龍神の社 後編
学園生活を続けていたある日、「俺」は懐かしい雰囲気のする場所で、不思議な印象の女性と出会った。
龍神の社 後編 はじまります。
「今日も居ない、か。やっぱり偶々だったのかな。」
そう言いながら、先日年齢不詳な女性と出会った場所を見てから家路につく。
あの日、いつもに比べて格段に遅かった「ボク」を心配して、リィンが泣いたりして大変だった。
そのため散策は週に一度だけと決め、決まった日以外はまっすぐ帰るようにしたのだ。
だが、あの不思議な女性が気になったボクはその週に一度の散策の日には必ずお社の前を通るようにしている。中に入ってみようかとも思ったが、足跡がないのと思い出を持つ彼女よりも先に入るのがなんとなく阻まれて、外から覗くだけにしている。
少し残念に思いながらも今日の授業を振り返っていた。
そう、今日は初めて魔法を使ったのだ。
とはいってもまだ「小月の儀」を迎えていないため普通には使えない。なにかというと、魔法道具の一つである補助具を使っての魔法だ。
まず、簡単な魔法属性診断を昨日おこなった。これは確実では無いものの、「恐らくこれこれのどれかにはなるだろう」といった漠然とした判定器だ。
ちなみにそれを使わなかったのかとリィンに聞いてみたところ、これを使ったときは光か土じゃないかといわれたらしい。その程度の的中率なので期待はしてはいけないと実感を込めて言われた。
なお、「ボク」は光か雷じゃないか、と言われた。これは一般的な「光」属性を使うエルフには多い傾向で、そして魔法量的にも一般的なエルフ並みじゃないかな、というところだそうだ。
多すぎても目を着けられて困ったし、少なすぎてもそれはそれで残念なのでちょうど良かったというところだろうか。まぁ出来れば「水」とか風を伴うことのできる「木」とかのほうが探索には良いような気がした。
「でも考えようによっては「雷」属性なら、物によっては科学の再現ができるかもしれないな。」
などとタヌキの皮算用を始める。初めての魔法は、それなりに「俺」も浮かれてさせているらしい。
ニヤニヤしているのに自分でも気がつきながらも初めて使ったときのことを思い出す。
「それがあなた方の魔法力による力、となります。その魔法道具は発現属性が固定されていますので、使っている人の属性が必ずその属性になるわけではありません。よって魔力を通す、ということに慣れていただいたあとは、「小月の儀」まで様々な属性を試していただきます。」
そういって興奮さめやまない教室の生徒たちに、担当教員は無駄と知りながらも話しかけていた。
「ボク」の属性が光と雷と判定されたため、「雷」属性用の練習魔法具の棒に魔力を通した。(光属性用のものは無いらしい。まあエルフしか使えないのだからしょうがないか。)
そうすると、ただの握りのついた棒に徐々に電流がまとい始め、少し「バチバチ」と音がした後にまた静かになった。
周りを見渡すと同じように、各々の特異属性の魔法道具(属性によって形状が違う。火はランタンのようなもの、水はコップのような何か、といった具合だ。)に魔力を通し、仲の良いもの同士で見せ合っていた。
「ボク」も普段は普通に話す程度に仲の良いクラスメイトも居たのだが、このような重大なイベントのときに一緒になる程ではなく、また「俺」自身一人で感動していたかったので前で注意している先生の言葉を片方の耳で聞きながらも興味は目の前の道具に集中していた。
「さすがにあれを借りることはできなかったか。残念だなぁ。」
今日の補助魔法道具は許可制であり、学園内でのみの使用を許可されている。余程の例外がない限り高位の貴族でも持っていたりはしないそうだ。
そうやって次は何属性にしようかなどと考えているとすぐに家に着いてしまった。
それから一月程度経って補助道具の使い方に慣れてきたころ、すでに期待しなくなったけれど癖になったお社への通り道。だが予想に反して一人の人が立っていた。
あの女性か?とも思ったが今回は本当に中年頃のようで別人のようだ、などと思っていると向こうから声をかけてきた。
「あらあら、あの時のお坊ちゃんじゃないですか。奇遇ですねえ。」
そう言ってきた女性は確かのあの時の女性だった。
でも今度は本当に40、いや50を超えているように見える。
「ここの空気はよいので、時間がある時は通ってしまうんですよ。」
嘘じゃない。でもさすがに、あの時は若かったように見えたのに、とも言えない。
「そうですか。私はあの後、風邪をひいてしまいましてね。この年もあってかなかなか治らなかったんですよ。」
そういって優しく笑いかけてくる顔は、やはりあの時の女性のようだ。あの時「俺」が若々しいと感じたのは、このお社の周りに漂う懐かしい空気によって感じた気の性、だったのだろうか?
