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西条深雪には、もう一つの顔がある。
だけどなんてことはない。
会うのはこれで、二回目なのだから。
「ボクが怖い?」
そう言って目の前の彼女は、ふっと微笑む。
「ちょっとだけな」
「なら改めて自己紹介をしよう。安心して欲しい、ボクは君も知っている通り、"西条深雪"だよ」
それは知っている。
だからこそ――怖いのだ。
二重人格――。
つまるところそれこそが、西条深雪が抱え込んでいる、ゴシップガールの正体だった。
「それにしてもシンシンさ、君さっきこっぴどく振られたよね?」
口元に手を当ててクスクスと笑うあたりが、まるでうちの母親にそっくりだ。
俺のことを何でもかんでも見透かしていて、しかしやはり、何でもかんでも知っている。
「うるせーよ。て言うかやっぱりあれって、そういう事な訳?」
不思議な気分だ。
好きな相手の恋愛相談を、事実、好きな相手にしているのだから。
「さぁ? ボクと深雪はあくまでも独立している個人だからね。一つの身体を共有しているだけに過ぎないんだ」
だから、
「そう、知らない。互いのことは実際、そう深くは知らないんだよ」
だけど、と西条は言う。
「ボクとあの娘にもしも決定的な違いがあるのなら、それは恐らく目だろうね」
「目? なんだよそりゃ」
「見えているものが違うのさ。厳密に言えば、ボクが起きている時、あの娘は寝ているし。だけどあの娘が起きている時、ボクは起きていられる事も出来るんだ」
「そりゃあなんとも便利なもんで」
便利……なのだろうか? 果たして本当に。
こいつが起きている時、西条は寝ている。
それはつまり、西条にとっての俺がこいつと過ごすこの時間は、空白の時間ということで。
一体それは、どれほど怖いことなのだろうかと俺は思う。
記憶喪失、とは、やはり少し違うのだろうが。
だけど時間がなくなっている感覚は、紛れもない真実だ。
俺にとっての二回目は、一体彼女にとっての"何回目"なのだろう?
「お前は今のままで良いのか?」
俺の言いたいことを察したのか、西条は廊下の窓から月を眺めながらに答えてくれる。
「元々ボク達のこの曖昧な関係は、あの娘が望んだことだった」
それは一体、
「どういう意味だよ?」
「君がいけないんだよ、佐野山信吾」
気が付けば西条は、俺の顔を真っ直ぐと見つめていた。
さきほどまで感じていた、どこか虚ろげな瞳ではなく。
今度は強く、何か意志の篭った鋭い瞳で。
「君があの娘のことを好きになったりするから、あの娘は、そしてボクは、自分の殻に閉じこもる他なかったんだ」
「……」
答えられない。
人を好きになると言うことは、いけない事なのだろうか?
誰かに強く、責められなくてはいけない事だったのだろうか?
「どうして、俺が悪いんだよ?」
「悪いとまでは言わないさ。だけどそれでも、それでも敢えて誰かを悪者にするのなら、きっとあの娘が悪いんだよ」
「なぁ、教えてくれよ。俺はどうすれば良い? 分からないんだ、自分の気持ちが」
俺は迷っている。
迷っているのを分かっていて、抜け出せない。
いくら考えても答えが出ない。
色とりどりの絵の具が混ざり合わさったところで、結局は黒に染まっていくのと同じように。
西条には元に戻って欲しい。
だけど西条はそれを望んで居ない。
二人の望みがどうしても噛み合わないなら、もう、いっそのこと。
「こんな想いは消してしまいたい?」
「それは……」
「人の好意が泡のように簡単に消えてしまうものなら、誰も悩みはしないんだよ。だから、うん、そうだな、その答えについては、ゴシップガールにでも聞いてみなよ。彼女ならきっと、その答えを知っている」
最早、苛立ちを隠せそうにもない。
焦りなのか不安なのか、あるいは悲観なのか。
どちらにせよ、
「だから、そんなのはただの噂だッ!!」
思わず叫んでしまっていた。
「噂じゃない。居るんだよ、ゴシップガールは本当に、確かに"存在"しているんだ。だからちゃんと、探して欲しい。君ならきっと、ゴシップガールを見つけられる筈だから――」
そう言い残して気を失ってしまった西条の身体を、俺は咄嗟に腕に抱え込んだ。
「探すったって、どこに居るって言うんだよ……そんなもん」