中編
よく片付いた――とまではいかないものの、高校男児一般の部屋にしては十分に片付いた部屋の中、簡素なベッドに眠っていた少女がパチリと目を開いた。
「…………」
無言のまま、その少女――カワハタ=ミサキ=ハリュードはむくりと身を起こした。
「よぉ。起きたみたいだな」
ミサキにとって、見たくもない相手と同じ風貌の青年――この部屋の主である舞仲亨が、片手をあげそう言った。実に落ち着いた雰囲気だ。
「トオル!?」
亨と目が合った瞬間、ミサキは驚愕とも取れる表情を浮かべ、身を引いた。
「確かに俺は亨だけど……何で俺の名前を知ってるんだ?」
亨のそんな言葉で、ミサキは目の前にいる青年が自分の知っているマイナカ=トオルではない事に気が付いた。そして、ここが自分の生まれ育った世界ではない事にも。
「ごめんなさい。知り合いに、似てたから……」
違う世界とは言え、トオルに謝るのは気が引けたミサキだったが、根が真面目なせいかそう頭を下げた。
「似てる上に、名前まで同じなのか。偶然ってあるもんなんだな」
そう言って苦笑する亨を見て、ミサキはある事に気が付いた。
(時空の扉の存在を、知らない……?)
それはまだほんの些細な疑問でしかなかったが、亨と話すうちに、その考えが正しかった事を知る事になる。
「で、君の名前は?」
「……わたしは、ミサキ」
一瞬迷ってから、ミサキはその名だけを名乗った。ミサキが、唯一自分の名前だと認める今の名を。
「深幸……?」
自分の知る少女と同じ姿をした少女が、自分の知る少女と同じ名を名乗り、亨は困惑してしまった。無理もない。その少女は、二度と亨の目の前に現れる事はないのだから。
コクリ。
亨が口にした疑問に、ミサキは無言で頷いた。
「…………」
亨は深く考え込む様に俯き、何も言わない。
「……どうしたの?」
少し間を置いて、ミサキはそう尋ねた。
「いや、俺の知り合いにも、君とよく似てて同じ名前の娘がいたから……」
翳りを感じさせながらも、苦笑を浮かべ暗い雰囲気を出さない様に亨はそう言った。しかし、ミサキはその翳りを十分に感じ取ってしまった。
「その娘は……」
聞いてはならないと頭では理解したものの、ミサキは聞かずにはいられなかった。亨の言う知り合いの娘が、こちらの世界の自分である事を理解してしまったから。
「……死んだんだ。2年前に、事故で……」
今度は完全に暗い表情で、亨は辛そうに呟いた。
「……ごめんなさい」
「いや、いいんだ。もう、乗り切った事だから……」
亨はそう言ったが、ミサキは亨の悲壮感を感じ取り、聞くべきではなかったと後悔を深めた。
「ところで……」
「なに?」
「君は何者なんだ?」
「え?」
亨の質問に、ミサキは本気で首を傾げた。
「どういう意味?」
「そのままの意味だよ。君は一体何者で、どこから来たんだ?」
(もしかして……)
亨の質問に、ミサキはこう考える。
(やっぱり、時空の扉の事を知らないみたい……)
先程自分が抱いた疑問は正しかったのだと、ミサキは確信した。
(説明、するべきかな……)
今頼れる相手は、目の前にいる亨だけなのだと理解しているミサキは、全てを話すべきかどうかを思案する。
(どうしよう?)
