて……。
※
SIDE???
「……ん? 誰だ貴様は。見ない顔だな」
朝食前の軽いトレーニングとクールダウン。
当の本人からすれば、そんないつもの朝の一幕。
そこに訪れた闖入者に対して、純粋に疑問に思いそう口にしたに過ぎない。
だが、見た目に即したその声は、正しく百獣の王を思わせるほどに重く響き威圧する。
『図体も声も大きすぎるくらい大きいんだから、いろいろ気を使いすぎるくらいがちょうどいいのよ』
悪『役』から解き放ち、善への道へと進むきっかけとなった、黒き獅子の従うべき王の言葉。
故に、昨日の呼び出しも自重した(何せ、部屋に入るのも一苦労なのだ)わけなのだが。
その一言だけで空気が振動し風が起こり土埃が舞い、目を細めて風に圧され一歩下がる、矮小としか表現できない小さな少年に、黒き獅子は少なからず動揺した。
カイのような、見た目と中身の違う例外がいるにしても。
どんなリアクションを取られるのか、半ば予想できてしまったからだ。
恐怖に慄き逃げ出すか、追い詰められたもののように動けなくなるか。
あるいは悪の矜持よろしくいきなり攻勢に出るのか。
どちらにしろ面倒な事になると、見た目とは裏腹な心情でいると。
しかし矮小な人の子……のように見える少年キショウは、思いもよらぬ行動に出た。
「あ、おはようございます。昨日からここでお世話になってるキショウです。お姉さん、ライオンの獣人さんですか? 始めて見たなぁ。かっこいい」
なんと、風が収まったかと思ったら、逃げるどころか近づいてきて。
キラキラした瞳で『彼女』の不躾な問いに答えたではないか。
しかも、獣の王とも言うべき形態であるのにも関わらず『彼女』である事をいとも容易く看過してみせる始末。
黒き獅子は、驚きに目を瞬かせると同時に。
曇りのない瞳で見上げられ、何だかむず痒く気恥ずかしくなってしまう。
別に服を着ていない、というわけでもないのだが、見た目に臆する事無く隠していた秘密を暴かれたような気になったからだ。
「フォルトナ・ラクロックだ。もしや貴様が昨日王が言っていたイレギュラーか」
「ええと……よくわからないけど、昨日ここに来たのは確かだよ」
恥ずかしさを誤魔化す形で威圧と殺気を込めてぶっきらぼうにそう問いかけるフォルトナ。
突然起きた圧する風に驚いてはいたが、小さき少年キショウは威圧も殺気もまるで気づいていないかのように目を細めて流してみせる。
実際の所、キショウとしてはライオン獣人のお姉さんはでっかくてかっこいいけど、むやみにこちらを傷つけたりはしないだろうといった妙な自信があったからなのだが。
それを目の当たりにしたフォルトナとしては、やはりその庇護せねばならぬような見た目とは違い、王……ソトミの言う通り一見すると悪役には見えない、最大の見せ場で裏切り、あるいは正体を現し、物語の主人公達を貶めるS級の悪『役』である可能性が高いと判断した。
判断してしまった。
「……よし、わかった。なればこの俺様も直々に貴様を鍛えてやる事にしようか」
「鍛える?」
「ああ。逃れられなかった役を棄て、あるいは活かす事ができるようにしてやろう。今まで俺様は『弟子』を取ったことがなかったが、これもいい機会だ」
フォルトナにとって今までは、恩義のあるソトミの敵を排除するための刃となる事が、役を棄ててからの生きる意味であった。
この優しい世界から巣立つ、力ある同胞を見送る際も、称える気持ちはあったがいつか自分も、という気にはなれなかった。
それは何より、条件の一つである『弟子』の育成……共に世界を、力合わせ救う、なんて考えに至らなかったからだ。
カイやサマンサ、クルベなど、あるいは同等かそれ以上の力を持つ同期はいたが。
皆が最早幹部クラス……指導する側であり、共に異世界に赴き救う、という機会はほどんどなかったのだ。
「えっと、それってカイ君にも言われたけど……」
「ああ。俺様も同期の者達が弟子を取るなら遠慮しておこうと思っていたんだがな、王は俺様達皆で貴様を鍛えよとおっしゃっていた。貴様にはそれだけの可能性がある、という事なのだろう」
ここに来るまで……役の呪縛から逃れ、ソトミや同期達と遭うまで、フォルトナはその血故に自身が最強であると疑っていなかった。
今でもその気持ちを譲る気はないが、それでも認める強き同期達と一緒になって一人を鍛えたら一体どんな存在が生まれるというのか。
こうしてキショウを実際に目にして、それがたまらなく楽しみになったというのは正直な所である。
「それって、僕が強くなれるってこと?」
「そうだな。一体どんな結果になるのか想像もつかないが」
瞬間、それまでどこか茫洋としていた雰囲気が消え、キショウの瞳に強い意志が宿るのが分かる。
『役』にはまったからには、そこまでに至る何らかの原因がある。
その原因……あるいは想いを叶えるには強さが必要だろう。
フォルトナは頷いたが、心中では何もかもうまくいくわけではないがな、と一言添えていた。
この世界に落ちた以上、悪『役』を下ろされ剥がされるのにそう時間はかからない。
その時、どんな素顔を見せてくれるのか。
自身で身に沁みて体験したフォルトナにとって、他人のそれを見るのは楽しみで仕方がなかった。
「そ、それじゃあ弟子になるよ、お願いしますっ」
「その意気や良し。俺様は大抵この時間にはここにいるからいつでも来るといい」
「はいっ」
『役』持ちであること、その前提が間違っている事など気づきようもないフォルトナ。
だからこそ一層、勘違いは大きなものへと成ってゆく。
それに気がついた時には、最早手遅れになっているなどと、一体誰が予想できよう……。
(第10話につづく)
次回は、7月16日更新予定です。