1-③
「ロイ殿が王宮へと参られたようです。間もなく、ここにお見えになるものと思われます」
「うむ。ご苦労」
ギルタイル王国国王である、ナダルザルは改めて椅子に深く腰掛けた。自分でも緊張しているのが分かる。それも当然であろう。今からあの修羅と対面するのだ。
Sランク冒険者。彼らについて共通して言えるのは、その気になれば国そのものと戦う力さえ持っているということ。そして、過去に他二人のSランク冒険者と実際に話して思い知ったことは、とてつもない変人、性格破綻者であるということだ。
だからこそ、緊張もするし警戒もする。勿論、彼らとて国を敵に回して無事でいられる保証はないし、そんなことをすれば日向で生きていくのも難しくなることくらい理解しているはずだ。しかし、それでも気に食わないことがあれば、この謁見の間で突然暴れ出さないとも限らない。そういう連中なのだ、彼らは。
列をなしている騎士団のメンバーからも、緊張が伺える。
「では、もしもの時は頼むぞ」
「「「「はっ!」」」」
ナダルザルの言葉を受け、全身を黒装束で包んだ四人の男たちが一斉に離散し、それぞれが柱の影や照明器具の裏などに身を潜めた。
彼らは国王直属の暗殺部隊、”黒蛇”だ。
隠密行動のプロであり、暗殺に関してギルタイルで彼らの右に出る者はいないであろう。
これで謁見の間には騎士団が二十人に、奇襲に特化した黒蛇が四人。そして、騎士団長であるツヴァインもロイと共にやってくる。
これが一人の人間に対する対抗策なのだから、つくづくSランクの化け物ぶりが分かる。過去の二人と対面した時も、まったく同じ対策をとった。しかし、これでもなお確実に勝てる見込みなどないのが、Sランクというものだった。
ここまで警戒するのならわざわざ会う必要などないと思われるかもしれないが、そういうわけにもいかない。ナダルザルにはギルタイルを治める国王として、全員のSランクと話をする義務があるのだ。
それに、本当にロイが暴れ出す可能性など限りなく低いであろう。そう、これはあくまでもしものための安全策なのだ。
「失礼いたします。Sランク冒険者、ロイ様がお見えになりました」
ついに来たか。
ツヴァインの言葉で扉は開かれ、修羅が姿を見せる。
噂通りの風貌。そして、その圧倒的な存在感。
ナダルザルは小さくゴクリと唾をのんだ。
ロイはこの騎士団の人数にも動じることなく、まっすぐとこちらへ歩いてくるが、その途中でふと奥にある柱を見つめる。
そう、黒蛇の一人が隠れている場所だ。
まさか。そんな思いをナダルザルが抱いている間も、ロイはまるで全てを見透かしているとでも言いたげな目でじっと柱を見つめている。
かと思うと、次は同じく黒蛇の一人が身を潜めているシャンデリアに視線を投げた。彼はそんな調子で、結局すべての黒蛇が隠れている個所に目を向けたのだ。
もはや気のせいなのではない。彼は、この短時間で四人全ての黒蛇の居場所を見抜いたのだ。騎士団の面々もそのことに気づき、より一層警戒の目でロイのことを見つめている。
ギルタイルの背中には、ぞくりと冷たい汗が流れた。この男は、一体どれほどの境地に達しているのだろうか。
そんな思いの中、目の前の男に対して言葉を発せないでいる。すると、先に彼の方から口を開いた。
「良いデザインの柱だな」
全身にぞわりと鳥肌が立った。
この男、あまつさえ黒蛇の存在を見抜いただけでは飽き足らず、その事実を遠回しに指摘してきたのだ。
もしかしたら、過去に訪れたSランクの二人も黒蛇の存在に気付いていたのかもしれない。しかし、当然それを態度に出すようなことはなかった。自分ほどの人物が訪れるのだから、向こうも警戒するのは当然だろうと、そう思うのが自然だ。
だが、この男はそうではない。
一体どういうつもりだと、なぜ暗殺者などがいるのかと問いかけてきているのだ。
しかも、当然のようにため口で。他二人のSランクも、国王である自分に対して流石にため口を使うことなどなかった。
友好的とはかけ離れた態度。この男、事を荒げるのも辞さないというのか?
ここはなるべく柔和に、しかし国王としての面子を保てるように最低限の指摘をするのが最善か。
「……お初に、ロイ殿。ナダルザル・ギルタイル14世である。貴殿のその態度はいかがなものかな?」
ナダルザルの問いかけに、ロイは口を開く。
「無礼だと感じた」
衝撃が走った。
無礼?無礼だと?
