第二話 僕と僕の周りの変人達
「で、そんな事になった訳ですか」
写楽さんが正座している僕と先輩の前で仁王立ちし、その小柄な身体を倍くらいに見せて圧倒的なオーラで僕達を見下ろしていた。
写楽理さん。
僕と同じ一年生で成績優秀態度良好性格真面目。
口数は少ないけど、時々見せる眼鏡の奥の笑顔が可愛らしい女の子だ。
別の意味で頼りになる時もある浮世ノ世先輩とは違って、全般的に頼りにできる部員さん。
基本僕達には厳しいけど、間違った事は言わないしでしゃばったりもしない。
部長のようないわばカリスマ的な存在では無いけれど、僕たちが活動するにあたって必要な書類とか文書とか、データの管理とか、彼女が居なくなってしまったら僕たちは正しく船頭を失った船のように右往左往して何事も上手くいかなくなるだろう。優秀な秘書さんなんてドラマの中でしか見たことないけど、きっといたら彼女のような存在の人なんだろうと思う。そしてつまり、実質的、精神的な面で彼女は僕達よりも上位の存在であり、つまりは、
「『ごめんなさい』」
頭が、上がらない。
どころか、床から離れられないくらい、その実力差は大きいのだ。
ていうか僕が一緒に正座させられている理由が解らないよ!僕は何も悪い事をしていないよ写楽さん! 信じてー!!
僕が寂しそうに彼女を見上げると写楽さんも「うっ」とうなって僕から一歩下がる。
コホンと咳をし、
「ま、まあ今回は、といよりいつもですが帽子谷君は完全に犠牲者の様なので許しましょう」
そっぽを向きながらもそう言ってくれる写楽さん。よかった! 流石は部の最後の良心!
僕はいそいそとボードを持ち上げて立ち上がる。キュッキュッと『ありがとう。信じてくれて』と書いて見せた。
「……犬……豆芝みたい……撫でたいな……」
意味が解らない事を言っていたけれど。
「じゃあ私も――」
「そのまま部長は二十分間正座です。足を伸ばしたら十分のペナルティです。ああ、あと異論反論は認めません。抗議も認めません。私たちは今度調べる予定の『七夕伝説』について話し合うので邪魔をしないように。お菓子のゴミは私が見られないように捨てておきますが、今度やったらその上に石を置きますのでそのつもりで」
「うわあああーん!!!」
――怖い。写楽さん超怖い。
僕はがたがた震えながら、泣きながら正座を壁に向かってやっている先輩に、少しだけ同情してしまった。
僕、先輩、木洩日さん、写楽さん。
先輩が部長で、僕が書記。木洩日さんが会計で写楽さんが副部長。これが『奈々津荷神秘調査部』のメンバーだ。僕の書記はまあ妥当として、木洩日さんの会計も適任だし写楽さんが副部長なのもはまりすぎて怖い位だ。
部長が先輩なのは賛否両論の所ではあるんだけれども。
『ところで写楽さん、僕達が次にする研究テーマの『七夕伝説』って何? 普通に僕達が知っている七夕とは違うのかな?』
僕がそう尋ねながら長椅子の前に座ると、少し間隔を置いて写楽さんも眼鏡を少し右手で押し上げから、「そうですね」と言って座った。
「『七夕伝説』というのは一言でいってしまうと天使の話です」
僕は首を傾げる。はて。七夕とは確かに違う話であるとは思ったが、よりにもよって全く関係がなさそうな西洋の天使の話だとは。僕は疑問をそのまま書いて写楽さんに尋ねてみる。
『西洋のお話ってこと?それがここにまで伝わったとかなのかな?』
「いえ、というより、随分昔の話と言っていいでしょうね。この伝説は、昔愛し合った男と女が結局結ばれることなく、互いを求め合いながらも別れてしまう悲恋の物語ではあるのですが、それは〝天の羽衣〟の流れも汲んでいるようで女は実は空の住人で、最後には天と地をまたぐことは出来ずともお互いを愛し合うというものらしいです。更にそれに相手の女性は羽を持つ天使だ、というものが最近、といっても昔ではありますが付いたと思われ、それが七月七日、天を星の橋がかかる時二人は再び会う事が出来、少しの間だけ結ばれてまた女は空へと去っていく、という話のようです」
