ゼンマイ部長・二
ゼンマイ部長はこの会社にもいた。遅刻や欠勤が多い社員の言い訳で、ゼンマイ部長はネジ巻きを止めて動き出す。
火曜日の朝、松木は上目づかいでゼンマイ部長を見ていた。イタズラが見つかった小学生のようだ。
「じゃあ、昨日はお客さんのところに行ってたんですね?」
「はい・・。はい、そうなんです。」
ゼンマイ部長は松木に質問をした。ゼンマイ部長は穏やかな口調だったが、松木の方は怯えているようにも見えた。自分の行動に問題があるのは分かっているのだ。
「どのお客さんですか?」
「え? あの・・、鹿児島のナンカイ屋です。」
今までに取引のない会社た。ずいぶんと見え透いた嘘だった。月曜日に一日かけて訪問する予定はなかったし、第一、その顧客を松木は担当していなかった。
「なぜ、連絡がとれなかったんですか?」
「すいません、電話を持ち歩くのを忘れていて。」
「それでも連絡は出来ると思いますよ。」
「あの、ちょっと、ぼんやりしてまして。」
松木は今までも家族の不調や交通事故を理由にして、何度も月曜日に会社を休んでいた。今回はとうとう言い訳のネタ切れたのだろう。誰も信じないはずの嘘だった。
「少なくとも連絡はすべきだったですね。それに顧客訪問なら出張予定の申請が必要です。」
「ええ、はい。すいません。」
「ではすぐに出張報告を出して下さい。」
「はい。」
「それから後出しですが、まずは出張予定です。事後承認するしかないですね。」
助かったという顔をして松木は口をゆがめて笑うと、ゼンマイ部長に頭を下げた。そのまま自分の席に帰ろうとした松木の背中に、ゼンマイ部長は優しく声をかけた。
「それから交通費精算の申請もです。今日中に提出は全部済ませるんですよ。」
「はい。」
松木はビクッと肩を震わすと振り返って言った。彼は書類など出す気はないだろう。ただ、その場しのぎで糾弾の場が終わったことを単純に喜んでいるだけだった。
翌日、三十分ほど遅刻してきた松木に、すぐにゼンマイ部長は声をかけた。
「出張報告はまだですか。それに精算をためてはいけません。」
遅刻の方を咎められると思っていた松木は、一瞬言葉に詰まった。昨日の嘘など忘れていたようだ。
「あ、そうでしたね。すいません、領収書を全部なくしてしまって。」
「それでは領収書をなくした始末書と、それに社内精算書を出して下さい。」
「はい。」
「昼までに全部終えること。それが最優先です。」
ゼンマイ部長の言葉を不思議に思う職場のメンバーは何人かいたが、松木のために、わざわざ理由をたずねる者はいなかった。
午後になるとゼンマイ部長は、松木の席にやってきて書類提出を急がせる。
「まだですか? 出張予定と出張報告、交通費精算。それに社内精算書と領収書紛失の始末書を揃えて下さい。」
「はい、分かってます。今すぐやります。」
それから一時間ほどして松木は始末書を持ってゼンマイ部長の判子をもらいにやってきた。
「松木さん、なんですか、この始末書は?」
「はい、申し訳ありませんでした。」
「これは月曜休みしましたっていう始末書じゃないですか。」
「はい。」
「いえいえ。出すのは領収書をなくした始末書ですよ。」
「いや、そうじゃなくて、この始末書で合っているんです。」
「昨日聞いた内容と違います。これで私を騙そうというんですか。」
「いや、そんなつもりないです。全くないです。」
「私に嘘をつくおつもりですか?」
「いえ・・、すいません。」
「嘘じゃないんなら、早く作り直して下さい。他の書類も一緒にです。」
「部長、あのー」
「なんでしょう?」
「すいません、月曜はズル休みなんです。寝坊してめんどくさくなって・・」
「いや、そんなはずはありません。たった今、嘘はついてないって言ったじゃないですか。話が矛盾します。」
「まあ、言いましたけど。」
「嘘をついてないなら、それでいいのです。領収書をなくしたのなら、しっかり反省して始末書を出せば、それで終わりです。」
「・・え、はい。」
「いいですか。領収書をなくしたという始末書を出して下さい。それ以外の不足書類もです。分かりましたか?」
「・・・。」
「まさか松木さん、あなたは領収書をなくしたのを誤魔かそうとしてますか?」
「いえ、とんでもない。・・分かりました。」
松木は背中にびっしり汗をかいていた。すぐに席に戻ると、なんとかつじつまの合う書類を作ってゼンマイ部長のところへ持ってくる。