「あのとき長い時間引きとめてしまったからでしょうか、でしたら申し訳ありません。」
そう言うと、また彼女はくすくすと笑いながら階段に腰掛けた。
「本当にお坊ちゃんは変わっていますね。でも私の楽しみをとらないでくださいな、昔話が生きがいの年寄りなんですから。」
座っているところの横が空いているのは、恐らく続きを話してくれるのだろう。そう思って「ボク」は無言で促されるままに階段に座る。
そして一息置いた後、彼女は話し始めた。だが、今度はまるで懺悔をするかのような話し方だった。
「坊ちゃんだから言えますが、私は昔、ここの巫女のようなものだったんですよ。」
そう切り出した彼女は、表情には出さないがとても苦しそうだった。でも「俺」は話をしなくても良いよ、などとはとても言えなかった。やはりこれは懺悔で、「俺」に聞いてほしいのだろうと分かったから。
そうはいっても内容自体は当たり障りのないものではあった。ここに祀られている神様が龍神であるということは意外だったが、古くには珍しいことではなかったらしい。そもそも竜と人間が争うようになったのはここ数百年程度の話だということを授業で習ったことを思い出してなるほどと思った。
しかし、恐らく彼女が言いたいのは、「いまでもその龍神様を信仰しています。」ということなのだろう。それこそが隠さなければいけないことで、それを隠さないといけないことが、龍神様に対して後ろめたいのだろう。だからこそ彼女はこのお社の前で祈るだけで、中には入らないのだと分かった。
「聞いてくれてありがとう。」
と話し終えた彼女はそう言って、悲しそうな顔を隠しながら帰って行った。
本当は色々言わないといけないとも思ったが良い言葉をかけることができなかったため、黙って見送るしかなかった。
それから5カ月がたった。毎週気になって社を見に行ってはいたけれど彼女を見かけることは無かった。
次に会った時には気のきいたことを言おうと思っていたが全然思いつかなかったため、むしろほっとしたような、残念なような不思議な感覚であった。
5か月の間、もちろんその事ばかり気にしていたわけではない。
リィンは日に日に「ボク」に、いや「俺」に依存してくるようになってきた。「皇帝」は「俺」がでてきてからはめったに相手にしてくれなくなったらしい。学園以外では常にべったりだし、「俺」の言うことなら何でも信じる。すこし他の人との交流も考えた方が良いかもしれないが、今はまだ難しいところが歯痒いところだ。
学園で1学年上の生徒に好きだと告白された。だが相手は男だ。いや、たしかにかわいらしい系の見た目だよ?でもそれは子供だからであって同じ子供が道を誤るなと。もちろん強烈にお断りしておいた。むしろそのことを話した時に、リィンがその男の子を襲撃しに行きそうになるのを止める方が大変だった。
全属性の初歩魔法を道具つきなら使えるようになった。これで一応人並みに生活できることは保障されたので一安心ではある。(魔法を使えない人間は平民の中でも社会不適格者扱いをされ、まともな職業にはつけない。)
下町の治安が悪くなってきたと護身用に警棒のようなものを渡された。魔力を通すとスタン警棒になるのだ。今の時点でも一般的な平民よりは威力のある魔法を使えるため、貴族や富豪の子供に何かあったら困るという訳で渡されたのだが、玩具としてはなかなか良いもので貰った日はリィンと一日遊んだりした。
悪い事ももちろん有る。
位置測定技術について進展が殆どないことだ。
