ゼンマイ部長・五
ゼンマイ部長はこの会社にもいた。ある社員のつぶやきを聞いて、ゼンマイ部長はネジ巻きを止めて動き出す。
「なんだか思うんですよね。自分は、後の人の仕事をつまらなくしているなって。」
誰に言うでもなく声を出した山田は、その時、マニュアル整備をしていた。来月からオープンするサポートセンターの準備のためだ。
「そのマニュアルづくりがですか?」
独り言のような山田の言葉を聞いて、ゼンマイ部長がたずねる。
「はい、マニュアル作るまでが大変で、だけど面白い作業だなって思います。それが誰かが作ったものをやるだけだと、その仕事って面白いのかなって。」
「あなたの作ったマニュアルはとても役立つと思いますよ。」
「それはそうだと思いますけど。」
「何を気にされてます?」
「最も効率の良い方法はこれだって、自分が見つけたものを書く。それで終わりにするってことですよね。もう探さなくていい。だからこの通りに後はやりなさいって。僕なら、そんな仕事つまんないなって思うな。」
「大事な成果です。先輩たちがやってきたことが山田さんの番まで来て、やっと実を結んだと言ってもいい。」
実際、サポート業務は以前から社内にあったが、それをセンター化するには十年以上かかっている。今の主担当は山田だが、それまで多くの人が関わっていた。
「誰でもすぐに一流の仕事が出来るようにする。それはやりたかったことです。でも、それで終わりってことですよね。人生そこで上がりみたいな。」
「完成度の高いのは大きな価値です。でも、それで終わらせてほしいとは諸先輩方もきっと思ってはいませんよ。」
そこでゼンマイ部長は立ち上がると、山田の肩を叩いた。
「あなたは形にするのが得意だ。だからセンター化はうまくいくでしょう。」
そう言われて山田は照れたように笑ってみせた。
やがてサポートセンターは活動を始めた。多くのスタッフが山田が作成したマニュアルに沿って仕事をしたが、スタート当初は次々と直すべきところが出てしまった。山田は黙々と対応方針の策定とマニュアルの更新を続けた。
「抜けとか思いもよらない質問ってのがあるんですね。一次対応した人の記録の中に見事なものがある。それをどう利用しようかって。」
「山田さん、いつもお忙しそうですね?」
その日、ゼンマイ部長は久しぶりにサポートセンターを訪れていた。
「ええ、まあ。でも、最近、ちょっと余裕が出てきたので、最初の計画からの欠員も解消されそうです。」
「一人で作るより、みんなで作った方がいいということですね。ところで、山田さん、まだ人の仕事をつまらなくしている気がします?」
「部長、よく覚えてますね。」
「はい、印象的でしたから。自分はつまらない仕事を作っていると、あなたは心配していました。今も同じですか。」
「ええ、残念ながら。ずっと思っているわけじゃないんですけど。なんだか時々、見かけ倒しな気がしてしまって。」
山田は全てのマニュアルを更新を続け、その完成度は増していく。また、マニュアルを実行する人員はどんどん増えていった。ゼンマイ部長は、サポートセンターのスタッフのとりまとめ役を、岡谷という男に任せることにした。山田の後輩にあたる朴訥な青年だ。
「岡谷さん、あなたは地味で着実な仕事ぶりだと聞きました。実際そうなんですか?」
「はい、そうかもしれません。少しずつでも成果が分かりやすい仕事が好きなんですよね。」
岡谷のその答えにゼンマイ部長は満足した。
「チェックリストを一つずつ、片付けていく。一日が終わると、自分のチェックリストは全て記しがついて、青いステータスが並んでいる。そしたら、どう思います?」
「はい、今日もがんばったな、という気になります。」
「あなたはそうなんですね。いいと思いますよ。」
そう言って岡谷とゼンマイ部長は笑顔を交わした。それから傍らにいた山田に気づいたように言う。
「こういうのは山田さんには理解してもらえないかもしれませんね。」
「え? いや、そんなことはないと思いますけど。」
「作り出す楽しみもあれば、やり続ける楽しみもある。片付ける楽しみもあるんでしょう。そういうものです。」
「はあ。」
