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ユウレイダラケ  作者:
5/6

転の転

 

 ◆




 俺が大泣きしたあの夜から一週間が経とうとしていた。

 誰も起こしてくれない朝を迎えて早一週間。

 前から目覚まし時計で起きていたから目覚めるのに苦労はないが、なにか物足りなさを感じる。

 それもいつかは慣れるものだろうと俺は支度を始める。


「おはよう。荘子くん……ってあら?荘子くん、作業服はどうしたの?」

 そこに相も変わらずふわふわと彷徨いながら、ドアを開けるでもなくすり抜けて俺の部屋に入ってきた幽霊が一人。


「なんでさも当然のように、俺が日常的にあの服着てるみたいな反応するんだよ」


「ああ。間違えました間違えました。正しくは『学校の制服はどうしたの?』だったわ。私ったらうっかりさん」


「うっかりし過ぎだろ……」

 とまぁこんな感じで朝から静夏さんとお喋りしている理由はというと。


 俺が静夏さんを自分の家に立ち入りを断ったのは俺の嘘ためであり、その嘘がなくなった今。

 晴れて静夏さんは俺の家にお暇することができるようなったのだ。

 そして、俺の家で生活するようになった。

 それにはまた別の理由があるのだが……。


「それでなんで作業服でもなく、学校の制服でもないの?」


「俺の着替えの選択肢に作業服をいれるな」

 どれだけ気に入ってんだよ……。


「今日から夏休みだって言わなかったっけ?だからこうして私服に着替えているわけだよ」


「なるほどそういうわけね……、?ちょっと待って。今はまだ朝の八時だけど、これからどこかに出かけるの?荘子くんあまり外に出るタイプには見えないのだけど」

 さらりと酷いこと言うな……。

 それも当初と比べて幾分か気を遣わなくてもいい間柄にまでは親しくなった。

 そういうことだろう。


 これも紛いなりにも一週間を同じ家で生活した結果というわけかな。

 人と親しくなるのはとても嬉しい。

 俺にはそういう人は多くないからな。

 でもこの場合は決して良いことばかりではないけれど。


「突然だけど……これから俺はアンタを成仏させる」


「………え?」


「アンタだって分かってるだろ。このまま自分がこの世界に留まってはいけないことを」

 そう。

 幽霊とはそもそも天に召されるべき存在だ。

 このまま現世にいることで悪影響を及ぼすことだってある。

 それを防ぐために俺は数々の幽霊と関わってきたが、静夏さんは少し留まり過ぎた。


「アンタには成仏してもらって、幸せになってもらう」

 静夏さん、そして水野のためにも俺は頑張る。

 そう決めたのだ。


「それが俺の義務だ」




 ◆




 朝食を済ませた俺は静夏さんの案内で水野家へと足を運んだのだった。


「どうして私の家に?」

 静夏さんがそう尋ねてくる。


「アイツが忌引きのまま夏休みまで休んでるもんだから、学校に置いてる荷物を届けるよう頼まれたんだよ。俺が帰宅部で隣の席だからって理由で」


「普通こういうときって友達とか……せめて女子にやらせるものじゃないの?」

 ごもっともだ。


「多分、みんなどうしたらいいのか分からねんだよ。いつも元気振りまいてる奴が落ち込んでいたら、かける言葉も見つからねぇんだと思う。クラスの奴らだけでなくそれこそ学年、性別関係なくアイツのこと心配してたぜ。俺じゃ、ああはならないな」

