とある母親の小話
みゃああああ、と猫のような鳴き声が上がる。
それは彼女の肉の一部であったが、長時間の疲れでかどうでも良かった。
「女の子ですよ!」
空気の読めない助産婦が吠えるように赤子の性別を伝えたが、どうでもいい。寝させて、という気持ちを込めて「そうですかー……」と気の抜けるような返事をした。
片付けにどたばたする周囲と、ひたすら眠い自分。
産んだばかりの子供にも興味が湧かず、むしろうるっせぇな、ぐらいの気持ちで目を閉じた。
日に日に膨らむ腹を抱えて十月十日。どれだけ邪魔だったことか。社交的な彼女にとって、己の行動の足を引っ張られることはひどく負担だった。これでいつもの自分に戻れる、という安堵でいっぱいでしかない。
──だというのに。
「ほら、あなたの赤ちゃんですよ!」
眠りに引き込まれようとしていた自分を叩き起こし、ぐいと泣き喚く赤子を突き出してくる。使命を果たしたのだからもう放っておいて欲しいのに。
煩わしさに眉間に皺を寄せながら、それを目に入れた。
二人目であったが、初めての女の子。友達のように一緒にショッピングを楽しんだり、好きな男の子の話をしたりするのだろうか──そんな期待もあった筈、なのに。
みゃあああ、ああああ!
確実に自分が産んで、確実に血の繋がった“それ”に。
私は────……
「本当にもう、ヒナゲシってばどこに行ったのかしらねぇ」
は、と目を見開く。
どうやら目を開けたままトリップしていたらしい。
疲れていたのだろうか? あの子の出産を思い出したりして……。
「ねぇ、姉さんは心当たりないの?」
妹の失礼な聞き方にムッとくる。その聞き方ではまるで自分が悪いかのようではないか。
「知らないわよ、あの子のことなんて」
ぷいと顔を背けた。子供っぽいなと思いつつも姉妹二人だとこんな態度になってしまう。そもそもあの子がいなくならなきゃこんなこといちいち聞かれなかったのに。
「あの子がいなくなってから、ヒナコがずっと沈んでるの。どうせ暫くしたら帰ってくるんだから心配ないわよって言ってるんだけど」
その言葉に裏付けはない、だがどこか深刻さもなく、ヒナゲシに関することは噂話の一つのような軽いものだった。
──母親だから何だっていうの? 人一人を二十四時間監督できるとでも?
ヒナゲシがいなくなってから、常に責められている気がした。私が誘拐したわけでも居なくなった原因でもないのに。居なくなったのはあの子の意思で、私は関係ないのに。
母親だからって何で責められなくちゃならないのか。夫でもなく、息子でもなく、こういう時ばかり都合よく私。不愉快でしかなかった。
人気者であるヒナコを憂鬱にさせているのが自分の娘であるヒナゲシというのも、気分が悪い。
──私は私の役割をちゃんと果たしてるのに。あの子は。あの子が。
「おかあさん、おかあさん」
「何?」
友達の店で夢中になって話していると、ぐいぐいとしつこく引っ張られる。視線を向けると娘が必死になって服を掴んでいた。
「おかあさん、かえろう」
「何で?」
「え」
「もうちょっと待ってなさい」
「え、う、でも」
「大人しくしてて」
叱るようにはねつけると、ようやく黙った。
話していた相手と会話を再開しながら、そういえばこの店に来る前に頼んだなと思い出す。
『ヒナゲシ、ここの店のおばさんね、話し好きでしつこいの。だから適当な時に早く帰ろうって言ってくれる?』
『! う、うん! まかせて!』
『お願いね、お母さん早く帰りたいから』
張り切る娘は任せた役割を果たそうと必死だったのだろう。でも話は思っていたより弾み、途切れさせる存在は邪魔だった。
まぁいいか、と会話に戻る。こんなことどうにだって変わる事情だし。
この後? さぁ、どうだっただろうか。普通に店を出て家に帰った気がする。
ヒナゲシ? 別に何も言ってこなかった。文句なんて一言も言わなかったし、この程度で泣く娘でもない。ヒナコほど喜怒哀楽を見せる子ではなかったのだ。
自分のことは自分でやる子。好きなことしかせず、嫌な場には出ない。そんな風に自由に生きているのが羨ましい。何の苦労もなく生きているのが羨ましかった。
そうして今度は自分の足でこの村から出て行った。やはり自分の未来は自分で掴み取る子だった。
心配するだけ無駄だ、と確信している。母親の勘というものだろうか。彼女がこの世に生まれ落ちた瞬間と同じく、物理的距離があっても彼女の危機など感じられなかった。
その自立振りが腹立たしいなど──誰にも言えやしない。
母娘だから何だって言うの?