第7話、魂と感情を受け入れた人形が隠れ潜むのは、果たして恋ゆえか
「あの娘がキショウくんを避けているのだとしたら、やっぱり額の傷が原因かしらね」
「……額の傷? ああ、そう言えば帽子かぶっていたものねぇ」
一旦キショウの元を離れ、多くの英雄候補達が住み暮らす棟へ向かう道中。
話題となったのは、直視するのには、中々にハードな、抉れ捻れたようなキショウの傷についてであった。
反芻するサマンサに、傷を見てしまった事は内緒ね、と付け加えた後。
ソトミはその事について黙考する。
あんな傷を与えておいて、呼び出しに応じないくらい避ける意味。
加害者として合わす顔がない?
あるいは、報復を恐れているから?
どっちもありえそうで、しかしそれでも「らしくない」なんて思う。
ソトミは、そのどちらでも彼女が引くとは思えなかった。
何か他に理由があるんじゃないかって、そんな気がしてならないのだ。
「もしもーし。テリア~? いるんでしょ、あーけーてー」
このわたしの呼び出しに応じなかったくらいなのだがらと。
ソトミ自身、正直返事は期待していなかったのだが。
直ぐに返ってくる控えめな『はい』の言葉。
これはやっぱりあの子と会いたくなかったのかと。
サマンサと顔を見合わせつつそのまま部屋へとお邪魔する。
ここへやって来た者達の中でも、古株と言ってもいい彼女。
ソトミの相棒として、大きく広い部屋を与えられて然るべきなのだが。
どうも彼女は狭い所が好きなようで。
元々彼女の部屋だったものは、彼女の趣味の一つでもある魔法工房と化していて。
本人は階段下にある倉庫のごとき部屋で過ごしていた。
三人入れば顔付き合わせる勢いの狭い部屋。
ベッドはなく、箪笥や鏡台を除けば、家具と呼ばれるものは大きめの藤椅子一つ。
そこに表情を変えず……しかしソトミに分かるくらいに落ち着かない様子で本を読んでいる一人の少女がいた。
人間の形をしているのだから人形という表現は当たり前というか、ソトミ自身は彼女の事をそう称したくはないのだが、正しく人形が着るような、だけど黒の多いゴシックなドレスと相まって、等身大の動く人形と称すのがぴったりはまる、テリア、という名の少女。
細かいウェーブのかかった腰まであろうかという海色の髪と、同じ色の輝石持つ大きな瞳を持つ彼女は。
悪『役』であった頃は今よりもっと人らしくて感情があった。
濁り螺旋に渦を巻く感情を身に纏っていたテリアは、ソトミをもってしても御するのに苦労したのは確かだが。
妄執……悪意といった類のそれは、澄んで漣の一つもない。
今ではご飯の種にできるくらい過去の事だってソトミは思っていたが。
敢えてこちらを見ない感じが、未だ根が深いのだとよく分かって。
「おなじみのだーいぶっ!」
「み゛ゃっ!?」
気づけばソトミは、藤椅子と挟み込むようにしてテリアへと飛び込んでいた。
触れれば分かる、人の形だなんてとんでもない柔くぬくい感触。
ゴシックなドレスも肌触り抜群で、故郷の夜に咲く花の香りがソトミの鼻腔を擽る。
お馴染みと口にはしたが、実際こんなアクションを頻繁に行っているわけでもなかった。
サマンサもソトミのいきなりの行動に固まっているし、普段なら絶対出さないような悲鳴を上げるテリアがその証拠だ。
それでも内心で、あ~これは病みつきになるかも、なんてソトミが思っていると。
そのまま胸元に顔を埋めかねないソトミに対し、ようやく抗議の声がかかる。
「……何してるんですか、いきなり」
しかしそれは、抗議というには弱すぎて、そんなにはないだろうと思い込んでいるソトミの嗜虐心を煽るには十分で。
出会った頃ならこんな事をすれば魔法の一つも飛んできたっておかしくなかっただろう。
ソトミの調教……ではなく、自身を省みて役から解き放たれたテリアは。
牙がなくなった代わりに女の子の憧れ、とも言うべき存在へと昇華した。
おとなしくて優しくて一緒にいるとほんわかする。
サマンサやもう一人のお気に入りでもあるサマルェなども、ソトミにとってみれば魅力的な少女だが。
ソトミ的お嫁さんにしたい彼女ナンバーワンと言えば彼女なのだ。
「何って、テリアがわたしのこと無視するからいけないんでしょ~」
反動つけてテリアから離れ、頬を膨らませての一言。
恐らくは『やんちゃ』だった頃のテリアの被害者で。
それからどういう経緯を持ってここへやって来たのかは分からないが、会うのは気が引けるから……なんて事をソトミは予測していたが。
「……あの子は、私の被害者です。会わない方がいいと、そう判断しました」
正しく考えていた通りの事を口にされてしまうと、真実は他にあるんじゃないかって逆に疑ってしまう難儀な性格のソトミである。