はーあ、なるほどなあ。話は似ているけれど、確かに大分七夕とは違うようだ。それで天使の話、か。
『そうなると、僕たちはそこから更に何かを研究するって事になるよね。じゃあ何をすればいいんだろう?』
「本当にあなたのような人がこの部に入ってくれて幸運でした……。あそこで泣いている人は牽引力はあるけど常識を母親の胎内に忘れてきているような人ですから……。そういう質問をされると逆に嬉しくなってしまいますね……」
そういって力なく笑う写楽さん。苦労しているなあ…。何気に物凄い毒を吐いてたけど。それを聞いて更に先輩が泣いちゃってるけど。
「これは部長が自分で調べたものです。まあこの人にとっては造作も無い事なのでしょうが、どうやらこの話の舞台になった所が奈々津荷にはあるようなので。それを探し出し、夏の発表大会に向けて調べようというのが第一の理由でしょうね。まあもう一つの理由の方が部長にとっては濃厚だと私は思っていますが……」
『? 他に何かあるの?』
「……その伝説にあやかって、思い人と二人でその場所に行き願い事をすると、恋は成就し願いが叶うと言われています。一時期話題になり、町おこしとしても提案されたのですが提案者に小さな不幸が重なったり町自体がそんなに乗り気にならなかったのも加わり結局取りやめになってしまったようです。ブームが去るのも一瞬だったようですしね」
『へー、なんだか縁結びの神様みたいだからやればよかったのにねぇ。相変わらず不思議な町だねここは。七福神の弁天様が祀ってある神社は縁切りの場所って聞いたことあるけど、ホントに伝説は色々だなあ』
そこまでキュッキュッと書いてはたと気付く。
『――あれ!? 先輩って好きな人居るの!? 僕知らなかったんだけど!!』
「……あの人も報われませんね……出会って日が浅いですがああ見えて思いっきりそっち方面が苦手なのは解りましたが……」
『ちょっと困った人だけど、面倒見は良いし実は優しいし、綺麗だし、言ってみれば案外大丈夫だと思うんだけどなあ』
「ホントに報われませんね……」
部長は正座しながらちらりとこちらを振り向いていた。
何故か少し顔が赤かった。そして何故か写楽さんが少し怖い顔をしていた。
何故なのか僕にはさっぱりだった。
『じゃあ、その場所を僕達で調べるって事でいいんだよね?』
「ええ。そのための詳しい資料は図書館やネットで調べておきますし、お世話になっている郷土歴史研究家の先生にもアポを取っておきたいと思います。時間があまり無いので、急がないといけませんから。私も前回の『黄泉がえり伝承』の時と同じようにもう二日連続徹夜とかはしたくありませんし」
『黄泉がえり伝承』というのは僕達が最初に手掛けた奈々津荷に古くから伝わる伝承の事だ。
一度死んだ魂が一回だけその願いを果たすために現世に帰ってこれ、願いを果たしたらまた黄泉へと帰る、というちょっとありふれた感のある伝承なのだが、調べてみると結構面白い事例が多く、中にはその亡くなった人と会話し、そのおかげでガンが早期に見つかり助かったというものまであった。
三年が一人も入っていなかったため、必然的に先輩が新しく部長になってテンションが上がって僕達をその行動力で引っ張っていってくれたのだが、研究発表日までにパワポが出来るのが危なかったり原稿や資料も終わって無かったりと、四人で死に物狂いで徹夜でやって当日全員ランナーズハイのような状態になって乗り切ったという苦いような楽しかったような形容しがたい思い出だった。