探索するための船についてはそこそこの距離を交易している船があり、それの当てが出来たのでなんとかなりそうではあるが、位置測定のほうが全くと言って良いほどだ。内地のここでは海上の話もほとんど聞けないため焦りが募る。
「天体観測できたらなぁ。まぁそれが無いからこそ、まだ外洋が開拓されていないんだろうけど。」
考え事をしながらも歩みを進める。
実際船だけであれば魔法で強化することによって、かなりのものが存在するようである。実物は見ていないけれど食糧保存とか、船の安定性とかその辺りを魔法で補う技術自体は一般的かは兎も角、あるにはあるのだ。
それでも外洋に行こうとすらしないのは、全く目印が無いからだ。
夜道を歩きながらそんなことを考える。授業も本格的になってきて遅くなり、また冬になったため日が落ちるのも早くなったので帰るときには真っ暗なこともざらなのだ。月が大きいので案外明るいが、それでもこの魔法のランタンがなければ慣れてきたとはいえ、社の方に行ったりはしない。
そう、今暗闇の中を速足で社へ向かっている。
今日は授業が遅くなったにも関わらず、最近は用事がある時は社の方にも行かなくなった。であるのに何故か今日、どうしても行かなくてはいけない気がしたからだ。
胸騒ぎ、というのに近いのだろうか。単純に、進展がないことへの焦りかもしれない。それならそれで気分転換になれば儲けものだ。
むしろ、そうであってくれと祈る。自然、歩く速度が速くなる。
だが、その願いは、階段に着いた足跡と、少し雪が残るその階段に続く赤い滴によって裏切られた。
「はぁ、はあぁ。くそ、どこまであるんだ、この階段は!」
登りながら毒づく。急ではあると思っていたが、こんなに長く、曲りくねっているとは思っていなかった。下から見たときに階段の頂上だと思っていた所は、まだ折り返しているだけだったのだ。
そうやって2回ほど角を曲がったところで頂上が見えてきた。だが、その頂上付近にうずくまるものに眼をとられる。それはどう見ても小さな老婆であった。だがそれが、あの時の女性だと分かった。何故か分かってしまった。
「しっかりしてください!いま助けますから!」
そう言いながらも理解してしまう。もう駄目だと。握った手から全く温かみが感じられない、それどころかどんどん冷たくなっていく。
「ごめんなさい、ごめんなさい。」
声を掛けられて意識を取り戻したのか、彼女はうわ言のように謝り始めた。
「龍神様を信じなくてごめんなさい。だから私は地獄に落ちるしかないの。」
血を吐きながらも謝り続ける彼女は、喋りながらも更に老いていくようだった。いや、そうではない、実際に老いている?
さっきまで死体かと思うほど冷たかった彼女の手が、今度は火傷しそうなほどの温度になる。そして熱くなればなる程、どんどん皺がひどくなり年老いていく。
そしてそれでもなお彼女は社に向かって謝り続ける。
「くそ、どうなっているんだ。せめて落ち着かせないと何も出来ない。」
落ち着かせたところで何か出来るとも思えない。けれどこんな形で死んでほしくは無い。
何か良い言葉は無いか、と色々言葉をかけるが神様に向かって謝り続ける彼女には届かなかった。
「神様に出てきてもらうしかないのかよ、神様が言葉をかけるしか。」
歯を食いしばって考えるが、血の味がするばかりでなにも思いつかない。
神様の言葉なんて、そう思った瞬間、何故か頭に一つの言葉が浮かんできた。
それは「俺」が幼いころに、仏壇の前で足がしびれながらも唱えさせられていた言葉だった。
「オンバロダヤソワカ」
(これはね、龍神様へのお祈りなんだよ?)
