第20話、勘違いを正したいのに、今となってはそれこそが一番怖いことになっていて
「……あ、あなたは」
人の形らしく、着飾るに映えるだろう海色の髪の、すぐ後ろから聞こえる……
一言で言うなら憧れの人にようやく出会えたかのような熱ぼったく湿った声。
どこかで聞いたばかりのセリフ。
それを無視して逃げるのが一番楽な方法だったのかもしれない。
しかし、狙ったのかそうでないのかは確かではないが、この状況に追い込まれて後回しにして逃げられるほど太い精神をテリアは持ってはいなかった。
彼女かつての自分を思わせる、ぎぎぎと鉄錆た動きで後ろを振り返る。
「お姉さん! 思い出した。ううん。忘れるもんか。ぼくはあなたに助け、救ってもらった事をちゃんと覚えています。ありがとうって、いつか言えれば良いなって、そう思ってたんです!」
違う、勘違いも甚だしい。
むしろその逆だ。
お前が死のうが生きようが関係ない。
目に、耳に障るなら打ち払うだけ。
はっきり言って歯牙にもかけてはいなかった。
……初めて会ったあの瞬間ならば。
そんな言葉たちをすぐさま返せていたのだろう。
しかし、今はもう無理だった。
嬉しさと達成感を振りまくこの近さで、どうしてそんな無慈悲な言葉が返せよう。
しかも、時が経って役を降りて、テリアはずっと初めての出会いの時を気にかけるようになっていたのだ。
もう、何も関係ない他人だとは到底思えなくなっていて。
「……」
はいともいいえとも人の形からは紡がれない。
自らの本質であるかのように、乗っ取ってその思いを享受したい自分と。
その澄んだ瞳を濁らせ、絶望に染め、罰を受けたい自分とが戦っていて。
かつての物云わぬ人形のように動けず、ただキショウを見つめている事しかできなかった。
そんなテリアを、キショウはどう思ったのだろう。
何も答えないテリアに、何を悟ったのか。
テリアには分かりようもなかったわけだが。
そんなキショウが触れんばかりに一歩近づいて。
様々な意味合いの中、テリアは大きく震え上がった。
でも動けない、動かない。
どう転ぼうとも自分にはその権利はないと思っていて。
「【バウンサード・ボールっ!】」
「……っ」
「うわぁっ、いて、いててっ。ちょっ、ソトミさん痛いっ、地味にすごく痛いって!」
「不可抗力なところがあるから1%の力で許してあげる。とりあえずはわたしのテリアから離れなさいっ!」
瞬間、横合いから近い二人を遮るように(むしろキショウにはいくつも当たっていたが)突如降り注いだのは。
色とりどりの……キショウと地面との間で良く跳ねるカラフルなスーパーボールのようなものだった。
今は宣言通り、1%の力しか込められていない魔力の塊であるそれは。
狭い所であればある程絶対的な効果を発揮する、ソトミを代表する攻撃魔法の一つであった。
私物扱いされる以上に、結構怒ってる気がしなくもないソトミに驚きを隠せずにいる一方で。
ソトミがそんな強硬に出るほどひどい顔をしていたのかと、ハッとなって頬を抑えるテリア。
魔法の衝撃により面白いくらいに吹き飛ばされ尻餅をついていたキショウは、そこでようやく恩人に対して我を忘れ不必要に近づきすぎていたことに気づかされる。
「……ごめんなさい。おれ、調子に乗ってました」
不意に、親譲りの無鉄砲さ、デリカシーのなさが基本で、よく怒られていた事を思い出して。
キショウは居住まいを正しぺこりと頭を下げる。
サマルェの薬により意識を乗っ取られ、自由が利かずにいた点を顧みればしょうがない部分もあったのだが。
心の深いところで自身の中に潜む別人格たちは、結局自分の一部であると気がついていた故である。
「い、いえ。あなたが謝る事ではありません。私の覚悟ができていなかったのが悪いのです」
もし再び会う事があったのならば、サマンサが言っていたように自身の罪をを償い、彼が……キショウが望む罰をを受ける腹積もりであったのに。
心の準備が足りず、いきなりだったとは言え随分と取り乱してしまった。
自身の犯した事を白状することが怖くなってしまった。
キショウの勘違いを正す事が億劫になってしまっていて。
これではダメだとテリアは頭を降る。
そして、どうせ出会って顔を突き合わせてしまったのだからと、覚悟を決める。
後にテリアはソトミから、その様はまさに決死で死地に赴かんとしている戦士のようであったと聞かされたが。
結局その覚悟は、消化不良で発揮される事はなかった。
再び、何事かと思われる勢いで部屋の扉が開いたかと思うと。
苺のような赤髪ロングの小さき……テリアよりもよっぽど人形めいた同世代の元悪『役』の一人。
サマルェが、ソトミやテリアにもたまに向けるような。
意外としっくりくる捕食者の笑みを浮かべて飛び込んできたからだ……。
(第21話につづく)
次回は、8月12日更新予定です。