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世にも奇妙な短編集

イイナァさん

「ねえ。イイナァさんの噂って、知ってる?」

「イイナァさん? なんなの、それ」

「あのね。イイナァさんはね、幽霊なんだって」

「幽霊?」

「そう。とってもうらやましがりな、子どもの幽霊。イイナァさんは、その名のとおり〈いいなぁ〉、が口癖なの。イイナァさんは、いつも誰かのことをうらやましがっているもんだから、口を開けば、いいなぁ、いいなぁ、って、そればっかり。

……そんな幽霊、なんだって」



               +



 その男の子が、その夜、その子に出会ったのは、家族で外に夕ご飯を食べに行った、その帰りのことだった。

 回るお寿司の店を出て、お店の駐車場を、家族といっしょに歩いていたときである。

 男の子は、ふと気配を感じて、駐車場の端っこを振り返った。

 そこには、一人の子どもがいた。

 その子は、膝を抱えて、うずくまるようにして、地面に座り込んでいた。

 その子のそばには、誰もいない。親らしき人も、ほかの家族らしき人も。


 どうしたんだろう、あの子。こんな時間に、一人きりで、こんなところに。

 気になって、心配になって、男の子は、その子を見つめて立ち止まった。車に向かう家族のみんなは、そのことに気づかず、どんどん先へと歩いていく。

 男の子は、少し迷ったあと、みんなとは違う方向に歩き出し、一人で座り込んでいる、その子のもとへ向かったのだった。

 近くに来ると、膝に顔をうずめて座るその子が、何やらぼそぼそと、小さく呟いているのが聞こえてきた。その声に、男の子は耳を澄ました。


「……いいなぁ。……いいなぁ」

 その子は、ほとんど溜め息のような声で、何度も何度も、そう呟いていた。

 男の子は、首をかしげた。なんだろう。「いいなぁ」って。この子、いったい何を、そんなにうらやましがっているんだろうか。

 もっとよく聞いてみようと、男の子は、自分もその子の前に、しゃがみ込んだ。

 すると。


「……いいなぁ。お寿司でおなかいっぱいになって、いいなぁ……」

「……ん?」

 男の子は、ぱちくりと、目をまばたかせた。

 うずくまるその子は、独り言とも、男の子に喋りかけているともつかない調子で、さらに呟く。

「……いいなぁ。……家族みんなでお食事して、いいなぁ。……家族といっしょにおうちに帰れて、いいなぁ」

 それを聞いた男の子は、目の前のその子を、戸惑いの目で見つめた。


 やっぱり。この子は、ぼくのことを、「いいなぁ」って言ってるんだ。

 ……でも、どうして?


 男の子は、わけがわからなかった。

 家族みんなで、回るお寿司をおなかいっぱい食べること。家族といっしょに、自分のうちに帰ること。そんな「ごく普通」のこと、「当たりまえ」のことが、どうしてこの子は、そこまでうらやましいのだろう。何度も何度も「いいなぁ」と呟くほどに。


 不思議に思った男の子は、そこで、さらに妙なことに気がついた。

 すぐ目の前にいる、その子の姿が、なんだかよく見えないのだ。

 暗さのせいで、今の今まで、気にならなかったけれど。こうして、ある程度、外の暗さに目が慣れたというのに、じっくり目を凝らしてみても、目の前のその子がどんな姿をしているのか、よくわからない。男の子か、女の子かもわからないし、歳の頃もはっきりとしない。その子の体の大きさは、男の子と同じ年くらいのものにも見えたし、もっと大きな、中学生くらいの人にも見えた。おかしなことだった。座っているとはいえ、だいたいの背の丈さえも、大きいのか小さいのかわからないなんて。


 男の子は、もっとしっかり目を凝らして、その子を見つめた。けれど、見れば見るほど、目の焦点がどこか遠くへ行ってしまうようで、どうしても、その子の姿を捉えられない。


 そのときである。

 駐車場に入ってきた一台の車が、ヘッドライトでその子を照らした。

 明るい光を浴びた瞬間。その子の体は、すうっと透き通って、後ろの景色が透けて見えた。

 それを目にした男の子は、驚いて、息を呑んだ。

 同時に、どうしてだろう、と思っていた疑問が解けた。


 ああ、そうか。そうだったのか。

 この子は、生きている人間ではなくて、幽霊だったのだ。

 だから、お寿司も食べられないし、いっしょに過ごす家族もいないし、帰る家もなくて、こんな時間に、こんなところで、一人でいるのだ。それで、家族といっしょにお寿司を食べに来て、これから自分の家に帰ろうとしている、生きている人間のことを、「いいなぁ」と言っているのだ。


 そのことがわかって、男の子は、なんともいえない気持ちになった。

 この幽霊の子が、なんで死んでしまったのかは、わからないけれど。

 そのわけはなんにせよ、生きているときにはできていたことが、できなくなってしまったのだ。それはきっと、つらくて苦しくて、悲しいことに違いない。

 食事をすることも、家族といっしょにいることも、もう、できなくて。それでも、どうしてか、天国にも行けずにここにいて。生きている人間のことを、ただそばで眺めながら、「いいなぁ、いいなぁ」とうらやむことしか、できないなんて。そんなの、あんまりにも、かわいそうだ。


 男の子の心の中が、声にせずとも伝わったのか、幽霊のその子は、また呟いた。

「いいなぁ……。生きてる人間は、いいなぁ……」

 それを聞いて、男の子はなんだか、幽霊のその子に対して、自分が何か、申し訳ないことをしているような気分になった。


 どうにかしてあげたい……。

 そう思った男の子は、幽霊のその子に、「ねえ」と声をかけた。

 そして、ついつい、こう言った。

「あのさ。……もし、よかったら、ぼくといっしょに帰ろうよ。ぼくのうちに、来てもいいよ。だって、こんなところで、ずっと一人ぼっちでいるなんて、さびしいでしょ……?」


