どうやら、私の乙女ゲーはバグったようです
この世界は乙女ゲー「ローズバック宮殿」の世界だと私、ナタ=アリスレッドが気づいたのは、9歳の頃でした。どうも前世というべきか、その世界の記憶を一部分だけ持っているようで、次々と知らないはずの、しかしこの世界じゃ何の役にも立たない単語と、私の死のバリエーションが頭の中に、まるで氷の上に熱した鉄球を置いたように入り込んできたのです。
「……やっぱり、おかしいわよね」
「ええ、おかしいですね。どう考えても」
私の向かい側に座る少女、アリス。私の家名と同じ名前を持っていますが、平民の子です。そして私と同じく──いや、私より色濃く前世の世界の記憶の持ち主。ついでに言うと、ローズバック宮殿の主人公であらせられます。しかしおっぱいでかいな。私と同い年だというのに、くっ。
ゲームでは私が悪役で、最終的にはなんやかんやあって処刑されたり、火あぶりされたり、串刺しにされたり、石をつけられ湖に沈められたりと……どのルートであろうと処刑されてしまうのです。ハッピーでもバッドでも、私に待っているのはバッドだけです。しかもどれもレイプされてから殺されるんだから、たまったものじゃないわ。
まあ、故に先手打って邪魔な宗教潰させましたけれどね! 神は生きている、しかし信者は死んだ!
とまあ、そんなのはどうでいい話です。問題ではありません。
問題なのは──
「殿下、どう見てもあれよね……」
「はい、あれでございます」
私の言葉に、アリスも頷く。そして一緒に、ただっ広い草原で遊ぶ殿下を見る。
犬と戯れる殿下、ボールを投げる殿下、バナナを食べる殿下。あっ、鹿に糞投げつけやがったあいつ。
殿下のお姿は、一言でいえば毛むくじゃらですっぽんぽん。ムッキムキのすっぽんぽんである。殿下、ああ殿下……貴方、ゲームじゃあんなにイケメンだったのに……。
「ゴリラ……よね」
「ゴリラでございますね、ナタ様」
「ユパ様のイントネーションで言うのはやめなさい」
殿下はゴリラである。どうしてこうなった。
いや、私も前世の記憶が戻る前は普通に接していたが、今考えてみたら色々と違和感があった。殿下の寝床だけ藁だし。ただゲームと同じようにベジタリアンで、動物にも優しくて、外で遊ぶのが大好きで……でもやっぱりおかしいでしょ! 私、ゴリラに恋してたっていうの!?
「……そういえば殿下、よく従者のデロスト様とお遊びになられてたという設定、ありましたよね」
「あの犬がそうよ」
「はあ、そうなん……えっ?」
殿下と遊ぶゴールデンレトリバー、デロスト。ゲーム内じゃ活発で元気ハツラツな爽やかイケメンだった。でも今じゃただの犬。私がパンケーキを食べるまでは、どういう錯覚かイケメンに見えていたのだけれど、そういえば頭身低かったわね、と、何故前の自分は気付かなかったのは不思議で不思議で仕方ないわ。
……あれ、私あの犬に嫌味言ったことあったわね。つまりあれって、傍目からは『犬に話しかけている頭のおかしい女』と思われていたってこと?
まさかそんな……そんなことないわよね。メイドも普通にデロイトに喋りかけ……あれ、そういえば何故か赤ちゃん言葉だったような……。
「ちょっ、犬がデロスト様!? あの、あの犬が!?」
「ええそうよアリス、あの犬がデロストよ」
ああ、狼狽えてるわねこの子。まあ、そりゃあそうでしょうよ。私も驚いてるのだから。
攻略対象の記憶がどうして今になって蘇ってきたのかしら。いや、それが後で今、死ぬ記憶が戻ったとしてもそれはそれで嫌なのだけれども。
まあでも、取りあえず……婚約破棄、しなくちゃね。だってゴリラなんだもん。ゴリラと結婚とか、絶対に無理よ。私ズーフィリアじゃないし。
「まだよ、まだ大丈夫……イケメン狩人のジャロもいるんだから」
「ジャロって確か、貴女のストーカーだったかしら?」
ジャロ、普段は森に棲んでいるのだが、どういう訳か私とアリスに惚れ、ストーキングを繰り返すという、色々と悩まし気な設定のある攻略対象。
そういえば、さっき鹿に糞投げつけていたわね……伝えないでおこう。可哀想だから。
「アリス、貴女主人公でしょ? あれ、好きに攻略していいわよ」
「いえ。私の様な平民が、貴族様の婚約者を寝取ろうなんて……そんな事、とても恐れ多くて出来ません」
いいから受け取れやこのアマ、と念を送ってやると、奴さんぶんぶん首を振って全力で拒否。ストーリー進まないじゃないのと言ってやりたいですわね。
つーかあんた、開幕一番に「恋愛に関しては負けませんから」って言ってたじゃない! 負けてあげるから、素直に受け取りなさいよ! 私は顔は中でも人間と結婚するんだから!
