第53話、水を愛し愛される彼女は、生来の演技者
SIDE:キショウ?
まる爺との語らいは、そう長い時間ではなかったはずであるのに。
まさか、あんな化生めいた咆哮放つ存在に変わってしまったのかと。
慌てふためきつつ来た道を駆け上がると、ちょうど地下と上階の境でもある塔の入口のところで、同じように駆け下りてきたユミと鉢合わせする。
「あ、やっぱり地下にいても聞こえたみたいね。このダンジョンの核と言ってもいい、ボスモンスターの声が」
「はっ、はい。師匠やユミさんの声が混じっている気がして慌ててやってきたんですけど……ほっ。気のせいだったのかな」
まる爺に半ば脅される形であわくってやってきたら、そんな狼狽などどこ吹く風で。
待ち構えていたかのようなユミが、語る言葉ほど焦った様子もなく、いつもの解説を始めだす。
「気のせいではないわ。相変わらずいい勘を持っているじゃない。そもそもこの、『スリー・サーキュレイト』を彷徨い徘徊するキャスト……モンスターたちは、ここに訪れし探索者を喰らい捕らえた成れの果てって設定なのだけど、そんな彼らが寄り集まってくっついて生まれたのが、あの声の持ち主なの。一旦別れることとなったパーティメンバーに化けた『オブシディアン・ウォーカー』を倒すことで、偽者だと分かっていても、もしかしてあれは本物だったんじゃあって、思わせるのが目的ね」
「……はは。相変わらず身も蓋もないと言うかなんというか」
師匠として、あまりに過保護にすぎやしないかと。
思わず突っ込みたくなったが、ここまでくるともはやそう言う指導方針なのだろうと納得するしかなくて。
手とり足とりアドバイスを受け、そんなわけで早速ご対面と行きましょうか、なんて。
ちょっと近くへ夜の散歩へ行くかのような気軽さで、それでも有無を言わさず引っ張られるようにして塔の外に出る。
本来、陽が落ちてからのボスの出現は珍しいらしい。
それは、そのボスモンスターらしい威容をはっきり見ることができないからだとか、働き方改革で営業時間があるからだとか、色々理由があったようだが。
いつの間にやら、すぐそこまで迫っていたはずの黒雲もどこかへ行ってしまっていて。
血のように赤い、何故だか随分と大きく見える月が、煌々と塔を中心とした広場を照らしていた。
「……っ、『ブルグ・タウロス』? いや、それにしては大きすぎる」
「あら、どこかで邂逅したことが? 確かに多くのダンジョンで比較的よく見るモンスターではあるかしら。正式名称はないんだけど、普通にここでは『ミノタウロス』って呼ばれているわね」
塔の入口を出てすぐ、否が応にも目に入った威容は、その月よりも赤い……言うなれば血肉を集め捏ねられより固められたかのような色合いをしていた。
出てきた塔と同じくらいの背丈があったことで、思わず身を隠し潜めたのが功を奏したらしく、こちらに気づいた様子はなかったが。
あからさまに何かを探しているらしく、鼻息荒く大仰にすぎる巨大な斧を振り回しつつ塔の周りをぐるぐると回っている。
「ちょ、ちょっと大きすぎませんか? まさかあれを倒すんです?」
それが、訓練内容……あるいはこのダンジョンを攻略、脱出するために必要であるのならば吝かではないが。
ひと目目の当たりにしただけで、あれは一体一でどうにかなるような類のものではないと理解させられてしまっていた。
恐らく、このダンジョンを訪れた探索者で協力しあって戦いを挑むのか、あるいはこのダンジョンそのものを利用して攻略する必要があるのだろう。
少なくとも、着の身着のままでショートソードの一つも持っていないキショウには荷がかちすぎる気がしてならなかった。
とはいえ彼女、あるいは他の内なる人格ならばそれぞれがやろうと思えばやりようがあったりする。
それは、色々とヤブヘビになる気がして口にはしなかったが……。
「ふふ。そのまさかよ、って言いたいところだけど。実はこのダンジョンから脱出するだけならスルーするのもひとつの手ね。でも、ここで避けてもアレは脱出するその瞬間までしつこく追ってくるわよ。ここはお誂え向きに広いし、こちらに気づいていない今がもしかしたら一番の勝機かもしれないわね?」
「あれにいつまでも追いかけられるのは、ちょっと夢に出そうで勘弁して欲しいですね。……わかりました。やれるだけ、やってみます」
それすなわち、倒すこと叶わなくても、ダンジョン攻略のためには少なからずここで一戦、足止めしておく必要があるという事なのだろう。
そうであるならば。
会い見えたその瞬間に、キショウを護るためにどうすればいいかと本能のままに考えていた、『やりよう』の一つを実行に移すことにした。
(……では、行きます)
いってらっしゃい、わたしはとりあえずここで見守っているから、などと目と目だけでユミと合図して。
その瞬間、意識を切り替えて。
今の今まで勇者見習いなキショウてあった自分から、音もなく標的に迫り来る暗殺者のごとき自分をイメージする。
夜も更け、赤い月明かりだけがそこにあったのも功を奏していたのだろう。
足音すら立たずに、それまで確かにあった生ある気配すら薄れ溶けて。
筋骨隆々、小山のように盛り上がる化生の、その無防備な背中めがけ突貫していく……。
SIDEOUT
(第54話につづく)
次回は、12月22日更新予定です。