「うん、これでいいです。いいですか、今度、同じことをしないように。領収書をなくすというのはお金を落とすのと同じですから。それにその金はあなた個人のものじゃない、会社のお金です。それはしっかり理解するように。」
通りいっぺんのお説教を、ゼンマイ部長を簡単に済ます。
「じゃあ、あとは交通費の精算ですね。領収書がない分は社内精算書を出して下さい。」
「えー」
「ダメですよ、松木さん。そういうのはしっかり出さなくてはいけません。」
「交通費精算とかいいです。」
「お金の話はきっちりとしないといけませんよ。そんな感覚のままですと、また領収書をなくすかもしません。領収書がないとして、自費で出させるかどうかは私の判断です。だから全部書類を出して下さい。」
「・・はあ、はい。」
松木は困ったように頭をかくと、席に戻って再び書類づくりを始めた。そして、ゼンマイ部長に言われた書類全てを提出した。
その翌月、無断欠勤の日の交通費が松木の口座に振り込まれた。
松木がまた月曜日に無断欠勤をした。ゼンマイ部長は穏やかな口調で、その理由を聞き出す。
「昨日はなぜ会社に来なかったんですか。電話にも出なかったですよね。」
「あ、いえ・・すいません。」
「ひょっとして、またお客さんのところですか?」
「えー、はい。」
「ナンカイ屋ですか? なら鹿児島へ日帰りってことですね。」
「はい・・」
「前にも言いましたが、最初に出張予定を確認させてほしいんです。本当はそうじゃないと出張はダメですから。」
「はい・・」
「もし領収書がなかったら始末書を出して下さい。形式的なものですから、この前と同じ内容で構いません。」
松木は居心地悪そうにまた上目づかいにゼンマイ部長を見た。ゼンマイ部長は優しく諭すように言った。
「それから飛行機の予約をするなら、駅前の代理店に会社名で予約すれば簡単ですよ。サインだけで領収書の処理も要らないですしね。」
「あ、そうなんですか。」
「まあ書類は全部今日中に出すことです。この前みたいに時間をかけないようにお願いしますね。」
「はい。」
松木はその日のうちに言われた書類を全部出した。そして交通費は松木の口座にまた振り込まれた。
その後も松木の無断欠勤は直らない。そのうちに松木は説明なしで書類をゼンマイ部長に提出するようになった。遅刻をしたら出張報告を出す、そうすると収入が増える。松木は自分が何をしているか分からなくなっていた。無断欠勤しても翌日が怖くなくなっていたのだ。そして余ったチケットを現金に換える方法を覚えた。
これはいいぞ、松木は喜んだ。ただ楽をしたい、もともとはそれだけの男だったが、松木はすでに別の目的を知ってしまった。
* * *
「松木さん、ちょっといいですか?」
ゼンマイ部長はそう言うと松木を別室に呼び出した。ゼンマイ部長が松木に見せたのは代理店からのチケット取引の明細だ。
「これなんですけど。事後の出張報告と合っていません。」
「・・はい。」
その頃には松木は、無断欠勤の言い訳分だけでなく自分の小遣いとしてチケット予約を繰り返していた。
「今までの出張報告が本当なのか、全部調べることになりました。」
「・・・」
松木の顔は一気に青ざめていた。
「つまりは交通費申請が本当に正当性があるかですよ。松木さん、証明できますかね?」
「確認します。」
「来週火曜日まででお願いします。その段階で正当性を判断します。」
「・・・はい。」
「正しい証明が出来なければ、かなり問題になってしまいますね。」
「どういう意味ですか?」
「全部返してもらいます。それから懲戒処分ですね。これからの判断ですが、刑事事件かもしれませんし。」
「困ります。」
「会社の方がずっと困ってますよ。それに私に嘘をついてないと言っていましたよね。ひょっとしたら私は騙されているのかもしれません。とても悲しいことです。私はそう思いたくないんです。」
松木は言葉につまった。ゼンマイ部長は松木に向かって話を続ける。
「松木さん自らが真実を証明してくれるのを信じて、ただ待つだけです。」
「・・そんな。」
「嘘はついてないんですよね。でしたら、よろしくお願いしますよ。来週の火曜までに。」
次の日から松木は会社へ来なくなった。月曜日には松木から会社を辞めるとメールが来た。松木の件は社内の不正として認識されたが、本人が責任をとって退職したことから、それ以上の扱いにはならなかった。
ゼンマイ部長は動きを止めた。そうしてゼンマイ部長はまたゆっくりとネジ巻きを始める。