その中でも一番労力を割いてくれたのが写楽さんで、皆のフォローをしつつ、原稿を書きつつ先輩の尻を叩くという敏腕編集者(僕はどういうものかはよく知らないけれどそういうイメージ)のように僕らをまとめていってくれた。
今の先輩と彼女の立ち位置も、自然と言えば自然と言えた。
『じゃあ、今日はもう帰っていいのかな? 何かやっておく事があれば何でもやるよ?』
ボードを見せると、クスリと写楽さんが笑って、
「本当にあなたが入ってくれてよかったです」
と言った。
やっぱり可愛い笑顔だ、と僕は思った。
「じゃあ、部長を慰めて来て下さい。私では多分もう効果が無いので。反省もしたでしょうから、帽子谷君が言ってきてあげて下さい。それでもう今日は帰っても大丈夫です」
この人と一緒になる人はきっと成功するんだろうなぁと思った。
帰り道、僕の家の方角になにやら険しい顔をして、木洩日さんが歩いてきた。
買い物袋を持っていなかったのでどうしたのか訊いてみると、「創業祭は明日だった」
との返事が返ってきた。
ご苦労様です。
★
「伝説ねえ、そんなもんもこの現代日本にもちゃんと根付いてるもんなのね。ちょっと感心したわ。おとぎ話っちゃおとぎ話だけど、そんな変化球気味な話聞いたこと無いし。そういえば結構この町って不思議な言い伝えとかあるわねそういえば」
詩好子さんはサンドイッチを頬張りながらそんな事を言った。
まあ僕としてもこの話はなかなか変わっていると思うし、何より僕がこれから調べる物なのに詩好子さんが興味を持ってくれるのはちょっと嬉しい。
暗闇の中。僕と詩好子さんはいつもの場所で二人でサンドイッチを仲良く食べていた。最近僕の作るサンドイッチの量が増えたので、おばあちゃんは「仲良く食べるんだよ」と意味深と言うか正にズバリと確信をついている事を言ってきて、顔が真っ赤になっているのが解った僕ににやりと笑った。僕の方を見ずにぽつりとはっきりと「我が孫ながらよく食うようになったわ」と言われて更に僕は顔が赤くなった。そういうんじゃないんだよ!勘違いだよおばあちゃん!!
とは言えない僕だったのだが。
詩好子さんは僕が淹れたお茶をごくごく飲みほすと、何でもないように空を見上げる。
今日も空が綺麗だ。雲が無い日を選んで会っているので会う時は必ず満天の星空だ。一面の空の銀世界。雪の様に白く、または黄金の様にも輝く星達はいつ来ても心が落ち着くし癒される。僕も黙って空を見る。〝七夕伝説〟もこれならうなずけるというものだ。むしろ無い方がおかしいとさえ言えるかもしれない。
「変なもんねー、何か。愛車の『|赤い彗星』に乗ってる時くらいに気分が高揚してくるのに、同時に凄く寂しい気持ちにもなる。何なのかしらねこれは」
詩好子さんは上を見ながら笑っていた。
その言葉通りに優しそうに。そして、寂しそうに。
僕はその顔を見ながら暗闇のなかでも目が慣れているためはっきりと見える詩好子さんの横顔を見て、何故か胸がぎゅっと掴まれたかのような錯覚におちいった。
何だか、怖いような、辛いような、艶めかしいような、よく解らない言葉が喉まで出かかって止まる。詩好子さんの顔はそんな僕を戸惑わせる、何かがあった。
「人って、なんで生きるのかしらね」
唐突に、詩好子さんはそう言った。
僕はまだ空を見上げたまま、よく見ると少し潤んでいる瞳をした彼女を見つめる。
「だってそうじゃない? 確かに生きている事に感謝しなきゃ駄目だとか、生きている以上は生きなきゃ駄目だとか色々言う人はいるけどさ、そんな事が辛くて辛くて生きる事から逃げ出したいと思ってる人もいるわけじゃない? そんな人に、『お前はまだいい方だ。世の中にはもっと辛い人がいっぱいいるんだぞ』とか言われても、パッと視界が開けるなんてありえないじゃない。そんな事を言われ続けて、そして、そう思っちゃってるんだからさ」
僕はその詩好子さんの顔が一人ぼっちで泣いている小さな女の子に見えた。