「話したくないなら、別に無理には聞かないけど」
「……本当に?」
「ああ。だけど、せめて礼の言葉の一つくらいは欲しいな」
「え?」
「いきなり俺の上に落ちてきた女の子が、気を失っててどうしようもなかったから、とりあえず近くにあるうちまで運んできたんだからな」
微妙に嫌味を込めた口調で、亨はそう言った。
「……ありがとう」
少し考えたものの、ミサキは屈託のない笑顔でそう応えた。
その笑顔で、亨の脳裏に一瞬思い出の光景がフラッシュバックされた。
(深幸……)
「あの……」
「え? あ、ごめん。何?」
ミサキに話しかけられ、亨は慌てて思考を現実に戻す。
「やっぱり、聞いてくれる?」
「……何を?」
数瞬考えたものの、ミサキが何を話そうと言うのか本気で理解出来ず、亨はそう聞き返した。
「本当の事……」
「……わかった」
本当の事。そう言われ、亨はミサキが何を話そうとしているのか理解した。神妙な面持ちで、ミサキが話し始めるのを待つ。
「……わたしは、この世界とは別の世界からきたの」
「……は?」
ミサキの切り出した言葉に、亨は思わずすっとんきょうな声をあげてしまう。
「って言っても、あなたが想像してる様な、いわゆる異世界とは違うの。パラレルワールドって、知ってる?」
「パラレルワールド?」
「そう。平行世界とも呼ばれているわ。一本の直線を一つの世界だと考えた時に、決して交わる事のない幾つもの平行線がある――つまり、違った世界が幾つも存在してるって理論。それがパラレルワールド」
「へぇ……それで、そのパラレルワールドがどうしたって言うんだ?」
「わたしは、そのパラレルワールドの一つから来たの」
ミサキの言葉に、亨は言葉を失った。まさに絶句。
「なぁ……決して交わらないから、平行世界って呼ばれてるんだろ? だったら、君がここにいるのはおかしいじゃないか」
やや遠まわしに、亨はミサキの言葉を否定する。
「嘘じゃないわ」
「って言われてもなぁ……」
「信じられない?」
「まあな」
ミサキの言葉に、正直に頷く亨。
「そもそも、君の言ってる事が本当だとしたら、君は一体どうやってここに来たんだ?」
「わたしの生まれた世界は、科学が極度に発展してるの」
「……それで?」
「科学技術が進むにつれて、パラレルワールドの存在が明らかになったわ。そしてわたし達は、他の世界への干渉を行える機械を造ろうとした。最初は、ただの通信機だったわ。だけど、それがじょじょに、より高度な物へと姿を変えてきた。今は、列車型の移動手段を持っているの。時空の扉を開いて、他の世界へと移動する事の出来る列車を……」
両親を失った時の事を思い出したのか、辛そうな表情を浮かべそう綴るミサキ。
「でも、人が二つの世界を行き来する事は禁止されたわ」
「どうして?」
「他の世界の自分と出会う事によって、パラドックスが起こるから」
「パラドックス……矛盾って意味だったかな?」
「そう。よく時間旅行とかの話で、タイムパラドックスって言葉が使われるけど、それと同種の事よ。同じ世界、同じ時間軸の中に、同じ人間が二人存在する。その矛盾点を消す為に、世界は自壊する。そういう話」
「……それが本当だとしたら、君は……」
「もし向こうに戻れば、立派な犯罪者ね」
「いや、そうじゃなくて……」
「あなたの知り合いの事?」
亨の考えを察したミサキは、そんな疑問を口にした。それに対して、亨は何も言わずに頷いた。
「……そっくりで、同じ名前だって言うなら、その娘はこっちの世界のわたしってことになるわね」
「やっぱり、そうなるのか……いや、気にしないでくれ。それよりも、行き来しちゃいけないって言うなら、何でそんな列車を造ったんだ?」
あまり思い出したくないのか、亨は話を逸らす様にそう言った。
「貿易よ」
「貿易?」
「そう。世界によって歩んだ道程が違うんだから、それぞれに逸脱したものや、量産物とか名物とかがあるわけじゃない? だから、お互いを補い合う為に貿易をするの」
「…………」
到底信じられる様な事ではない。だが、亨にはミサキが嘘をついているとは思えなかった。目の前にいる少女は、確かに自分が失ったかけがえのない少女と同じ姿をし、同じ声を持っているから。たとえ本当の深幸じゃなくても、信じたかったのかもしれない。
「わかった……」
「……信じて、くれたの?」
「まあな。そもそも、あんな現れ方されたらな……」