何を言っている。Sランクほどの力を持つ者を前にして、警戒を怠らないのは当然のことではないか。
……違う、この男はそうは思っていない。
自分は招かれた立場で、わざわざ足を運んできたのだ。にもかかわらず、そこには完全武装の騎士たちと、あまつさえ複数の暗殺者まで控えていて、自分のことを睨んでいるのだ。
なるほど、確かに無礼な話だ。彼の中では、自らのSランクという立場も相手が国王だと言う事実も関係ないらしい。
自分がおかしいと感じたことを、率直に指摘する。そこにはあるのは、ひたすらに真っすぐで実直な考え。
「ふ、はは、はっはっはっはっは!」
気づけば笑っていた。この男のことを、少し勘違いしていたのかもしれない。
「無礼、か。確かにその通りだな。許してほしい。こう見えて私は臆病なのだよ」
正直にそう告げた。この男には、口先での腹の探り合いなど意味がないだろう。
「すまなかったな。非礼を詫びよう。今日貴殿を呼んだのは、一つ確認したいことがあるだけなのだ」
正直に謝罪の言葉を口にする。
「我が国のSランク冒険者の中でロイ殿にだけ会ったことがなかったからな。他二人と同じように貴殿にも問わせていただきたい」
率直に一番聞きたいことを聞くことにしよう。
「その強さを、その力を、何に使う?」
Sランク冒険者に必ず聞くと決めているこの問い。彼らはその気になれば、その力を振りかざして大抵のことを意のままにすることが出来るのだ。だからこそ彼らの力の使い道を、例え上辺だけだとしても聞いておく必要があるのだ。
その言葉を受け、ロイは少し考えるような仕草を見せたが、すぐに返答を出す。
「俺は、強くなんてありません。使い道に迷えるような力があるならば欲しいくらいです」
気づけば再び大きな声で笑っていた。
強さの頂点とも呼べるSランクであるこの男が、先程までの態度が嘘のように謙虚でやわらかい言葉を放ったのだ。
先程まで散々棘を見せておいて、今になってこの態度。典型的なアメと鞭。言葉遣いがきちんと敬語になっているのも重要な点だろう。ナダルザルが非礼を詫びたことにより、こちらも大人の対応をし始めたとでも言いたげなやり方だ。
どれほど食えない男なのだろうか、ロイという奴は。
実際に会う前と比べて、ナダルザルのロイに対する心証が遥かに良くなったのは間違いないだろう。
「そうか、そうなのだな。うむ、分かった。突然呼び出して悪かったな」
この男は、噂程冷酷で危険な人物ではないのかもしれない。
「もう帰ってもらって構わない。もし宿がいるなら、宮内の客室を貸そう。もし今後貴殿の力が必要になった時は、頼りにしているぞ」
その言葉を最後に、ロイとツヴァインが退出するのを見送る。
「俺は強くなんてない、か」
『そりゃあ勿論、人生を楽しむためですよお。自分の思い通りになった方が、人生楽しいでしょ?』
『え、えっと、イリスのこといぢめる人がいなくなるなら、そ、それでいいかなって、思います』
過去に会った二人のSランクともまた違った異質さを持つ男、ロイ。
願わくば、彼がギルタイルの平和を守り続けてくれるような、そんな男であって欲しいものだ。
知らない天井だ…………いや、知らなくないね。セルガの別荘だね。
出るのがためらわれるほど寝心地がいい高価なベッドから抜け出し、大きく伸びをする。
昨日は豪華な夕食に広いお風呂と、大層なもてなしを受けさせてもらった。やっぱあのおじさんいい人だわ。好感度急上昇だわ。
セルガ・フォクシードは、ギルタイル唯一の獣人貴族として有名らしい。昔とは違い獣人を差別する風潮は大分薄まったとはいえ、まだまだ彼らを野蛮人扱いする人間が存在することも確かだ。そんな中、セルガは獣人たちが安心して生活できる領地を約束し、今やその確かな手腕で人気のある領主となっている。
うん、当然だな。こんなに優しいんだもの。
そんなことを考えていると、コンコンと扉を叩く音がする。
扉を開けると、そこにいたのは使用人の一人であるアイリだった。
「ロイ様、おはようございます。朝食の準備が整いましたので、お好きな時間に大広間までお越しください」
彼女は昨日から俺の世話係をしてくれている。ペタリと垂れている犬耳が愛らしい女の子だ。
彼女に分かったとだけ返事をした後、寝間着を脱いで普段の服装へと着替える。
昨日の夕食のことを考えれば、朝食も期待できそうだ。俺は駆け足で着替えを終えると、すぐさま朝食が待っている大広間へと向かった。
わざわざ待ってくれていたらしいセルガ共に食卓を囲む。うん、朝食もすごく美味い。これはここに厄介になって大正解だったと言えるだろう。
「ロイ様、今日はどのようなご予定かな?」
セルガの問いかけに思案するが、正直なところ決まっていない。まあ、せっかくの王都だから町を散策したいところだな。
「シュバリエの中を一通り見て回るつもりだ」
「左様でしたか。でしたら、アイリを共にさせましょう。荷物持ちでも何でも好きに使ってやってほしい」
なんという好待遇。しかし、わざわざ外にまでついてきてもらうのは申し訳ないし、正直一人の方が気が楽だという思いもある。
「わたくしなどでは、お邪魔になってしまいますか?」
しまった。顔に出てしまっていただろうか。アイリは不安そうな顔で俺の様子を窺っている。そんな顔をされては、無下にするのも悪いな。
「分かった。お言葉に甘えよう」
俺の言葉を受けて、アイリは満開の笑顔で頷いた。
天使かな?