 実際、先生から荷物を届けるよう頼まれた時もみんなから色々と頼まれたりした。

 みんなに愛されてる水野。

 まるで、俺の妹のように。


 そんな奴のために俺にできることが今はあるんだ。

 更の時とは違う。

 力になりたい、水野に。静夏さんに。


 そうこうしてるうちに静夏さんの実家である水野家へと到着した。

 割と俺の家から近いことに驚いた。

 先に自分の家を一回りひとっ飛びして様子を見てきた静夏さんが言う。


「私の家……誰もいないみたいね。親はもう仕事に出ているとしても、翠は……どうしているのかしら」

 やはり罪悪感があるか。

 無理もない。 


 今日は夏本番に差し掛かっていることもあり、朝から相当な暑さだ。

 そんな暑さに負けずに外で遊んでいる子供たちの笑い声がどこからか聞こえてくる。

 蝉の鳴き声などわざわざ描写するまでもなく五月蝿い。


 それでも、今俺が立っている水野家だけは違った。

 ここだけ異世界かのように、雰囲気がまるで違う。

 沈んでいて暗い。

 俺はそんな印象を友達の家に抱かざるを得なかった。


 見た目はどこにでも建っていそうな普通の一軒家なのに、ここだけが異質だった。

 空で忌まわしくも燦々と照りつけている太陽の光をここだけ受け付けていないみたいだった。


 そんな惨状を静夏さんは見て、どう思っただろう。

 自分のせいだと思うだろうか。

 自殺したことを後悔しているのだろうか。

 でも、何もかもがもう遅い。

 彼女はもう死んでいてできることなどたかが知れてる。


 だが。


「ほら、静夏さん。しっかりしてくれ。今からアンタの成仏のための準備するっていうのにそんな浮かない顔しないでくれ。体は浮いてるんだからよ。もっと気楽にやってくれ。でないと成仏できないぜ」