辛い事から眼をそむけずに、そのせいで誰にも助けを求められずに一人で泣いている小さな女の子。そんな風に。
「生きるって、五月蠅いし、面倒臭いわ。本当に」
そう言ってから僕の方を見て笑う。その笑顔を見て僕は叫び出したくなる。
そんな泣きそうな顔で笑ったりするなよ、と。
僕は思わずケータイのメール画面に、長い文章を打った。ちょっと待ってて、と前置きしてから。僕はこの娘に、どうしても言いたいことがある。言わなければならない事がある。
しばらくカチカチという音だけがこの星空の下で響く。彼女はまた星を見ていた。そのまま消えてしまうかのような、儚さで。
僕はようやく打ち終わり、とんとんと肩を叩いて詩好子さんにそのメール画面を見せた。
『人生に意味なんてない』
僕のその最初の言葉に詩好子さんは素直に驚いた顔をした。すぐに続きを見る。
『僕達が生きている意味を考えるのは仕方がない事だと思う。
でも、それが〝無意味〟って事は、逆に疑っちゃいけない事だとは思わない? 死にたいって考える人がいるのは自然だし、死にたいって思う事だっても生きていればもちろんあると思う、でもその前に生きるって事は、最終的には全く意味が無い事なんじゃないかって僕は思う。僕達が生きている事に意味があるのなら、僕たちは何かをやり遂げなければならなかったり、辛い事にも耐える必要がある。でも、そうじゃない人はじゃあ生きている意味がないのかって事になるかって言うと、僕たちは幸せになりたくて生きてるんだからそんなのあるわけが無いでしょ?でも結局全員間違いなく死んじゃうんだから、『生きる』って事の意味って本当はないんだよ。勝手に僕達が思ってるだけ。そうじゃなくってさ、〝生きるってことに意味はない〟んだから、〝自分で生きている意味を作っていく事、そ意味があるって思い込むことが大事なんじゃないかって僕は思うんだ。そう思ったほうがずっといいと思う。何かを信じたり、何かを愛したりさ、そんな事に意味は無いんだけれど、でも愛したいって思うから。友達でいたいって思うから、無意識にでもそう思い込もうとして意味を作ろうと思うから、作りあげて生きて行くから、辛い事にも意味が与えられるんじゃないかなって。死にたいほどの事が起きても、僕は生きる意味を作って思いこんでいくべきなんだと思う。働いて食べて寝るだけの人生に意味を与えようともがくのが、すっごく大切な事だと思うんだよ。辛い事から逃げるとか死にたいのにとかそんなの関係なくて、そうやって辛い事にも意味を作り出そうとする方が、ずっと前を向いていけるじゃない。それが生きる事の『意味』なんじゃないのかな。だからそんな悲しい事言わないで。ね? 詩好子さん』
詩好子さんは、泣いていた。
ぽろぽろぽろぽろと雫が芝生ににた草に落ち、露になり光る。
僕はこの人が好きだ。
このくしゃくしゃに笑って泣く綺麗な人のそばにずっといたい。初めてそう思った。
☆
詩好子さんはそれから僕の持っていたティッシュでチーンと鼻をかんで涙も拭くと、バツが悪そうにそっぽを向いて「ティッシュありがと」と言った。その顔が暗い中でもよく解る。おかしい。
詩好子さんがレジャーシートをじっと見て、それから僕に「あんたって変なヤツね」と彼女にしては言葉短めに言うと、照れているのか怒ったように僕を見ながら「あとメール長いのよ、読むの大変だったわ。…… そのメール後で私に送りなさいよ。アンタの恥ずかしい黒歴史って事で取っといてあげるわ」とも言った。
また思わず笑ってしまう。本当に嘘の下手な人だなあ、可愛いなあこの人。
「何笑ってんの股潰すわよ」
訂正、怖い人でした。
心底怯えて股間を両手で隠した僕に、詩好子さんはふっと笑って僕の眼を見て話始めた。
「私もアンタみたいになれたらいいのにね……」
そう切り出し、続けた。