「?」
「何でもない。でも……君はどうやってこっちに来たんだ? 君がこっちに現れた時、列車になんて乗ってなかったぞ?」
「それは……生身で、時空の扉に飛び込んだから……」
「そんな事して平気なのか?」
「わからない。今までに、誰もそんな事してないし……でも、宇宙空間ってわけじゃないし、結果的には大丈夫だったし……」
「結果がよければ、それでいいのか?」
険しい顔つきになり、ミサキにそう詰め寄る亨。
「だって……」
「だってじゃない! どうしてそんな危険な真似をしたんだっ?」
ミサキを深幸と重ねているのだろう。亨は熱くなっているのを自覚しながらも、ミサキに怒鳴る様に問い詰める。
「それは……」
ミサキは、両親の事を思い浮かべる。
言いどもるミサキを見て、亨はますます険しい顔つきになる。
「わたしの名前……」
やがて決意したミサキは、弱々しくながらもそう切り出した。
「…………」
名前の話を始めたミサキに対し、亨は無言で先を促す。ミサキが関係のない話をして逃げようとしているわけではないと、その雰囲気から察したのだろう。
「カワハタ=ミサキ=ハリュードっていうの」
「ハリュード? いや、それより……カワハタって?」
「…………」
「君は、深幸じゃないのか……?」
亨の推測に、ミサキは無言で首を横に振る。
「ナノカワ=ミサキ。それが、2年前までのわたしの名前よ」
「七川深幸……」
「2年前、わたしの両親はいなくなったの。時空間での事故で、列車の一部がどこかに飛ばされてしまった。その中に、わたしの両親は乗ってたわ。もともと運送業をしていたんだけど、ある日カワハタから依頼がきたの。時空間貿易の仕事は一度してみたかったって、二人とも喜んでいたわ。でも……二人は、二度と戻ってこなかった……」
「…………」
涙ぐみながら語るミサキを見て、亨は何も言う事が出来なかった。2年間前の事故。たとえ内容は違えど、それは確かに存在するのだ。
「そしてわたしは、カワハタに拾われた。わたし達の世界では、何かの都合で子供に新しい親が出来た時、その親は子供に新しい名前をつける事が出来るの」
「それが、ハリュード?」
「そう。どんな意味があるのかは知らない。でも、女の子につける名前じゃないわよね?」
「まあ、そうだな」
「それに……」
「それに?」
「……うぅん。何でもない」
「そうか……」
二人の間には、暗く、切ない雰囲気が漂っていた。
「わたしが時空間に飛び込んだのはね。2年前と同じ状況が起きたからなの」
「…………」
「理屈はわからないけど、2年前、時空の扉の影響で、わたし達の世界では音だけの地震が起きたの。その時、列車の向かう先だった世界では、とんでもない大地震が起きたらしいわ。きっと、二つの世界分の地震が向こうで起きちゃったんだと思う。それでね。それと同じ状況……つまり、音だけの地震が起きたの。その事に気が付いた瞬間、わたしは走り出してた。地震の間に時空間に飛び込めば、お父さんとお母さんに会えるんじゃないかって、そう思ってたから。でも、やっぱりダメだったみたい……」
ミサキは、瞼に浮かべていた涙をついに流し始めた。
「わたし、どうしたらいいのかな……?」
呟く様に、ミサキはそう言った。
「…………」
亨は、そんなミサキに何も声をかけてやる事が出来なかった。何と言えばいいのか、わからなかったのだ。
「ごめんね。迷惑かけたみたいで……」
そう言って、ミサキは立ち上がった。
「どこ行く気だよ?」
「わからない。わたし、こっちの世界の地理なんて知らないし」
「……しょうがないな……うち、泊まるか?」
「え?」
「うちの両親は海外だし、義姉貴は放浪癖があってほとんど家にいないし」
「……いいの?」
「ああ。それに、俺達知らない仲じゃないんだろ? お互いにさ」
「う、うん……」
「それじゃあ決まりだな。とりあえず、その格好どうにかしないとな」
「これ? 変かな?」
「うーん……珍しい。ってか、何かのコスプレみたいだな」
「アカデミーの制服なんだけどな……」
「アカデミー? 学校か? まあいいや」
亨は、もう深く考えない事にした。
そもそも考える事自体が無駄なのだ。二人は、違う世界の住人なのだから……
こうして、ミサキと亨の生活が始まる。
二人とも、この先どうなるかなんてわからない。しかし、ある種の希望を抱えて……