三
カキーン
妙に陽射しが暖かく感じるのは、身体が寒さに慣れ過ぎてしまっていたからかもしれない。
「ヒット、ヒットー!」
遠くから俺に向けられた誰かの声を聞きながら、ちょうどいい加減の全速力で目的のベースへ。
ずさーっ
「セーフ!」
審判の掛け声を聞いた途端、何を思ってそうしたかは、自分でも分からない。
「野田さーん!」
調子のいい後輩の池垣に名前を呼ばれているのにもかかわらず、そんなのどうでも良くて。
「野田さん、最高っすー!」
あと三日で支店からいなくなってしまう彼女を、ネイビーのジャージ姿で女子に紛れて草むらで体育座りをしている川崎さんを。
いまだに見てしまうんだ。
「いやぁ、やばいっすね、野田さん最高―!」
「お前に言われても嬉しくないんだよ」
二月があと三日で終わろうとしていた。今朝見た天気予報によると、今日は四月中旬の気候らしい。そんな中で行われた恒例の銀行主催球技大会。小野山支店の第三位という順位には、一応俺もそれなりに貢献できたらしい。
「えー!野田ちゃん最高だったよ―!」
芝生にぺちゃんと座って普段とは違うふんわりしたポニーテールを揺らしながら、新井さんはまつ毛がクルッと上がっている目を輝かせる。
「ありがと」
俺がそう言ってにっこり微笑みかけた新井さんの隣には、片方の耳にかけられた黒髪を斜めに揺らしてこちらを向く川崎さんの姿が。
「それにしても今日あったかくてまじで良かったっすよね」
俺の小さな偉業の件は川崎さんが発言する間もなく、気まぐれ池垣の話題転換により消滅してしまった。
「ほんとだよねー、去年すっごく寒かったもん」
「まじでこの時期の球技大会考えたやつ、変人っすよねー」
どうでもいい話にふと集中力が途切れ、草原に目をやると、一輪のたんぽぽが咲いていた。
「ねえねえ、変人といえばさぁ」
変人というワードで話を広げようとしている新井さんの声の続きを聞く気が失せて、俺はすぐ傍にいる川崎さんのことを考え始めてしまった。
もうすぐいなくなる、のか。
ひらめく山吹色、形を持つかのように零れ落ちる雨粒、黒い瞳。
俺は、どうしたい。
「でも川崎さんも芸術家とか好きそう!ねえ、今までどんな人好きになった?」
え?
ぼんやりしていたところで新井さんの究極の質問が、いきなり殴りかかってきた。
え?なんだって?
「私……?」
「うん、うん!」
「好きって、どういう……?」
「えー?!どういう?!えー、彼氏にしたいタイプよー!あ、結婚相手でもいいよーん」
彼女は左手を下唇に添えて、少し間を置いた後。
「たぶん、好きになったことないです」
たんぽぽが、風に揺れた。
「え、えー!そうなのー?」
「じゃ、じゃあ、今まで彼氏とかも……!」
騒がしい二人が何の躊躇もなく踏み込む様子に、俺はまるで溶けるように一緒になって。
「彼氏……は、いたことありますけど」
彼女はきっと本気なのだろう。
「特に好きじゃありませんでした」
一輪だけのたんぽぽは、まるで季節を外れて咲いていることがなんだと主張するかのように凛として。
黒い瞳を揺るがせない彼女と、一瞬重なった。