「私たちはあと3日ほどはシュバリエに滞在している予定なので、少なくともその間この家は好きに使ってくださって構わない。何かわからないことや要望があれば、遠慮なく私やアイリに聞いてくれ」
天使はもう一人いた様だ。顔は怖いけど。
ますます献身的になったような気がするアイリから何度も紅茶のお代わりを注いでもらった後、俺達は町へと繰り出すのだった。
「ロイ様、荷物は私がお持ちします!」
俺達は現在シュバリエの名所を廻っている。俺からアイリに声をかけることはほとんどなかったが、彼女が気を聞かせて観光名所の説明をしてくれたりするのでとても助かっている。
そしてたった今売店で人気のお土産を購入したところなのだが、彼女はとうとう荷物持ちまで志願しだした。よっぽどセルガに言いつけられているのだろうか、青い顔で必死に荷物を渡すよう説得してくる。
その様子を見ていると逆に気の毒な気もしてきたが、流石に女の子に荷物を持たせて堂々と街中を歩くことはできない。
「気にするな。君はいるだけで十分助かっている」
「そ、そんな、もったいないお言葉を」
「そうだ。君も何かお土産は欲しくないのか?今日のお礼に何かプレゼントしよう」
「!?っ。そんなことをしていただくわけにはっ」
「いいや、何か一つ選ぶといい。俺だけ買ったのでは味気ないじゃないか」
うん。我ながらきちんと会話出来ている気がするぞ。アイリはその丸っこい感じの見た目からか、気負うことなく話すことが出来るな。
それに、プレゼントといのも悪くない提案だろう。
「で、でしたら、わたくしの大切な人へのプレゼントとして、買っていただけないでしょうか?」
「ああ。勿論構わない。でも自分の分はいいのか?」
「はい。わたくしはそれで十分以上に幸せです。」
「分かった。じゃあ何でも選んでくれ」
「……お優しいのですね、ロイ様は」
俺が恥ずかしくなってしまうような言葉を残し、彼女は売店に陳列されている品物を物色し始める。自覚があるのかは分からないが、その尻尾は嬉しそうに左右に揺れていた。本当に愛らしい娘だ。モフモフしてやりたい。
結局彼女が選んだのは、ピンク色の可愛らしいヘアピンだった。そんなものよりもっと高価な物じゃなくてよいのだろうかとも思ったが、本人が心底嬉しそうな顔をしていたので、何も言わないでおいた。
「誰に渡すつもりなんだ?」
「ミーア様……、わたくしの主君であり友人である方にお渡ししたいと思っています。今は事情があって会えないのですが、いつか必ず」
「……そうか」
何やらデリケートそうな話なので触れないでおくことにする。
その後、しばらく俺達は観光名所めぐりを続けた。アイリは終始ご機嫌そうな表情なので、お土産を買ってあげた甲斐もあったというものだろう。
「少し喉が渇いたな」
「すぐに何か買ってまいります!」
俺の独り言を聞くや否や、すぐにパタパタと音を立てながら走っていくアイリ。本当によくできた娘だ。彼女が返ってくるまで、次に見に行く場所を考えてるか。
「見つけた。Sランク冒険者、ロイ」
突然聞こえた声に振り返る。 声の主は、なんと昨日ギルドにいた狐っ娘であった。
今、見つけたとか言ってなかったか?俺に一体何の用があるというのだろうか。も、もしや、やはり昨日は俺を切り殺すつもりで剣を抜いていて、今日こそとどめを刺そうという魂胆か?
あわあわし出した俺に対して彼女がとったのは、予想をはるかに超える行動であった。
「昨日は大変失礼いたしました!どうか、どうか私を弟子にしてください!」
それは、大変綺麗な土下座であった。
って、いきなり何やってるんだこの娘は!?昨日から全ての行動が謎すぎるよ!ていうか弟子って何!俺なんかが教えられること何もないと思うよ!
年頃の娘が道端に全力で土下座をかましているその光景に、道行く人々はぼそぼそと小声で何か話し合っている。
何これ!?俺が悪者みたいになってるの!?どうすればいいの!?