「父さんと上手くいってないのよ、私」
いつもの流れるような語り口調でなくぽつり、ぽつりと小石を軽く放っていくように静かに淡々と語る。
僕はこの話はきちんと聞かなければ駄目だと思って、知らず知らずの内に姿勢を正していた。いつもよりも幾分真剣な顔で。幾分というのは真面目に聴きすぎていると思うと意外と人は話しづらい時があると思っているからだ。特に、詩好子さんのような人にとっては。
「――父さんは母さんが大好きでさあ。父さんも、ああじいちゃんも星が好きなんだけどね、母さんの星を勝手に決めて、星空の下で『いつまでも僕のそばで、輝く星でいてほしい』ってプロポーズしたらしいわよ。くさすぎて逆に笑えるわ」
くすくすと笑うその顔から、心の底から父親の事が嫌いなわけでは無いのだな、と僕は感じた。嫌いな父親のプロポーズ話で、こうは微笑めないだろうから。
「でも母さん、私が小さい時に死んじゃってさ」
その言葉の軽さとは裏腹に、とてつもない重さがそこにはあった。
「ばあちゃんも凄く若い時に死んじゃったらしいから、そういう家系なのかもしれないけどね。で、そこからはちょっと話が重くなるんだけど、私と母さんって、そっくりらしいのよね。顔とか体つきとかが」
今度は、自嘲気味に暗い顔でそう言い、静かに笑う詩好子さん。
僕は思わずその手に触れ、抱きしめたくなったけれど、ぐっと拳を握って我慢した。そういう関係では無いし、それが今出来る資格も僕には無い。
「最初は良かったのよ。父さんも会社を経営してて、母さんの名前を取って『MIKOTO』っていうんだけどさ、そっちに没頭して忘れようとしたみたい。そのおかげかどうかは解らないけど結構有名な会社になったわ。小さかった頃は私も溺愛とも言っていい程大事にされたわ」
少し驚いた。『MIKTO』と言えばここいらではウニクロやシーユーよりも安くて、センスがいいと評判の大型衣料量販店だ。全国ではメジャーでは無いかもしれないが、服を見にいくイコール『MIKOTO』、と奈々津荷の住民なら思うしそうする。それが詩好子さんの父親が経営する店だとは。知らなかった。
「そのくらい母さんが好きだった父さんが、大きくなって母さんに似てくる私を見てどう思うと思う?」
僕は押し黙るしかなかった。元々喋れはしないが、それでも。それは、なんというか、あまりにも。
「酔って「尊に似るな!この偽物が!!」って言われた時は、本当に死のうかと思ったわ」
力なく笑う詩好子さんに瞳にはまたじんわりと涙が溜まっていく。
「父さんの気持ちも解るの。もし、私に好きな人が出来て、その人が死んじゃって、その人との子供が大きくなって好きな人に瓜二つになったら、きっと極限までその子を愛するか……それとも憎むかの、どちらかだもの」
詩好子さんはぐいっと袖で涙をぬぐう。僕は何も言えず、書けず、ただ詩好子さんを抱きしめたいと思った。
例えそれが、僕の役割では、無かったとしても。
「母さんがいてくれたらなあ……私も父さんともっと上手くやれてたのかなあ……どうなのかなあ……わかんないけど、今より幸せだったかなあ……」
空を見て呟いて、詩好子さんは頬から一筋何かを流した。
流れ星に似ているそれが、願いを叶えてくれたらいい。
でも星は変わりなく、ただ無言で光り続ける。
★
「神秘というものはお金では買えないモノなのだよ、解るね帽子谷君」
『いえ、とりあえずお金で買えなければ買わなければいいだけの話だと思います』
「やってくれるね」
『お断りします』
「この薄情者め!」
『今の僕には何よりの褒め言葉です』
「んーいいねえ、この景色。気持ッちいい~、でも、ここが〝当たり〟とは限らないんだよね、写楽さん」
「ええ、とりあえずのポイント、という事ですね。と、いう訳なので、部長、きちんと皆をまとめてください。何帽子谷君に押し付けようとしているんですか。真面目にやらないのならば帰ってもらいますよ?」
