ゼンマイ部長・三
ゼンマイ部長はこの会社にもいた。同僚に頭を下げさせ、まんざらでもない様子の男を見て、ゼンマイ部長はネジ巻きを止めて動き出す。
「しょうがないなあ。後は俺がやっとくよ。」
そう言って島本は笑った。それが彼の得意パターンだ。
「すいません、自分でも出来るようにならないといけないんですが。」
「ちょっとコツがいるからな。」
地形データを業務用に再加工する処理、それは人による微調整が必要で、そのノウハウを島本は持っていた。
「私にも教えてくれませんか?」
「そんな簡単な手順じゃないんだよ。」
「でも、いつも頼んでしまって申し訳なくて。」
「いいよいいよ。言われればやっておくからさ。」
若手の社員がそう言っても、いつも彼は軽く首を横に振る。その作業が出来るのは、今は島本だけだった。お客さんに提出したり費用が発生する仕事でないため、正式な業務にカウントされない類の仕事だ。そのため、いつも必要な人間が島本にお願いするという形になっていた。
「島本さん、申し訳ないんですが、今日中にお願いできませんか?」
「そんなに急に言われてもね。」
「ほんとすいませんが、なんとかお願いしますよ。」
「午後から別の仕事をするつもりだったし、どうしようかな。」
「すいません、なんとかお願いします。」
「まあ、考えておきますよ。」
そういう時の島本は小さな自己満足に浸っていた。
「島本さん、地形のデータがまた追加になってしまいまして。」
その日、別部署の人間が、また島本に頼みに来ていた。
「えー、あれか。言われてすぐ出来るものじゃないんだ。」
「ですよね。」
「切り出しでデータ直して色付けしてさ。何工程もあるんだ。」
「そうなんですか。やっぱり時間かかるんですね。」
「最近は簡単に頼むやつが多くてさ。」
相手が女性だと島本はことさら話が長くなる。それは意味のある内容ではなかった。結局はただ女の人と話したいだけにも見えた。
「最初の座標の取り方で後のやりかたが違うんだ。こうやってまわりを全部同じにすれば後処理が簡単だけどさ。」
そう言って、島本はモニタを操作してみせる。
「でも、それじゃあ、使いにくいんです。」
「前にも誰かに言われた。だから角をなるべく目印になりそうなものにする。」
「そんなコツがあるんですね。」
「そうなんだよ。こういう所が面倒なんだ。」
手間な部分を他人が理解してくれると島本はひどく喜んだ。やり方も思考も自分の決めた通りの手順でやらないと気が済まないので、それから時間をかけて作業に没頭する。
ある日、ゼンマイ部長は島本に指示を出した。
「島本さん、地形データ加工の作業なんですが、依頼を計画的に受ける業務にしたいと思います。」
島本は驚いた様子だったが、すぐに慌てて手を振って言う。
「部長、そんな大げさな業務じゃないですよ。」
「でも業務ですよね。でないと記録や評価対象できない仕事になってしまいます。」
「いや、片手間でやっていますから。たいしたことじゃないんです。」
「そんな謙遜を。よく複雑な仕事だって言っているじゃないですか。」
「え、それはまあ愚痴みたいなもんで。他に誰もやってくれないし。」
島本は知識を分け合わないのではない。共有のしかたが下手なだけだと、ゼンマイ部長はだいぶ前から気づいていた。
「加工用のツールはもともと山本さんが作成したものですよね?」
「え? まあ、そうですけど、部長、よくご存じですね?」
「そのプログラムを自分しか使わないと思ってます?」
「いえ、そんなことはありません。」
「じゃあ、せっかくだから何人かで覚えて使えるようにしましょうよ。」
「でも使いづらいですよ。もともと山本さんが異動する時に当時の部署全員に配ったんです。結局、みんな投げ出して、だから自分だけになったんで。」
その島本の言葉にはかすかな優越感が感じられた。
「それからの工夫は、島本さんが自らで作り上げたんでしょうね。であれば、山本さんが当時できなかったこと、みんなのものにすることを今度はやってみませんか?」
