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前編

 遥かなる未来、人々は科学の発展により時空を越える事を可能にした。過去や未来への飛翔。それを可能とする技術を持ちながら、あえてそれを実現させずに。

 時空を越える。それは新たな、いや、自分達とは違う歴史を歩んだ世界との遭遇。今この世界は、境目を失くした一つの国。そして貿易相手は、違う道程を歩んだ他の自分達。これは、そんなとんでもない世界に生まれた、一人の少女の物語である――



「やあ、ハリュー」

 透き通った様な銀色に輝く髪、小柄で、愛くるしい顔つきの少女が、毎日の様に声をかけてくる黒髪の少年、マイナカ=トオルにそう声をかけられたのは、実にいつもの事だった。

 少女の名前はカワハタ=ミサキ=ハリュード。このやや妙な名前には少々複雑な理由があるのだが、それは後に語るとしよう。

「今日もいい天気だね。最高の散歩日和だと思わないかい?」

 普段の愛くるしい顔つきはどこへやら……少女はむすっとした表情を浮かべ、トオルを無視しながら歩いている。

「今朝もハリューに会えて良かったよ。ハリューに会わないと、一日が始まった気がしないんだ」

 無視をしているというのに、しつこく話しかけてくるトオルに辟易しながら、ハリュードは――

(そっちの名前で呼ばないで)

 ――失礼。ミサキは、話しかけられながらもずっと歩き続けていた足を止めた。

「あのね」

 やや後ろを歩いていたトオルへと振り返り、ミサキは腰に手をやるとそう切り出す。呆れた様でもあり、実は……と言うまでもなく怒りをあらわにするミサキだったが、15歳の少女が凄んで見せたところで、それすらも愛くるしくしか見えない。

「何度言ったらわかるの? わたしにつきまとわないでっ!」

「何を言うんだい、ハリュー。僕と君の仲だろう?」

「あなたとわたしがどんな仲だって言うのよ!?」

「それはもう、深い仲だと……」

「寝言は寝てから言って! わたしは、あなたなんてだいっ嫌いなんだからっ!」

 顔を真っ赤にしながら、トオルの言葉を遮って叫ぶミサキ。これもいつもの光景なものだから、最初は驚いていた周囲の人達も今では気にする事なく各々の生活を送っている。

「照れてるのかい? 可愛いなぁ、ハリューは」

「やめてっ! わたしはミサキ。あなたなんかに呼ばれたくはないけど、これ以上そんな名前で呼ばないでっ」

 激口するミサキだったが、その口調はどこか弱々しくも感じられた。

「あんた達、いつもいつもよく飽きないもんだわね」

 と、二人の間に入ってきたのは、長い金髪をポニーテールにした17歳の少女、サクラガワ=ユキである。

 ユキの言葉の通り、ミサキとトオルのこのやりとりは、多少言葉が違えどいつも同じものだ。今日とて例外ではない。

「やあサクラガワ君。相変わらず美しいね」

 にこやかに笑みを浮かべながら、平然とそう言うトオル。

「あんたも、いつも歯の浮く様なセリフをよく恥じずに言えるわね」

「僕は事実を述べているだけさ」

 ふっ。と前髪をかきあげ、トオルはそう応えた。

「ミサキ?」

 トオルとユキが会話をしているうちに、いつの間にかミサキの姿がなくなっていた。

「ハリューなら、あそこだよ」

 そう言って、やや離れた所を歩くミサキを指差すトオル。

「まったく、あの娘は……」

 そう呟いて、ユキはミサキの後を小走りで追った。

「どうしたの? いつもより荒れてるじゃない」

「気のせいじゃない?」

 普段なら心を許しているユキにさえ、ミサキは冷たくあたる。

「ミサキ……何かあったの? あたしに出来る事なら、何でも力貸すよ?」

 心底ミサキを心配しているユキは、穏やかな表情でそう言った。しかし今のミサキにとっては、それが逆に苦痛だった。優しさに触れる事。それが本来自分には許されない事だと、つい先日痛感してしまったばかりだから……



 ――昨夜――

「ハリュードよ。マイナカ家の息子との仲はどうなっている?」

「…………」

 養父であるカワハタ=ダイゲンに問われたミサキは、俯いたまま沈黙を通した。

「ハリュード」

「……はい」

 だが、その鋭い言葉には敵わず、決意空しく返事をしてしまった。

「マイナカ家とは、うまくやっていけそうか?」

「…………」

 問われ、再び黙ってしまうミサキ。

「ハリュードよ。わかっていような? お前には、マイナカ家に嫁ぐ事以外の選択肢がない事を」

「……わかって、います」

 少し間を置いた後、ミサキは実に弱々しくそう応えた。

「わかっているのならいいのだ。お前は、その為に拾ってきたのだからな。だが……これ以上、マイナカ家の顔に泥を塗る様な真似はするなよ。息子殿の進言がなければ、この話が破談になっていたどころではすまないのだからな」