「だ、だって私がお菓子を買いに行ってくれないかって言っても帽子谷君が行ってくれないから……」
『僕にお金払わせようとしといてよく言えますねそんなセリフ。大体、僕はレジが苦手なんですよ。ボードに書くのも手間だし、待たせるから後ろの人達にも悪いし。自分で行って自分で買ってきてください。そんな事してると好きな人に嫌われちゃいますよ』
『よ』のあたりで先輩はコンビニまで全速力で駆けて行く。僕が突然の先輩の行為に驚きを隠せずにいると、写楽さんと木洩日さんが互いに苦笑していた。
「可愛いですね」
「どっちもどっちだけどね」
あははははと二人で笑い合っているが、僕には謎以外の何物でもなかった。
とりあえず僕はそんな二人を無視して先輩がコンビニから出てくるまで、少し周りを見回した。
奈々津荷町でも田舎の方。遠くでは鳥がぴゅーいと鳴いていて、空にその羽音まで聞こえてきそうな程逞しい翼をはためかせている。僕らの後方のコンビニも個人経営でやっている店の様で、コンビニらしくなく八時には店を閉めると書いてある。コンビニの八時とか、かなりかき入れ時な気がするけど、こんな所ではその時間には通る人もいないのだろう。僕はそんな風に田んぼとトラクターの音が響く風景を眺めては~と息を吐いた。まだこんな所が奈々津荷にも残っていたのだなあと感心しつつ。
僕達は電車で奈々津荷の端である『幟区』に来ていた。
面積は広い奈々津荷でも田舎の田舎。農道やニワトリの鳴き声が響くここは、なんとも言えない落ち着く空気を僕達に運んできている。
「夏彦君。ここは君にはぴったりの場所だよ」
僕は首をわざとらしく傾げてどういう意味?とジェスチャーすると、木洩日さんは、
「ここら辺の農家の人たちに飼われてそうじゃない。『犬』として」
ボードをフルスウィーング。ボクサーのごとく華麗にスゥウェーで避ける木洩日ィさーん。
――ちッ、今のは確実に決めたと思ったのに! 相変わらずいい勘してやがる!!
僕達がボードで遊んでいる間、(僕は本気だが)脇で写楽さんが「確かに……」とか呟いていて詳しく理由を聞こうかと思ったが、知りたくも無い事実を知りそうなので悪いがスルーした。
『で、ここがその〝七夕伝説〟の場所かもしれない所と、この近くに住んでいるその伝説に詳しい近藤さんって人がいるところなわけか。確かに雰囲気は江戸時代って感じがするよね。……もちろんいい意味でね』
肩で息をつきながら、荒い呼吸のまま僕はボードに書いて写楽さんに見せる。
木洩日さんはまるで人間では無いかのような天才的な勘で変幻自在の僕の『ジークンボード』を避けつつ、しかも相手の思考を読んでいるかの如くに僕に近づいてくるので、まさにバケモノを相手にしている様だった。
昔からケンカしても全く歯が立たなかった僕としては悔しいというより既に諦めの境地である。強い女の子は好きですか? 僕は微妙です。
「そうですね、これからそれと思わしきポイントまで行ってみて、それから近藤氏の自宅に向かいましょう。二時にアポを取っているので、それまではポイントでそれらしいかどうか調べましょう。まあ実は無いでしょうが、写真を撮っておけばそれも立派な発表資料には使えますし」
僕はもう先輩は写楽さんに部長職を譲るべきではないかと思います。
先輩、写楽さんは先輩より先輩らしいです。既に後輩の気分です僕の方は。
そう思っていたら、ちょうどその先輩がこの世の終わりのような顔をしてがっくりとうなだれながら帰ってきた。慌てて僕がどうしたのか尋ねたら、
「カレエ、ムーチョが、無かった、よ……」
『あ、じゃがりこんは買ってくれたんですね、僕の分ですか?』
手に持っていたビニール袋を眺めてから書いて、僕が笑う。