「まあ、何度も言いますが、そんなにたいしたことじゃないです。」
「いえ、たいしたことじゃないなら、みんな頭を下げに来ないでしょう。それに仕事で頭を下げてお願いするっていうのは本来おかしいです。無償でもないし、人付き合いの中でお願いしているわけでもないですから。」
「まあ、そうかもしれませんね。」
「ではお願いしますね。」
直属の上司であるゼンマイ部長からの指示だ。島本は粛々と自分の手順を文字にする作業を始めた。
島本の作成したマニュアルは十数ページに及んだ。やはり手間のかかる面倒なものだった。ゼンマイ部長の指示のもと数名がそれを手にしたが、なかなか完全に覚えられる人は出てこない。
「島本さん、こんなに覚えられないですよ。もっとコマンド一つで出来るようにしてもらわないと。」
「それが出来ないんだよ。」
「あ、そういえばもう打ち合わせの時間だ。行かないと。」
作業の複雑さに気づいた社員はわざとらしく時計を見た。その社員も何度か地形データを作ってほしいと依頼したことがある人間だ。
「すいませんねえ、島本さん、また教えて下さい。」
だいたいの社員は一時間も説明を聞くと、音を上げて逃げ出した。説明が途中になってしまった島本は不機嫌になる。
「やっぱりこんな面倒な作業、誰も本気になって覚えやしない。」
島本はそう言って、ゼンマイ部長にぼやいた。マニュアルを作るのにだいぶ労力を費やしたが、このままではその意味がなくなってしまう。
「あきらめるのは、まだ早いですよ。」
「これなら自分でやり続けるからいいですよ、別に。」
島本はやけ気味につぶやいた。
「引き継ぎというのは、その仕事への思いを伝えるのが一番だと思うんですよ。そして、自分の教えた誰かが出来るだけではダメで、その人が次の人へ伝え終えて、それでやっと引き継ぎが完了するんです。」
「はあ、そういうもんですかね。」
「そうです。だから、最初にその仕掛けを作った山本さんもまだ仕事が終わってない。」
「俺、山本さんのやり方から結構変えてますよ。マニュアル四、五枚分くらいは節約してます。」
それは今までは誰にも理解されなかった島本の自慢だ。
「なるほど、やっぱり島本さんには気持ちがある。それもしっかり伝えてもらいたいですね。」
十名近い者が脱落したが、やっと最後まで一人でやることに成功した人間が現れた。奈良岡というアルバイトだ。それ以上、人数が増えることはなかったが、作業できるのが島本一人から二人になったのは、大きな変化だった。
「すいません、地形データの追加が三つほど必要になってしまいました。」
「奈良岡に言ってみな。たぶん今日、明日で出来るだろ。」
「そうなんですか。助かるなあ。」
その様子を見てゼンマイ部長は島本に言った。
「島本さん、良かったですね。少なくとも弟子ができた。」
「まあ、そうですね。」
それからも地形データの加工の依頼はやってきたが、島本と奈良岡によって全て計画通りに処理されていった。それは普通のやり方で、だから特別な仕事だと思う人はすぐにいなくなった。
* * *
「すぐに地形データがないと困るだろ、早く対応してやれよ。」
尖った口調で島本が奈良岡に言った。それは加工作業を頼まれた奈良岡が、ごねていたからだ。
「だって、他の仕事もありますから。」
奈良岡は不服そうに島本に言い返す。
「だからって、今日は無理だって、頭ごなしはないだろう。」
「今日は手をつけられません。それに僕は明日休みですし。」
「それなら俺やるから言ってくれよ。」
島本は奈良岡にそう言ってから、頼みに来た他の部署の人間に聞く。
「それでいいだろ?」
「島本さん、なんかすいません。」
「いや、これも仕事だからな。ボランティアじゃない。謝るのは変だろ。」
島本は当たり前のように言った。アルバイトの奈良岡は困った顔をしてから、自らも頭を下げた。二人ではあるが、そのチームは成り立っていた。
ゼンマイ部長は動きを止めた。そうしてゼンマイ部長はまたゆっくりとネジ巻きを始める。