 わざといつもは言わない軽口を使ってみる。

 俺の励ましが少しでも効けば幸いだが。


 俺はそれ以上静夏さんにかまうことなく、水野家へと足を踏み入れる。

 玄関は開いていたが、人の気配がしない。

 水野の靴らしきものはあるのでもしかしたら水野は部屋に閉じこもっているかもしれない。


 俺も更が死んだ時そんな風にしたかったよ。


 考えるのは後にしておこう。

 水野に気づかれないようにそっと家に入り、水野の荷物が入ったリュックを置きすぐに退散する。

 最近なんだかこそこそする機会が多かったから、手際が板についてしまった。

 全然、嬉しくない。


「用は済んだ帰ろう」


「えっ」

 俺の言葉に驚きを見せる。


「今日、私を成仏させるんじゃないの?」


「違う。明日だ」

 俺はもう一度水野の家を見上げて言う。


「明日、学校で水野とアンタを会わせる。そこでアンタは悔いのないよう、未練をかき消すくらい水野に自分の想いを伝えてくれ」

 あのリュックの中に明日学校に一人で来るように綴った手紙を入れておいたのだ。

 うまくいって明日、水野が来ればこの件は解決するだろう。

 その時は静夏さんとは本当にお別れだ。


「決着をつけるぞ」




 ◆




 次の日。

 夏休みだけど学校は開放されているので普通に校舎に入ることができた。

 とは言っても俺以外の生徒はほとんどいなかった。

 精々、部活動生くらいだ。


 俺は登校日と変わらない時間に登校し、自分の教室で自分の席に座りただただ水野を待つばかりだった。

 もちろん、本日の主役である静夏さんを連れての登校だが今日はなんだか口数が少ない。

 緊張しているんだろう。


 俺だって緊張している。

 こんなことして本当に静夏さんが成仏するなんていう確信も証拠もないのだ。

 そもそも水野に信じてもらえるかが心配だ。


 死んでしまった姉との対話なんていう不謹慎な遊びが。


 先日の水野に宛てた手紙にはそんなことは微塵も書いていない。

 書いたら絶対来ないだろう。

 おふざけで済まないどころではない。

 最悪、嫌われるな。


 「だから俺は水野にはただ来て欲しい」、とだけ伝えた。

 あとは水野次第だ。

 俺は祈るように天井を見上げる。


「来ない……わね」

 ここ一週間、誰にも使われることのなかった水野の席に座る静夏さんが言う。

 言うというか嘆息まじりで呟いたという感じだ。


「そうだな……。外はまだ明るいけどもうすでに六時を過ぎてるな……。そろそろ学校の開放時間も終わりだ」

 外は西日が強いおかげでまだ薄ら明るい感じで、どこかの部活の威勢のいい声が聞こえてくる。


「十時間以上待っても誰も来なかったな。水野でなくともクラスメイトの一人や二人くらいには出くわすと思ったんだけどな」


「そういうものでしょ。受験を控えてる三年生ならともかく部活で忙しい一、二年生が来る可能性なんて限りなく低いわ」


「にしても、水野が来ないということは俺の手紙を読んでいないのか、それとも単なる俺の悪戯とでも思われたのか、だな。後者だと俺がだいぶイヤな奴だが……」


「家族を失ったばかりの少女をからかう頭のおかしい男の子になっているのね……。荘子くん、かわいそう……」


「哀れむな」


 そろそろ潮時かもしれないな。

 猛暑日のくそ暑いときに冷房も点けずにただ座っているだけで随分な汗をかいた。

 脱水症状を起こす前にもう帰ろうか。

 今日は俺の作戦が失敗したってだけでそれでいいか。

 夏休みはまだ始まったばかりだ。

 他にもやりようはいくらでもある。


「…………………」


 でも、あとちょっとだけ。

 あとちょっとだけ待って水野が来なかったら、もう諦めよう。

 あとちょっと。あとちょっと。あとちょっと。


 水野が来るまでずっと――――


「……う、……そ…」


 教室の入り口のほうから不意に幻聴かと疑ってしまうくらい小さな声が聞こえた。

 その声の持ち主は以前会った時より少しやつれてしまっていた。

 元気を根こそぎ取り除かれてしまったようなそんな感じの女子だ。

 その女子こと水野が驚いた様子で俺を見ていた。


「よう、久しぶり水野。もう来ないかと思ったぜ」


「なんで、……いるの」

 水野がまるで幽霊でも見たかのようなそんな信じられない顔をする。


「なんで、って言われても。俺がアンタを呼んだんだし、当たり前だろ?」


「でももうこんな遅い時間なのに……。まさかずっと待ってたの?」


「まぁ……まぁ、そう、なるな」

 あまりにも普段の水野と雰囲気が違いすぎてどう答えたらいいのか分からず、しどろもどろになってしまった。


「……ごめんなさい!あの手紙ちゃんと読んだんだけど、本気だとは思わなくて。でももしホントに荘子くんがわたしのこと待ってるかもって思ったらなんだか勝手に体が動いて……!それで……ホントに待っててくれたんだね、わたしなんかのことを」