「あ、いやその……、あ、あれだ。普段頑張ってくれている後輩に、ちょっとサービスでもしてやろうかなと思ってね、ま、まあ、喜んでくれて、何より、何よりだ、うん」
何故か真っ赤になって俯き喜ぶ先輩。いつもこうなら可愛いんだけどなあこの人は。
じゃがりこんごときで大袈裟な、とは思ったけど。そんな僕達を見て他の二人はまた笑っていた。
「――ホント、可愛いですね」
「――ホント、可愛いな」
何故かその顔に僕は、ぶるりと震えたのだった。
その、星が良く見えるというポイントの丘について一通り調べ終わると、気付けばもう一時になろうかという時間になっていた。
話によると、その伝説の場所は『星が見える見晴らしのいい丘』ということらしいが、僕達が行った所はどうにもそんな神秘的な感じは受けなかったし、そうとも思えないような、正直、ちょっとしょぼい感じの場所だった。
それは他の三人にしてみても同じだったようで、直ぐに調査とは名ばかりの遊びに僕たちは興じはじめた。写楽さんだけは真面目に持ってきていたデジタルカメラで周りを撮っていたけれど、「一緒に鬼ごっこしよう!」と僕達がいうと、呆れながらも付き合ってくれて、久しぶりに太陽が輝く中童心に帰ってめいいっぱい遊んだ。
ちなみに木洩日さんは一回も捕まらず、僕と写楽さんはあっさりと捕まって動けず木に触りながら待っていたのだが、殆ど先輩と木洩日さんのドッグファイトになっていた。だが相手の思考を読んでいるかの如く逃げる木洩日さんと、野生の獣じみた運動神経で追いかける先輩の対決は、見ていて正直超面白かった。勝手に手に汗握って応援していた。いけ、そこだ、ああ惜しい! いいぞそこそこ!
木に片手を付き、もう一方の手で写楽さんの手をつい強く握って捕まっていたのだが、真っ赤になった写楽さんが「あう、あう、あううううう」と唸っているのが不思議と言えば不思議だった。
僕は歴史研究家という人たちはどことなく、知的なものだというイメージを持っていた。
知的と言わないまでも、どことなく落ち着いた風貌、物腰、でも自分の好きな事を話し始めると紳士的ではあるものの止まらない、勝手にそんな人物像を思い描いていた。
最後はあっていた。だけど、僕はこんなノリのいい人が何で奈々津荷の歴史研究をしているんだろうかと首をひねらずにはいられなかった。
名前を近藤正道さん。彼は今年六十を過ぎようかという還暦を迎えた人物だったのだが、そんな肉体的衰えなど微塵も感じさせない、妙にハイテンションなおじいさ、いやおじさんだった。
僕達は近藤さんのその妙な迫力に完全に飲まれてしまい、しょっぱなから僕達の中だけでちょっと気まずい思いをしていたのだが、先輩だけはいつものおバカモードから一転、冷静で真剣味溢れる印象すらうける態度で近藤さんの脱線しまくるマシンガントークに上手く合いの手をいれ、僕達にもその〝七夕伝説〟の詳しい内容を聞き出してくれた。
僕は速記まではいかないものの、いつも自分のボードに書いている成果か先輩と近藤さんの言っている内容を適度に省き、必要だと思われるところは適度に盛ったりしながらノートに文字を書き込んでいく。
やがて近藤さんは、満を持してこう切り出したのだった。
「――今まで話したのは歴史ある奈々津荷の中でも有名な話だったんだよねっ。ああ、そうだそうだ君たちは七夕伝説について調べていたんだろ? 君たちはさ! その奈々津荷の七夕伝説は嘘っぽい、ちょっと変わっただけのよくある話だと思ってる? いやー、思ってる顔だなそれは、解るけどね!! でも、僕からしてみるとそれこそ違うしこの伝説の興味深い事をよく知らないからだよ、君たちは勘違いしてるんだよねェ!!」
「――では、どういう風に違うとお思いなのでしょうか、近藤さん」
