第59話、護られ庇護されているのは自身であると、気づけないままに
グゥオオオオォォォンっ!!
その体格や身体の色合いなどは置いておいても。
大仰なバトルアックスを手にした牛頭の怪物にしては、その鳴き声……咆哮は牛らしくないなぁ、なんて思ったのは一瞬のこと。
内なる世界にいるキショウに参考にしてもらえれば。
これはあくまでも訓練であって、手段を選ばず勝ち取り生き残るための戦いではないと。
余裕、あるいは慢心めいたものがウルハの中にあったのは確かなのだろう。
それ以前に、キショウのためにと……かつては同じ立場で席を並べていたはずの彼女が、創造主にも等しい彼に何かを教えるだなんて烏滸がましいと。
勘違いしている部分があったのは確かで。
「……っ!?」
咆哮が物理的な圧となって、押さえつけるかのごとく。
牛頭の怪物、ユミの言うところのダンジョンボスの生命力、故郷で言うならば魔力めいたものが跳ね上がったのはまさにその瞬間であった。
それまでは、お互いが訓練の一環であることを理解していたかのように。
正直に言えばその大仰な斧の動きも単純で読みやすいものだったのに。
どうせ訓練なのだから、という奢った考えを悟られたのだろうか。
牛頭の怪物のはち切れんばかりの二の腕がブレたと思ったら。
そんな考えに喝を入れるかのように、当たったら切れる前に粉みじんになるであろう極太にすぎる刃がすぐそこに迫っているのが分かって。
「【水】よっ!」
それでも相対していた以上気を抜いていたというわけでもなく。
身近な根源、その名をなんとか口にして。
自身と迫り来る斧の間に、粘性の高い水の膜を盾のように生み出すことに成功したが。
「グゥオォォッ!」
「くぅっ。ちょ、ま。これはっ」
まるで、ちょこまかと小賢しい矮小な敵を文字通り叩き潰す勢いの一撃。
臆面もなく何も飾らずに言えば、最早訓練の度を超えた、殺さんとするひと振りで。
ズドム! と、気づけばスライムめいた水の膜を乗り越えあまりにあっけなく、肩口を抉られ削られる感覚。
その勢いに余って流され敢なく吹き飛ばされる中。
想定外のことが起こった証左であるのか、ユミの悲鳴じみた声が聞こえた気がして。
これはただの訓練などではないと。
目前にいる牛頭の怪物が、今は姿の見えないカイが化けて、初めての弟子をもんでやろうと、試しているわけではないと。
気づかされたのはまさにその瞬間で。
「……ぐっ。これはちょっと、想定外かもっ」
運がいいのか悪いのか、そのまま燭台の形をした塔の根元に叩きつけられたウルハは。
攻撃を受けたのならばすり潰されるであろう一撃を肩口に受けても千切れることもなく二の句を告げるくらいの余裕はあったらしい。
何気なく自分を顧みれば、極薄の肉襦袢のごとき自身を覆っていた、キショウになりきるための水の膜が、見事に肩口から切り裂かれ引っ張られ剥がれ抜け落ちているのがわかって。
「やばっ、でもまぁ今更姿隠してなりきってる場合でもないか。あの程度の水の守りでも衝撃を緩和する効果があっただけ行幸ね」
苦笑し嘯くその場には、キショウの姿はどこにもなく。
あったとするならば、抜け殻のように破れ放り出された水の膜のみで。
そこには、テリアとは趣の違う水の色をたたえたボブカットの髪の少女がいた。
少女、ウルハはサファイアのごとき瞳に、そんなセリフとは裏腹に焦燥感を浮かべつつも。
それでもダメージがないわけではなかったのか、ふらつき肩を抑えながらも起き上がり、牛頭の怪物へと歩みを進める。
(一撃もらって解る。いや、初めからわかってたことだけど、これは私ひとりじゃぁ荷がかちすぎるわね。ゼンザイ……あの子なら体格的にやりあえる? でも、ここまできて他の子に押し付けるのもなぁ)
そもそもが、キショウの内なる世界に棲まう仲間、人格たちはお互いが干渉できないし、どうやって選ばれ変わっているのかも分かっていない。
目前の牛頭の怪物とも引けを取らない巨人族の血を引く彼ならばやってやれないこともないだろうが。
その見た目の割に戦いに向く性格でもないし、いきなり押し付けるのも申し訳ない気がする。
それより何より、他の誰かに変わるためには、一度キショウに身体を返す必要があって。
それはそれで不安があったウルハは、こうなればなりふり変わっていられないと。
ここからは訓練ではなく、自身の……ひいてはキショウを守るための戦い方をしなければと決意して。
「【水】よ……っ!」
再度呟く、ごくごく簡略化された魔名。
そして生み出したのは。
何でも削り取る水の剣でもなく、何物も穿つレーザーのごとき水弾でもなく。
【水】の魔精霊、魔物をイメージした時に真っ先に思い浮かぶであろう、その髪色のように澄んだ色をたたえたスライムのようなもの、で……。
(第60話につづく)
次回は、1月16日更新予定です。