黄精霊視点
「アルスール国のリリーアリスっての殺してぇんだけど、別にいいよな?」
いいよな? いいよな? イイヨナー……
塔のてっぺんにいたために、やまびこ状態となって声が響いた。
己が精霊人生を賭けて作り上げた分身の子精霊が、キリリとした顔で自分を見つめている。
未だイイヨナーと耳に残る言葉を再度脳内でリフレインさせ、結論を言う。
「いいわけねぇだろ」
ですよねー、と周囲からホッとしたような雰囲気が伝わってきた。
奴らは俺らと違って人間の、オースティンの部下だ。この塔から出入り出来る森は少々特殊なために、こうして彼らが直接巡回している。
偶然にも居合わせたからズバリ聞かれてしまったが、そんな堂々他所様の若王子を暗殺とかコイツは国家間の修羅場を招きたいのだろうか。妙だな、そんな教育したっけな、と思ったが、そういや緑のが調教してるんだった、超あり得る。
物凄く得心したが、オースティンに黙ってそんなことをしたらさすがに床にorzさせてしまうかもしれない。それを見て精霊全員で指差し笑う自信があったが、ヒナゲシがいる今、余計な騒ぎは避けなければならない。
「何だ、どうしたんだ、緑のに開発されたか」
「開発なんざされてねぇよ、俺の意思だ」
あいつ凄ぇ目障り、と。不貞腐れたように言う虎雄に笑いそうになった。
人間のような豊かな感情と共感に欠ける精霊が、どういうわけかヒナゲシに影響を受けると愉快な個性が出てくる。長年精霊をやっているが、かなり珍しい現象だ。
「あー、あのガキ、ヒナゲシにべったりだってな?」
ぴくくっ、と耳や肩が反応しているのが面白い。虎雄は天邪鬼だが、ヒナゲシの危機にはえらく敏感だ。害されれば誰より怒り狂うし、彼女以外の人間なら灰塵に帰すことも辞さない。判断力の甘さは後々後悔するとしつこく教育しているだけに、誰より早く動こうとする。
……でも、あの王子様に関しては、完全に私怨のようだがなぁ?
くくっ、と喉奥で笑う。そういやぁこれも人間みたいか。
表面的な仕草など、大分影響を受けているようだ。だが、内面は変わらない。
──コイツにも早く人間の殺し方を教えなくちゃな。ヒナゲシを守りきれるように。
人の命を物の数にも数えない、残酷な真実。
人が見ようともしない精霊の本質。
人間を害すことのない聖なる存在として童話にも戯曲にも登場する自分たちは、一体どこで事実を捻じ曲げられたのだろうか。人間を陥れる存在は語り継がれど、いつの間にか外見さえも奇妙で不気味なものに“すり替わって”いる。
たびたび大陸中の人口を削る被害を出した禍々しい逸話。善良な一市民を甘い言葉で誘惑し堕落へと導く悪魔。人間を取って食うという魔族。そして反対に人間を善き道へと導こうと力を貸す妖精や天の御使い……そして人に幸いをもたらすという精霊の存在。
物語には必ず正義があって悪があり、見事に勢力が二分されている。自分たちはその正義側の存在らしい。むしろ悪側の所業に身に覚えがあるのだが。
ああ、そういえばこんな話もある。どこぞの国が異世界から善き心を持つ勇者を召喚し、自分たちに代わって魔王を討伐させるというものだ。笑えることに長い歴史の中で頻繁に繰り返されていた事実で、その勇者たちはことごとく魔王討伐に乗り出している。まったく善良なことで。
魔物に魔族に魔王に悪魔。召喚に勇者にと人の想像力こそ恐ろしい 。何せ彼らの言う善や悪というのは常に一つなのだから。
自分たちに疑いの目など向けもしない。見目が美しい、たかがそれだけの理由で。数十年ほどしか生きられないとはいえ、よくもそこまで曲解できるものだ。……ふと、両の手のひらを見つめる。
──人を陥れる醜悪な敵は外からやって来るのではない。人の中から生まれ出でるのだ。
そして無条件に人に味方する人外など居はしない。
自分がオースティンの側にいるのは、彼の心根をいたく気に入ったから。垣間見えた黒々とした内面に惹かれたから。埋めることなどこの先叶わないだろうほどの憎しみと悲しみと絶望を抱きながらも、国王の座を望んだから。
他の連中はどうだか知らないが、何の苦労も理不尽も知らぬ真っ白な心のどこが美しいだろう? 人の語る物語は必ず迷いない人間が正義とされるが、それは逆に愚かと言えなくはないのか。見えないことが善とされ、断じることが英断と褒めそやされ、裁く権利を誰かから委譲され実行する。俺には大多数の他人のマリオネットのような勇者に怖気すら抱くというのに。
かつて魔王を倒すために召喚されたという胸糞悪い笑顔の勇者を幾人も屠った手で、虎雄の頭をぐりぐりと撫でる。緑のの教育のおかげで人間全般に気を許すような都合の良い精霊にはなっていない。それでいい。自分たちが守るべきなのは理不尽に真っ向から対面する人間だけ。世間の幸せという上澄みを吸っただけの人など気に掛ける必要はないのだから。
「虎雄」
「あ?」
「イタズラなら、いいんじゃないか?」
「!」
にまーっと笑う黄色い存在に、周囲の人間がドン引きする。
「そうだよなぁ、俺まだ生まれたての精霊だもんなぁ、政治とかよくわかんねぇガキだもんなぁああああ?」
骨を絶つためならプライドも何のその。目障りな存在を合法的に排除すべく、目を爛々とさせながら去って行く。
周囲の視線を一身に浴びつつ、己が分身に願う。
──間違うな。お前が大事にしたい人間はただ一人だけ。ヒナゲシだけだ。