先輩が、普段見せないような堂々とかつ自然に相手の警戒を緩めるような柔らかな表情を作りつつ尋ねる。先輩、やっぱり先輩が部長で良かったと思います。僕はこのハイテンションに既について行けてません。おそらく愛想笑いをしている僕の隣とその隣にいる木洩日さんと写楽さんも含めて。
「奈々津荷ってのはね、昔から伝説の類が多い場所なんだっ。伝説の中には眉唾ものとしか思えないようなものもあるけど、実際にその伝説を体験したって人も多い。僕はそんな人たちに話を聴いて回ったんだけど、やっぱり不思議な体験をしている人の話はとても多くて興味深いっ。そしてなんといっても、その聞いた話の中で〝七夕伝説〟が一番僕はこの町では強く心に残っているんだよ。時々、本当にそれが事実としか思えないような話すらあったからね」
「例えばどんなものでしょうか?」
「〝七夕伝説〟が愛する二人で願い事をすると叶えてくれるって話は、もちろん知っているよねっ?」
「ええ」
「その愛する二人――、絶対に言わないでくれって言われてるから名前は言えないんだけど、その二人は互いをとても好きあっていたのにご両親の反対にあってね、仕方なく別れる事になってしまったんだ。そこでその場所で願いを叶えてほしいと星空の下願ったら、実際二人の間にあった障害、互いの両親が急に心変わりしてしまって了解をもらい、なんと無事に結婚したらしいんだよ。無事幸せになったとね。まあ、残念な事に現実は辛いもので、その相手側の女性はすぐに亡くなってしまったらしいんだけどね、でもそれも悲恋の物語としてこの〝七夕伝説〟と見事に符合すると思わないかい!? 僕は案外そういった偶然にしか思えない事でも、この奈々津荷ならあっても不思議じゃないような気がするんだっ! 今もその場所を必死になって探しているんだけどね、これがまた中々見つからない。文献などで解っている事は『見晴らしのいい丘』、という事だけだから探すのは手間じゃないはずなんだがねぇ、どうにもこうにもそれらしい所が見つからないんだよ。その話を聴いた時も「僕だけの秘密ですから」と言って絶対に教えてはくれなかったし。二人っきりになれて、星が良く見え、邪魔が入らない。そして何よりそんなロマンチックなシチュエーションに浸れそうな静かな場所、そんな所があればとっくの昔に見つけていてもいいはずなんだがねぇ……昔それで町おこししようとした時も結局見つからずじまいだったんだ、全く残念な事だよ」
高いテンションのままそう言う近藤さんの話を、僕達は愛想笑いから真剣な態度に変えつつ集中して話を聴く。流石はと言っては失礼だがこんな人でも歴史研究家。好きな物を語るときの情熱は知らず知らずに人を惹きつける。でも僕は何度も相づちを打ちながら頭の中では別の事を考えていた。星空。プロポーズ。叶う。悲恋。そして丘。
僕は近藤さんの話を聴きながら、もしかしたら奈々津荷の七夕伝説の場所は、あそこではないのかという思いを強くしていった。
僕と詩好子さんが二人で会っていつも星空を眺めている、あの奈々津荷山の僕達の丘では、と。
僕達はそれから電車に乗って僕達が住んでいる地区にまで戻ってそこで解散となった。
僕はしばらく考えごとをしていたせいかぼんやりとしていて、電車が止まった事にも気づかずに木洩日さんに「着いたよ帽子谷くん」と肩を叩かれてようやくそれを知るありさまだった。
当然それは先輩と写楽さんにも伝わっていたらしく、「大丈夫なのかい帽子谷君?」「疲れてしまいましたか、帽子谷君?」とまるで小さな孫をあやすかのような態度をとられてしまい、苦笑した。そんなに顔に出やすい方なのかなあ、僕。
そんな不安げな三人ににこりと笑いかけながら『何でもありません。心配ないので、大丈夫ですよ』とボードに書いて見せた。僕が想像した通りなら、丘のことは言わない方がいいだろう。
言ってしまったらもう詩好子さんには会えない、そんな気がしていたから。