 ………………。


 水野が若干、卑屈になってるみたいだが一先ず俺の作戦が効いているようでホッとした。

 俺は敢えて待ち合わせ時間を指定しなかった。

 だからこうして長時間、蒸し風呂みたいな教室で待つ羽目になったが、こうしてちゃんと水野が自分の意志で来てくれた。

 それだけで俺としてはもう十分だった。


 あとはもう静夏さんに任せるか。


「ま、水野。とりあえず座れよ。お前の席が誰にも使われなくて寂しい思いしてんだから」

 静夏さんを見遣る。

 アンタの出番だ。


「これから大事な話だ」


「荘子くんが?」

 自分の席に座りながら尋ねる水野。

 なんだかふらふらして危なっかしいが……。


「いいや。俺じゃなく『彼女』からだ」


「えっ彼女?」

 ぎょっとなって戸惑う水野を余所に俺は準備する。


 静夏さんに憑依される準備を。


「この前みたいに俺の体に入り込む感じに、静夏さん」


「っ!ちょっ、荘子くん、しずか、さんってなんでお姉ちゃんの名前が――――」


 そこまで聞こえて俺の意識がテレビの電源が切れたみたいに途切れる。

 途端に意識が遠のいていく。

 自分の体が自分じゃなくなるこの感覚。

 薄れゆく意識のなかで俺は思う。


 俺も頑張るから、うまくやれよ静夏さん――――。




 ◆




 わたし――――水野翠は驚いてばかりだった。

 昨日、家の玄関に置いてあった見知らぬリュックの中には荘子くんの手紙が入っていたのだ。

 他にもわたしの学校に置き勉してる教材とかそういうのが入っていたけど、わたしはまず手紙を読んだ。

 それには端的に、『明日学校に来て欲しい』としか書かれていなかった。

 時間の指定も詳しい場所の指定もされていなくて、行くかどうか決めかねたのは確かだった。


 なんでだろう。

 あの荘子くんがわたしなんかに。


 単純にそう思った。

 荘子くんは二年にあがって初めて同じクラスになって、それからずっと隣の席の男の子。

 わたしにとってはそれだけだった。

 多分、彼にとってもそんなものだろう。


 彼はいつも独りでいる。

 なんでかは分からない。

 話をしてみれば普通に良い人なのに、どうしてみんなと一緒にごはん食べたり、おしゃべりしたりしないんだろうと思ったことがある。

 でも、その理由はすぐに分かった。


 荘子くんはやたらと教室にいることが少ない。

 授業にはきちんと出ているけど、それ以外はほとんど教室で見かけることはなかった。

 理由はわかんないけど。


 だけど、そんなある日。

 珍しく彼が昼休みに教室で昼食を食べていたのだ。

 これは仲良くなるチャンスと思って、話しかけてみた。


「教室で食べるなんて珍しいね」

 わたしが言葉を投げかけたのがそんなに意外か、目を見開いて驚いた様子。

 だけどすぐに応答してくれた。


「……そんな日もあるんじゃねぇの」


「ううん。いままで一回もなかったよ。今日が初めての草樹くんが教室でお昼を食べましたデー、だよっ」

 これは仲良くなるチャンスだと思って、努めて明るく振舞った。


「……へ、へぇー」

 ちょっと、引かれてちゃった……。

 でもここで挫けちゃいけない!


「なんでいつもはみんなとたべないの?」


「用事があるんだよ」


「用事って?」

 確か荘子くんって帰宅部だったような。

 生徒会でもないし、一体なんの用事が?


「すまんが、詮索しないでいてくれたら助かる」


「ああ、ごめんごめん。そういうつもりじゃなかったんだよ。でも、だから草樹くんは教室にいないことが多いの?」


「そうそう。そんな感じ」


「へぇー」

 いまいち納得はできないけど、触れられたくないならこれ以上はやめようかな。

 嫌われても嫌だし。


「じゃあさ、じゃあさ。今のうちにいっぱいお話しよっか」


「は?」


「家族の話をしよう」

 わたしの大好きお姉ちゃんの話。

 荘子くんは半ば呆れながら聞いていだけど、ちゃんと相槌も打ってくれてとても良い人だった。


 ただひとつ印象に残ったのは、わたしが荘子くんに家族のことを訊いたときのあの寂しそうな、悲しい顔。

 兄妹はいないと言ったあの顔が。

 わたしには忘れられなかった。



 そんな彼がわたしを教室に呼び出して、お姉ちゃんの名前を口にした。

 いつの間に荘子くんとわたしのお姉ちゃんが知り合ったの、と思いながら彼のほうを見つめる。


 いつもと同じように隣同士の席に座って見慣れた風景。

 夕日の橙色の光だけがこの教室を照らし出す。

 そんななかで、荘子くんはわたしのお姉ちゃんの名前を言った途端に糸が切れた操り人形みたいに力なく机に突っ伏してしまった。


 そんな状態が続いて心配し始めたころに彼はゆっくりと起き上がる。

 隣り合った席なのでこちらの席の方に体ごと彼は向く。

 なんだかよく分からないけど、さっきまでとは雰囲気が違ってみえた。


「久しぶりね、翠」


「…………え」

 いきなり荘子くんから呼び捨てにされた!?

 しかもオネェ口調で!!?


「ちょ、大丈夫?!荘子くん!!机に頭ぶつけておかしくなった?!!」


「あはははは。ホント、昔からリアクションだけは大きいんだから。変わってないわね」


「ねぇなに言ってるの?ホントに大丈夫?」


「翠。荘子くんなら大丈夫だから、いまから私の言うことを信じて、混乱しないようにね」

 何?なんなの?