(破談になればよかったのよ……)

 あまりにも身勝手な言い分に、ミサキはそんな事を思う。

「お前がこうして生きていられるのが誰のおかげか、わかっていよう?」

「……はい、お義父(とう)様のおかげです」

(頼みもしないのに、道具として生かしてだけのクセに……)

 表面では形式的に答えるが、内心は荒れ狂う気持ちでいっぱいの様だ。

「わかっていればよいのだ。下がってよい。愛しているよ、ハリュード」

「…………」

(嘘ばっかり)

 そんな事を考えながらも一礼し、ミサキはその部屋を後にした。自分の義父にして、絶対的な存在として覚え込まされた男の部屋を……



 ――そして――

「ユキには、関係ないよ」

 ぼそりと、呟く様に言葉を漏らすミサキ。

「ミサキ……」

 ミサキのいつもとは違う雰囲気に、ユキはそれ以上何も声をかけてやる事が出来なかった……



 ――数時間後――

「…………」

 アカデミー(小・中・高・大が一つになっている、最大規模の国営学校)を後にしたミサキは、家に帰りたくない気持ちを何とか抑え、まっすぐに帰宅していた。誰とも話したくないという気持ちが勝ったのだろう。帰るなり、自室に閉じこもっている。

(お父さん、お母さん……)

 ベッドにつっぷしながら、顔を枕に埋め、ミサキはそんな言葉を口にせずに呟いた。

 今は亡き、本当の両親。その思い出だけが、今のミサキには支えと呼べる唯一のものだった。

 いつの間にか、涙を流している。枕は濡れてしまっているが、ミサキはぴくりとも動かない。と、その時……


 ゴゴゴゴゴゴッ!


 地響きと共に、大きな揺れがミサキを襲った。

(地震!?)

 思わず起き上がったミサキだったが、違和感を覚えた。

 揺れていないのだ。部屋はおろか、外を見ても何一つとして揺れているものなどないのである。

 ミサキは、以前にもこんな体験をした事がある。そう……ミサキの両親が命を落とした、いや、正確には行方不明となったアノ事故の時も、今と瓜二つな状況だった……

 事故――そう呼ぶには、あまりにも有り得ない偶然が重なって起きた事故。本来、天気や地震、火山の噴火など自然に起こりうる災害や出来事は、どこの世界でも同時に起きる。事実上、両者は同じ世界なのだから当然とも言える。しかし、一方では起こっているのにも関わらず、もう一方では起こらなかった地震がある。それが、ミサキから両親を奪った事故だ。

 互いの時空間の扉が開いている時間はわずか1分。その1分の間に、限りなく0に近い確率であるはずの地震が置きた。それどころか一瞬にして地震は加速し、震度は6を越え、その震域は直径10キロにも及んだ。時空の扉が開いていたがゆえの影響だった。

 1分。それが過ぎた途端、地震は瞬時に止んだ。唐突に。しかし、時空の扉と扉の間……亜空間内はそうではなかったのだ。こちらで起こるはずだったはずの地震が、時空の狭間で起きたのだ。音のない亜空間内では、本来揺れなど存在しない。しかし、その振動は代わりに時空を歪めた。

 たまたまカワハタ家に雇われ、向こう側への運送業としての仕事をしていたミサキの両親は、向こうへ向かう列車が歪みに呑まれた結果、帰らぬ人となったのだ。

 たまたまミサキの存在を知っていたカワハタは、ミサキを不憫と思う気持ち、自分にも責任があると思いミサキを引きとった。少なくとも、表面上はそう言われている。しかし、都合が良すぎる。以前からミサキに目をかけていたトオル。そのマイナカ家との政略結婚を考えるカワハタ。ミサキの両親の死(行方不明)。ミサキを引き取ったカワハタ。ミサキをトオルへ嫁がせようとするカワハタ。ミサキには、カワハタは怪しいとしか見えていなかった。だが、今はそんな事はどうでも良かった。

 音だけの地震。それが意味するものは……

 ミサキは慌てて起き上がり、全速力で駆け出した。時空の扉を開くステーションへと向かって。

「はぁ……はぁ……」

 息を切らしながらも、決して足を止めようとはしないミサキ。

「君っ! ここは危険だぞ! 戻りなさい!」

 普段なら「立ち入り禁止だ」と突き戻されるだけだが、緊急事態だと理解しているらしく、その門番はミサキを止めようとした。だが、ミサキはそんな制止を無視して、勢いでステーション内部へと入っていく。

(お父さん! お母さん!)