口にしながら、頭の中で祖母の言葉が頭の中で再生される。そうか、「俺」は彼女に今は既に居ない家族を見出していたのか。
-チリィィィン-
瞬間、ざわめいていた社に一瞬、鈴の音が響いた。ような気がした。
気がつけば彼女は謝るのをやめていた。体温も少し冷たい程度になっている。老化現象も目に見えては進んでいない。
「不思議な言葉。」
彼女は呟いた。
それに対して「俺」は答える。
「これは龍神様にささげる真言。」
そんな熱心な信者であったつもりは全くなかったのだが、こんな急場に出てくるなんて。
育ち盛りだった「俺」がお菓子欲しさに一緒にお祈りをしていた、そんな風景を思い出す。
「神様、私を許してください。そして、安らかさを与えてください。」
意訳を口にする。本当は色々な意味があるが、今は必要ないだろう。
「龍神様はお赦しになるでしょう。」
「俺」はそう言いながら老婆を撫でる。その表情は、初めて出会った頃のように若々しい。
「貴女が何をしたのかは知りません。ですが、貴女は戻ってきた、懺悔の気持ちと共に。」
そうですね、と同意を求める。
「はい。最期に一目、浅ましいとは思いながらもお社のお姿をみとうございました。」
そう言いながら彼女は体を起こした。
幻覚だろうか?「俺」が出会ったこともない筈の、恐らくここの巫女であった当時の彼女の姿が見える。そして起き上った時に頭巾がずれ落ちたことによって長い耳が見えていた。
そう、彼女はエルフだったのだ。平民の間に生まれたエルフは「帝国」では異端扱いされ、まず生きていけない。そのため耳を切り落とす。彼女がずっと頭巾をしていたのはその傷を隠すためだったのだろう。
だが、今はリィンほどではないにしても、その立派な長い耳は傷一つない。
何が起こっているのか分からない。だが、「俺」はそのことを今考えることを放棄した。
「私は、神様が守ってくれるとおっしゃられたのに、それを信じることができずに逃げ出しました。」
神の声を伝えるべき、巫女であったというのにと少女は言う。そう、すでに少女に見える。
「それでも赦してくれているよ。だってほら。」
彼女を最後の一段まで連れて行き、お社見ながら「俺」は言う。
「お社は貴女を受け入れてくれているじゃないですか。」
そこには立て替えられたばかりとしか思えない、小ぶりながらも綺麗なお社があった。
ここに人が立ち入った様子はここにきてから一度もなかった。それでもこの様子であるというのならば、その神様が受け入れてくれているとしか思えない。
少女は泣いていた。泣きながら一歩を踏み出した。そこには、彼女以外のすべての音が消え去っていた。
「ありがとう。名前も知らない貴方。」
少しの間、社を見つめていた後、彼女はそういう。言いながら彼女は光り輝いている。
「俺」は首を振る。「俺」は何もできなかった。
自然、涙が出る。分かってしまったのだ。彼女がこのまま消えてしまうことが。
「私の石を受け取ってくれますか?」
彼女の口は動いていない。直接心に語りかけているようだ。
「俺」は金縛りにでもかかったかのように返事ができなかった。返事をしなければ生き返るとでも思ってしまったのかもしれない。数度会って話しただけだった。それでも、仲良くした人が永遠に失われてしまうことに耐えられなかったのだ。
けれどそんな願いは無情にも裏切られ、彼女は光の粒となって消えてしまった。
そして彼女が居た筈の場所には、青く光る親指ほどの大きさの宝石だけが残っていた。
少しの間茫然としていた後、残った宝石を拾い上げ、見つめる。
「これが石、か。エルフは死ぬと石になるというのか?」
骨すら残っていない。周りを見ると何事も無かったかのように、古びたお社が鎮座しているだけ。
瞬間、思い出したかのように周りの雑音が再生される。木々の音が、小川のせせらぎが。
そして聞こえてくる生き物の声は「俺」の嗚咽と、お社の上で座っている猫の鳴き声だけであった。
気のせいかもしれないが、その猫は彼女の死を弔っていると、そう思えてならなかった。
※真言について:水天の真言で、水天は龍の長であるとのことです。