 荘子くんのしゃべり方がまるで――――


「私は今荘子くんの体を借りて、あなたに会いに来たあなたの姉の静夏よ」


「っ!!」

 どういうことなの?

 荘子くんがからかっているだけ……?

 でも彼がそんなことする人じゃないということをわたしは知っていた。


「うそ、そんな……、お姉ちゃんは死んだはずじゃ……」

 お通夜だって葬式だってしたのに。


「そう。私は死んだからこそ、荘子くんの体に憑依しているの」


「……憑依って、そんな、うそ、だよ。そんな荘子くんの声で、顔で、体で……ッ。……しんじ、られないよ」


「信じなさい。あまり時間はないのだから。早くしないと荘子くんが死んじゃう」


 え?

 荘子くんが、死んじゃう?

 なんで今度はそんな話に―――――――


「彼は、彼の体は私のせいで酷使しているのよ。詳しい話は荘子くんから聞いて頂戴。いまはただ私の話だけを聞いていればいいの」


「そんなこと……いきなり言われたって」

 頭がついていかない。

 たくさんのことが短時間に起き過ぎだよ。

 こんなんじゃ、なにも分からないよう……。


「まずは……そうね。ごめんなさい」

 私のお姉ちゃんと名乗る荘子くんが足に顔がつきそうになるまで、丁寧に下げる。


「あなたに何も言わずに、言わないままに自殺なんて愚かな真似してしまって……。自分でも馬鹿だったとは思っているのよ」

 頭を下げたまま、言う。


「私はね……翠。私はね……………………。いじめ……られて、それで耐えきれなくって自らの命を絶ったのよ。……ははは。あなたの思っている私とは思えないでしょう?軽蔑したと思う。失望したと思う。本当に、なんででしょうね。なんで、あなたを信じないで自分だけでなにもかも背負ってしまったのかしらね……。本当に。ほんとうに………」

 馬鹿だわ、と泣きながら自分を責め続ける。


 そんな彼を見て。

 そんな彼女を見て。


 私は思った。


 信じてみようって。


 私のお姉ちゃんはこんな、子供みたいに泣かないけど、弱音を吐かなかったけど。

 痛いほど伝わってくる”この想い”は信じてみようと思えたのだ。


「……お姉ちゃんは……その……えっと………」

 必死になって言葉を探した。

 拙い自分のこの気持ちがどうやって伝わるのか。


「頑張った、と思うよ」

 戸惑いがちに、躊躇いがちになってしまう。

 信じなきゃ、お姉ちゃんを助けてあげられるのはわたしだけなんだ。


 そう思った途端、わたしの心の中でなにかが動き始めた。


「頑張ったんだよね、お姉ちゃん。お姉ちゃんのことだから誰にも迷惑かけないようにって相談、できなかったんだよね……。自分よりも他人を思いやれるのはお姉ちゃんそのものだよ。お姉ちゃんらしいよ」

 泣きじゃくるお姉ちゃんを子供の頃、わたしがされたみたいにやさしく抱きしめる。

 あの時にわたしを抱きしめてくれたお姉ちゃんはわたしのお姉ちゃんで、今わたしが抱きしめてるお姉ちゃんは、やっぱりわたしのお姉ちゃんだった。


「でもね、お姉ちゃん……。妹のわたしにくらい……迷惑かけても………よかったんだよ…………」

 わたしは溢れだしそうになる涙を必死に堪えながら、言う。

 ホントは泣きたいけどお姉ちゃんの前でもう泣きたくなんかなかった。


 昔からいっぱいの涙をお姉ちゃんの胸で流してきた。

 今度はわたしがお姉ちゃんを受け止める番だ。


「……ぐすっ、ごめんね、こんな不甲斐ない姉で………ごめんね、翠……」


「ううん、ううん。お姉ちゃんは全然不甲斐なくなんかないよ。わたしのお姉ちゃんは、昔からわたしを守ってくれて、支えてくれて、たすけてくれた。かっこよくて、きれいで……。わたしの憧れの――――――