「……どういうつもりだ?」
俺は率直な疑問を口にする。彼女がしている行動の意味が全く理解できない。
「言葉の通りです。昨日あのようなことをしておいて図々しいことは百も承知です。ですが!それでもどうか考えていただけないでしょうか?荷物持ちでも雑用でも何でもしますから!」
狐っ娘は額を床にこすりつけたまま答える。
本当に意味が分からない。昨日俺にしたことって何だ?確かに突然剣を抜いていたのは驚いたが、何も切りかかられたわけじゃないし、そもそも俺に弟子入りしたいという結論に至るまでの思考回路が全く分からない。
「ミーア、様……?」
困惑している俺の耳に飛び込んできたのは、両手いっぱいに沢山の種類の飲み物を抱え、目を丸くしているアイリの声。
「え、アイリ!?ど、どうしてここに……」
ミーアと呼ばれた狐っ娘は土だらけの額と共に顔を上げて、アイリと同じように目を丸くさせている。
まるでお互いを知ってるかのような反応。それに、ミーアという名前。
ポクポクポク・・・・・・チーン!
そうか、分かったぞ。昨日の時点でこの狐っ娘が家出したセルガの娘であるという予想はついていた。そう考えれば、二人に面識があるのは当然のことだ。加えて、アイリは先程プレゼントを贈りたい相手を事情があって会えない主君であり友人だと言い、その名前はミーアとも言っている。恐らく、アイリは元々年の近いミーアの世話係で友人のような存在だったのではないだろうか?そしてミーアはセルガと仲違いして家出し、二人は会うことができなくなってしまったと言ったところか?
全てが正解でないにしても、大方この予想は正しいだろう。
……あれ?だとするとこの状況まずくないか?
俺は今アイリにとって、プレゼントを贈りたいほど好きな相手を道端で土下座させている男という風に見えていることになる。そ、それはまずい。
俺がアイリに弁明をするために口を開こうとした時だった。
それは、突然起こった。
まず最初に聞こえたのは、遠くの方で何かが爆発したかのような凄まじい轟音と眩しい閃光。それに伴い、地面が大きく揺れる。
「!?い、一体何っ?」
驚きの声をあげるミーア。
同じように何が起こったのか理解できないでいる俺の目に、衝撃的な光景が映し出された。
ミーアとアイリも俺の視線を追うようにしてそれを捉え、目を見開く。
先程聞こえた轟音と閃光の発信地であろう場所に、巨大な蛇がいた。
何度か目をパチクリさせてみるが、何度見ても見間違いではない。十メートルを超えているだろう巨大な蛇がその巨体を振るって暴れ回っている。
人々は悲鳴を上げて逃げまどい、それなりに距離が離れているこの場所まで騒ぎと地響きが伝わってくる。
「ぐ、”グリッド”!?間違いない、討伐難度Aモンスターのグリッドだわ!」
ミーアのその言葉を受け、アイリはハッとした顔で俺に駆け寄る。
「ロイ様、一体何が……」
いやいやいや知らないよっ!?
アイリはどうして俺に聞いたの?多分この中で一番パニクってるの俺だからね!
何あれやばくない!?
そもそもシュバリエ内にモンスターが侵入したなんて話は聞いたことがないし、よりによってあんな巨大なモンスターが王都内で暴れ回るなんて前代未聞だよ!ていうかあんな巨大なやつがどうして突然現れたんだ?
俺が混乱しまくっている間も、グリッドはその猛威を振るって建物をなぎ倒している。
「っ、行かないと!」
「ミーア様待って、危険です!待ってください!」
ミーアは突然グリッドのいる方へ走り出し、アイリもそれを追いかけるようにして走り去ってしまった。
ってええええええええええ、何その勇気ぃぃぃぃぃぃぃぃ!
戦うつもりなの?あれと?すっごく大きいよ?潰されちゃうよ?
ミーアは一切の恐れなど抱いていない風で、アイリも懸命にそれを追いかけている。俺はそんな彼女たちの行動が信じられずに、ただただ立ち尽くしていた。
俺にできることなど勿論何もない。ミーアがどれほどの強さなのかは知らないが、少なくとも俺が行ったところで足手まといになるだけだろう。……うん、逃げよう。
持ち前のヘタレっぷりを発動し、一切の躊躇なく彼女たちに背を向けて走り出そうとした時、目に入ったのは地面に転がっている何種類もの飲み物だった。
嫌な顔一つせずに、率先して俺のことを気遣ってくれたアイリの顔が浮かぶ。戦う力などないであろう彼女は今、主君であり友人であるミーアのために恐怖に立ち向かっている。
…………ああもうちくしょう!どうにでもなれ!
俺は逃げ出したくなる衝動を懸命に抑えて、彼女たちを追いかけて走り出した。破壊の限りを尽くしている、恐ろしい大蛇のいる方に向かって。