「いっ、いいのよ遠慮しなくても。結婚は自分の好きな人と結ばれるべきだと思わない? 私は政略結婚で、そこに恋なんて感情は無いの。だから、ね?」
「いえいえいえいえ。貴族、アリスレッド様の名を貶めるような真似はしとうございません。私は私の身分に合った恋愛をさせていただこうと思います」
「いいから、遠慮しなくていいから! あげるから、私の第一のも第二のもあげるから! 全部獣だけど、あげるから逆ハーでも作ってなさいよ!」
「いらない、畜生なんていらない! 私イケメン期待してたのに! めっちゃ期待してたのに!」
「恋して盲目になりなさいよ! お願いだから、いい子だから!」
最終的な結果、私は婚約を破棄し、アリスも別にそいつにプロポーズとかするつもりはなく、私とアリスは良い関係のまま、余生を過ごす事になりました。
──そして、私が殿下と婚約破棄をしてから数週間後。
「ナタ、新たな婚約者を見つけてきたぞ」
「……今度は人間ですわよね、お父様」
若干訝しみながら、お父様から婚約者の写真を受け取る。
するとそこには──人間、ではあった。ええ、人間ね。広い目で見れば。
写真には、培養液に満たされた水槽の中にぷかぷかと浮かぶ脳味噌が映っていました。ええ、どっから持ってきたんだこの糞禿げ。というか盲目か、節穴か、こいつの目は恋もしてないのに盲目なのか。
「どうだ、ナタ。このお方はハンニバル殿下、何でも数百年生きた天才だとか──」
私は思い切り、お父様の顔面に右ストレートをぶちこみ、写真をびりびりに破いてからその場から走り出します。
ちょっと泣いてます。お父様の目があまりにも節穴なので。そのまま自分の部屋のある場所、丁度曲がり角へ差し迫った瞬間、私は前の人が見えておらず、ぶつかってしまいました。
「あ……」
「ウホ?」
ぶつかった相手は、私が一方的に(正論だけども)婚約を破棄した殿下でした。
ああ、殺される。ゴリラの握力は凄まじいと聞きます。きっと私なんて、キュッとしてグシャッでしょう。
怯え、竦む私に殿下は手を差し伸べてきました。私はぼーぜんとしながらその手を怖々と取ると、私を起こしてくれます。
「でっ、殿下……」
「ウホッ」
私が一方的に婚約を破棄したのに、私に優しくしてくれるなんて……。
私を立たせ、怪我が無いか確認すると殿下はそっと去っていきました。
──ゴリラは優しい。
いや、だからといって婚約破棄を取り下げる気はないですけどね。
アメリカ合衆国、サンフランシスコの動物園にある一頭のゴリラがいた。そのゴリラの名はココ、彼女は1000語の手話を会得し、手話で会話を出来るようになった。そんな彼女が誕生日の日に一匹の、尻尾の無い子猫を貰い、育てた。その猫はボールと名付けられ、とても可愛がり、母ゴリラが赤ちゃんゴリラにするように世話をしたという。
しかし不幸にも、ボールは車に牽かれ、その命を亡くしてしまう。それを知ったココは手話で悲しみを伝え、大きな声で涙を流し泣き続けた。
婚約者の現れる日は近い。