 ―――――――おねえちゃん、だよ」

 涙を我慢するために、わたしはよりいっそうお姉ちゃんを抱きしめる。


「もう休んでいいよ、おねえちゃん」

 わたしは囁きかける。

 精いっぱいの気持ちを籠めて。


「ばいばい。おつかれさま」


 その瞬間、日は沈みあたりが暗くなり始める。

 抱きしめていた体から力が抜ける。

 わたしはお姉ちゃんがもういなくなったんだと、思った。


 最後は笑顔を見せてお姉ちゃんを送る。

 今までのお姉ちゃんとのいろんな思い出が頭の中を駆け巡り、ちゃんと笑えたかはわからなかった。


 気がつくと荘子くんの体は椅子から落ちそうになっていてわたしはそれを支えようとしても支えきれず、彼は教室の床へと座っていた椅子から転げ落ちた。


「いってーーーーーッ!!あたま、打ったぁーーーーー」


 さっきまでとは打って変わって教室中に彼の悲鳴が響き渡る。

 もう荘子くんの体にはお姉ちゃんの魂は残っていないようだった。

 ということは、お姉ちゃんは無事に成仏したんだ。


 それは本来、喜ばしいことなのに心には大きな穴が空いたようでとても苦しい。


「…………いやだ」


 やっぱりダメだった。

 お姉ちゃんの前では見栄を張ってあんなこと言っていたくせに今ごろになって、目には見えない何かががわたしを襲う。


「荘子くんッ!!」


「うおわっ!!」


 わたしは思わず床に転がる彼に飛びつく。

 人の温もりが今はただ欲しかった。

 そうしないと自分が自分じゃなくなりそうでどうしようもなかった。


「おい、おいおい、水野…………?」


「ごめん、荘子くん。しばらく、このままでいさせて………………」

 必死で懇願する。

 最初は抵抗を見せていた彼だけど、わたしの気持ちが通じたのかすぐに受け入れてくれた。


 お姉ちゃんの次は今度は荘子くん。

 やっぱり、わたしは誰かに縋らないとダメなんだ……。

 こんなにも弱い自分が嫌になる。


 しばらくの静寂の後荘子くんがたまりかねて話しかける。

「水野……静夏さんはちゃんと成仏したか?」


「した、と思う…………」

 そうか、と言いながら彼は頭の痛みに耐えながら何とも言えない表情を浮かべていた。


「やっぱ、寂しいもんだな。自分からやったこととはいえ」

 しまりが悪そうに打ったばかりの頭をかく。


「その、よかったな。無事に静夏さんが報われて――――」


「――――よくなんかない」


 自分でも驚くほど声が荒くなって、戸惑う。

 荘子くんだって目を見開いている。


「ぜんぜん、よくなんかないよ!お姉ちゃんにはいなくなって欲しくなかった!幽霊でもいいからずっと一緒にいたかった」


「でもそれじゃあ静夏さんが『悪いもの』になってしまうんだぞ」


「それでもいいよ!!なんでもいいから側に居て欲しかった!!居たかった……居たかったよぉ」

 我を忘れてひたすらに叫ぶ。

 これじゃあホントに子供みたいだ。


「……仕方ないだろ、水野。静夏さんはもう死んでるんだよ。そもそも、今回みたいに生者と死者を会わせること自体、あまり良いことじゃ――――」


「――――仕方ないってなによ」


「え」

 わたしは荘子くんの胸倉を強くつかみ、馬乗りの状態で彼に向って冷たい声をぶつける。


「家族が死んでるのに、それを仕方ないとか言わないでよッッ!!」

 荘子くんに向かってただ叫ぶ。

 自分でも分かってる……こんなのは八つ当たりだって。

 でも。

 分かっていてももうわたしは止まらなかった。


「わたしの大好きなお姉ちゃんが死んで、わたしの自慢のお姉ちゃんが死んで、もうわけがわからない。つい最近まで一緒に笑ってたのになんで?なんでなの!!」

 最低だ。

 お願いもう止めて。

 これ以上わたしを壊さないで。

 お願いだから。


「お姉ちゃんのいない世界なんてもうどうでもいいよ!!」


「おい、落ち着けって水野……」