 必死に何かを祈りながら、ミサキは荒れ狂う時空の扉、歪んだ狭間へとその身を投じた。

 かつて、両親の通った道へと。



 狭間では、上下左右は存在しない。ミサキは瞬時に浮遊感を覚えたが、その次の瞬間にはすさまじいまでの吐き気を覚えた。

 身体が押し潰される様な感覚に苛まれながら、ミサキの意識は途絶えた。父と母の元へ逝けると信じた少女が、その想いを乗せて……

 時空の狭間を、彷徨う……





 ――東京――

『間もなく、列車が参ります。白線の内側までお下がり下さい』

 そんなアナウンスを、ぼけぇ〜っと聞いているのは、舞仲亨まいなかとおる。17歳の高校2年生である。

「誰がぼけっとしてるって?」

 などと、誰にも聞こえない声につっこむ姿はさぞかし滑稽だろう。

「うるさい」

 呆れたらしく、そう言って溜息を吐く。

「あ?」

 突然目の前が暗くなり、亨は顔を上げた。

 そこには先程まであった風景はなく、漆黒にも見えるが、やや青みがかった空間が広がっていた。いや……

(違う、穴だ)

 そう判断した亨だが、その考えは間違っていない。それはまさしく、時空の扉と言う穴なのだから。

「!?」

 その穴から何かが落ちてくるのに気付き、亨は焦った。

(何だ? 何なんだ!?)

「!?」

 ドサリ。亨の真上から落ちてきて、亨は落下物の下敷きにされた。

「ってぇ……何なんだよ、一体」

 そうぼやきながら、亨は落ちてきたモノを見やる。

「…………」

 それは、一人の少女だった。もう二度と会う事の出来ないはずの、亨の幼馴染に瓜二つの……

「…………」

 倒れた自分の上で気を失っている少女を、呆然と見つめる亨。あまりにも唖然としてしまうあまり、周囲から奇異の目を向けられている事にも気付かない。いや、周りの人間も、何が起きたか理解など出来ていない。まあ、だからこそ奇異の目を向けているのだろうが。

 ようやく我に返った亨が、ハッと顔を上げ周囲を見回した。周りの目が痛い。

 亨は少女を抱え上げ、改札へと向かって撤退し始めた。

 駅員にキップを見せたうえで、知り合いが倒れたから駅を出たいと伝える。

「ああ。構わないよ」

 駅員は一瞬怪訝そうな表情を浮かべたものの、亨が切符を見せたからか、少女の分の切符を見せろとまでは言わなかった。

「ありがとうございます」

 礼を言って、亨は一度降ろしていた少女を再び抱え上げ改札を出た。

(うわっ、何か視線が……)

 先程からずっとそうだったが、駅を出てその視線の痛々しさは一層増した。あの光景を見ていない相手な分、余計に目立つ様だ。

 少女の格好は勿論、抱きかかえているポーズ――俗に言う、お姫様抱っこというやつだ――も、亨を余計に目立たせているに違いない。

(かと言って、意識のない相手を背負うのも難しいしな……)

 実際出来ない事はないが、極度に面倒事を嫌う亨は背負おうともしなかった。しかし、さすがに恥ずかしくなってきた様だ。

(そもそも俺は何してんだ?)

 そもそも面倒事を嫌う亨が、なぜこの少女を抱えてこんな事をしているのか。大体、これからどこかへ向かうはずだったというのに。

 その理由は……

深幸(みさき)に似てるからか……)

 二度と出会う事の出来ない幼馴染の事を思い出し、感慨に耽る亨。

(とにかく、ここを離れよう)

 自宅がそれ程遠くない事を幸いに思いながら、亨は少女を抱きかかえたまま小走りに自宅へと向かった。見様によっては、連れ去っている様にも見えるが、さすがにあの格好で誰かを誘拐しようとしているとは思われないらしく、奇異な目と同時に、微笑ましいものを見る目を向けられながら、亨はそれに耐えつつ先を急いだ……





 これが、この世界とのファーストコンタクトである事など、意識を失い抱きかかえられている少女――ミサキはこれっぽっちも気付いていなかった。たとえ意識があったとしても、おそらく気付いていなかっただろうが……

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