「それならそうって連絡くれればいいのに、反応なしはへこみまくるんですけど」
「あ、ご……ごめんなさい」
自分が避けられたんじゃない事くらい分かりきっているのに、素直に謝られると安心しちゃう自分ちょろいわー、なんて内心で思いつつ。
嫌なら無理に会わせる事もないだろうと、ソトミが考えを纏めかけていると。
「被害を与えた者に対し、なんの償いもしないと言うの? 役とはいえ相手の言い分を、報復を受けなくちゃならない義務が私達にはあると思ったのだけど」
それまで、特に口を挟む事なくソトミ達のやり取りを見守っていたサマンサが、純粋に疑問なのだけど、とばかりにそんな事を呟く。
「それは、そうなのですけど……」
正論すぎてぐうの音も出ない。
だけど、はいそうですか、とも頷けない。
今の今までその義務をできる限り真摯に果たしてきたテリアにしては、なんだか煮え切らない……そんな態度で。
「う~ん。会いたくない、会えない理由は詳しく話せる感じ?」
呼び出しをスルーするほどなのだし、テリアにとってそれは重くてきつい事なのかもしれない。
今まで敢えて聞かなかった事だが、ここまで来てしまうと気になってしょうがないソトミは、ダメ元でそう聞いてみたが。
「……あの子が私に報復をと願うのなら望む所です。ですが、あの子はきっと私と出会えば後悔するでしょう」
「後悔ねぇ。そんなタイプには見えなかったけど」
悪『役』の時から小さい子に弱いと言うか構えたがりなサマンサにしてみれば。
キショウと関わりがあるのなら落とし前をしっかり付けるべきじゃないかしら、と言った所だろう。
後悔。二人が出会う事で起こるテリアにとって後悔する事とは何か。
自己犠牲精神の甚だしい彼女が恨みつらみ以外でキショウを避けなければならない理由とは?
「はっ……まさか」
思わず声を上げ、ソトミは改めてじぃっとテリアの事を凝視する。
元々人ではなかった彼女には、心が、感情がないという『役』設定が付加されていた。
つまるところ何が言いたいのかと言うと、愛や恋と言うものに疎く慣れていないという事でもあって。
芽生えた感情を受け止めきれずに戸惑っているのだとしたら。
そう思い続けてテリアの事を見つめ続けていると、いかにも恥ずかしげに視線を逸らすではないか。
これは当たりだ!
そう確信しきったソトミは、にまりと口角を上げつつ思いついたとびきり楽しい事を口にした。
「……いいわ! わたしのわがままで保留にしてたテリアの英雄になるための『卒業試験』、それにしましょう!」
「それ、とは?」
何故か天を仰いでいるサマンサと、さっきとは別の意味で戸惑った様子で聞き返してくるテリア。
ソトミは一つ頷き、胸を張って宣言する。
「あなたが卒業試験として、最後の世界を救う際、キショウ君を随伴させるわ。彼にも準備や段階があるし、すぐってわけにはいかないけど、それが上手くいけばあなたは自由よ。……ずっと望んでいた事でしょ?」
テリアは、ソトミがこの世界を創った時からの相棒だ。
今と違ってとんがっていた頃の彼女は、自由になりたいとしょっちゅう口にしていたのだ。
ソトミが一人でいるのが寂しかったから、何やかや宥めすかして引き止め続けていたが、いい機会、なのだろう。
テリアに大切な人ができたのなら、ソトミは笑って祝福する心算だった。
「……それは命令かしら?」
ちょっと昔に戻ったかのような、慎ましやかの消えたテリアの表情。
ソトミはそれに、ぶんぶんと首を降って。
「まさかあ。テリアがいやならやらなくていいよー」
どっちに転んでも、それはそれで。
ワクワクに笑みを深めてソトミがそう言うと。
しまいにはテリアもサマンサも同じような、何かを悟ったような顔をしてため息を吐いた。
「あれ? ため息をつくと牙を剥いて襲いかかってくるんじゃなかったの?」
「ため息って。いつからそんな物騒な事に……」
「うちらの故郷ではそうだったよ、ね?」
「……」
眉をひそめるサマンサに、肯定も否定もしないテリア。
まぁ、そう言う冗談の類と言うか、一部の話ではあるのだが、それでもテリアはさっきより苦労の忍ばれる息をついて。
「……分かりました。少し考えさせてください」
よし、言質を取った!
なんてソトミが拳を握った、その瞬間だった。
心にダイレクトに響いてくる、そんな音が聞こえてきたのは。
それは。
馴染み深くて、感極まる魔力の波動。
テリアとソトミでは、それによって起こる感情の波は別物だったが。
思わず、顔を見合わせてしまう彼女達がそこにいて……。
SIDEOUT
(第8話につづく)
次回は、7月12日更新予定です。