「荘子くんには分からないでしょ!!家族を失う気持ちが、今のわたしの気持ちが!!」


 心に穴が空いたみたいでとても痛くて、辛くて、苦しい。


「心に穴が空いたみたいでとても痛くて、辛くて、苦しい。だろ?」


「っ!?」

 一瞬、わたしが思ったことを口にしていると錯覚したけど、違った。


 荘子くんだ。

 荘子くんがわたしを真っ直ぐに見つめてくる。

 それは理不尽にも怒鳴りつけたわたしに対する怒りも失望もなかった。


 素直に綺麗な目だと思った。


「家族失くした痛みなんて、むかつくくらい辛いよな……。俺もこの前、妹を失くしてやっと味わった」

 え?

 荘子くんはなにを……。


「妹……って?確か荘子くん、前に話した時に兄弟はいないって……」

 そう追求すると、


「ずっと認めてなかったんだよ、妹の死を。だから嘘吐いて、誤魔化して、騙してきたんだ」

 寂しそうに、自嘲気味に笑う。

 つらいことを思い出すように。


「なんともいえない苦しみや喪失感。大事なものが消えていく感覚。心が足りなくなる感覚。そういうのがたまらなく体中を蝕んでいく……。でもよ」

 わたしから教室の天井へと視線を移し、なにかに耐えるように言う。


「でもよ……水野。それでも俺たちは生きなくちゃなんねーと思う。死というものはみんながそれぞれ持ってる絶望だ。その絶望を周りに振りまかれて俺たちみたいな思いをする奴がいると思う。水野なら、なおさらだな」

 荘子くんはわたしのことは見ていなかった。

 彼もまた何かに縋りつきたい思いを必死に抑えて前だけを見ているんだと思った。

 振り返ると、自分が立ち止まってしまうから。

 過去に囚われて死んでしまうから。

 だから、彼は必死になって前だけを見ようとしているんだ。


「荘子くんは、強いね」

 いつの間にか気持ちが落ち着いていた。

 それは多分、今こうして荘子くんを近くに感じているから、なんだろうね。


「わたしはそんなに強くないよ。強く……なれないよ。わたしなんかじゃ、わたし独りじゃなにもできないよぉ」

 そう言って彼の胸に顔をうずめる。


「なに言ってんだ。一緒に強くなろう。俺は静夏さんにそう頼まれたんだ」


「お姉ちゃんが……」


 どこまでわたしのことを想ってくれてるんだろう。

 わたしはお姉ちゃんのことならなんでも知ってる気でいたけど、お姉ちゃん『も』なんだね。


「一先ずは、さ。水野。もう泣いていいんだぜ」


「え?」

 言われてから気付いた。

 わたしはお姉ちゃんを見送ったというのに。

 こんなにも痛くて苦しくて辛いのに、わたしはまだ泣いてなんかいなかった。


「辛い時は泣いていいんだよ。俺はそれができなくて壊れてしまったけど、めいっぱいに、精いっぱいに、ひたすらに、泣けばいい。泣いて強くなるなんて当たり前だろ?」

 それから微笑む。

 こんな風に笑う荘子くんを初めて見た気がする。


 これがほんとうの荘子くん。

 やっとわたし達は出会えた気がした。

 素のままの自分で。


「う、うう、うわあああああああああああああああああああ」


 それからわたしは泣いた。

 泣き叫んだ。

 今までの辛いことや溢れだしてくる全ての感情を吐き出すように。

 教室の真ん中で、みっともなく情けなく、不細工に、不格好に、見栄もなにもなく。


 ただ泣いた。


 そんなわたしをただ黙って荘子くんは受け止めてくれた。

 こんなにも醜いわたしなんかを。


 わたしは変わる。

 お姉ちゃんの死を乗り越えて、荘子くんと共に強くなる。

 わたしには悲しませちゃいけない家族や友達がいる。

 その意識となにがなんでも生きる意志を掴んだこの日は。


 わたしにとってかけがえのない『大切』へと変わった―――――




 ◆


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