楽しみは必ずしも共通ではなかったかもしれないが、岡谷からの現場で起きたこと、困ったことの報告を受けて、山田が思案する形で、サポートセンターの立ち上げは続いていった。
「そろそろマニュアルで全てが網羅されてきました。完全にサポートセンターは軌道に乗ったと言って良さそうです。」
「ええ、やっとですね。」
ゼンマイ部長と山田がそう話したのは、センターが稼働して一年ほど経った頃だ。
「ところで山田さん、来月から当初の生活の半分の人手で出来ないかと思うんですが、計画して頂けませんか?」
「は?」
「センターの出す結果がだいたい分かってきました。だから許容される規模も明確になりました。私たちは進化させる必要があります。」
「人手を半分?」
「はい、そうです。」
「無茶です。」
「山田さん、前に言っていたじゃないですか。先輩方は完璧なセンターが出来ることを目指していたわけじゃないです。それをベースに新しいことを始める。それが先輩達のやりたかったことですよ。」
「新しいことって・・」
ゼンマイ部長の無茶な要請に、山田が最初に捻り出したアイデアは、自動応答を増やす方法だった。それは簡単にゼンマイ部長に却下された。質を落とさずにやる必要があったからだ。
「頭の回転の早い人って、手が追いついてない場合が多いんですよね。複雑な方法を一瞬で組み立てたり、たいていの人が気づかないショートカットをあっという間に見つける。たいしたものです。」
それは自分を褒めているんだろうか、山田には瞬間的には判断できなかった。
「でもね、山田さん。そこまでではダメなんです。本当に実現できるかは、設計やプログラムに馴染むかにかかっているのに。あなたは実際の状況はあまり体感してないでしょう?」
「ええ、まあ。トレーングプランは作りますけど、教えるのは岡谷くんの方がうまいですし。」
「岡谷さんからのフィードバックが重要になっています。結局、岡谷さんのような人の方が、シンプルで効果的なやりかたを思いつくものです。それに早く気づいて、ぜひ取り込んでほしいと思うんです。」
「すいませんが・・、まるで部長のおっしゃっていることが分かりません。」
「まあ、急に言われるとそうかもしれませんね。とにかく岡谷さんからのフィードバックを活用するには、あなたも変わらないといけません。そして、イチから考えないと。」
「せっかく安定したのに、それをもう捨てるなんて・・。それに今よりいいやり方なんて私には全然浮かんできません。」
「高度化すればいいんですよ。それが資産となって別の仕事を生み出せる。探して見つけた後、どこかでここがゴールと決める。」
簡単なことのようにゼンマイ部長は言った。山田はその夜からプランづくりをやり直す。全てまとまった段階から、また一つずつ見直していけば、新しいものが生まれるかもしれない。果てしない繰り返しだ。そうして山田は、じわじわと目標へ近づけていった。
* * *
「山田さん、お客さんもどんどん変わっていきますから、完璧なセンターづくりというのは、終わらないですね。」
「ええ。最近は微調整的なことが多くなってきましたが。」
「もの足りないですか?」
「はは、そんなことはないです。まあ、他のことに興味を持つ時間は出来てきました。でも、思うんです。なんで岡谷くんじゃくんて私だったのかって。実際、現場のことは詳しいから、彼が本当は適任だったと思うんです。」
「それは適正というものもありますよ。適正を固定化することは良くないですが、あなたに後の人の楽しさという話をされていたから、どうにもそれが気になってましてね。」
「・・・、後の人の仕事をつまらなくしているという話ですか?」
「ええ、どうです? 岡谷さんはつまらなそうですか?」
「いいえ、全く。私とは楽しいの感じ方が違うようです。」
「あなたも岡谷さんも全部の楽しさを知らなくてはいけません。そうは思いませんか?」
「まあ、そうかもしれませんね。」
それからしばらくして、山田は別の部署へ移っていった。もはやそんなこととは関係なく、その後もサポートセンターは安定して業務が続く。
ゼンマイ部長は動きを止めた。そうしてゼンマイ部長はまたゆっくりとネジ巻きを始める。