 すると、幽霊のその子は、ゆっくりと顔を上げた、

 男の子を見つめて、うれしそうに、その子は笑った。

 その途端。

 くらり、とめまいがして、目の前の幽霊の子の姿が、溶けるように揺れ崩れた。

 生ぬるい風を、肌に感じた。その風は、皮膚を通り抜けて、男の子の体の中に、渦を巻いて吹き込んだように思えた。


 めまいが治まったとき、幽霊の子の姿は、男の子の前から、跡形もなく消えていた。

 男の子は、誰もいないところに、一人でしゃがみ込んでいた。

 そこに、足音が近づいてきて、聞き慣れた声が、男の子に呼びかける。

「あっ、こんなところにいた。もう、だめじゃないの、勝手にどこかに行っちゃ……」

 それは、はぐれた男の子を探しに来た、お母さんだった。

「ほら、帰るわよ」

 お母さんは、男の子と手をつないで、ほかの家族が待っている車へと、男の子を連れていく。


 お母さんの声。家族のみんな。お寿司でいっぱいになったおなか。これから帰る家。

 そのどれもが、なんだか、やけに懐かしく感じられた。

 ありがとう――と。

 胸の中で、呟く声が、小さく聞こえたような気がした。




 それからというもの、男の子の毎日は、以前よりもずっと楽しいものになった。

 食べること。眠ること。家族や友達とのおしゃべり。そんな「あたりまえ」のことが、いちいちうれしくてたまらない、と感じるようになったのだ。


 ただ、一つだけ、ちょっと困ったこともあった。

 それは、男の子が、人一倍「うらやましがりや」の子どもになってしまったことだった。


 ほかの子の食べているものが、自分の食べているものよりおいしそうで、うらやましい。

 ほかの子の持っているおもちゃが、自分の持っているおもちゃよりも面白そうで、うらやましい。

 自分が風邪をひいたとき、風邪をひかずに元気でいる子のことが、うらやましい。

 自分が元気なとき、風邪をひいて学校を休んでいる子のことが、うらやましい。


 いつでもどこでも、何をしていても。誰かほかの子のほうが、自分よりも、何か、どこか、恵まれているように思えてならない。ほかの子が、自分よりも、良い思いをしているように思えてならない。男の子は、そればっかりが気になるようになって、仕方なくなってしまった。


 いつしか男の子は、ほかの子を見て「いいなぁ」と呟くのが、口癖になっていた。




 そんなふうではあったものの、男の子は、おおむね楽しく日々を過ごし続けた。

 ことあるごとに、人のことを「いいなぁ」とは思うけれど。それはそれとして、男の子にだって、ちゃんとたくさん、うれしいことや楽しいことはあったから。

 毎日のように友だちと遊んで、家に帰ったら、お姉ちゃんや弟とテレビゲームをして、おやつにおいしいお菓子を食べて、大好きなハンバーグやカレーやスパゲッティやオムライスが、食卓に並ぶことがよくあって、たまに家族みんなで外食もして、休日にはときどき遊園地に遊びに行って、夏休みには海や山に行って、冬にはスキーに行って、秋にはもみじ狩り、春にはお花見、誕生日とクリスマスには、丸ごとのケーキを買ってお祝いして……。


 そうして、月日は流れていった。




 男の子は、一つ、また一つと歳を取っていき、やがて、来年には高校生という歳になった。

 志望校に合格するため、男の子は、日々受験勉強に励んでいた。

 受験勉強は、想像していた以上に、とても大変だった。

 なかなか思うように成績が上がらず、毎日毎日夜遅くまで、勉強しなければならなかった。友だちと遊ぶ暇も、テレビゲームをする暇も、なくなった。学校が休みの日でも、外に遊びに行く気になんか、なれなかった。夏休みもどこにも出かけることなく、机に向かって学校の課題を片付けるばかりだった。冬休みも、きっと同じに違いなかった。塾に通って、模擬試験を何度も受けて。もみじの季節になると、残された時間が少なくなってきたことに焦りを覚え、春に咲く桜を、自分はいったいどんな気持ちで眺めることになるのだろうかと、不安に心をかき乱された。

 勉強のストレスで、夜もよく眠れなくなり、食欲もなくなった。胃が痛んで、何を食べてもおいしくなくて、ハンバーグもカレーも、スパゲッティもオムライスも、お寿司もケーキも、食べたいとは思わなくなった。


 男の子の過ごす日々の中には、もはや、うれしいことも楽しいことも、ありはしなかった。


 そんな、ある日のこと。


「いいなぁ……」

 と、いつものように呟いて、男の子は、部屋の外のベランダに出た。


「いいなぁ……」

 と、溜め息と共に呟いて、男の子は、ベランダの柵に縄をくくりつけた。


 高校受験が終わるまで、まだまだしばらくは、この生活を続けなくてはならない。

 だけど、高校受験が終わっても、今度はもっと大変に違いない、大学受験がある。

 そして、それが終わったら、その次には、就職試験が待ち受けている――。


「いいなぁ……」

 ああ、うらやましい。うらやましくて、たまらない。

 そう思いながら、男の子は、自分の体に縄を結びつける。


「いいなぁ……。学校も、勉強も、試験もなくて。



 ――――幽霊は、いいなぁ」



 呟きを残して、男の子は、目の前に広がる空中へ、その身を傾けた。

 首に結びつけた縄が、柵との間でびんと張って、きしんで揺れた。



               +



 ――ねえ。イイナァさんの噂って、知ってる?

 ――イイナァさん? なんなの、それ。

 ――あのね。イイナァさんはね、幽霊なんだって……。





 -完-

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